参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
日本国中、オリンピックの話題で盛り上がっています。日本選手の活躍には拍手を送りたいと思います。しかし、新聞もテレビもオリンピック一色という感じです。その間も、重要なニュースは適切に報道してもらいたいものです。オリンピックが終わってみたら、様々な懸案について、知らない間に怪しげな方向性が決まっていたということにならないように、目配りをしていく必要があります。
厚生労働省は、国民の皆さんからお預かりしている年金積立金で購入する国債に関して、来年度から「時価評価」を行わない方針を固めたそうです。
「時価評価」とは、金融市場で実際に売買されている価格(時価)で国債の価値を評価することです。一方、時価とは関係なく、国債の額面どおりの価値があるとする評価方法を「簿価評価」と言います。難解な話だなぁと思われる方のために、少しだけ具体的な数字をお示しします。
例えば、年金積立金が100兆円の国債を保有しているとします。仮に、額面1億円の国債を100万枚保有していれば、「簿価評価」では100兆円です。国は100兆円の資産を保有していることになります。
しかし、国債も金融市場で売買する時には価格がつきます。額面1億円の国債が市場では9千万円で売買されているとします。この場合、額面100兆円の国債も「時価評価」では90兆円の価値しかありません。国は90兆円の資産しか保有していないことになります。
現在は、「時価評価」が行われていますが、これを「簿価評価」に変更しようということです。どうしてでしょうか。
理由は2つあります。ひとつは、今後の「金利上昇」に備えた対策です。経済や金融に詳しい読者の皆さんには釈迦に説法で恐縮ですが、国債は、金利が上がると価格が下がり、金利が下がると価格が上がる、という仕組みになっています。国債だけでなく、社債などの「債券」は全て同じです。この仕組みが、どうもよく分からないというご質問をよく頂戴しますので、少し大雑把な説明になりますが、具体例をお示しします。
A氏が、額面100円、利率2%、満期10年の既発債(過去に発行された国債)を持っていると仮定してください。満期まで保有していれば、A氏は102円の償還金が得られます。
しかし、今、金利が3%に上昇したとします。国が新しく国債を発行する場合には、利率を3%にしないと市場で消化できなくなります。手許に100円の資金を持っているB氏は、新発債(新しく発行される国債)であれば、額面100円、利率3%、満期10年の国債を取得でき、満期まで保有すると103円の償還金が得られます。
さて、現金が必要になったA氏が、自分の持っている国債をB氏に売ることを想定してください。B氏がA氏から国債を買うと、将来102円しか償還金を得られません。一方、B氏が新発債を買えば、103円の償還金が得られます。B氏は当然、新発債を選択します。
A氏がどうしてもB氏に国債を売りたいと思えば、「額面は100円だけど、99円で売るから買ってよ」と言わなくてはなりません。B氏が99円でA氏の国債を買えば、将来の償還金が102円でも、その差額は3円であり、新発債の利息収入と同額になります。99年で3円儲かるので、利回りはむしろ新発債より高くなります。
A氏の持っている国債を100円で評価するのが「簿価評価」、99円で評価するのが「時価評価」ということになります。
厚生労働省が「時価評価」から「簿価評価」に切り替える方針を固めたのは、本格的な「金利上昇」が近づいているためです。約150兆円の年金積立金の多くは、国債に運用されています。「金利上昇」で保有国債の実際の価値が低下し、含み損を抱えることが表面化しないように、「時価評価」から「簿価評価」に変更するということです。しかし、内外の金融市場関係者は、年金積立金が保有している国債の「時価評価」を独自に行うでしょうから、方針を変えても本質的な問題解決にはなりません。
もうひとつの理由は、「国債消化」のための対策です。これは、厚生労働省というよりも、財務省の問題です。
これから「金利上昇」が続くとすれば、個人や機関投資家はなかなか国債を購入しにくい環境となります。その一方で、国の予算の半分を借金(国債)に依存している状況では、今後も国債を発行し続けなくてはなりません。
一般の買い手が見つからない以上、国(財務省)が頼りにするのは年金積立金です。国債を大量に買ってもらうためのお得意さんです。そこで、財務省としても、年金積立金の保有国債の評価方法が「時価評価」から「簿価評価」に変更されるのは大歓迎というところでしょう。
国の借金(国債)を国民の年金積立金で賄い、その国債を最終的に償還する時には国民の税金に依存する、そして、その一方で税金や保険料の無駄遣い、予算の肥大化が放置されている・・・何となく釈然としないのは僕だけでしょうか。
実は、国債や株の評価方法を巡っては、過去にも紆余曲折がありました。1990年代には、「減価法」、「原価法」、「低価法」などという言葉が金融関係者の間で飛び交いました。バブル経済崩壊後、保有する有価証券の資産価値を適切に評価しないと、企業や国、自治体の財務状況が正確に把握できないという事情に起因していました。
「減価法」は「時価評価」、「原価法」は「簿価評価」に近いようなイメージです。一方、「低価法」は、「時価であれ、簿価であれ、低い方を採用する」という考え方です。
「低価法」という考え方が出てきたのは、要は、保有している有価証券の価値を「より堅く」評価して、経営の健康診断を「より慎重に、より安全に」行うべきだという発想に基づくものです。適切な方向性だと思います。
資産というものは、いざという時に現金化(流動化)できてこそ、資産としての価値があります。いくら簿価が100兆円でも、いざという時に90兆円にしかならなければ、やはり資産価値は90兆円としておく方が、「より安全な判断」と言えるでしょう(あえて、「より適切な判断」とは言いません)。
有価証券の評価方法を巡る議論がこうした経緯を抱えていることを鑑みると、今後の「金利上昇」や「国債消化」が心配だから、「時価評価」を「簿価評価」に変更するというのは、少々問題があるような気がします。
健康(健全な財務状況)を維持するために健康診断(有価証券評価)を行うのが本筋であるにもかかわらず、健康診断をすると不健康であることが分かってしまうので健康診断をしないと言っているようなものです。おかしなことです。
「病は気から」という言葉がありますので、本当の健康診断に関しては「あまり気にしない方がいい」という対応にも一理あります。しかし、国や自治体の財政状況、年金積立金の運用状況、そして企業の財務状況については、「病は気から」ということはありません。「より堅く、より慎重に、より安全に」健康診断を行うことが必要だと思います。
この問題も秋の臨時国会でしっかりと議論していきます。
(了)