参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
東京証券取引所(以下、東証)がカネボウの上場廃止を決定しました。カネボウの過去の粉飾決算が発覚し、上場廃止基準に該当すると判断したそうです。企業の生殺与奪の権限を握る東証。大きな存在です。読者の方から、「東証って、役所ですか?」という質問を頂戴しました。今回は、東証について考えてみたいと思います。
東証は役所ではありません。したがって、政府の一部でもありません。株式会社です。「えっ」という読者の皆さんの声が聞こえてきそうですが、東証が株式会社であることは意外に知られていません。
東証に限らず、証券取引所は会員制組織として誕生しました。しかし、コンピューター投資などの資金調達の必要性が高まっていることから、最近では株式会社化する証券取引所が増えています。東証も平成13年に会員制組織から株式会社に転換しました。
多くの企業が上場を目指しています。一般投資家から資金調達できるようにしたり、企業のステイタスを上げるためです。しかし、希望すればどんな企業でも上場できるわけではありません。基準以上の業績と財務内容を達成することが求められ、その基準は東証が自主的判断として決めています。
基準をクリアして晴れて上場となった後は、一般投資家に迷惑をかけない業績の継続と、上場企業としての社会的責任が求められます。そうした義務が果たせない時には上場廃止となります。その上場廃止基準も東証が自主的判断として決めています。今回のカネボウは、過去の粉飾決算が上場企業にふさわしくない行為とみなされ、上場廃止が決定されたのです。
役所でもなく、政府の一部でもない東証という民間組織が、自主的判断で企業の生殺与奪の権限を行使しているのです。上場廃止だけで直ちにその企業が倒産するわけではありませんが、資金調達力や社会的信用が低下するという大きな影響を受けることは事実です。
このような重大な影響力を持つ東証には、透明性が高く、公明正大な運営が求められます。当然のことです。その自主的判断には情実や不正があってはなりません。東証に対して、情実や不正が発生する可能性を極小化するような制度設計や組織運営を義務付けていかなくてはなりません。
「自主的上場って何・・。東証の自主的判断で上場を認められたり、廃止されたりすることなく、自分たちで自主的に上場できれば、そんな便利なことはない」と思われた方がいるかもしれません。残念ながらそんなウマイ話はありません。では、自主的上場とは何でしょうか。
実は東証自身が上場するのです。今年の秋、東証は自らの株式を東証に上場します。何だかよく分かりません。
企業の生殺与奪の権限をもつ東証は、言わばお釈迦様のようなものです。上場企業の株式はお釈迦様の手の平の上で取引されています。お釈迦様の手の平が資金調達の場となっているのです。
そのお釈迦様が上場するということは、お釈迦様が自分の手の平の上に乗るということです。う~ん、何だか想像できません。仏教の修行法にはヨガもありますので、ヨガの修行でもすると、自分の手の平の上に乗ることができるのでしょうか。一度、東証に聞いてみたいと思います。
東証自身が上場するということは、東証の業績や財務内容が、上場基準や上場廃止基準に該当するかどうかを誰が判断するのでしょうか。それは東証です。「はぁ???」と思われた方も多いことでしょう。変ですねぇ。
既に株式会社化された東証では、上場されなくても、既に難しい問題を抱えています。
株式会社化されているということは、株主が存在するということです。お釈迦様の株主です。12日の参議院財政金融委員会で株主構成を質問したところ、87%は証券会社でした。つまり、東証の会員です。さらに、東証に上場している企業も株主です。東証の社員も株主になっています。
お釈迦様の手の平の上の存在である会員企業や上場企業、さらにはお釈迦様の従者である社員がお釈迦様の株主、つまり、お釈迦様のオーナーであるという構図です。これを変と言わずして何と言うのでしょうか。
東証は、オーナーである証券会社や上場企業を厳格に審査できるものでしょうか。会員企業や上場企業の手数料や審査料が東証の収入です。オーナーであり、収入源である証券会社や上場企業と、馴れ合い関係にならないでしょうか。
さらに、東証の役員にも数百株単位で自社株が渡されていました。なぜか今年の3月末に慌てて手放しています。手放したと言っても、社員持株会に売却したそうです。何だか不透明ですね。
東証は秋に上場する計画ですから、今年の3月末に東証の役員が慌てて手放した株式は、いわゆる「未公開株」です。リクルート事件以来、証券市場の不透明さの象徴となった「未公開株」を東証の役員が取得していたのです。
さらに、東証は今年3月末の決算予想を修正しました。過去の不動産投資の失敗に伴う損失を計上したのです。ずいぶん前から分かっていた損失のようです。そうであるなら、もっと前からそれを計上していなければ、過去の決算は粉飾ということになります。
粉飾決算の疑いのある東証に粉飾決算を咎められて上場廃止になったカネボウは浮かばれません。手の平の上の民を浮かばれない状況に追いやってしまうようでは、手の平の主はとてもお釈迦様とは言えません。
カネボウの多くの社員、その家族、関係企業が、上場廃止の決定に困惑していることでしょう。そういう重大な判断を自主的に下さなければならない東証には、万が一にも不透明、不公正な行為があってはなりません。カネボウの件は他人ごとではありません。上場企業の皆さんは、東証のあるべき姿について真剣に議論する局面です。明日は我が身という気持ちで考えて頂きたいものです。
東証をお釈迦様に喩えるならば、上場基準や上場廃止基準は言わば戒律です。手の平の上の会員企業や上場企業が守らなければならないルール、規制です。証券取引所がこれを定めて運用する機能を、自主規制機能と呼んでいます。
先月、ニューヨーク証券取引所は、自らの上場を契機に自主規制機能を切り離して完全な別組織とすることを決定しました。つまり、お釈迦様であることを辞めるということです。合理的な判断です。
証券取引所を巡る世界の潮流は、(1)自主規制機能を維持するならば株式会社化や上場は行わない、(2)株式会社化や上場をするならば自主規制機能を切り離す、というどちらかに収斂しつつあります。
ところが、日本では「株式会社化、上場をしても自主規制機能は手放さない」という方向に進んでいます。「いいとこ取り」です。典型的な日本的対応と言えます。
「いいとこ取り」が国民にとって「いいとこ取り」ならば話は別ですが、東証にとって「いいとこ取り」では国民は浮かばれません。
お釈迦様は自らを律するからこそ、お釈迦様なのです。自分に甘く、他人に厳しいようでは困ります。
証券取引所として資金調達ニーズを満たすために、株式会社化、上場が必要ならば、自主規制機能は切り離すべきです。全く別組織として、上場基準、上場廃止基準を管理、運営するべきです。
自主規制機能を維持するならば、現在とは異なる組織形態を模索するべきです。何でも欧米のマネをすればいいというものではありません。いわんや、「いいとこ取り」はもってのほかです。
この問題、今後の国会でシッカリと議論していきます。
(了)