参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
今月19日、北朝鮮の核問題を巡る「6ヵ国協議」が初めての共同声明を発表しました。北朝鮮が核放棄する見返りに、北朝鮮に核の平和利用を認め、米国、日本等は北朝鮮に「軽水炉(原子炉の一種)」を提供するというのが骨子です。メルマガのVol.47(2003.4.28)でも北朝鮮の核問題をご説明しました(バックナンバーはホームページにアップしてあります)が、外交はカードゲームと似たようなところがあります。今回の共同声明、どのように考えるべきでしょうか。
新聞各紙(20日朝刊)に掲載された「北朝鮮、核放棄を約束」という大見出しの記事をご記憶の方は多いと思います。「それはいいことだ」という印象を抱かれた方が大半でしょう。
ところが、「その後の展開」は意外に知られていません。共同声明の翌日、北朝鮮は「核放棄やNPT(核拡散防止条約)への復帰は軽水炉提供の後」という考え方を明らかにしました。
これに対して米国は、「軽水炉提供は核放棄の後というのが6ヵ国協議における共通認識」と反論。完全に擦れ違っています。
「これでは、何も決まっていないのと同じ」という意見も聞かれますが、共同声明というかたちが残ったことは、今後の交渉の足がかりとなるかもしれません。
日本のメディアの報道のあり方には疑問を感じます。「北朝鮮、核放棄を約束」という大見出しは表面的には間違っていません。しかし、報道の内容を国民の皆さんがどのように受け止めるかということも勘案して、見出しや取り扱いの大きさを決めることも必要です。
多くの皆さんが見出しのみを記憶して、「そうか、北朝鮮も譲歩したんだ」という心象を抱いたと思います。しかし、事実が必ずしもそうではないことは「その後の展開」で明らかです。
また、このように大見出しで表面的な事実を報道すれば、北朝鮮から見ると、「そうか、表面的な合意は日本にとってそんな大きなニュースなのか」という印象につながったと思います。
外交交渉の直接の担い手は政治家や官僚ですが、新聞やテレビの報道内容を含めた国民世論の動向も外交交渉に大きな影響を与えます。今回のケースにおいては、「北朝鮮、核放棄を約束」という表面的な事実は淡々と報道し、むしろ大見出しにするなら「実効性は担保されず」、「今後の対応が問題」とか、その後の北朝鮮の姿勢を「北朝鮮、共同声明を事実上否定」と大きく報道するのが国益にかなう対応ではないでしょうか。
そうした報道内容や世論の動向こそが、北朝鮮に対して「実際に核放棄しないと評価してもらえない」という当然の印象を与えることにつながります。日本は、国民も政府も、「ジャーナリズムとは何か」ということをもっと深く考える必要があります。
今回の件、意図的に「大きな成果」と報道されたのではないことを祈ります。
ところで「軽水炉」提供にはどのような意味があるのでしょうか。
1980年代から北朝鮮が開発を進めていると言われている「黒鉛減速炉」は、核兵器に利用されるプルトニウムの抽出が容易な原子炉です。一方、「軽水炉」から抽出されるプルトニウムは純度が低く、相対的に核兵器には転用しにくいのが実情です。
そこで、北朝鮮に「黒鉛減速炉」を放棄させる見返りに「軽水炉」を提供することが検討されました。1995年に国際的な合意に達し、「軽水炉」提供のために設立されたのが「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」。「軽水炉」建設のために、当然、日本も資金協力しています。
ところが、2002年秋、北朝鮮が核兵器開発のためのウラン濃縮計画を有していたことが発覚、北朝鮮はNPTからも脱退して国際的に孤立、KEDO事業も翌年から中断されました。そうした経緯を経ての今回の共同声明です。
この一連の経緯と今回の共同声明には留意すべき点がいくつもあります。
北朝鮮が「黒鉛減速炉」を完成させたという事実、北朝鮮が核開発に成功したという事実、いずれも公式には確認できていません。また、2002年秋のウラン濃縮計画の発覚は北朝鮮からのリークだと言われています。さて、読者の皆さんはどのようなことを想像されるでしょうか。
メルマガVol.47でもお伝えしましたが、北朝鮮はゲーム巧者です。というより、日本がゲーム下手なのかもしれません。いずれにしてもゲーム運びの実力が違います。
もし、北朝鮮が本当は「黒鉛減速炉」を自力開発する力がなく、核兵器も保有していない場合、「軽水炉」提供はどのような事態を招くでしょうか。「軽水炉」から抽出されるプルトニウムは相対的に核兵器に転用しにくいだけであって、転用できないわけではありません。また、「黒鉛減速炉」を自力開発できる国が、どうして「軽水炉」を作れないのでしょうか。この点も疑問です。
無から有を生むテクニックは、外交というゲームにおける最高の技と言えます。政治家や官僚がゲーム下手のうえ、メディアまでもが相手国のトリックを大見出しで報道するようでは、外交交渉は容易ではありません。
強硬に交渉に臨むべきだというような短絡的なことを主張しているわけではありません。日本は、政治家、官僚、報道機関、そして国民も含め、国全体として外交に対する感度とセンスを良くすることが必要でしょう。日本外交のこうした実態の背景には、国として権謀術策の外交交渉の経験が少ないという歴史があります。
「戦争は始めたい時に始められるが、やめたい時にはやめられない」。マキャベリの有名な言葉です。最悪の事態を招かないためには、外交交渉の相手国を「始めたい時に始められる」状況に置かないこともゲームの腕前です。
今国会でも、そういう視点から議論を深めたいと思います。
(了)