参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
国会が始まりましたが、開会早々、ライブドア事件や米国産牛肉問題が発覚しました。興味本位、ワイドショー的な主張、ムードに影響されることなく、事件や問題の本質を考えてみたいと思います。
前号の締めくくりのテーマは「新ジャパンプロブレム」でした。結論だけ繰り返します(詳細はホームページでバックナンバーをご覧ください)。
現在起きている現象の背後では必ず新しい変化が生み出され、異常な出来事の背後では必ず異常な現象が進行しています。日本の金融機関の経営不安がピークに達していた2000年前後、日本経済の破綻懸念、構造問題を象徴するジャパンプロブレムという言葉が流行しました。その当時のジャパンプロブレムは解決したようにも見えますが、今また、新たなジャパンプロブレムを抱えたような気がします。2006年のOKマガジンは、新ジャパンプロブレムを冷静に分析していきます。
・・・と記した矢先にライブドア事件が発覚しました。新ジャパンプロブレムのひとつを垣間見せてくれています。
一般には、「拝金主義」、「非合法な錬金術」という切り口で批判されています。しかし、あえて誤解を恐れずに申し上げれば、投資組合の利用の仕方、子会社を利用した株式分割・株式交換など、ライブドアが駆使した手法のひとつひとつは、褒められたものではありませんが、必ずしも違法とは断定できないというのが現実です(粉飾決算は当然重罪です。この点は誤解のないようにお願い致します)。
それでも東京地検がこれほど迅速に摘発に踏み切った背景には、2つの理由があります。ひとつは、個々の手法が違法ではなくても、全体として詐欺的行為を企図していれば「偽計取引」に当たるという主張です。これはこれで意味のある主張ですから、東京地検にはひとつの事例、判例を確立してほしいと思います。
もうひとつは、事件の背景に、ブラックマネーのマネーロンダリング(資金洗浄)など、別の重大問題が潜んでいるということのようです。今後の捜査の進展を注視したいと思います。
しかし、OKマガジン的な関心から言えば、新ジャパンプロブレムの本質は別のところにあります。それは、「時価総額経営」についての考え方です。
「時価総額経営」、昨年は、何だかモットモらしい用語として新聞や雑誌が持て囃していました。同義語として思い浮かぶのは「虚業」という言葉です。資本金6百万円で開業したライブドアは、わずか数年で時価総額1兆円近い企業に成長しました。ホリエモンも、「自分は時価総額経営を行っている」と明言していました。
ライブドアの偽計取引や粉飾決算の罪を問うことは当然ですが、社会全体として頭を冷やしてよく考えなくてはならないのは「時価総額経営」の意義と使い方です。
「時価総額」という単語には何の罪もありませんが、それに「経営」という単語が付加されて「時価総額経営」となると、途端に罪深い(あるいは、罪深い事態を生み出す可能性のある)言葉に変身します。
「XX経営」と聞けば、技術力による経営、人材(人財)による経営、マーケティングによる経営、多角化・事業提携による経営など、経営戦略の「手段」に相当する言葉が次々に思い浮かびます。その「手段」に相当する部分に「時価総額」という単語を当てはめたことが問題です。
「時価総額」を「手段」として認識すれば、どのようなことを行っても「時価総額」が大きくなればそれでいいという発想につながり、ライブドアはとうとう偽計取引=詐欺に走ってしまったようです。本末転倒ですね。
「時価総額」という概念は、本来、経営努力や業績好転の「結果」、言わば、投資家からの「ご褒美」として高まるものであり、経営者としては、経営の「目的」とも言える指標です。その「目的」を「手段」として使ってしまったこと、あるいは、本来は「結果」として生じる現象を、その現象を発生させる「原因」として悪用したことに、ライブドア事件の本質的問題があります。
コンプラアンスについても同様です。コンプライアンスは、一般に法令遵守と訳されています。また、そのように理解している人が多いと思います。
しかし、実際には、単に法律を守ればいいということにとどまらず、企業として追求すべき倫理の遵守、価値の遵守という意味も含んでいます。いや、むしろ、法令遵守はコンプライアンスの一部にすぎず、倫理遵守、価値遵守を意識していない経営者がいるとすれば、それは理解不足と言わざるを得ません。
企業経営の「目的」は、その企業がどのような経済活動を行い、株主、債権者、顧客、社員などの多くの利害関係者(ステークホルダー)にどのような果実=事業成果を提供していくかを定めることによって決まります。事前に決まっているものではありません。
「そんなの、利益をあげることに決まっているじゃないか」というご指摘が聞こえてきそうですが、利益をあげることは当然、しかし、それは「目的」の必要条件であって十分条件ではありません。
「どのような経営を行って」その利益をあげるか、そこまでを含んだ内容が、その企業にとっての経営の「目的」です。そして、その「目的」を達成するためには、当然、「どのような経営を行って」という部分に関わる「企業倫理」や「企業価値」が重大な意味を持ちます。
以上のようにご理解頂ければ、法令だけでなく、企業倫理、企業価値までも含むコンプライアンスとは、企業経営の単なる「手法」や「手段」ではなく、「目的」そのものだという結論に到達します。
コンプライアンスを単なる「手法」や「手段」と考えれば、「バレなきゃいい」というホリエモン的発想につながっていきます。
時価総額経営といい、コンプライアンスといい、新ジャパンプロブレムの背景には、「目的」と「手段」、「結果」と「原因」の混同、混乱が存在します。日本社会の病根は深刻です。
「目的」と「手段」、「結果」と「原因」の関係は、OKマガジンの一貫した関心事項です。新ジャパンプロブレムについても、そうした視点から掘り下げていきます。
(了)