参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
ワールドカップ、残念でした。しかし、終わりは次に向けたスタート。サッカー選手の皆さんには4年後を目指し、気持ちを切り替えて頑張ってもらいたいものです。さて、通常国会も終わりました。しかし、国会もエンドレス。新首相を迎える秋の臨時国会に向けて、さらに問題意識を高めていきたいと思います。
財務省が、2006年3月末時点の「国の借金残高」を発表しました。827兆円です。過去1年間で46兆円増えました。増加分の大半、44兆円は国債です。子どもを含めた国民1人当たりの借金は648万円、4人家族だと2592万円。すぐには返せませんね。
借金全体の8割、671兆円が国債です。さらに、一般会計や特別会計の借入金が59兆円、一時的な資金不足を埋める政府短期証券は98兆円という内訳になっています。
国の借金に関連して、もうひとつ別の数字もよく聞きます。これも財務省が発表する「国及び地方の長期債務残高」という数字です。2006年3月末は770兆円。そのうち国の分は600兆円。そうすると、最初の数字との差額227兆円が国の短期債務残高ということになります。
短期債務は「1年以内に返済される債務」ですが、実際には返済していません。期日がきたら、同額、または同額プラスアルファを借り換え続けています。企業で言えば短期借入金のロールオーバー分、つまり「根雪」の債務。実質的には長期債務です。
数字の計算ばかりで恐縮ですが、「国及び地方の長期債務残高」770兆円のうち地方の分は170兆円。冒頭に出てきた827兆円(国の借金残高)に加算すると997兆円。ギリギリ1000兆円を下回っています。
お気づきの方も多いと思いますが、この数字には地方の短期債務が入っていません。では地方の短期債務はいくらでしょうか。これがよく分かりません。財務省に聞くと、「それは総務省の所管」ということです。
さらに、いざという時に国や地方が何らかのかたちで返済保証をしなければならない可能性が高い公社、公団、公益法人などの債務残高を足すといくらになるのでしょうか。公社、公団、公益法人にも、国が所管する分と地方が所管する分の両方があります。全てを足すといったいいくらになるのでしょうか。これらの公的債務全体では、既に1500兆円を超えているという指摘も聞かれます。
「国の借金残高」と「国及び地方の長期債務残高」を別々に公表している理由が気になります。何だか、残高を1000兆円に乗せないための工夫、いやいや、工夫と言うよりも「マニピュレーション=数字の操作」をしているように思えるのは僕だけでしょうか。
最初から、国、地方、及びその他公的部門の長期、短期債務という区分けで公表すれば、自ずと全体像が明確になるはずです。公的債務全体の数字を、一度確認して読者の皆さんにご報告させて頂きます。
先週21日、大阪地裁で血液製剤(ファブリノゲン)による薬害C型肝炎集団訴訟の判決が出ました。前段とは別の話のようですが、実は関係があります。
大阪地裁は、国と製薬会社の責任を認めたものの、国の責任は1987年以降、製薬会社の責任は1985年以降に限定しました。
国の責任が1987年以降に限定された判決上の理由は、「1987年以降は危険性判明後も規制を怠ったため」ということです。しかし、この血液製剤を1987年以前に投与されて薬害に苛まれている国民は数万人に上ると言われています。
政府は「責任期間が限定されないと医療費や検査費が際限なく増えることを恐れている」というのが本音です。裁判所もその点に配慮したのでしょうか。
財政難の折柄、その配慮を理解できないわけではない一方、財政難だからといって本人に何の過失もないのに薬害被害を受けた国民の治療に手を差し伸べないのは、どうも納得できません。
国の役割は国民の生命と財産の安全を守ること。国民医療には万全を期すべきだと思います。医療政策は他の分野より優先順位が高く、徹底的なムダ遣い是正を行わない一方で医療費を削減すること、いわんや薬害被害者に対する対応を渋ることは、国の責任放棄と言えます。
とは言え、財政難も深刻です。結果的に財政と国民を天秤にかけている今の日本の姿は、どこか変です。異常です。悩みは深く、尽きません。
さて、この深い悩みを解決する妙案はないものでしょうか。
そんな時、ふと思い浮かんだ「建設国債」という単語。「建設国債」は社会資本を建設する財源として発行を認められている国債です。戦後の復興期にはたいへん有用な財源調達手段でしたが、これが「打出の小槌」となってムダな歳出と財政難の原因となりました。
つまり、「建設国債」の対象となる事業に認定されれば、財源調達の心配はなく、ムダな事業でもドンドン推進できたからです。
この考え方を、今度は「医療国債」として活用できないでしょうか。国や製薬会社の対応に原因のある薬害や、不適切な医療行為の結果である医原病に関する医療費を賄うために限定した国債です。
「建設国債は社会資本整備のためであり、将来世代も恩恵を受ける。医療国債とは意味が違う」という霞ヶ関の反論が聞こえてきそうです。
しかし、その社会資本として無意味なものがたくさん造られたから今日の財政難があるのです。経済的付加価値を全く生み出さない社会資本では、将来世代は何の恩恵も受けません。返済負担を被るだけです。
「医療国債」で薬害や医原病の医療費を賄わなければ、結局その家族が負担を被ることになります。つまり、将来世代の負担です。本質的な構造は「建設国債」と違いありません。
この仕組みは「年金国債」という発想にもつながります。「年金国債」は給付金の代わりとしての個人単位の「年金国債」と、年金財源を賄う国単位の「年金国債」のふたつが考えられます。
前者は先輩議員である岩國哲人衆議院議員が提唱しています。後者は僕のアイディアですが、既に一昨年の週刊エコノミストへの寄稿(年金政府案は問題先送りに過ぎない、2004.4.27日号)の中で紹介しています。ご興味がある方はホームページの資料コーナーをご覧ください。
僕のアイディアの「年金国債」は、日銀引受を認める制度を想定しています。昨今の騒動で信頼を失っている日銀は、こういう制度の中で国民経済と日本の未来に資する役割を担わないと信頼を回復できないかもしれません。
「医療国債」や「年金国債」を非現実的と指摘される読者もいらっしゃることと思います。しかし、「永久債」で国の借金の返済元本を減らしてしまうという夢のような話も現実化しています。財務省が考え始めた「50年債」は、1回借り換えすれば「100年債」。一世代の間には事実上返済できない「永久債」です。
公的債務が1500兆円に及ぶ現実は既に非現実的です。これまでの常識では非現実的と思われる対策を、現実的に検討すべき段階に来ているようです。残念なことに、それが日本の現実です。
(了)