政治経済レポート:OKマガジン(Vol.129)2006.9.25


参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです


安倍総理が誕生します。戦後世代初の総理大臣が誕生することにはエールを送りたいと思いますが、戦後世代が日本の将来像をどのように考えているのかが問われます。戦前、戦中世代は、総じて平和と経済成長を追求しました。さて、安倍総理はどのような考えで戦後世代の声を代弁するのでしょうか。

1.竹中大臣の残した謎

安倍総理の誕生と同時に竹中大臣が議員を辞職します。何回も論戦を交わしたひとりとして、竹中大臣には「お疲れ様」との慰労の言葉と同時に、「最後まで職責を果たし、ご自分の行った政策の顛末を見届けるべきだったと思います」との感想を申し上げておきます。

ところで、不良債権処理を先導し、「金融危機は去った」と宣言した竹中大臣の政治の舞台からの退場は、日本経済が新たな段階に入ったことを意味するのでしょうか。

期せずして、竹中大臣の議員辞職表明直前に、金融庁が金融機能強化法に基づき紀陽ホールディングス(和歌山県)に公的資金315億円を投入することを決めました。一昨年に成立した金融機能強化法が適用されるのは初めてのことです。

豊和銀行(大分県)も公的資金の投入申請を表明しており、今後、地域金融機関に同様の動きが広がる可能性があります。不良債権処理は終わり、金融危機は去ったのではなかったのでしょうか。奇妙なことです。竹中大臣は謎を残して永田町を後にします。

紀陽ホールディングスや豊和銀行は特殊な事例でしょうか。それとも、同様のケースが今後も発生する可能性があるということでしょうか。この局面で地域金融機関に公的資金が投入されることの背景と意味について、早速、安倍総理の認識を聞いてみたいと思います。

日本経済の現状をどのように認識し、今後の展開をどのように見通しているのでしょうか。そのことは、安倍総理が考えている日本の将来像とも密接に関連しています。

2.正常化をもたらした異常な理由

たしかに、大手行の不良債権比率は2%台まで低下し、平時の水準になりました。貸出資産の内容は正常化したと言えます。しかし、それが実現した背景には次の2点が大きく影響しています。

ひとつは、不良債権処理の原資が異常な超金融緩和政策によって提供されたことです。

ゼロコストの預金が集まるうえ、大量の公的資金が投入されていたのですから、それを貸せば儲かるのは当たり前。結果的には、低金利政策によって家計部門の金利収入を銀行部門に移転させ、それを原資に不良債権処理を行った構図になっています。

大手行の破綻が連鎖的に発生すれば、金融システムは危機に陥り、日本経済は大混乱になります。金融システム危機を未然に防ぎ、国民全体の利益を守るためには、異常な超金融緩和政策も止むを得なかったという評価も可能です。

しかし、異常な対応によって事態の収拾が図られたこと、家計部門の金利収入を原資にして不良債権処理が行われたことを、関係者は忘れてはならないでしょう。

もうひとつは、貸出先の選別を進めたことです。都市部を中心とした優良企業には貸し込みをする一方、業績が低迷する地方企業や中小零細企業からはクールに貸出を回収してきました。

「雨天の友こそ真の友」という表現があります。雨が降っている時に傘を貸すのが、企業の「真の友」としての金融機関の正常な姿だと思います。しかし現実には、異常な事態を収拾するために、「晴れている時に傘を貸し、雨の時には傘を取り上げる」という異常な対応によって正常化を図りました。

このことが、今日の経済の二極化の一因になっています。地方経済と中小零細企業に対して、どのような施策を講じていくのか。そのことが、安倍総理の考える日本の将来像と密接に関連しています。

2つの異常な対応により、大手行の不良債権比率は低下し、史上最高益を達成しています。一方、地域金融機関は、この2つの恩恵を大手行ほど享受していません。そのことを象徴しているのが、紀陽ホールディングスと豊和銀行かもしれません。

3.点滴と内臓疾患

そもそも、ゼロ金利や量的緩和という異常な超金融緩和政策は、大手行の破綻懸念、それに伴う金融システム危機に対応して実施されました。つまり、大手行にその恩恵を集中させるのは所期の目標どおりと言えます。

さらに、貸出行動における地域金融機関と大手行の違いには顕著なものがあります。営業エリアが限定され、地域の老舗企業や中小零細企業との長いつき合いによって成り立っている地域金融機関は、大手行のようにクールに貸出を回収することはできません。

むしろ、「苦しい時こそ地元の企業を支える」=「雨天の友こそ真の友」というのが、地域金融機関経営の正論です。

地域金融機関の不良債権比率はまだ5%台。金融危機は去ったわけではないのです。

日本経済を人間のからだに喩えれば、内臓疾患を抱えて衰えていたところに、大量の点滴=異常な超金融緩和政策によって一時的に体力が回復。点滴がゆきわたった部位=大手行は元気になりましたが、弱った細胞を支えている部位=地域金融機関はまだ疲弊しています。

企業の好業績も人件費などのコスト削減と外需に支えられています。外需がピークアウトし、次の景気後退局面が来た時に、再び体力の衰えと内臓疾患の影響が顕現化する可能性があります。

日本経済の今後は楽観できず、構造改革は道半ばです。内臓疾患を治癒することが構造改革であり、点滴による一時的な体力回復はゴールではありません。

日本の将来像をどのように考え、日本経済の正常化をどのように定義するのか。平和と経済成長を追求した戦前、戦中世代からバトンを引き継ぎ、戦後世代のコンセンサスが問われる局面に入りました。当事者として、十二分に論戦に参画したいと思います。

(了)


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