「朝まで生テレビ」に出演させて頂きました。議論のテーマは「日本経済再生」。日本の1人当たりGDPは1993年の2位から18位(2006年)に後退。経済指標の国際順位が低下する中、世界経済は激変。凄いスピード感で動いています。日本は世界経済の「変化」に取り残され気味。キャッチアップの努力が重要です。
2月21日、マイクロソフト(MS)が技術情報の原則公開(オープン化)を決定。経営戦略の180度転換です。
従来MSは圧倒的な市場シェアを占めるパソコン基本ソフト(OS)ウィンドウズの技術情報を非公開とし、そのことによるメリットを追求。文書作成、表計算などのアプリケーションの標準化を図り、抱き合わせ販売と度重なるバージョンアップによって巨額の売上げと利益を享受してきました。
経営戦略転換には3つの背景があります。ひとつは、独占禁止政策上の圧力。行政当局、司法当局から再三是正勧告を受けていました。しかし、これは転換の主たる理由ではありません。
もうひとつは、技術情報公開によるウィンドウズ対応アプリケーション充実への期待感。多くの企業がウィンドウズ対応のアプリケーションを開発するシナジー(相乗)効果を狙っています。
しかし、最も重要な背景はIT産業の劇的な「変化」。つまり、グーグルの急成長によってIT産業の中心がOSからインターネット(WEB)検索ソフトにシフト。ハードウェアもパソコン(PC)からモバイル端末に主役が交代しつつあり、IBMもPC部門を中国レノボに売却。
しかも、グーグルもOSを内蔵した基本ソフト「アンドロイド」を開発し、無償公開。慌てたMSがインターネット検索ソフトの2番手ヤフーの買収提案を発表したのも理解できます。
ゲーム理論的には、MSの対応は「将来の最大(マックス)損失を最小(ミニ)にする」という「ミニマックス戦略」そのもの。先々の「変化」を見越して「転ばぬ先の杖」として経営方針を大転換。経済や産業の「変化」に大胆かつ迅速に対応していると言えます。
見出しほど難解な話ではありません。「変化」に対応するための重要な視点です。
「ゲーム」からふと連想しましたが、親友のソフトウェア開発エンジニア、株式会社ボーンデジタルCTO(最高技術責任者)中本浩氏から興味深い話を聞きました。
2月に米国で開催されたGDC(Game Developers Conference)2008で、米国人著名エンジニアが「ITなどの技術進歩は指数的に進むのに対し(例えば10年で1000倍)、人間の思考は常に線形(1次)。どんな予測もすぐに無意味になる。ゲノム解析やWEB検索は十数年前には存在しなかった」と指摘したそうです。
世界的なエンジニアの会議ですから妙に難解な話に聞こえますが、要するに、「変化」のスピードは著しく速いので、人間の予測などアッという間に陳腐化するということでしょう。
中本氏曰く「数十年前の線形予測を守る某国の道路建設が頭をよぎった」とのこと。なるほど、もっともなインスピレーション。
戦後復興を目指して「緊急で暫定的に道路建設を行う」ために半世紀前につくった税制を温存し、かつ、数十年前の道路整備計画に基づいて貴重な財源を膨大な金額で使い続けることは、おそらくIT分野の専門家の常識からすると、理解に苦しむ現象なのでしょう。
世界は政治も経済も激変。米大統領選挙の渦中にあるオバマ氏の「チェンジ」もMSのオープン化もそれを反映しています。日本は世界から取り残されつつあります。
もちろん、「変化」が日本にとってプラスの場合もあります。サブプライム問題を例にとって考えてみます。
米国保険最大手AIGが昨年10-12月期のサブプライム関連損失が1.5兆円に上ることを公表。米連邦準備理事会(FRB)バーナンキ議長も議会証言で中小銀行破綻の可能性に言及。サブプライム問題の先行きは不透明さを増しています。
サブプライム問題は景気への悪影響が懸念されていますが、もうひとつ重要な視点があります。日米金融界の攻守交代という視点です。
1970年代までの金融界は米国が覇権を握っていましたが、1980年代以降は日米が攻守交代を繰り返しています。
1980年代は富士のヘラー買収、住友のゴールドマン出資、一勧のCIT買収、米国コンチネンタルイリノイの経営危機など、日本の勃興、米国の低迷という構図。そして、1990年代初頭のS&L(貯蓄貸付組合)危機で米国の低迷はピークに達します。
しかし、実際には1990年代前半は日米の力関係が再逆転する交錯期。米国はS&L処理を迅速に行って再生する一方、日本はバブル崩壊に直面。
立場が決定的に再逆転した契機は1995年の住専危機表面化。その後は日本の大手金融機関が次々に破綻。2001年に一勧、富士がCIT、ヘラーを売却、2003年にはゴールドマンが三井住友に出資し、1980年代の歯車は逆回転。日本は2000年代前半に最悪期を迎え、不良債権処理に追われました。
ところが、2006年にメガバンクが公的資金を完済。2007年、サブプライム問題が表面化し、支援策としてみずほがメリルに出資。日米の再々逆転が始まる気配です。2000年代後半は再び日米の交錯期に入ったようにも見えます。さて、どうなるでしょうか。
もっとも、チャイナマネーとオイルマネーの存在を考えると、金融覇権が日本に戻る保証はありません。金融界と言えば日米欧の3極であった時代とは様変わりです。
米国議会報告書によると、昨年から一躍注目を浴び始めた政府系ファンド(SWF)総額は3兆2390億ドル(約350兆円)。資産規模10億以上は39ファンド、1000億ドル(約10兆7千億円)以上は10ファンド。主力はもちろん中国と中東諸国。SWFはサブプライム問題で資本不足に陥った米国大手金融機関に出資。FRBバーナンキ議長もこうした動きを評価しています。
SWFだけではありません。中国の民間銀行も急成長。株価時価総額でも中国の銀行が世界の上位を占めます。中東諸国(イスラム金融)も負けていません。21世紀入り後、年率20%の規模で拡大しているイスラム金融は、昨年末に1兆ドル(約105兆円)を突破。成長のスピードで言えば、中国を凌ぎます。
日米金融界が交錯期に入ったからと言って喜んではいられません。世界の金融覇権が中国、中東諸国(イスラム金融)にシフトする蓋然性が高い中、日本の金融界再生には国家的戦略が必要です。
しかし、そのことは「日本でもSWFをつくればよい」といった二番煎じの対応を意味するものではありません。
国際政治と世界経済の「変化」を見据え、まさしく国家戦略と呼ぶにふさわしい産業政策、経済政策、そして経済外交の全体的枠組みを構築することを意味します。微力ですが、頑張ります。
(了)