政権交代を選択した国民の皆様のご勇断に心から敬意を表します。ありがとうございました。国民の皆様の負託とご期待に応えられるように全力で職責を果たします。
総選挙は民主党圧勝による55年体制終焉という歴史的結末となりましたが、政権交代はあくまで「手段」。日本が抱える様々な問題解決という「目的」達成が求められます。
選挙戦を通じて民主党が受けた指摘はそのまま新政権の課題。内需主導経済への転換は支持されたものの、成長戦略については指摘が相次ぎました。
新政権の成長戦略のポイントは、第1にGDP(国内総生産)の最大のコンポーネント(構成項目)である家計消費を直接刺激することです。
もっとも、将来不安や生活不安があれば消費行動は抑制されますので、不安軽減が第2のポイント。そのためにセーフティネットを整備します。
さらに、医療、環境、農業等を産業として育成することが第3のポイント。環境対策から派生するエコカー(電気・燃料自動車)等は輸出にも寄与するでしょう。
消費刺激、セーフティネット整備、産業育成、何をやるにも財源が必要です。したがって、財源確保が第4のポイント。
財源確保のためには無駄遣い根絶が必要であり、無駄を生み出すメカニズムそのものを一掃する「行政刷新」を断行します。
投開票日深夜に出演した民放番組で、コメンテーターの内田忠男氏から「国民の意識は4年前と変わっていない」との分析を拝聴。全く同感です。
「郵政民営化」が改革の本丸であり、それによって郵貯・簡保資金の「出口」での無駄遣い根絶が進むという小泉改革の主張は画餅に帰しました。
今回、より直接的に無駄遣い根絶を訴えたのが「行政刷新」。有権者は一貫して無駄遣い根絶を求めており、それが4年前は「郵政民営化」を唱える「小泉改革」に、今回は「行政刷新」を実現する「政権交代」の支持につながりました。
7月、IMF(国際通貨基金)は日本の財政赤字が2019年に個人金融資産(約1400兆円)を上回り、国債消化懸念、金利上昇リスクが高まると警告。無駄遣い根絶に時間的猶予はありません。
結党当初の民主党が主張した「構造改革」も無駄遣い根絶を目指したもの。小泉改革でその意味が歪められましたが、原点に返って本来の「構造改革」を推進することが政権交代の「目的」です。
9月2日、岡田克也幹事長が河村建夫官房長官と引継ぎを巡って会談。これにより、政権移行作業が正式にスタートしました。
喫緊の課題は麻生政権下で粗製濫造された今年度補正予算の執行停止。これに関しては「補助金等に係る執行の適正化に関する法律」第10条2項に次のように定められています。
曰く「各省各庁の長が前項の規定により補助金等の交付の決定を取り消すことができる場合は、天災地変その他補助金等の交付の決定後生じた事情の変更により補助事業等の全部又は一部を継続する必要がなくなった場合その他政令で定める特に必要な場合に限る」。
非連続的な民意(選挙)による政権交代は、この条文の「事情の変更」に該当します。「天変地異を想定したもの」という霞ヶ関の抗弁も想像できますが、抗弁はあくまで抗弁。
昨年のリーマンショック直後、日本政策金融公庫法に定める「危機対応業務」の発動を要請。霞ヶ関は当初「危機対応業務は天災を想定したもの」と抗弁していましたが、結局「危機対応業務」は発動されました。今回も賢明な対応を期待します。
補正予算に関しては、「既に大半が執行済み」という情報が流布されています。しかし、この「執行」は世間一般に理解される意味での「執行」ではなく、単なる資金の「交付」にすぎません。
しかも、資金の大半が「国債購入」に振り向けられているものもあり、国債発行で調達した資金で国債を購入するという支離滅裂ぶりです。何とも言い難い日本の「不条理」。
そうした中で、本日(8日)の日経新聞がようやく「支出済みは僅か1%」と正確に報道しました。農水省は所管21基金の支出停止を自主的に要請。見識ある行動と評価したいと思います。
昨年の道路関係諸税の暫定税率廃止の際、「未成立の国の予算を前提にして地方自治体がその内容を先取りした地方予算を成立させる」という矛盾が生じました。これは政権交代がないことを前提にした日本の「不条理」。
政権交代に伴って国の方針が変わるため、地方自治体に対する交付資金の一時凍結も予想されますが、これも従来の「不条理」を改革するための初めの一歩。日本の改革を目指す首長にも、政権交代に伴う改革への協力を期待します。
考え方や行動を改めるには勇気が必要な場合もあります。「朝令暮改」では困りますが、「君子豹変」は本来の意味であれば歓迎すべきことです。
「君子豹変」は中国の古典「易経」に登場する格言、「君子豹変す、小人は面を革(あらたむ)」に由来します。
豹の毛は季節によって抜け替わって斑紋が鮮やかになります。豹のように、徳のある君子は過ちを改めて良い方に変わりますが、小人(徳のない人)は表面的に改めるだけで、本質は変わらないという含意です。
つまり、本来「君子豹変」は良い方向へ変化することを示す格言ですが、逆の意味で使われることが多いようです。漢字の読み方や格言の意味は、意外に誤解されているものが多いですね。
誤解されるようになった背景には、「小人は面を革(あらたむ)」の方に重きを置いた解釈や、豹のイメージが恐い方向への変化を連想させたことに起因するそうです。
英語では「君子豹変」は「A wise man changes his mind sometimes, a fool never」(賢人は考えを変えることがあるが、愚者は絶対に変えない)というのが定訳。このことからも、本来は良い意味であり、「論語」の「過ちては改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」と相通じる内容であることが理解できます。
現代国家では、三権(立法、司法、行政)が言わば「君子」。行政を担う官僚組織も「君子」の一部を形成します。
国民から尊敬される「君子」に「豹変」するために、官僚組織には「これまでの常識、実は非常識」とも言える考え方や行動を改めることを期待したいと思います。
度の過ぎた天下りや公費流用、それらを維持するための外郭団体の拡充など、これまでの悪しき慣行を改め、蛮勇をふるって日本の改革に協力してくれることを願っています。
もちろん、霞ヶ関の中央官僚だけでなく、国会議員、さらにはこれからの地域主権国家を担う地方自治体の議員、公務員も同様です。
国民が蛮勇を奮って政権交代を選択してくれた今こそ「君子豹変」の絶好のチャンスです。
(了)