世間はお盆休みの真っ最中。一方、政治経済にお盆休みはありません。マーケットでは円高、株安が進み、財務大臣の緊急記者会見が行われたり、日銀総裁の緊急談話が公表されるなど、神経質な展開が続いています。閣議決定された成長戦略の具体化に向けた対応も、粛々と行われています。「失われた20年」に終止符を打ち、日本の新たな発展を実現しなくてはなりません。頑張ります。僕の所管事項のいくつかの動きをご紹介します。
成長戦略に大都市圏戦略基本法(仮称)施行という項目が盛り込まれたことから、都市再生に向けた検討作業を始めました。
現在も2002年施行の都市再生特別措置法が存在しますが、同法は施行後10年以内に見直すことになっているため、その功罪をレビューすると同時に基本法に進化させます。
外資系シンクタンク(Urban Land Institute)がまとめたアジアの有望投資先都市ランク(20101年版)では、東京は上海、香港、北京、ソウル、シンガポール、シドニーに次いで7位。出遅れています。
日本の都市戦略に欠けているのは50年後、100年後を見越した首尾一貫した構想。東京駅周辺、新宿副都心などの特定地域の再開発ばかりが繰り返され、東京全体の未来構想が共有されていません。
そもそも、かつて東京(江戸)は世界に誇る都市建設の成功例でした。幕末に江戸を訪れた英国人ロバート・フォーチュンは「江戸の美しさは世界のどの都市も及ばない」と絶賛。明治時代のお雇い外国人は異口同音に東京を「ガーデンシティ」、日本を「ガーデンアイランド」と呼びました。
同じ頃、1853年から1870年までフランス・セーヌ県知事を務めたジョルジュ・オスマンがパリ改造を断行。
当時のパリは細い路地が入り組み、道路や河川にゴミや人間や家畜の糞尿がたまる劣悪な都市環境でした。
オスマンは、幅員の広い道路網整備や街区の内側に中庭を設ける緑化を推進。エトワール凱旋門から放射状に伸びる12本の並木道(ブルヴァール)を作り、街路に面する建造物の高さを定めて軒高を連続させ、屋根の形態や外壁の石材も指定。統一的な都市景観を目指しました。
また、道路の沿道用地も収用できる超過収用制度を駆使。街区を整備した後、資産価値の上がった沿道用地を売却し、事業資金に充当しました。開発利益を還元する手法です。
100年経ってオスマンの構想は実現し、パリは花の都になりました。東京にもそうした長期ビジョンが必要です。
東京以外の大都市、それ以外の主要都市、地方都市についても、それぞれの特性と地域の個性を活かす長期ビジョン策定に結びつくような基本法施行が成功の鍵と言えます。
成長戦略に国際戦略総合特区や地域活性化総合特区(仮称)制度創設に係る法案提出という項目が盛り込まれたことから、現在、その検討作業を進めています。
総合特区構想は、昨年の政権交代を契機に、それまでの政策制度の検証を行う中から生まれてきました。
内閣官房は省庁横断的な政策課題や特命事項を所管するのが役割。その内閣官房の中に地域活性化統合事務局という組織があります。
この組織は過去に創設された諸制度の運営を所管。具体的には、中心市街地活性化(平成10年度創設<以下同じ>)、都市再生、構造改革特区(いずれも平成14年度)、地域再生(平成17年度)の諸制度、及び地方の元気再生事業、環境モデル都市(いずれも平成20年度)です。
これらの制度や施策が十分に効果を発揮していれば、地域、都市、中心市街地の活性化は進んでいるはずです。また、構造改革特区も規制・制度改革の先導的役割を期待されていましたが、必ずしも所期の成果があがっていないのが実情です。
こうした総括と評価に基づいて、政策制度のスクラップ・アンド・ビルドを行い、より効果的な地域活性化や規制・制度改革に結びつけ、日本の成長戦略に資する包括的な仕組みとして浮上したのが総合特区構想です。
制度創設に関する検討作業と並行して、各地の自治体、経済界、企業、NPO等からの提案も集まり始めています。
そうした提案の実現と成功の鍵は、提案内容の必然性と、自治体や経済界から構成される運営主体の本気度です。政府からの財政支援獲得を主眼とした提案では実現も成功も困難でしょう。
例えば、医療総合特区。世界最先端の高度かつ安全な医療を提供できるような規制・制度改革にチャレンジする能力、意欲、責任感が備わっていることが大前提です。
農業総合特区であれば、農業地域を中心とした構想であることが提案の必然性を高め、さらには日本農業の構造問題を解決するための試みに挑戦する覚悟が必要です。
医療、介護、農業、環境、教育、科学技術、製造業など、日本の成長を牽引するシード(種)は多々ありますが、芽を出せるかどうかは、政府のみならず、関係者の本気度にかかっています。
成長戦略に総合取引所(証券・金融・商品)創設を促す制度・施策の検討という項目が盛り込まれたことから、具体化に向けた検討作業を始めました。
その背景には、国内取引所がジリ貧状態であり、海外からの取引や資金が集まらないばかりでなく、国内の資金や企業も海外に流出している現実があります。
日本の商品取引所は、東京工業、東京穀物、中部大阪、関西の4つ。世界の商品取引の出来高(枚数)は2000年代に10倍以上に膨張して年間約25億枚。この間、日本は逆に10分の1に縮小して約3000万枚。ジリ貧というより、壊滅状態です。
証券取引所は東京、大阪、名古屋、福岡、札幌、金融取引所はAIM(東京)、金融取(東京)の合計7つ。東証、大証、金融取以外はやはりフェイドアウト状態。
上海証券取引所の国内株式時価総額は、2000年代に約10倍に膨張して2兆ドル超え。一方、減少傾向が続く東証は3兆ドル割れが視野に入り、東証が上海に抜かれるのは時間の問題と言われています。
東京、上海の首位争いを横目に、デリバティブ取引の分野では韓国取引所(KRX)が既に世界トップの座に躍り出ました。
韓国は、2005年に証券、先物、店頭株式の3取引所を統合してKRXを設立。現物株に加えて、先物、オプション、デリバティブ、為替などを総合的に取引できることが魅力となって、急速に成長しています。
韓国の勢いは止まらず、昨年2月には証券・金融・商品の関連法約100本を統合した資本市場統合法を施行。年内に世界で初めて金の現物取引市場も開設する予定です。
穀物、金属、原油等の商品に対する覇権と影響力は、今後の国際政治の力学にも影響します。中国も着々と対応を進めており、既に大連商品取引所の穀物相場がシカゴ商品取引所(CME)の市況に影響を与え始めています。
こうした中で、霞ヶ関の天下り先と揶揄されつつ、壊滅状態の日本の商品取引所。さらには、国内企業や国内景気の低迷を映じてジリ貧状態の証券・金融取引所。
もはや、個人や組織の既得権益に拘泥して国家戦略と対立することは許されません。既得権益の打破が成功の鍵。関係者全員の蛮勇と姿勢が問われる局面です。
(了)