2月9日に参議院の「国民生活・経済・社会保障に関する調査会」で社会保障制度の現状と今後の方向性について、厚生労働副大臣として意見陳述と質疑を行いました。陳述の全文と調査会配布資料をホームページ(ブログ)にアップしますので、ご興味がある方はご覧ください。メルマガの今回と次回は、意見陳述の要旨等をお伝えします。
政権の命運を決める重要課題となった社会保障制度改革。政権のみならず、日本の将来を左右する普遍的な課題でもあります。
社会保障制度の沿革と内容は国よって区々。まずは、そのことを客観的に認識することが必要です。
社会保障制度の源流は英国とドイツ。産業革命後の英国において、職域組織であるTrade Unionと呼ばれる労働組合、Friendly Societyと呼ばれる共済組織である友愛会が自然発生的に誕生。
労働組合や友愛会は、経営者側が企業福祉に関与すること拒み、あくまで自主的な組織として運営されました。
一方、英国をキャッチアップすることに腐心していたドイツ。労働者を働かせることに主眼を置いて企業福祉制度を誕生させました。
1836年、鉄鋼等の軍需産業で有名なクルップ社が社内に労働者の疾病に備えた疾病金庫を設置。この疾病金庫に経営者側が資金拠出をしたことが、社会保険の事業主負担のルーツです。
企業単位の福祉制度が発達し、社会保障制度に対する認識が相対的に進んだドイツ。1883年、ビスマルク首相が初めて労使双方の資金負担による労災や疾病に対する社会保険制度を法律に基づいて導入しました。
ドイツへの対抗もあり、英国も1911年に国民保険制度を導入。1942年にはベヴァリッジ報告が誕生。その後の福祉国家の思想的基礎が形成されました。
日本でも1890年代に入って企業福祉が拡がり始め、1905年には鐘淵紡績がわが国最初の共済組合を創設。疾病、障害、年金、死亡給付といった保険事業を開始しました。
その後、企業福祉を政府が制度化。1911年の工場法、1922年の健康保険法、1936年の退職積立金等が制定されました。
1950年代の戦後復興期から1960年代の高度成長期にかけて、企業労働者が急増。企業福祉の充実とともに、政府による公的な社会保障制度が徐々に整備されました。
1961年には国民皆保険、国民皆年金への取り組みが始まり、年金の物価スライド制が導入された1973年は「福祉元年」と呼ばれています。
それから40年余り。社会の構造や環境の激変に対応して、社会保障制度の見直しが不可避です。安定的な社会保障制度の構築、日本の政治経済の安定に向けて、重要な局面を迎えています。
日本の社会保障制度は、1970年代前半までは総じて貧困の救済と防止に力点が置かれ、70年代後半以降は長期的、安定的な制度の確立に腐心してきたと言えます。
しかし、その過程で、当時の社会構造や傾向を前提として制度を設計したことに起因し、今日の社会保障制度の構造問題につながる原因がビルトインされました。
第1は、正規雇用・終身雇用・完全雇用を前提としていたことです。被用者は健康保険組合と厚生年金という職域保険、その他の勤労者は国民健康保険と国民年金という地域保険に加入することで、皆保険・皆年金を目指しました。
1972年のOECD報告書が、戦後復興、高度成長を遂げた日本の成功の秘訣として、終身雇用・年功賃金・企業別労働組合の3点を指摘したタイミングと符合します。
第2は、右肩上がりの経済成長を前提としたことです。このため、年金や医療の給付の増大は、給与増加による保険料や税の増収によって賄いうるという見通しの下で制度を拡充。加えて、人口構造に対する想定もその後の現実とは異なりました。
その結果、高齢者に対する給付が相対的に手厚い社会保障制度が構築され、今日の世代間公平に関連する構造問題につながっています。
第3は、妻は専業主婦という特定の家族構成、企業の福利厚生充実等を前提に社会保障全体の制度設計を行ったことです。
そうした前提や想定は大きく変化しています。雇用、家族、地域等の基盤、生活やリスク形態の変化に加え、少子高齢化、経済の長期低迷という事態を迎え、社会保障給付費の対GDP比は急上昇。
さらに、社会保障給付費を含めた歳出の財源確保のために国債発行が激増し、政府債務の対GDP比も深刻な水準まで上昇しています。
第4に、制度の事務やシステムに間違いはないという無謬性を前提としたことです。年金記録問題に見られるように、事務やシステムの不備も社会保障制度の信頼性、安定性、持続可能性に対する懸念を高めています。
各国の社会保障制度は各々固有の沿革や特徴があり、また各国の抱える社会事情に対応しています。日本の社会保障制度も、時代の要請や構造問題への対応に即して、見直す時期にきています。
各国の制度は、各々の国の考え方、国民的合意に基づいて制度が設計され、運営されています。
例えば、米国。自己責任の精神が社会保障制度にも影響を与えてきました。一方で、大企業では企業福祉が発達している面もあります。
公的制度としては、低所得者向けのメディケイドと高齢者向けのメディケアがありますが、全体として民間保険部門の果たす役割が大きくなっています。
もっとも、公的社会保障制度に対する潜在的欲求は高まっており、オバマ政権において、国民が医療保険に加入する義務を負うこと等を内容とする医療制度改革法が成立しました。
次に英国。前述のとおり、1941年のベヴァリッジ報告を契機に社会保障制度を整備。戦後は、1948年に国民保健サービス(NHS)が創設されるなど、「ゆりかごから墓場まで」と表現された福祉国家を標榜。
しかし、その後、英国病と言われた経済、社会の閉塞状況を経て、1997年以降は「福祉から就労へ」との考え方の下、自助努力、就労促進的な福祉政策への転換を図っています。
ドイツも前述のとおり、殖産興業、英国キャッチアップという潜在的動機はともかくとして、労働者の窮乏に対応して世界で最初に社会保険を制度化しました。
介護保険制度も日本に先立って1994年にスタート。日本の制度はドイツを参考にして策定されました。
ドイツの介護保険制度は「介護が必要となった人を支えるのは国の責務」という国民的合意の下、介護事業者だけでなく、家族による家庭内介護にも給付を実施。ドイツを参考にした日本の制度ですが、この点は異なります。
フランスの社会保険制度は職域に応じて多数に分立しており、社会保険料の企業と労働者の負担割合は「8:2」。圧倒的に企業負担が高いのが特徴です。
最近の動きとしては、2007年に、労働と雇用を社会政策の中心に据え、責任と連帯の均衡を図ることを目指す労働・社会政策の改革が開始されています。
スウェーデンは、高福祉・高負担のモデル国。手厚い社会保障制度の費用を賄うため、国民負担率が非常に高い水準となっています。
もっとも、そのスウェーデンでも、1990年代には、高い経済成長を前提としていた年金制度の維持が困難となり、与野党の合意をもとに、大規模な年金制度改革を実施しました。
社会保障と税の一体改革の成否は、国民的合意の形成ができるか否かにかかっています。
(了)