前号に続いて、2月9日の参議院「国民生活・経済・社会保障に関する調査会」で行った意見陳述の概要をお伝えします。前号と合わせて、社会保障制度の現状と今後の方向性を考える材料にして頂ければ幸甚です。陳述の全文と調査会資料をホームページ(2月14日付ブログ)にアップしてありますので、ご興味がある方はご覧ください。
日本の社会保障給付費は、平成22年度(2011年度)予算ベースで105.5兆円。内訳は、概ね年金5割、医療3割、その他2割。その他20.2兆円のうち、介護は7.5兆円です。
財源の内訳は、税が36%、保険料が64%、保険料は、被保険者拠出、事業主拠出が半々となっています。
経済の規模に対する社会保障給付費の比率は19.3%。米国の16.5%よりも大きく、欧州主要国よりは小さいというポジション。一番近いのは英国の21.3%です。
一方、経済の規模に対する狭義の国民負担(税と保険料)の比率は38.8%。やはり、米国の32.5%よりも大きく、欧州主要国よりは小さいというポジション。一番近いのも、やはり英国の37.3%。
社会保障給付費も国民負担も、米国よりは大きく、欧州主要国よりは小さいという同じポジションにあります。要するに、米国と欧州の間。中福祉中負担と言われる所以です。
社会保障給付費の内訳をみると、欧米諸国に比べて年金のウェイトが高いのが特徴。一方、国民負担の内訳は、欧米諸国に比べると、税のウェイトが低く、保険料のウェイトが高いのが特徴です。
狭義の国民負担に財政赤字(毎年の国債発行額)を加えたものが広義の国民負担。国債を発行して調達する財源は、結局は将来の国民負担という考え方です。その比率は49.8%に拡大します。
以上のデータの詳細は、ホームページの2月14日付ブログにアップしてある補足資料の「3」をご覧ください。
累積国債発行額の経済の規模に対する比率はさらに深刻。1945年(終戦)前後よりも厳しい状況に陥っています。その実情は、補足資料の「2」のグラフをご覧ください。
日本国債に対する格付機関の評価は悪化しており、財政の持続可能性に疑問が投げかけられています。財政が持続できなければ、社会保障も持続できません。
給付と負担のバランス、深刻な財政赤字。それを持続可能な姿にするのが、社会保障制度と税の一体改革の目的です。今のままでは持続可能ではありません。
次は、年金・医療・介護保険制度の概要です。2月14日付ブログにアップしてある配布資料(上述の補足資料とは別のファイル)もご活用ください。
日本の年金制度は官業の恩給制度に端を発し、その後は民間労働者に拡大。昭和17年(1942年)に厚生年金の前身の労働者年金保険法、昭和36年(1961年)に国民年金法が施行され、国民皆年金が実現しました。
物価スライド制が導入された昭和48年(1973年)は「福祉元年」と言われ、昭和61年(1986年)には基礎年金が導入されました。
経済成長と人口増加を前提として、楽観的な見通しの下で年金給付額を決めてきました。その結果が、欧米諸国よりも手厚い年金制度。厚生年金と共済年金でその傾向が顕著であり、現状のままでは、現役世代と将来世代に耐え難い負担を強いるリスクがあります。
次に、医療。日本は国民皆保険の下、国際比較の観点からみると、相対的に少ない医療費で世界最高レベルの保健医療水準と平均寿命を達成してきたことは事実です。
しかし、近年の急速な高齢化に伴い、高齢者の医療制度をどのように運営していくかが大きな課題となっています。高齢者の年間医療費は1人当たり100万円近くに及んでおり、その大半を現役世代が負担している構図です。
新しい医療、高度な医療を活用するのは大切なことですが、そのことは、高齢者の医療費をさらに増大させ、現役世代と将来世代の負担を重くします。
誰でもいつかは高齢者になります。国民全員が高齢者医療のあり方を自分のこととして考えない限り、持続可能な医療制度の構築は困難です。
そして、平成12年(2000年)からスタートした介護保険制度。増え続けていた高齢者の社会的入院に対して、医療とは別の枠組みを用意することを企図。医療費の抑制も目的としていました。
その結果、国民医療費全体に占める定義上の老人医療費の割合は30%台で推移。一見成功のようですが、残念ながら実態はそうではありません。
この間、老人医療費の定義上の老人年齢が70歳から75歳に段階的に引き上げられており、現状では、70歳から75歳の医療費は含まれていません。
したがって、介護保険制度発足以前の傾向と比較するためには、定義上の老人医療費に、70歳から75歳の医療費、及び介護給付費を加算する必要があります。そのベースでみると、総額の増加傾向は加速しています。
今のままでは、現役世代と将来世代が耐え難い負担を余儀なくされるリスクがあります。「耐え難い」ことと「余儀なくされる」ことは両立しません。「耐え難い」負担になれば、「余儀なく」負担することもできず、結局、社会保障制度は維持できません。
現役世代と将来世代が、社会保障制度を「支える意思(モチベーション)と能力(負担力)」を維持できるような内容とすることが、社会保障制度の改革と持続可能性のための「不可避の命題」です。
改革の成案を得るためには、以下のような各点について、党派を超えた国民的合意を形成することが必要です。
第1に人口推移の想定。増加を前提とするのか、減少を前提とするのか、あるいは一定と考えるのか。
第2に経済動向の想定。どの程度の成長を想定するのか、あるいは縮小や定常状態を想定するのか。GDPだけでなく、物価上昇率、金利、賃金上昇率等のマクロ経済変数をどのように想定するのか。
第3に、今後の世帯構成、家族構成に対する想定。モデル世帯を想定するのか、あるいは個人ベースを原則とした検討を行うのか。これも重要なポイントです。
第4に、制度の無謬性を前提とするのか。とくに、年金制度にとって重要な課題です。
つまり、国民の側の申告、届出、拠出等の対応、行政の側の記録、管理、給付等の対応、双方に一切ミスや間違いはないと想定するのか、あるいはそうしたことが起こり得るという前提で考えるのか。
個人的には、無謬性を前提とせず、可能な限り簡素で分かり易い内容にすることが、制度やシステムの対応力を高め、結果的に国民の信頼を高めることになると考えます。
また、個々人のあらゆるケースに対応する制度やシステムを構築することも現実的とは言えず、この点も無謬性との関連で検討が必要です。
第5に、世代間公平をどのように考えるのか。この論点は、社会保障財源として議論に上る消費税に関する検討とも関連します。
消費税は、その逆進性が論点としてクローズアップされる傾向がありますが、世代間公平の観点からも考察が必要です。
高齢世代の人口構成比が高くなるということは、消費税に占める当該世代の負担比率も高くなるということです。増大する社会保障給付費を当該世代が相対的に負担するという構造は、過重な負担を強いられつつある現役世代と将来世代との世代間公平の観点から一定の合理性を有しています。
第6に、どういう社会を目指すのか。平易に言えばビジョン。社会保障の内容は国によって区々であり、それぞれのビジョンに左右されます。ビジョンを考える際にも、何点かのポイントがあります。
例えば、欧米でも「福祉から就労へ」という理念が拡がりつつある中、就労に重きを置き、自立を促進する方向を目指すのか否か。家族や地域単位のコミュニティを前提として考えるのか、それとも個人単位で考えるのか。
他にも多岐に亘る前提、想定、論点等がありますが、そうしたことについて国民的合意があってこそ、安定的な社会保障制度の構築と運営が可能となります。
(了)