欧州財政危機がさらに深刻化しています。火元のギリシャでは金融機関預金が年初来1割減少。海外に流出しているようです。10月9日、金融大手デクシア(フランスとベルギーが拠点)が破綻。欧州財政危機は、PIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)だけの問題でないことは明らかです。
10日の日経新聞オピニオン面(5面)に、滝順一編集委員の文責による「核心」というコーナーの論評が掲載されました。テーマは、放射線の健康影響についてです。
冒頭は次のように始まっています。曰く「科学者の意見が分かれて誰を信じてよいのかわからず、途方に暮れる。そんな状態が人々の不安を助長し、科学者への不信を増殖する。いま最も深刻なのは低線量放射線の健康影響だ」。
見出しは「科学者の信用、どう取り戻す」「真摯な論争で合意形成を」となっています。滝氏の冷静かつ客観的な論評に敬意を表したいと思います。
東日本大震災、福島第一原子力発電所事故に、厚生労働省副大臣として直面した身としては、滝氏の論評には考えさせられる点が多々あります。
原発事故の発生直後、食品の放射性物質規制の今後のあり方について議論になりました。省内担当官、政府内関係部局、専門家等と検討を進め、結果的に到達したのは、この分野の世界の専門家(科学者)のネットワークである国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に準拠すること。
もちろん、原子力災害対策本部(本部長は首相)を含め、政府全体がICRPの基準を参考にする方向で、体系的、組織的に対応が進みました。
しかし、低線量放射線の健康影響については、誰も確定的に断言できないのが実情でしょう。そのことを率直に認めるところから、未知の事象に対する科学の合意形成が可能となります。
滝氏曰く「ICRPの見解を支持する科学者はこうした批判や挑戦に対し、国民に見える形で説明や反論する必要がある」。文中の「こうした批判や挑戦」とは、リスクサイド(低線量放射線の危険を強調する側)の論陣のことを指します。
また「批判する側も既存の基準に代わる目安を示していない。いま目にするのは、科学の論戦でなく、2陣営に分かれた非難のつぶての投げ合いのようだ」と記しています。
科学者同士が、持論の正しさを競い合うあまり、原発事故、低線量放射線被爆に現に直面している国民の不安を必要以上に煽ることは、適切な対応とは言えないでしょう。
もちろん、最終的に責任を担うのは政府。しかし、成熟した先進国家では、専門的、科学的な政策判断に関しては、科学者も応分の責任を担いつつ、当該分野の政策運営に参画していると聞きます。
政治は今、国民からの「信」が問われていますが、科学もまた、国民からの「信」が問われています。
厚労副大臣在任中、放射性物質に関する様々な資料やデータに遭遇しました。もちろん、報告を受けたものもあれば、自分で調べたものもあります。
そのひとつに、「日本人成人男子群のセシウム137体内量の推移」というグラフがあります。出典は「Health Physics71」(1996年)です。
文部科学省の事業として財団法人高度情報科学技術研究機構が作成している原子力百科事典(ATOMICA)を参考にして、グラフの内容を説明します。
そのグラフによれば、最大値は1964年の1kgあたり531Bq(ベクレル)。前年から約3倍に急増しており、1961年、1962年に行われた米国とソ連の大気中核実験の影響とされています。
1964年のデータは中国の大気中核実験の影響はあまり受けていないという科学者もいますが、中国の実験開始は1964年10月。影響を受けていると主張する向きもあります。
いずれにしても、1990年代は数Bqから10Bqで推移していることを鑑みると、その高さは極めて顕著。チェルノブイリ原発事故後のピークである1987年の約50Bqと比較しても、10倍に及びます。
放射性降下物のことをフォールアウトと呼びます。核爆発や原子力事故によって生じた放射性物質の塵は、いったん上空に舞い上がり、やがて地上に降下します。「降下する」という意味から、「フォールアウト」と命名されたようです。
放射性物質のうち、元々自然界に存在していないものは核爆発や原子力事故で発生します。セシウム137もそのひとつ。
1945年、米国ネバダ砂漠で行われた米国による人類初の核実験。人類はセシウム137と初めて遭遇しました。まさしく「未知との遭遇」です。
その後、ソ連、英国、フランス、中国と、主要国が続々と核実験に着手。人類はフォールアウトと共存せざるを得ない状況となりました。
日本でのフォールアウト(とくにセシウム137)の影響調査は1956年から開始されたそうです。中学生の尿検査も1959からスタート。
1962年には日本にもWBC(ホールボディカウンター)が導入され、セシウム137の体内量測定が可能となり、翌1963年から影響調査に反映されたそうです。
今後、政府及び関係学界(科学者)は、こうした過去の経緯とデータを整理し、国民に十分な説明責任を果たすことが必要でしょう。そうしたことの積み重ねが、国民からの政治の「信」と科学の「信」の双方を高めることにつながります。
原発事故に遭遇した結果、日本国民の原子力や放射線に対するリテラシーは相当高まったと思います。多くのテクニカルターム(専門用語)も報道されました。
そのひとつがLNT仮説。LNTは「Linear No-Threshold」の頭文字であり、LNT仮説は「線形しきい値なし仮説」と訳されています。
要するに、放射線と生物(人間を含む)への健康影響には線形的な関係があるという仮説です。つまり、「どんな低い放射線量でも相応の影響がある」「どんな弱い放射線でも健康を損なうリスクがある」という主張の背景となっています。
LNT仮説のベースとなる考え方は、米国のNCRP(国立放射線防護委員会)によって生み出されたと言われています。
NCRPは1946年に米国連邦議会によって設立された組織であり、米国及び世界の放射線防護の基準に大きな影響力を行使してきました。
NCRPはLNT仮説の論理的帰結として、「アララ・スローガン」と呼ばれる一般原則も生み出しました。
「アララ(ALARA)」は「As Low As Reasonably Achievable」の頭文字であり、「合理的に達成できる限り(放射線量)を低く」という意味です。
つまり、「どんなに費用がかかっても、できる限り放射線量を低く抑える」という放射線防護のひとつの考え方のベースとなっています。
LNT仮説やアララ・スローガンが普及した1950年代は、米国が軍事費予算の急速な拡大を図っていた局面。軍及びNCRP、それをサポートする連邦議会議員やステークホルダー(利害関係者)が、より大きな予算を獲得するためにLNT仮説やアララ・スローガンを主張したと指摘する向きもあります。
一方、ICRPは100mSv(ミリシーベルト)以下では生物への有意な影響はデータとして確認されていないとしています。つまり、100mSvが「しきい値」のような印象で捉えられています。
また、自然界に存在する放射性物質の実情からLNT仮説に疑問を呈する研究者もいます。自然放射性物質の代表はラドンです。
日本におけるラドンによる放射線量は年間0.43mSv(50年間で21.5mSv)。地域によっては、最大1.26mSv(同63mSv)という場所もあるそうです。
欧米諸国でも日本より高い地域がありますが、世界的に高線量で特に有名なのはラムサール(イラン)、ガラパリ(ブラジル)、ケララ(インド)、陽江(中国)など。日本の数倍から数十倍に及びます。
もちろん、核爆発や原子力事故に伴う人工的な放射線の影響はないのが望ましいのは当然です。そうした認識を前提としつつ、科学者には放射線の影響を巡る様々な主張や考え方について誠実な説明に努めることを期待しています。
滝氏の論評の見出しを再述すると、「科学者の信用、どう取り戻す」「真摯な論争で合意形成を」。滝氏の主張に全面的に賛意を示したいと思います。
もちろん、政治の責任が最も重いことは言うまでもありません。しかし、今回の事態に対しては、科学の責任も同程度に重いと言わざるを得ません。
(了)