ギリシャの財政危機はイタリアにも波及。両国とも首相の進退が問われるなど、事態は政治も揺るがしています。ギリシャ国債の金利は30%以上に急騰、イタリア国債の金利も「危険水域」と言われる7%近くまで上昇。欧州財政危機を「対岸の火事」と見ることなく、「他山の石」としなければなりません。
福島第一原子力発電所事故を受けて、日本政府は半径20キロメートル圏内からの住民の退避、20キロメートルから30キロメートル圏の屋内退避を指示。記憶に新しいところです。
ところが、米国政府は3月16日に半径50マイル(約80キロメートル)圏内からの自国民(在日米国人)の退避を勧告。日米政府の対応の違いがクローズアップされました。
この時の経緯は、その後、新聞やテレビが繰り返し報道しています。米国政府の勧告は「日米関係に悪影響を及ぼす」として、日本政府が勧告の見送りを要請したという内容でした。
真相を知る立場にはありませんが、国会、政府、民間のそれぞれに設置された事故検証委員会等の場で、事実関係は明らかになるでしょう。
とは言え、個人的には概ね巷間言われていることが起こっていたと推察します。しかし、そうした事実関係以上に、日米政府の考え方、行動規範の違いが重要です。
1950年代、米国エネルギー省のブルックヘブン国立研究所が「WASH740」と呼ばれる報告書を作成。その後の米国政府の放射線事故に対する緊急対応マニュアルのベースになったと言われています。
当時の米国では次々と大型原発が完成。原発事故を想定して緊急対応手順を策定する必要が生じていました。
さらに、国防総省や戦略空軍はソ連との全面核戦争シミュレーション(ウォーゲーム)を頻繁に実施。放射線事故への対応策もウォーゲームから派生した内容となりました。
その頃、小規模な原発事故に伴う退避区域は半径10マイル(約16キロメートル)、大規模な事故対応や核攻撃に伴う退避区域は半径50マイルと言われていました。
今回、米国政府は人工衛星や無人偵察機グローバルホークから福島原発を監視し、独自の情報収集を実施。情報はリアルタイムで米軍及び米国原子力規制委員会(NRC)に送信され、分析されたことでしょう。
測定した放射線量、原子炉の損傷状況、周辺地域の気象状況等から総合的に判断し、自国民の安全確保のために半径50マイル圏内からの退避勧告に踏み切りました。
日米政府の避難区域の設定の違いには、行動規範の違いも影響しているような気がします。すなわち、米国は予防的な観点からこの種の対策を決定するのに対し、日本は事態の推移を見ながら事後処理的に対応するという違いです。
つまり、予防的観点から大胆かつ先行して対応する米国に対し、事後処理的観点から対症療法的に対応する日本。匍匐(ほふく)前進、戦力の逐次投入という日本の政治・行政の構造的体質と言えるかもしれません。
政治行政のみならず、企業経営においても、同様の日米の体質の違いがあると思います。
こうした行動規範、思考パターンの違いは、他分野でも共通する傾向です。マクロ経済政策や財政運営についても同じことが言えます。
例えば、2008年のリーマンショック以降の米国のマクロ経済政策。かつて、日本が不良債権処理や金融危機対応において事後処理的、匍匐前進、逐次投入的な対応を行い、上手くいかなかったという「日本の失敗」。その「日本の失敗」を教訓にして、米国は予防的かつ大胆に行動しました。
大規模な財政出動と前例のない金融緩和。ゼロ金利や量的緩和に大胆に取り組み、FRB(連邦準備制度理事会)は連邦準備銀行の資産規模を大幅に拡大させました。
こうした予防的な対応がその後の米国経済の立ち直りを支えたという評価が一般的です。同じアングロサクソン系として英国も同様の動きを示しています。つまり、BOE(イングランド銀行)の資産規模もFRB同様に急拡大。日本銀行の資産規模の動きとは異なります。
しかし、最近になって欧米経済は再び低迷。米国は雇用悪化が著しく、EU諸国は財政危機で混乱しています。
米国は、早速10月9日の連邦公開市場委員会(FOMC)で「ゼロ金利を少なくとも2013年半ばまで続ける」ことを決定。その内容を公表しました。2013年半ばまでの約束(コミットメント)をしたことの意味は大きく、大胆な行動と言えます。
米経済がリセッション入りすれば、二番底懸念、米国債格下げ等を契機に金融市場の動揺を招きかねません。異例の長期間に亘るゼロ金利の継続意思を公表することで、長期金利の低下と市場の安定を企図した予防的行動と言えます。
予防的行動の米国の「遺伝子」は、外交防衛政策のみならず、マクロ経済政策や通商政策にも共通する行動規範のように思えます。
日本の交渉参加の是非を巡って議論が佳境を迎えているTPP(環太平洋経済連携協定)。これも、予防的行動という米国政府の行動規範に照らして考えると、国際経済に対する米国の認識を推察することができます。
G7(先進7ヶ国)時代からG20(20ヶ国・地域)時代へのシフト。中国を筆頭とする新興国の台頭。国際経済における米国の覇権は揺らいでいます。
中国はASEAN(東南アジア諸国連合)にも影響力を拡大し、「ASEANプラス3」や「ASEANプラス6」の枠組みづくりに腐心。APEC(アジア太平洋経済協力会議)の場でも発言力を増しています。
予防的行動を旨(むね)とする米国。P4諸国(シンガポール、ブルネイ、ベトナム、マレーシア)でスタートしていたTPPに参加し、アジア及び環太平洋圏における経済権益、影響力、発言力を維持するための橋頭保としようとしていることは容易に想像できます。
日本は、通商政策においてマクロ経済政策が経験した「日本の失敗」の轍を踏まないようにしなければなりません。事後処理的対応、匍匐前進、逐次投入の「遺伝子」から訣別し、通商政策において予防的行動を選択する局面です。
日本を取り巻く経済環境、国際情勢の激変が語られるようになって、ずいぶん久しくなりました。回りくどい言い方ですが、要するにズッと前から言われているのに、なかなかそれに対応できません。日本の低迷の主因です。
その背景は、自国を取り巻く環境、自国の置かれている立場、自国の状況を客観的に認識することができず(というよりも、無意識のうちにそれを避け)、「まだ大丈夫」という根拠のない楽観に安住する体質が影響しています。予防的行動をとることができず、事後処理的、匍匐前進、戦力の逐次投入という体質です。
「アジアで唯一のG7の一員」「アジアで唯一の欧米諸国の窓口(ゲートウェイ)国家」「アジアで唯一の輸出大国、経済大国」「アジアには競争相手(コンペティター)のいない特別な地位を保障された国家」という時代は終わりました。20世紀後半の日本の成功モデルの前提条件が変わったのです。
その点に警鐘が鳴らされ始めたのは、もうずいぶん前です。変化を予測し、変化を先取りし、変わらなければならないのに変われない国、日本。
あらゆる分野のリーダーはそのことを再認識しなくてはなりません。政治がその筆頭であり、最も責任が重いことは言うまでもありませんが、財界、学界、官界も同様です。
「経済は一流、政治は三流」と嘯く財界人も少なくありませんが、今や「経済は一流」とは言えません。「一流でなくなったのは永田町、霞が関の責任」と抗弁するようでは、浮上の希望はありません。
独占禁止法の適用除外の上に安住する業界もあります。自社の業界の既得権益には拘泥し、他社の業界の改革ばかりを声高に主張する財界人もいます。実例を目の当たりにしているだけに、暗澹たる気持ちになります。
1990年代、金融立国を目指した日本。東京は、ニューヨーク、ロンドンと並ぶ世界三大金融証券市場という自負心もありました。
しかし、変化に対応せず、関係組織や関係省庁が既得権益に拘泥している間に、市場の魅力は香港、シンガポール、上海に遠く及ばず、規模でも脅かされています。
そうした中、11月7日の大手紙一面トップの見出しは「東証・大証来秋合併」。国際的な取引所再編の動きに対応し、国際競争の中で再浮揚を狙った動きと解説されています。「日本取引所」という新名称も報道されています。
遅きに失した感は否めませんが、やらないよりはマシ。今からでもいいので、真剣に進めてもらいたいものです。
さらに、政府も成長戦略の一環として推奨している総合取引所構想。金融、証券だけでなく、商品も含めた総合取引所に進化させることで、市場間競争、取引所競争に挑んでいく必要があります。
ところが、金融取引所、工業取引所、穀物取引所などは相変わらず自らの存続を模索。それらの経営陣には、日本の利益、大局観という言葉は無縁のようです。言語道断。
所管する金融庁、経産省、農水省の指導力も問われます。一緒になって既得権益を守ろうとするようでは論外。予防的行動とはほど遠く、事後処理的対応、匍匐前進、逐次投入のお家芸の技が光ります。
せめて、東証、大証には頑張ってもらいたいものです。報道どおり「日本取引所」が来秋発足できるように、側面支援していきます。
日本経済は「まだ大丈夫」などという根拠のない楽観は禁物です。あらゆる分野で日本の行動規範を変えていかなくてはなりません。「まだ大丈夫」は「もう危ない」とほぼ同義語。各界のリーダーの自覚が問われます。
(了)