東西冷戦が終結した1990年、国際政治の中心がG7からG20に移行した2010年、東日本大震災に遭遇した2011年。低迷と混迷を深めながらも、日本の目指すべき方向性が徐々に共有されつつあるような気がします。後ろ向きに考えず、前向きに職責と向き合いたいと思います。
ゴールデンウィーク入り直前の4月28日、政府はASEAN(東南アジア諸国連合)と経済閣僚会合を開催。広域自由貿易協定の年内交渉開始を目指す共同声明を発表しました。
広域自由貿易協定の仮名称は「東アジア包括的経済連携(RCEP)」。現在、交渉参加入りするかどうかの事前協議を行っている「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)」のアジア版と言えるでしょう。非常に重要な意味を持つ動きです。
20世紀後半、西側先進国(G7)の一員として、「アジアで唯一の経済大国、輸出大国」「アジアで唯一の欧米諸国と特別な関係にある特別な地位を保障された国」という立場を謳歌し、いつしかその立場が永遠のものと妄想して夢うつつにあった日本。
遅ればせながら、ようやく眠りから覚めかけているようですが、2つの鉄則を肝に銘じなくてはなりません。このメルマガで何度も指摘している鉄則です。
第1は「自国の利益を犠牲にして他国の利益を守るような国はない」ということ。「当たり前」のことですが、20世紀後半から「失われた20年」にかけて、夢うつつの惰眠を貪っていた日本にとっては「当たり前」ではありませんでした。
RCEPもTPPも、それを推奨する国々は「自国の利益」に資するからこそ、実現を目指します。あるいは、自国の利益に資するように交渉を進めます。「当たり前」のことです。それが国際社会の常識です。
第2は「世界は米中2極時代に入った」ということ。政治、経済、軍事のいずれをとっても、米中両国が国際社会の動向を左右します。もちろん、EU(欧州連合)やロシア、インドやブラジル等の新興国の動向も注視しなくてはなりませんが、当分の間(少なくとも今後約20年間)は「米中2極時代」が続きます。
RCEPもTPPも、その構図と文脈の中で、対応と交渉を考えていく必要があります。地理的には中国の参加も念頭におくRCEPか、中国にも参加を打診するかもしれない米国中心のTPPか。いずれにしても、日本を特別扱いしてくれるわけではありません。
しかし、ASEANのスリン事務局長が指摘したとおり、「日本はRCEPへの交渉参加の意欲を明確かつ公式に述べた初めての国」となりました。言わば、TPPは受け身、RCEPは自ら仕掛けたと言えます。
RCEPとTPP、中国と米国。隣国であり、経済大国となった中国とは友好関係を目指すのが基本。一方、日本外交は日米同盟が基軸。
この構図の中でどのように国を舵取りするのか。これから当分の間、日本の指導者の手腕が問われます。指導者とは、政治家のことだけを指しているわけではありません。
しかし、なぜ自由貿易協定なのか。RCEPやTPPに反対の意見の人も少なくなく、この点に対する理解を深める必要があります。ポイントは日本の人口動向です。
日本の人口は、戦国時代に初めて1000万人を超え、江戸時代中期に3000万人を超えると、明治時代になるまで、3000万人強で安定していました。
明治時代になると、近代化、経済発展によって、国民生活、衛生環境、医療水準も向上。その結果、人口も急増。
明治維新時(1868年)に3330万人であった人口は、太平洋戦争終戦時(1945年)には7199万人。77年間で2.2倍に増加しました。
戦後も人口増は続き、2004年に1億2784万人のピークを記録。明治維新以降、実に136年間で3.8倍になりました。
問題はここからです。2004年をピークに減少が始まった日本の人口。推計によれば、2100年には3770万人(低位推計)から6407万人(高位推計)に激減します(グラフは僕のホームページのブログにアップします。ご興味がある方はご覧ください)。
人口が急増する過程では、当然、消費も急増し、経済規模は拡大します。その恩恵の浴してきたのが20世紀の日本と言えます。
人口も、経済規模も、税収も、(その間に途中で導入された)社会保険料も増え、なおかつ「アジアで唯一の経済大国、輸出大国」「アジアで唯一の欧米諸国と特別な関係にある特別な地位を保障された国」として、輸出増加、貿易黒字も謳歌してきました。
しかし、昨年は31年振りの貿易赤字。冷静になって考えてみれば、それまでは貿易赤字の国でした。
さて、人口減少時代に入った日本。経済も日常生活も一定水準に達し、20世紀後半のように国民が貪欲に消費活動に走るとも思えません。将来不安があれば、なおさら消費マインドは低下します。
将来不安を緩和するべく、社会保障のメンテナンスは必要です。しかし、それだけでは経済の縮小は抑止できません。
何らかの工夫を行うことによって、人口減少のスピードよりも、経済縮小のスピードを抑制すること。これができれば、1人当たりGDP(国内総生産)は増加します。
その工夫は、すなわち海外の需要を取り込むこと。だからこそ、RCEPやTPPが重要な政策課題として浮上しています。
しかし、ここで第1の鉄則を思い出さなくてはなりません。「自国の利益を犠牲にして他国の利益を守るような国はない」ということです。巧みに交渉に臨まなくてはなりません。
もっとも、だからといって通商交渉から逃げ出すようでは、日本に未来はありません。いや、正確に言えば、未来はありますが、人口減少に伴う経済縮小、世界の潮流とは一線を画する日本という「未来」を甘受するということです。
日本の未来は選択することが可能です。それは、日本国民が選択を迫られていると表現することも可能です。選択を楽しむか、苦しんで選択するか。ポジティブ・シンキング(積極思考)、プラス思考が問われる局面です。
もちろん、別の選択もあります。それは、日本発の「新たな需要」を生み出すことです。例えば、昨年早逝したスティーブ・ジョブス氏や活躍中のビル・ゲイツ氏を思い出すと理解できます。
マッキントッシュのパソコンやウィンドウズを生み出したジョブス氏とゲイツ氏。それ以前には想像もできなかった製品を生み出して、「新たな需要」を創造しました。
ジョブス氏が10年前に世に送り出したアイポッド(i-pod)やアイパッド(i-pad)は「新たな需要」を生み出し、ライフスタイルを転換し、不滅と思われた既存製品(パソコン等)の命運までも左右しています。
要するにイノベーション(技術革新)です。人口減少の下で、不利益な通商交渉のリスクを負うことなく、世界の需要を取り込むためには、日本発の、日本にしか生産できないような技術、製品、サービスを世界に提供していくことです。リスクが顕現化した原発に代わる新エネルギー技術も同様です。
しかし、「言うは易く行うは難し」。そのためには、それを実現可能とするような人材の育成、研究活動や産業や企業活動の支援が必要です。そうしたことに、財政支援を含めた国のサポートを集中していくことが求められます。
このメルマガの前々号(Vol.261)でもお伝えしましたが、わが国は過去半世紀にGDPの5%超、700兆円以上の社会資本形成(公共事業)を行ってきました。年金や医療の社会保障も、甘い見通しと「雑念」を伴って過剰に整備されてきた面があることも否めません。「過ぎたる及ばざるが如し」です(詳細はホームページのバックナンバーからVol.261をご覧ください)。
「あれも欲しい、これも欲しい」でも何とかなったのは、前述のとおり、人口も、経済規模も、税収も、(その間に途中で導入された)社会保険料も増え、なおかつ「アジアで唯一の経済大国、輸出大国」「アジアで唯一の欧米諸国と特別な関係にある特別な地位を保障された国」として、輸出増加、貿易黒字も謳歌できたからです。
しかし、今や時代は大転回。日本の置かれている状況は激変しました。何かを「止める勇気」がなければ、「新たな需要」を生み出すためのチャレンジもできません。
4月30日の毎日新聞朝刊3面に、過去の公共投資の更新時期が到来し、今後膨大な財政需要が必要となることを憂う特集記事が掲載されていました。
見出しを追うと、「膨らむ財政不安」「進む橋の老朽化」「古いインフラ、どう対策」「費用圧縮、工夫が必要」「今後50年で190兆円の試算も」。こうした記事が出てくるようになったのは一歩前進。現実を直視し始めた証左です。
しかし、「工夫が必要」というよりも「工夫は不可能」。何かを「止める勇気」が必要です。社会資本の全てを更新し、社会保障の全てを継続し、なおかつ新しい社会資本、新しい社会保障を求めるようでは、日本に未来はありません。「新たな需要」を生み出すイノベーションを実現することは、おそらく不可能でしょう。
こうした現実を直視し、今後の方向性を共有することが、低迷と混迷の中で、徐々に進みつつあるように思います。社会資本と社会保障の運営に失敗した過去の政治家、官僚に反省を求めつつ、国民にも現実を直視することが求められます。
日本を取り巻く状況が激変していることは、安全保障の分野でも同じです。経済と安全保障、内政と外政は、表裏一体、密接不可分。次号では、日本の安全保障問題についても考えてみます。
(了)