日本は極東アジアから「引っ越し」はできません。隣人の韓国、中国、ロシアも同様です。隣人とは上手く付き合っていくしかありませんが、お互いに節度が必要。度を過ぎた言動には、日本の「強い意思」を明確に伝えることが肝要です。竹島、尖閣、北方領土について事実関係と日本の立場を良く理解し、国民同士の議論になった時にも堂々と主張する。そうしたことの積み上げが、中長期的な問題解決の下地をつくることにつながります。
孫子の兵法に曰く、「主は怒りを以て師を興すべからず」(火攻篇四)。その含意は、「一時の感情で行動を起こすな」ということです。
隣国との外交は難しいものです。今回の韓国李明博大統領の竹島上陸に端を発する一連の言動は、隣国の指導者としては常軌を逸しています。とりわけ、天皇陛下のことに言及するに至っては万事休す。もはや「一時の感情」とは言えない心証を抱く日本国民も少なくないと思います。
しかし、それでも隣国として関係し続けなくてはならないのが隣国の宿命。「諸侯の謀(はかりごと)を知らざれば、予め交わるを能(あた)わず」(九地篇八)。すなわち、相手の状況や考え方をどう推察するかということがポイントです。
韓国大統領は退任後に厳しい状況に置かれる歴史を繰り返しています。李大統領もソウル市長時代の不正が取り沙汰され、去る7月24日には実兄や側近が逮捕されました。退任後は大統領本人にも司直の手が伸びることが噂される中での突如の竹島上陸でした。
内政の不人気を外政で挽回するのは古今東西の常套手段。日本との緊張を高め、竹島上陸で日本に一矢報いた英雄として、退任後に司直の手が及びにくくするという背景を指摘する向きもあります。仮にそうであれば、個人的理由から日韓関係を悪化させるという言語道断の振る舞い。一国の指導者としてはあってはならない蛮行です。
しかし、日本にとって副産物、怪我の功名もあります。竹島問題を国民が強く認識する契機となったことです。韓国の一部新聞も「かえって日本に自己主張の機会を与えた」と冷静に論評しています。24日の野田首相の記者会見はまさしくその機会となりました。
そもそも日韓の国境線は1952年4月のサンフランシスコ講和条約で確定しました。同条約では、日本の放棄すべき地域を済州島(チェジュド)、巨文島(コモンド)、鬱陵島(ウルルンド)と明記。竹島は含まれませんでした。
サンフランシスコ講話条約締結前から、韓国は米国に対し竹島の領有を主張していましたが、米国は「竹島が朝鮮の一部として領された事実はない」として、条約の内容が確定しました。
そうした事実を踏まえれば、野田首相が韓国による竹島実効支配を「不法占拠」と明言したことは妥当です。
「檄水の疾(はや)くして石を漂わす」(勢篇三)。含意は「勝負の節目と見れば瞬時に行動を起こす」ということです。李大統領の蛮行を節目として、日本の主張を大いに世界に喧伝する好機と考えます。
1952年1月、竹島領有に関する韓国の主張がサンフランシスコ講和条約に反映されない情勢が確定しつつあった中、時の李承晩大統領が国境線を一方的に宣言。いわゆる「李承晩ライン」です。
李承晩ラインの引き方を見ると、竹島を取り込むために無理な線引きをしている様子が伺えます(ご興味がある方は地図・海図をご確認ください)。
日本の領土である対馬の北側から、李承晩ラインの南東隅に真っ直ぐに国境線を引けば、竹島はラインの外側になってしまいます。そこで、対馬の東側で李承晩ラインは不自然に南側方向へ屈折。その先から南東隅に国境線を引いた結果、竹島はギリギリ含まれるという構図です。
そもそも竹島は、歴史的には中世から日本漁船の補給中継基地。1618年には、江戸幕府が伯耆国(現在の鳥取県)の漁民に「渡海許可」を発行しました。
これは竹島への「渡海許可」ではなく、竹島の北西に位置する鬱陵島への「渡海許可」です。鬱陵島周辺は豊かな漁場であったため、主に伯耆国や隠岐から出漁。その際の寄港地として、竹島が利用されていました。
1633年、江戸幕府は鎖国令を発布。しかし、その後も竹島への渡航は禁止されなかったことから、江戸幕府が竹島を日本の領土としていたことは明らかです。1905年、明治政府が閣議決定で竹島領有を対外的に示した後、太平洋戦争での敗戦、李承晩ライン、サンフランシスコ講和条約に至ります。
サンフランシスコ講和条約締結の翌1953年には、韓国側の守備隊による日本漁船の拿捕や銃撃が行われ、犠牲者も発生。同年7月、日本の海保巡視艇に200発の銃弾が撃ち込まれたそうです。以後、韓国は竹島の武装化を徐々に進め、日本の艦船の接近を認めていません。
記録によれば、1965年の日韓基本条約締結までの間に、日本漁船328隻が拿捕され、抑留者3929人、死亡5人、負傷3人。銃撃された海保巡視艇は16隻に及んでいます。
この間、1954年と1962年に日本は竹島問題を国際司法裁判所(ICJ)に付託することを韓国に提案。しかし、いずれも拒否されて今日に至っています。
そして、今回も3度目のICJ付託の日本側提案を拒否。理があると思えば、受けて立つのが筋ですが、上述のような経緯を踏まえれば、ICJで韓国に不利な結論が出ることを懸念しているようです。
李大統領は竹島上陸後の今月13日、「国際社会における日本の影響力は低下している」と発言。一連の強硬姿勢の背景は、自身の置かれた立場に加え、こうして日本に対する認識も影響していると考えるべきでしょう。
孫子の兵法に曰く、「兵の形は水を象(かたど)る」(虚実篇七)。その含意は、「水は高いところを避けて低いところに向かう。軍隊も、兵力の充実しているところを避けて、隙(スキ)のあるところを攻撃する」。
国際社会における日本の影響力が低下しているという認識。韓国の経済力が向上しているという自信。この認識と自信が李大統領の一連の言動や反日感情を煽る韓国世論につながっていると見るべきでしょう。日本の「隙」とも言えます。
外交は総合力です。政治力、経済力、文化力、軍事力(抑止力)、国際的影響力など、様々な要素の有形無形の集合体が外交の総合力です。
日本の総合力の源泉は何と言っても経済力です。日本に「隙」が生じているのは、「失われた20年」の間に進んだ日本経済の劣化によるもの。したがって、経済力の復元なしでは「隙」を塞ぐことはできません。
その一方、経済力に依存しすぎていたのも事実。外交が総合力である以上、政治力、文化力、軍事力、国際的影響力など、他の面も進化や強化も必要です。
「戦わずして人の兵を屈す」(謀攻篇一)。争い事に至らしめることなく、問題を解決することが望ましいのは言うまでもありません。今回も、韓国に背を見せることなく、しかし紛争にしてはいけない。これが鉄則です。
この教えは、さらに続きます。曰く「上兵は謀を伐(う)つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下(げ)は城を攻む」。
上策は相手の謀(はかりごと)を未然に防ぐこと。次策は相手を孤立させること。次々策は交戦すること。最も避けるべきは城を攻めること。現代の国際社会においては、上策と次策の範囲にとどめるのが賢策です。
竹島実効支配の既成事実の積み上げを放置してきた日本の歴代政権の責任は大きいものの、今更取り返しがつきません。このうえは、既成事実という「謀」の積み上げをアピールさせないように、日本も堂々と自己主張していくことです。
そのうえで、韓国の主張を肯定する国を増やさないことです。そのためには、日本が国際社会で影響力を持つことが重要なポイント。だからこそ、経済力を筆頭に、政治力、文化力、軍事力など、多面的な国力を高め、外交の総合力を向上させることが急務です。
国内で政党同士が争っている場合ではありません。「呉人(ごびと)と越人(えつびと)とは相悪(にく)むも、其の舟を同じくして済(わた)り風に遭うに当たりて、其の相救うこと、左右の手の如し」(九地篇五)。
良く知られた「呉越同舟」のくだりです。一般には「仲の悪いもの同士が同席する」という程度の解釈で浸透していますが、その真意は「危機に直面すれば団結する」ということです。
「危機」を「危機」と認識できず、隣国の成長、自国の相対的地盤沈下も客観的に認識せず、対応を怠ってきたのが「失われた20年」を生み出した一因です。今や国内で政争に明け暮れている局面ではありません。/p>
(了)