今日(8月29日)の各紙朝刊は1面で「今年3月末の生産人口が8000万人割れ」を報じています。総人口も4年連続で減少し、死亡数が出生数を上回る自然減も過去最大。残念ながら人口減少、少子高齢化は加速しており、社会保障制度をはじめとした政策制度の見直しがさらに急がれます。
消費増税を巡る議論が佳境を迎えています。賛否両論ありますが、その際の判断材料としてとりあげられるのが1997年増税時の影響です。
1997年4月、消費税率が3%から5%に引き上げられました。引き上げ直前の1997年第1四半期(1月から3月)の実質GDP(国内総生産)成長率は年率3.0%増のプラス成長。ところが、増税直後の第2四半期(4月から6月)は同3.7%減のマイナス成長。
第3四半期(7月から9月)は同1.6%増と回復したものの、第4四半期(10月から12月)から3四半期連続のマイナス成長となりました。
実質GDP成長率のこうした推移を踏まえ、景気失速を懸念する論者は増税反対を主張。たしかに一理あります。
しかし、1997年から1998年のこうした動きの主因が消費増税であったか否かは必ずしも断定はできません。少なからず影響があった蓋然性は高いものの、「1997年」という年にはもっと重い意味があるかもしれません。
日本の税収は1997年度の53.9兆円がピーク。以後、それを上回ったことはなく、2013年度の見込みは43.1兆円。名目GDPも当時の520兆円に対して、現在は470兆円。
つまり、現時点において、1997年は日本経済のピークであり、「分水嶺」であったと整理することも可能です。
1997年の経済白書には「バブル後遺症からの自律回復」という記述があります。当時、日銀に勤務していた僕の実感では、その記述は全くの間違い。あるいは、意図的に虚偽を記していたと断じても過言ではありません。
不良債権問題の真相(かつ深層)を直視せず、「飛ばし(粉飾紛いの決算操作)」によって実態を闇から闇に葬ろうとしていた時期です。
しかし、その実態は徐々に表面化。1997年7月に発生したアジア通貨危機も影響し、1997年11月、山一証券、北海道拓殖銀行が経営破綻。金融危機は現実のものとなり、その後も日本長期信用銀行、日本債券信用銀行等が経営破綻。
以降、金融機関のみならず、企業もリストラに腐心し、債務、設備、雇用の「3つの過剰」圧縮が加速。折からの人口減少とも重なり、日本経済は本格的なデフレと長期低迷に突入していった、という整理も可能です。
「1997年」の評価と分析は非常に難しい問題です。いずれにしても、過去の成功体験や政官業の馴れ合い(あるいは癒着)に依存した政策運営、予算編成が限界に達した「分水嶺」が「1997年」。
以後の経済動向は、消費増税を主因に分析するだけでは十分に説明しきれないでしょう。
一方、主因ではないものの、消費増税が影響した蓋然性も否定できません。法律にも「引き上げにあたり、経済状況の判断を行う」という「景気条項」がある以上、1997年の分析も含め、十分な検討が必要です。
1997年増税時の実額は約5.2兆円(税率2%分)。しかし、特別減税廃止(約2兆円)、年金保険料・医療費増(約1.4兆円)も加わり、合計で約8.6兆円の国民負担増でした。
来春増税時の実額は8.1兆円(税率3%分)。年金保険料増(約0.8兆円)も加わり、約8.9兆円の国民負担増が見込まれます。
1997年と2014年の国民負担増の実額は近いものの、経済や家計へのインパクトは今回の方が大きいと予想されます。
その理由の第1は、名目GDP規模の縮小。1997年当時、520兆円だった名目GDPは今や470兆円。負担増実額の対名目GDP比は、1997年が1.65%に対し、2014年は1.89%です。
理由の第2は、生産年齢(15歳から65歳)人口の減少。1997年当時、8716万人だった生産年齢人口は、今や8000万人割れ。700万人以上少なくなった生産年齢人口に、より大きな負荷がかかることになります。
理由の第3は、デフレ。1997年以降のデフレの影響で貨幣価値が増しており、名目ベースでほぼ同じ実額でも、実質ベースの負荷は高まっています。
理由の第4は、家計所得の実情。有効求人倍率の好転(1997年3月0.74倍、2013年6月0.92倍)や足許の雇用者報酬(賃金総額)増加というプラス材料はあるものの、所定内給与(基本給等)は13か月連続で減少。
さらには、最近の円安による輸入物価上昇、原発事故の影響等から、食品や電気料金の値上げが相次いでおり、家計所得に負荷がかかっている中での増税。個人消費に一定の影響が出ることは避けられないでしょう(なお、円相場自体は1997年当時も110円台から120円台の円安でした)。
以上の整理に基づけば、来年の消費増税が景気に一定の影響を与える蓋然性は否定できません。
民間エコノミストの平均予測(EPSフォーキャスト)でも、消費増税後の2014年第2四半期(4月から6月)の実質GDP成長率は前期比年率で約5%落ち込むと予想されています。
さて、政府はどのような決断をするでしょうか。
ここで、ちょっと硬い文章をご紹介します。最後まで読んでいただければ幸いです。僕の専門分野である、公共選択論(Public Choice)と財政学の名著の一節です。
曰く「21世紀の始まりは、公共部門が肥大化し、政府は財源のない受給権の要求に直面しながら、その要求を満たすに足るだけの税収を確保することができず、さらには最小限必要な社会基盤のための資金も調達することもできない状態になる。政治主体は、公衆の信頼と敬意を集めることがなく、そのことがかえって政治権力の座にある政治主体の道徳的堕落を生みだす」。
公共選択論の大御所ブキャナン(James M. Buchanan)博士と財政学の大家マスグレイブ(R. Musgrave)博士の名著「Public Finance and Public Choice:Two Contrasting Visions of the State」(1999)の一節です(邦訳「財政学と公共選択:国家の役割を巡る大激論」関谷登・横山彰監訳<2003>)。
公共選択論とは、民主主義の弊害や政官業の癒着(鉄のトライアングル)によって、ケインズ的な財政政策は必然的に財政赤字を拡大させ、中長期的には総じて失敗することを指摘する学派です。
最近の先進各国の非伝統的金融政策は、ケインズ的な財政政策の失敗を金融緩和でカバーしようとしています。日本の異次元金融緩和はその真骨頂。
こうした動きをみると、公共選択論はマネタリズムの失敗と堕落も予測していたと考えてよいでしょう。実は、それが僕の博士論文のテーマでした(博士論文をベースとした著書については、ホームページの「著書」コーナーをご覧ください)。
ケインズ的な財政政策とマネタリズムの限界、そして公共選択論的な弊害。いずれも先進国共通の現象ですが、最も顕著かつ厳しい状況に置かれているのが日本。
先進国最悪の財政赤字と中央銀行総裁自身が「異次元」と言って憚(はばか)らない超金融緩和、既得権益化した予算・税制・政策の実情を鑑みると、その現実は否定できません。
因みに、マスグレイブ博士は2007年1月15日、ブキャナン博士は2013年1月9日に逝去。偶然ですが、いずれも安倍首相の在任時。
安倍首相には名著の一節を噛みしめながら、消費増税の適否を判断してもらいたいと思います。
前政権が崩壊するほどの政治的エネルギーを費やして生み出された消費増税の道筋。景気への影響の蓋然性は否定できないものの、今さら止めるわけにはいかないでしょう。
今ほどの安定政権下で実施できなければ、おそらく、財政危機が現実になるまで実施できなくなるでしょう。前回増税時は「金融危機」、次回増税時は「財政危機」とならないような決断が必要です。
もっとも、前号のメルマガでも指摘したように、「消費増税は社会保障のため」「財政再建は全く別次元の努力が必要」です。
前回増税時の橋本首相は財政再建のための増税と明言していました。しかし、今回は社会保障の維持・拡充のために「三党合意」で決まった増税。
8月6日に安倍首相に提出された社会保障国民会議の報告書はその趣旨が変質。財政再建に向けた別次元の努力も見られません。
ブキャナン博士とマスグレイブ博士の名著の一節が指摘する「政治主体の道徳的堕落」。名著の指摘が日本にさらに当てはまらないことを祈ります。
(了)