9月26日、日銀当座預金(民間金融機関が日銀に預けている預金)残高が初めて100兆円を突破。日銀はマネタリーベース(当座預金と流通紙幣・貨幣の合計)を来年末には270兆円と昨年末の約2倍とする方針。行き過ぎた金融緩和は日本経済の「本当の実力」をわかりにくくします。注意力を高めて、日本経済の動向をフォローしていきます。
だいぶ聞き慣れた専門用語のひとつになった「実質実効為替レート」。とは言っても、「やっぱりわかりにくい」という読者の皆さんも多いことでしょう。
日銀が公表している「実質実効為替レート」。僕自身が日銀でこのデータを算出する仕事に関わっていたことがありますので、このメルマガでも何度も取り上げています。
為替相場の「本当の実力」、あるいは、対外競争力の「本当の実力」と表現することができます。ニュースで報道される為替レートは「表面上の実力」。
例えば、円ドル相場で1ドル100円というのは、あくまで日米間の為替レートであり、日米双方の「表面上の実力」。
しかし、日本の貿易相手は米国だけではありません。米国も同じ。それを加味すると「表面上の実力」とは異なる「本当の実力」が見えてきます。
各国の物価変動に伴う影響も反映しなくてはなりません。それも加味すると、さらに「本当の実力」に接近。そうした加工をした結果が「実質実効為替レート」です。
その「実質実効為替レート」を産業別に算出し、産業別の価格競争力、つまり産業別の「本当の実力」を分析したレポートが公表されました。
9月23日の日経新聞朝刊にそのことが報道されており、さっそくレポートを拝読。横浜国立大学の佐藤清隆教授を中心とした研究者グループの成果です。
国(通貨)単位の「実質実効為替レート」を産業別で算出したこと自体が、斬新で有益な取り組みと言えます。
産業ごとに生産に要する部品や原材料、貿易相手国が異なることから、それらを反映するために27か国の企業物価指数のデータベースを作成。国ごとに産業別(製造業13業種)物価動向を把握して「実質実効為替レート」を算出しています。
国全体(円全体)の「実質実効為替レート」は約30年ぶり(1985年プラザ合意当時以来)の円安圏にありますが、産業別には顕著な差があります。
特筆すべきは、相対的に、電気機械(エレクトロニクス等)産業の「実質実効為替レート」が安く、輸送用機械(自動車等)産業が高いという点です。
「実質実効為替レート」上は、電気機械産業の競争力が強く、輸送用機械産業の競争力が弱いということになります。
しかし、「本当の実力」の解釈は簡単ではありません。ひとひねり必要です。
産業別の「実質実効為替レート」は、産業ごとの生産コストの差を勘案した為替レート。
簡単に言えば(「簡単ではない」という感想もあると思いますが)、その産業の「生産コスト」が下がれば「実質実効為替レート」が低下し、輸出競争力が強まるという関係。「生産コスト」が上がれば、その逆です。
佐藤教授たちのレポートは、電気機械産業の「実質実効為替レート」が低いのは(つまり「円安」なのは)、同産業の「生産者価格」の低下が原因と結論づけています。
しかし、「生産コスト」と「生産者価格」は同じ意味ではありません。
「生産者価格」低下が「生産コスト」低下に起因するものであれば、「コスト低下が価格に反映された」ことになります。
この点について、レポートは、電気機械産業は海外企業との競争が激しいことから、「自らの生産者価格を引き下げる努力をした結果」(原文のママ)としています。
要するに、コスト低下が価格に反映されたのではなく、競争力維持のために意図的に価格(最終製品・中間生産物価格)を引き下げたということ。
そして、そのことが「実質実効為替レート」を低下させ、「実質実効為替レート」上の競争力を強めている構図です。
一方、自動車を代表とする輸送用機械産業。相対的に高い「実質実効為替レート」の影響を受けて、価格競争力を失っているとしています。
もっとも、レポートは日韓間の比較分析も行い、次のようにも指摘しています。
電気機械産業は韓国の生産者物価の大幅低下によって競争力を失っているのに対し、輸送用機械産業は日本の製造コスト低下によって「ウォン安時の韓国メーカーと比較してもさほど競争力を失っていない」(原文のママ)。
もっとよく読み込んでみないと、さらに深い示唆を洞察することはできませんが、このレポートの内容から東日本大震災時のことが思い出されました。
東日本大震災では多くの産業サプライチェーンに影響が出ましたが、エレクトロニクス産業に比べて自動車産業の復旧が相対的により困難だったと記憶しています。
その理由は、僕の理解では、エレクトロニクス産業では部品やパーツの「標準化」「汎用化」が進み、代替性の高い構造になっていたのに対し、自動車産業は車種ごとの部品の「特注化」「差別化」の傾向が強く、代替性の低い構造であったためです。
代替性が低ければ、部品の代替供給者は容易に確保できず、サプライチェーンにボトルネックが生じやすいという脆弱性につながります。
もちろん、エレクトロニクス産業でもルネサス社被災に伴うマイコン供給途絶のように、代替供給者が確保できなかったケースもありますが、個人的には、総じて言えば上記のように認識しています。
代替性の高いエレクトロニクス産業は競合国との競争に直面。一方、代替性の低い自動車産業は価格を引き下げないことで「実質実効為替レート」上の価格競争力では苦戦。
「標準化」「汎用化」と「特注化」「差別化」の経営戦略・産業構造の違いは、競争力やリスク対応力のパターンにも影響します。
「標準化」「汎用化」と「特注化」「差別化」という観点から、今度は「ランチェスターの法則」を思い出しました。
「ランチェスターの法則」とは1914年にフレデリック・ランチェスターによって発表された「合理的な意思決定」のための数理モデル。
戦闘行為の検討手法として注目され、オペレーションズ・リサーチ(「合理的な意思決定」のための科学的手法)における代表的な概念のひとつです。
詳細な解説は割愛しますが、転じて、経営戦略の分野に活用されるようになりました。競合する大企業間、あるいは大企業と中小企業間の経営戦略の論理的思考に転用され、「ランチェスター経営」という表現も登場しました。
「ランチェスターの第1法則」は「強者の戦略」。一般化して言えば、強者のとるべき経営戦略は追随作戦。
競合相手と同質性がある場合は、規模で圧倒し、低い生産コスト等のスケール・メリットで優位な立場に立つことを推奨します。
競合相手との同質性とは、「標準化」「汎用化」とも言えます。逆説的ですが、「標準化」「汎用化」戦略は、もともと競争力があって、競合相手に対して優位な立場にある場合に選択するのが合理的です。
一方、「ランチェスターの第2法則」は「弱者の戦略」。弱者が広範な分野で強者と全面的に戦っても勝機はなし。そこで、特殊な分野に特化、大企業の隙(ニッチ市場)に注力することで勝機を見出します。
言わば「特注化」「差別化」。戦闘で言うならば、小兵力で大軍と戦う場合、見通しの良い平原で交戦しては敗戦確実。そこで、狭い谷間のような場所に軍を進め、相手の戦力・火力を発揮できなくし、接近戦、一対一の戦闘に持ち込む戦略。
今川義元の大軍を織田信長軍が急襲した「桶狭間の戦い」のイメージです。
欧米企業のみならず、韓国・台湾・中国等のアジア企業にも猛追され、相対的に「弱者」となっているエレクトロニクス産業が「強者の戦略」である「標準化」「汎用化」の生産構造となっている一方、相対的に「強者」である自動車産業が「弱者の戦略」である「特注化」「差別化」の生産構造となっているというパラドックス。
佐藤教授のレポートから、いろんなことを想像させていただきました。ありがとうございました。
もちろん、現実はそんなに簡単・単純な話ではありません。一方、単純化しないと本質が見えてこないのも一面真理。
日本の経済・産業・企業の戦略について、今後も熟考を加え、政策制度面のサポートを検討していきます。
(了)