政治経済レポート:OKマガジン(Vol.300)2013.11.28


メルマガが300号となりました。受信していただいている皆さんに心から御礼申し上げます。今後ともよろしくお願い致します。さて、国会が佳境を迎えています。NSC(国家安全保障会議)法案は可決され、特定秘密保護法案は衆議院で強行採決。残り会期が1週間となる中、参議院での審議がスタート。とても1週間で審議・採決するような法案ではありません。


1.旧KYと新KY

ダグラス・マッカーサーと言えば、敗戦後の日本の占領軍最高司令官。そのマッカーサーが米国に帰国後、上院軍事・外交合同委員会で次のような証言をしています。

曰く「日本人は勝者に追随し、敗者を蔑む傾向を持っている」。興味深い発言であり、幕末期から明治初期にかけて民衆の間で広がった「勝てば官軍、負ければ賊軍」という一節を連想させます。

勝者に追随する日本人の傾向は「勝ち馬に乗る」とも表現できますが、いずれにしても、勝者の主張、勝者の論理を絶対化する気質につながっているような気がします。

昨年の政権交代後の世相にそうした雰囲気を感じます。決して、負け惜しみではありません(苦笑)。

政治家としてではなく、社会科学全般をフィールドとする学者(経済学、公共政策学が中心ではありますが)の端くれとして世相を日々凝視している実感です。

何か反対してはいけないような雰囲気、意見してはいけないような雰囲気。野党のだらしなさが一因と自省するものの、憂慮すべき世相です。

アベノミクスにも問題山積。円安と株価上昇を評価しつつも、それをもたらしている手段が常軌を逸する「異次元の金融緩和」であることは周知の事実。

「転ばぬ先の杖」として議論を深めることは必要だと思いますが、「その必要なし」という雰囲気が国会と政府・与党に蔓延。

オリンピックも同じです。東京開催は歓迎しつつ、壮大過ぎるメインスタジアム、大会(2週間)終了後直ちに解体予定の施設建設(現在の計画では4つ)、東京と地方の格差拡大。

議論すべき問題は山積。復興や原発事故に対する意識が希薄化するようでは困ります。しかし、オリンピックに意見すると何やらマズイような得も言われぬ雰囲気。

衆議院で強行採決された特定秘密保護法案も同様。メルマガ前号(299号、2013年11月13日)の巻頭で指摘したように、システム技術(記憶媒体)的には全ての資料やデータが保存可能な時代です。

政治及び行政に関する文書は「完全保存」「いつかは完全公開」が当たり前。何十年後かに公開されてこそ、過去の検証と未来への反映が可能となります。

必要なのは秘密保護ではなく情報管理。一定期間公開できない情報があるのは当然。そのことには誰も反対していません。

「いつかは完全公開」を原則にしなければ、多くの情報が存在すら認識されないまま「闇から闇へ」消えていくでしょう。

メルマガ297号(2013年10月10日)で「空気」について言及しました。「空気」と言えば、評論家・山本七平氏のロングセラー「空気の研究」(1983年)。日本人と日本社会の深層心理を支配する「空気」について鋭く分析した名著です。

曰く「われわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種のダブルスタンダードのもとに生きているわけである。そして、通常われわれが口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基本となっているのは、『空気が許さない』という空気的判断の基準である」。

そういえば、少し前に流行った「KY(空気が読めない)」という女子高生言葉。「KY」という流行語自体に日本社会の遺伝子を感じますが、そうした傾向が強まっている現在の世相は「空気が良くない」という意味で新たな「KY」。

メルマガも300号を迎えましたが、これからも「KY(空気が良くない)」な世相を斬るべく、様々な問題を取り上げていきます。以下、「空気が読めない」を「旧KY」。「空気が良くない」を「新KY」と表記します。

2.集団思考とプラシーボ効果

今日(28日)の株価は半年ぶりの高値(15727円)。そのこと自身は喜ばしいものの、先行き予断は許しません。

その理由はメルマガ290号(2013年6月28日)をご覧ください。当面の壁は2007年7月9日の山である18261円。今後の展開に注目です。

新聞やテレビは楽観論が大勢。ここで悲観論を言うのは「旧KY(空気が読めない)」、「湿っぽいことを言うんじゃない」という感じ。しかし、冷静な分析や論評を阻む雰囲気は「新KY(空気が良くない)」。

市場の心理分析に登場する「集団思考」という用語。「集団心理」と言ってもよいでしょう。「集団思考」の特徴は危険性の無視ないし軽視。同じ銘柄への過剰投資、見通しの甘さなどの事態を招きます。

「集団思考」に伴う過度な投資行動は市場(金融・証券・不動産等)においてよく見られる現象。十分な分析をすることなく、市場の権威やムードに追随し、上昇局面では過度に楽観的、下落局面では過度に悲観的な行動を取りがちです。こうした行動は結果的に過大なリスクに直面します。

ベテランあるいはプロの投資家は、論理的に決定するタイプと直感的に判断するタイプに大別可能。山本七平氏の言うところの「論理的判断基準」と「空気的判断基準」に類似しています。

直感的に判断することを「ヒューリスティック(heuristics)」と言います。但し、この場合の「空気的判断基準」は過去の豊富な経験に裏付けられた直感。一般人や素人が「空気」に流されることとは少々異なります。

往々にして「ヒューリスティック」なプロは局面が変わる前に手仕舞い(売り抜け)、「空気」に影響される素人は高値掴みに陥りがちです。

話が変わりますが、偽薬のことを「プラセボ」または「プラシーボ」と言います(語源はラテン語)。「プラシーボ効果」とは、薬理効果のない単なる乳糖やビタミン剤でも、「これは良く効く薬だ」と言って飲ませると、症状が緩和し、薬効が出ること。

反対語は「ノセボ」または「ノーシーボ」。「これは副作用が強い薬だ」と言って飲ませると、副作用が出たり、症状が悪化することを「ノーシーボ効果」と言います。

薬の過剰使用を抑制するため、医師が意識的に「ノーシーボ効果」を念頭にビタミン剤等を処方することも許されているようです。

詳細は医薬の専門家に聞かないとわかりませんが、人間の自己暗示が物理的・化学的・生理的効果を伴って実際に影響を与えるという注目すべき現象です。

市場や経済の世界でも「プラシーボ効果」「ノーシーボ効果」を援用して解説する向きもあります。ポジティブな自己暗示の下では投資が成功し、ネガティブな自己暗示の下では失敗するということ。「信ずる者は救われる」と同時に「正直者は馬鹿を見る」。

「論理的判断」ではなく、「空気的判断」に近い現象です。こうした双方の違いは、様々な政策課題に対する論調でも観察できます。

財政健全化、社会保障改革、教育、エネルギー戦略、安全保障。いずれの問題も、「空気的」な主張に流れることなく、「論理的」な分析と対応が必要だと思います。

3.ゼロ戦と大和

メルマガ296号(2013年9月28日)で取り上げた「ランチェスター戦略」。その名前は英国の航空エンジニア、フレデリック・ランチェスター氏に由来します。

同氏は、第一次世界大戦における人類史上初の空中戦に興味を抱きます。敵味方の戦果・損害について研究し、そこから導かれた法則が「ランチェスター戦略」の基礎となりました。簡単に言うと、データに基づいた「論理的判断」です。

以後、数学者である米国のバーナード・クープマン博士らのグループによって「ランチェスター戦略」が精緻化され、太平洋戦争における対日本戦で大きな成果を収めます。

日米航空機による空中戦。開戦当初はゼロ戦の圧勝。苦戦する米軍は1942年6月、不時着した1機のゼロ戦をアクタン島(アリューシャン列島ダッチハーバー近郊)で接収。これを徹底的に研究しました。

その結果、ゼロ戦の優位性は航続性能、旋回性能、上昇性能と分析。そこで、米軍はゼロ戦相手に格闘戦(ドッグ・ファイト)は不利と判断。

一方、横転性能、急降下性能の弱点を発見。そこで、はるか上空から急降下し、ゼロ戦に一撃離脱という戦法を選択。

加えて「ランチェスター戦略」に基づいて空中戦における戦闘力格差をつけることに着眼。ゼロ戦1機に対して4機(うち1機は予備機)編隊で応戦し、「1対1」のドッグ・ファイトにさせない空中戦術。発案者(米海軍ジョン・サッチ少佐)に因んで「サッチ・ウィ―ブ(Thach Weave)」と呼ばれます。

「1対4」の急降下一撃離脱作戦。ゼロ戦は無敵という「空気的判断」に陥り始めていた日本軍に対して、「論理的判断」に依拠した米軍。優劣は一気に逆転しました。

山本七平氏が「空気の研究」の中で「空気的判断」の事例として取り上げているのが戦艦大和の出撃。

サイパン陥落(1944年7月)前に検討された大和出撃。しかし、開戦以来、米軍との交戦経験に積み、米軍の戦力・戦術情報に長けた参謀本部(軍令部)の判断は「サイパンまで到達困難。到達しても機関、水圧、電力等が無傷でなくては、主砲の射撃が行い得ない」。よって、大和出撃案は却下。

翌年の沖縄戦(1945年3月から6月)。大和出撃に関して、山本氏曰く「サイパン時になかった『空気』が沖縄時には生じ、その『空気』が決定したと考える以外にない」。

続けて曰く「沖縄の場合、サイパンの場合とちがって『無傷で到達できる』という判断、その判断の基礎となりうる客観情勢の変化、それを裏付けるデータがない限り、大和出撃は論理的にはありえない」。

しかし、「論理的」には無理な選択を、「空気的」なものが後押ししたとの山本氏の分析。さらに続くのが次の一文。

「日本には『抗空気罪』という罪があり、これに反すると最も軽くて『村八分』刑に処せられるのであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の『超能力』かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、『作戦として形をなさない』ことが『明白な事実』であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまう」。

特定秘密保護法案をはじめ、何だか「新KY(空気が良くない)」な国会の雰囲気ですが、「論理的判断」を積み上げるべく、今後も地道に頑張ります。

(了)


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