毎年恒例となった今年の漢字。先週12日、「輪」が選ばれたことが発表され、清水寺で森清範貫主が揮毫。東京五輪・パラリンピックの開催決定、台風災害や東日本大震災への支援の輪が広がったことが主な選定理由ということです。
今年の漢字が「輪」と聞いて、「安車蒲輪」という言葉が思い浮かびました。中国の故事に登場する言葉です。
出典は「漢書(儒林伝)」。「安車」とは座って乗れる一頭立ての簡素な馬車で、主に老人や子供用。「蒲輪」は、揺れないように車輪を蒲(がま)の葉で包むこと。転じて、老人や子供をいたわり、大切にすることを意味する格言として使われています。
当時の中国の一般の馬車は四頭立てで、立って乗るのが普通だったそうです。「漢書」に曰く「安車以蒲裹輪、駕駟迎申公」、つまり「安車をして蒲をもって輪を裹(つつ)み、駟(し)に駕(が)して申公を迎う」。齢八十才を越え、仁德優れた魯国の儒者、申公を武帝が丁重に迎えた時の描写です。
本格的な少子高齢化社会に突入した日本。今後数10年間、若年層比率は低下し、高齢者比率は上昇していきます。「安車蒲輪」な社会を目指さなくてはいけませんが、現役世代には厳しい時代が続きます。
そのバランスを調整するため、介護保険制度の見直しが検討されています。一定以上の所得層には介護サービス利用の自己負担を2割(現在1割)とするほか、「要支援」の一部サービスを自治体に移管。特別養護老人ホームの入所基準を原則「要介護3以上」とするなどがその骨子です。
来年、再来年は制度見直しの法改正を巡って、議論が白熱すると思います。介護サービス切り下げ、高齢者切り捨て批判が高まることが予想されますが、その一方、現役世代の負担増も深刻です。
財政的な負担ばかりではありません。総務省の就業構造基本調査によれば、仕事をしながら介護をしている国民は291万人。うち40〜50歳代が167万人。仕事しながら介護をしている男性は69万人です。
こうした状況下、介護のために会社を辞め、転職を余儀なくされる介護離職が急増。最近5年間で49万人に達しており、毎年約10万人が介護離職している計算。産業や企業の主力層が介護離職していく現実は、日本経済にとって大問題です。
介護保険制度見直しは、主に財政的な理由からサービス切り下げ、負担増の方向に進んでいます。サービスが抑制されれば、当然家族による支えが必要になります。しかし、労働力不足、所得伸び悩み等を背景に、女性の社会進出が進み、専業主婦は減少。
昨日(15日)の報道番組で「専業主婦に有利な制度(配偶者控除や年金第3号保険者等)」に賛成の人が70.8%(反対19.8%、その他9.4%)という世論調査が放映されていました。首都圏限定の世論調査とは言え、賛成比率の多さに少々驚きです。
出産・育児・教育支援策は現政権になって後退。それでは、残る労働力不足対策と言えば外国人・移民の受け入れ。しかし、世論的には反対の声の方が多いでしょう。
介護サービスの切り下げ反対、負担増は嫌、根強い専業主婦指向、移民受け入れはもってのほか。それぞれ理屈はわかりますが、堂々巡り。
「安車蒲輪」な社会を目指したいものの、議論が「輪」のように堂々巡りでは、日本の傾向は変わらず、問題も解決されません。
「輪」と聞くと、自動車(四輪車)税制が頭をよぎるのは職業病(笑)。今年の漢字と同日(12日)に発表された来年度の自動車税制見直し、とりわけ軽自動車の増税方針は矛盾だらけです。
新車の軽自動車税が現行の1.5倍、年7200円から10,800円に引き上げられます。また、新車届け出時から13年経過した既存車両の軽自動車税も増税。年額12,900円です。
消費税との2重課税状態となっている取得税(税率5%)見直しが昨年の民自公三党合意によって漸く一歩前進。来年4月から普通車が3%、軽自動車が2%になります。
そのこと自体は評価するものの、軽自動車税増税は結局そのための帳尻合わせ。自動車への重課税は変わらないことになります。
そもそも、現行取得税は1989年の消費税導入時の矛盾の遺物。個別物品税が廃止される中で、自動車だけは「取得税」と名前を変えて残されました。
当時の日本は高度成長の余韻がわずかに残る中、バブル経済によって「夢よもう一度」という世相。自動車の販売・保有台数は増えるという認識の下、自動車に重課税しておけば税収が確保できるという発想です。
自動車から得られる税収を財源として道路を造り続けるという悪しき仕組みも強化されました。そして、バブル崩壊後の景気対策として、湯水のように財源を投下して道路を造り続けた1990年代。「失われた20年」の主因のひとつです。
しかも、自動車は奢侈品であるという昭和20年代、30年代の時代背景に端を発する自動車税制。その課税根拠を今でも引きずっているのは時代錯誤も甚だしい。
今は若者や女性、高齢者の多くが嗜好する軽自動車。所得が増加しない中で、軽自動車が好まれるのは当然の傾向です。
過疎化が進み、公共交通機関も少ない中山間地や地方都市、農村部では、日々の生活にかかせない「足」。生活必需品です。それを重課税というのは、いろいろな意味でセンスが悪過ぎます。
「普通車が売れないので、軽自動車を増税して普通車回帰を図る」という趣旨の説明をした与党関係者もいたようですが、これまた珍妙な主張。普通車の販売促進を目指すなら、所得増加を図るのが正道です。
既存車増税はグリーン課税の観点からは理解できないわけではありませんが、新車届け出時から13年が経過しても使い続けているのは、所得が少ないためと考えるべきでしょう。そこに増税すると普通車を買うかもしれないという連想は理解不能。
消費税増税による景気失速対策に腐心する一方、こうした軽自動車税増税を行うのは明らかな論理矛盾。中山間地や農村の高齢者の「足」になっている軽自動車に対する仕打ちは、「安車蒲輪」な社会とは正反対です。
今年の漢字に「輪」が選ばれた主因は東京五輪開催決定。五輪開催は喜ばしいものの、問題もあります。
介護サービス切り下げや軽自動車税増税を行う背景は、一にも二にも財源不足。その一方、建設予定の五輪施設の中には17日間使用したら即取り壊すものがいくつもあるようです。
最も物議を醸しているのが現在の国立競技場を取り壊して建設する巨大メインスタジアム。常設観客席は現在の5万4千席から8万席に増加。
「コンパクト五輪」をセールスポイントとする東京五輪。成熟国家における「コンパクト五輪」の成功例と言われるロンドン五輪の常設2.5万人、仮設5.5万人分と比べると工夫の余地ありです。とても「コンパクト」とは言えません。
延べ床面積は現在の5.6倍の29万平方メートル。北京五輪は21万平方メートルの敷地に26万平方メートルの延べ床面積。ロンドン五輪は16万平方メートルの敷地に延べ床面積10万8500平方メートル。
東京はロンドンの7割の敷地に3倍の施設を建設する計画。商業施設や博物館も併設するためですが、既存の商業地域(銀座や日本橋など)や博物館(上野国立博物館等)に足を運んでもらう方がいいのではないでしょうか。
規模以外にも問題があります。建設予定地の神宮外苑は風致地区。自然の美観を重視する風致地区に巨大施設を建設することに、多くの建築家が警鐘を鳴らしています。
文部科学省所管の日本スポーツ振興センター(JSC)主催の国際コンペで選ばれたのはイラク人建築家ザハ・ハディド氏によるデザイン。
建築関係者の話では、最終選考には日本人建築士の簡素な案とハディ氏の案が残り、多くの人が前者の選定を予想。結果はハディ氏の当選。しかもハディ氏の作品は、建築費が当初計画比上振れする傾向が強いことが建築関係者の間でよく知られているそうです。
五輪後の維持管理費に対する懸念、選定プロセスで公開ヒアリング等が行われなかったこと等、様々な指摘があります。東京五輪を気持ちよく開催するためにも、巨大メインスタジアムを筆頭に、施設建設については真摯に再検討すべきでしょう。
奇しくも税制改正発表と同じ日(12日)、東京地裁が江戸川区スーパー堤防訴訟で計画見直しを求める住民敗訴の判決を出しました。
スーパー堤防は事業仕分けで廃止になったものの、江戸川区は単独事業として存続。安倍政権になって再度推進機運が高まり、今年5月、国と江戸川区は堤防建設と区画整理事業を進める基本協定を締結。今後、巨額の予算が投入されることでしょう。
当初の計画対象は利根川、江戸川、荒川、多摩川、淀川、大和川の6河川、約873キロ。現在は、首都圏、近畿圏の約120キロに縮小されたものの、再び拡大されるでしょう。
介護サービスの切り下げ反対、負担増は嫌、軽自動車税増税反対、そういう声の一方で、国民は、出産・育児・教育支援策を後退させ、道路や巨大な施設を造り続ける政府を選択。「因果は車の輪の如し」という格言とともに、「ウロボロスの輪」を思い出しました。
「ウロボロス」は古代ギリシャ語で「尾を飲み込む蛇(竜)」の意味。自分の尾を噛んで「輪」となった蛇または竜を図案化したものです。始まりも終わりもない「完全な物」という含意とともに「悪循環」という捉え方もあります。
いろいろな世代、様々な産業、多様な政策の集合体としての社会や国家。財源不足の一方で、不必要なこと、不合理なことに財源を投入し、他の疲弊を看過することは「悪循環」としての「ウロボロスの輪」。
「A chain is no stronger than its(the)weakest link」(鎖は一番弱い輪よりは強くはならない)。「The strength of the chain is in the weakest link」(鎖の強さは一番弱い輪で決まる)」。
未来世代、若年世代、現役世代、高齢世代の「輪」で成り立つ社会。どこが疲弊しても、一番弱い「輪」に引きずられます。それぞれを少しでも強くするために、不必要なこと、不合理なことに財源を投入する余裕はありません。
(了)