明日から国会が始まります。当然、経済が焦点のひとつ。経済のメカニズムは輻輳(ふくそう)しており、マクロ経済政策、産業政策、労働政策、社会保障政策等が相互に密接に関係しています。それらを論理的に紐解くべく、理詰めの国会論戦に努めます。
春闘本番を前に、久しぶりに「ベア」という単語が飛び交っています。中高年には馴染みのある「ベア」という単語、若い世代にはピンとこない人も少なくないでしょう。
「ベア」を理解するには、人事と賃金の仕組みを知らなければなりません。賃金の構成は企業によって様々ですが、一般的には「基本給」がその骨格部分です。
「ベア」は「ベースアップ(Base Up)」の略。「ベア」とは、文字通り「基本給(ベース)」を「引き上げる(アップ)」の意味。
「和製英語」であり、「基本給」という仕組みが普及してない欧米諸国には存在しない概念です。
新聞やニュースで時々「ベア」と「定期昇給(定昇)」を混同している報道がありますが、「ベア」と「定昇」は別物です。
人事・賃金制度は「資格」と「年齢」で構成されているのが一般的。ここでは仮称「事務2級」の「25歳」のAさんを想定します。
「事務2級・25歳」のAさんの昨年度(2013年度)の「基本給」が20万円とします。
この20万円が今年度(2014年度)20.5万円に上がったとすると、今年度の「ベア」は上昇分の0.5万円を20万円で除した0.025。つまり2.5%となります。
一方、昨年度(2013年度)の「事務2級・26歳」の「基本給」が20.2万円とすると、今年度の「ベア」がなくてもAさんは「事務2級・26歳」になるので、昨年度比0.2万円の賃上げ。これを「定昇」と言います。
今年度の「事務2級・26歳」の「基本給」が20.705万円に上がると、昨年度の20.2万円と20.705万円の差額は0.505万円。
この0.505万円を20.2万円で除すると0.025。つまり、「事務2級・26歳」の「ベア」も「事務2級・25歳」の「ベア」と同じ2.5%になります。
さて、今年度の労使交渉が合意に達し、上記の内容で妥結したとします。Aさんの給料は20.705万円。昨年度(20万円)との差額は0.705万円。これが「賃上額」です。
この「賃上額」は「ベア」と「定昇」の両方の効果で構成されています。
昨年度の「基本給」は「事務2級・25歳」が20万円、「事務2級・26歳」が20.2万円。今年度は、それぞれ20.5万円と20.705万円。
Aさんの給料は昨年度の賃金構造のままなら「定昇」によって20.2万円にとどまるところが、「ベア」によって20.705万円まで上昇。その差額0.505万円は「事務2級・26歳」の「基本給」の「ベア」が2.5%になったことの効果です。
「ベア」と「定昇」のほかに、資格が上がる「昇格」の場合は、その昇給分も加味されます。自社の人事と賃金の仕組みがわかっていないと、昇給があっても「ベア」「定昇」「昇格」の内訳を認識することはできません。
さて、皆さんの会社はいかがでしょうか。自社の人事・賃金制度はどのような考え方で構築されているのでしょうか。
それを話し合うのが春闘であり、労使交渉です。企業は人(社員)で成り立っています。その社員を動かす仕組みが人事と賃金。
人事と賃金の仕組み如何によって社員の動きが決まるということは、企業の盛衰も左右されるということです。
1980年代までは「ストライキ」が頻繁に行われていました。「ストライキ」で交通機関が動かず、高校が休校になったり、遅刻免除。結構喜んでいたのを記憶しています。
英語の「strike」には「取り外す」「引き払う」「降ろす」という意味があり、「strike sail」で「帆を降ろす」。
「ストライキ」の語源は、待遇に不満のあるアイルランド人水夫たちが帆を降ろして船主に抗議したことに由来します。
「ストライキ」は日本語訳で「同盟罷業」「同盟罷工」。「罷(ひ)」は訓読みで「やめる」。つまり「同盟罷業」「同盟罷工」は抗議の意思表示として仕事を「サボる」という意味です。
この「サボる」にも語源があります。フランス人労働者たちが履いている木靴(sabo)を機械に投げ込んで壊し、仕事を停滞させて抗議の意思表示。ここから「サボタージュ」「サボる」という言葉が生まれました。
因みに仕事や交渉を拒絶する「ボイコット」の語源は、やはりアイルランド人。農民たちが英国人農園主のボイコット(Boycott)氏を無視したことに由来します。
最近では「ストライキ」もめっきり少なくなりました。たしかに「ストライキ」で操業が停滞すれば、どんな企業でも顧客に迷惑をかけます。
顧客を失って経営が悪化して困るのは社員自身。一方、社員がいなければ企業が成り立たないのも事実。だからこそ、企業と社員は運命共同体。労使が胸襟を開き、信頼関係を築くことこそが双方にとって「ウィンウィン(WinWin)」の関係です。
1990年代になると「ストライキ」も少なくなりました。バブル崩壊による不況と労働需給緩和、新興国台頭による国際競争激化、デフレによる実質賃上げ効果。
いくつかの要因が相俟って、「ストライキ」のみならず「ベア」という概念も徐々に希薄化。若い世代には馴染みの薄い状況となりました。
そもそも「ベア」に期待された制度的機能は2つ。ひとつはインフレに対する生活水準(実質賃金水準)維持機能。つまり、毎年の物価上昇分を「ベア」でカバーしないと、インフレ下では実質賃下げになるからです。
もうひとつは、生産性向上に対する調整機能。戦後から1980年代までは生産性向上が持続していたことから、「ベア」でその点をどの程度評価するかが毎年の春闘の論点。
さて、2%のインフレを目指している政府・日銀。その観点からは「ベア」復活は当然の帰結。生活水準維持のために適切な「ベア」を行わなければ、結局消費が減退し、景気後退、企業収益悪化の悪循環。
インフレ実現(デフレ脱却)のための政策手段として「異次元金融緩和」を強行している政府・日銀。だからこそ、円安が進み、輸出企業の業績改善、株価上昇につながっています。
円安に伴う輸入物価上昇を背景に、既に家計は食料品やガソリン価格を通じて生活への影響を実感。4月からの消費税率引上げも体感物価を引き上げます。
政府・日銀が2%のインフレを目指し、それに加えて消費税率引上げ。そうであるならば、「ベア」の目標は「2%プラスアルファ」が当然と思えますが、実際の動きはやや抑制的な感じです。
株・為替・債券等の市場(マーケット)用語に「ベア」「ブル」という表現があります。この「ベア」は「Bear(熊)」、「ブル」は「Bull(雄牛)」を指します。
「ベア」は「弱気」。熊が前足を振り下ろす動作や背中を丸めて歩く姿から、相場が下落している「弱気」な状況を表す言葉として使われています。
一方、「ブル」は「強気」。雄牛が角を下から上へ突き上げる動作から相場の上昇をイメージし、「強気」な状況を表します。
今年の春闘。政府・日銀の経済政策を反映して当然「ブル」な「ベア」を追求すべきですが、物価上昇率よりも低水準にとどまる可能性もあります。それでは実質賃下げであり、「ベア」な「ベア」。今後の展開に注目です。
書いているうちに「ベア」づくしになってきましたので、この際、さらにもうひとつ「ベア」に引っかけます。
この「ベア」は「bare」。「むき出しの」「裸の」「ありのあままの」という意味で、例えば「ベアショルダー」と言えば、両肩を出したデザインのドレスを指します。
もともと「ベースアップ」の「ベア」には2つの制度的機能があることは上述のとおり。インフレと生産性向上への対応です。
インフレ対策(及び消費税対策)としては「ブル」な「ベア」を追求しつつも、生産性向上の観点からは冷静な議論も必要でしょう。
なぜなら、過去1年間の経済状況が、異次元金融緩和、円安、輸出企業好調、株価上昇という循環から生み出されているということは、その間の生産性向上とは直接の因果関係が明らかではないからです。
賃金には、生活給、能力給、業績給という3つの側面があります。インフレ対応という意味で生活給への配慮は必要です。また、現に企業業績が上がっているならば、業績給としての配分もあって然るべき。
もうひとつの能力給としての側面は、それぞれの企業でよく議論することが必要です。
生産性にも、資本生産性、労働生産性、全要素生産性という3つの側面があります。資本生産性は資本(機械、設備等)1単位の生産価値。労働生産性は労働力(単位時間当たりの投入労働)1単位の生産価値。
そして、全要素生産性は資本生産性と労働生産性で説明がつかない部分。IT化、意思疎通の改善、職場環境の改善等、技術革新やマネジメントの巧拙にも影響されます。
生産性の動向、その内訳要因(3つの生産性)に関して、冷静かつ客観的な検討が必要です。
加えて、チェックを忘れてはならない3つのデータ。それは、損益分岐点、労働分配率、物価上昇率。
極めて大雑把に整理すると、1980年代までは、恒常的なインフレ、生産性向上及び企業業績を反映して労働分配率上昇。また、企業経営の非効率化もあって損益分岐点も上昇。
バブル崩壊後の1990年代以降、長引く不景気とデフレの下で、企業は社員をコスト要因と見なし、成果主義、能力主義に傾注。しかし、企業業績の低迷を主因に、それでも損益分岐点と労働分配率は上昇。
2000年代前半以降、企業努力が徐々に奏功。その一方、内部留保積み上げ、人件費削減が続き、損益分岐点と労働分配率が低下。そして、今日に至っています。
一方、足許の物価動向。消費者物価よりも企業物価の上昇率の方が早く、賃上げと企業業績好転のタイムラグには要注意。
損益分岐点、労働分配率、物価上昇率に関する上述の整理は、あくまで全産業ベースの大雑把な傾向。各企業が、自社のデータを労使双方で整理分析、共有することが必要です。
最後に、企業にとっての3つのステークホルダー(利害関係者)。ひとつは株主。過去10数年、株主重視というよりも株主偏重の傾向が続いています。
もちろん、株主は重要です。しかし、長期保有株主はともかく、キャピタルゲイン狙いの短期売買株主は、中長期的な企業経営や業績には何も貢献していないと言えます。
もうひとつは顧客(取引先・仕入先も含む全ての顧客)。当然、顧客がいなければ企業経営は成り立ちません。
そして、3つめは社員。企業が社員をコスト要因と考えるか、一緒に利益を生み出すパートナーと考えるか。そこが問われます。
社員のみならず、取引先(下請け企業)も単なるコスト要因と見なし、利益至上主義、株主偏重の経営を行ってきた事例は多々あります。そろそろ、そうした経営姿勢のバランス調整が必要です。
賃金や経営、経済政策について議論が盛り上がってきたこの局面、「ベア」な(ありのままの、本音の)議論が必要でしょう。
「生活給、能力給、業績給」、「資本生産性、労働生産性、全要素生産性」、「損益分岐点、労働分配率、物価上昇率」、「株主、顧客、社員」の4つの「3つ」について、客観的なデータに基づいた「ベア」な議論を期待します。
(了)