ゴールデンウィーク明け、株価が下落。先行きは予断を許しませんが、異次元緩和の影響が、良きにつけ、悪しきにつけ、出ているということでしょう。最近話題のビットコインも同じです。読者からビットコインに関するメルマガを読みたいとのご希望がありましたので、今回の話題はビットコインです。
2月末にビットコイン取引所「マウントゴックス」が経営破綻したことにより、ビットコインが一躍注目を浴びました。
「ビットコインって、何」という方も多いと思いますが、「今さら聞けない」という雰囲気も漂い始めている今日この頃。
ご安心ください。実は「ビットコインとは斯々然々(かくかくしかじか)」と、その実態と定義を明確に説明できる状況ではなく、まだまだキャッチアップが可能です。
そもそも、ビットコインとは通貨なのか、商品(資産)なのか。それすら定義ができません。だからこそ問題になっているのです。
ビットコインとは、ナカモト・サトシ(中本哲史)という人物によって書かれた論文の内容に基づいて、2009年に構築・運用開始された電子的システム。因みに、中本氏の素性は不明です(独白「僕の親友にも謎の天才・中本某氏がおり、その彼かと思いました」)。
ここまで読んで既に理解不能に陥っている皆さん、もう少し我慢して読み進んでください。後半では通貨の歴史や異次元緩和との関係にも言及しますので、多少はご参考になると思います(笑)。
僕自身も正しく解説し切る自信はありませんが、あえて共通認識を得るべく、少々わかり易くデフォルメして(形を変えて)話を進めます。
ビットコインとは「複雑な暗号(または計算式)」です。その暗号を解くと、ビットコインというご褒美を手にすることができます。
喩えて言えば、頑丈な鍵で施錠された玉手箱があり、その中には石が入っています。その鍵を開けた人は、中の石を自分のものにすることができるルールになっています。
鍵を開けたいと思う人たちは、苦労して開けたからには、中にある石には価値があると信じ合っています。
興味のない人たちにとっては二束三文の壺も、コレクターにとっては高価な芸術品であるのと似ています。「信ずる者は救われる」ということでしょうか。
その鍵こそが「複雑な暗号」であり、鍵を開けた結果として手にする石がビットコインと呼ばれています。あるいは「複雑な暗号」を解く行為自体がビットコインと呼ばれていると言ってもよいでしょう。
正体不明の中本氏の論文は、この「複雑な暗号」の仕組みや、こうした取り決めで石を獲得する「ゲームのルール」を定義している提案書とも言えます。
さて、ビットコインは鍵を開けた人、つまり暗号を解いた人が獲得しますので、その人は「無から有を得る」ことになります。そんなウマイ話があるのでしょうか。
暗号を解く人たちのことは採掘者(マイナー)と呼ばれています。そして、暗号が解かれた事実はブロックチェイン(Blockchain)と命名されたネットワーク上の台帳に記録されます。
ビットコインを使ってネットワーク上で何かを売買した取引も、全てブロックチェインに記録されるそうです。
ネットワークの運営者やマイナーには、ブロックチェインが読めるようになっていることから、ビットコインがどのぐらい誕生し(採掘され、つまり製造され)、これまでどのような取引に利用され、現在どのぐらいの価値を有しているかを知ることができます。
あるマイナーによれば、既に採掘・流通しているビットコインは約1500万枚、時価総額で100億ドル(約1兆円、つまり1ビットコイン約666ドル)とのことです。
何だかわかったような、わからないような話ですが、さて、このビットコイン、通貨でしょうか、商品(資産)でしょうか。
そのヒントを得るためには、「そもそも通貨とは何か」ということについて深く考えなくてはなりません。
その昔、人間社会に通貨は存在せず、物々交換の世界。やがて、貝殻、石、家畜などが物々交換を仲介する原始通貨の機能を持ったことはご承知のとおりです。
その後、紀元前の中国やローマで原始通貨に代わる貨幣(硬貨)が登場。古代日本でも、中国を模倣して朝廷が貨幣を鋳造し、発行。
主に銅を材料とする円形で四角い穴のある貨幣。銭(ゼニ)と呼ばれ、よく知られる「和同開珎」などの文字が刻印されたものです。
10世紀頃、朝廷による銭発行は途絶。古代銭の終焉です。銭が再登場するのは平安末期、12世紀以降。しかも日本製ではなく、北宋などの輸入銭。宋銭は支配階級(貴族や武士)を中心に普及。とりわけ、平清盛が宋銭の輸入、普及に腐心しました。
その後、中国で銭使用が禁止され、紙幣が登場したこともあり、日本の輸入銭が増加。16世紀までの間、輸入銭とともに、米・塩・豆・麦などのモノも通貨として併用されていました。
1560年代、天下統一を目指す織田信長は楽市楽座などの経済流通革命も引き起こし、銭需要が急増。輸入銭不足と銭需要急増に対応して「無文銭」と呼ばれる国産銭が生産され、急速に普及。
1570年代になると、「鐚(ビタ)」と呼ばれる銭が普及。「ビタ一文持っていない」という表現はこの「鐚」に由来します。
江戸幕府は開幕早々「鐚」を基準銭として採用。寛永通宝発行時(1636年)に「鐚1枚は寛永通宝1枚」と定めました。
戦国時代末期から江戸時代初期にかけて貨幣が普及する一方、中国に遅れること約600年、日本にも紙幣が登場します。
現存する最古の紙幣は、1623年に伊勢国山田の商人が発行した山田羽書。藩札に先行して登場した私札です。そして、17世紀半ば以降、各藩が財政難対策として藩札の発行を開始。
「札」の発行元は様々です。特定の事業資金調達のために幕府も発行しましたが、旗本、御三卿(藩ではなく個人)、奉行所、代官所、有力武士(藩家老等)、宮家・公家、寺社、町村、宿場(宿駅)、鉱山経営者、商家、豪農なども発行。「札」は発行者が償還、つまり貨幣との兌換を約束した約束手形と言えます。
明治になり、大蔵省が政府紙幣を発行。一方、1873年の国立銀行条例によって153の国立銀行が開業し、それぞれ銀行券を発行。当初は兌換券でしたが、やがて不換券に転換。
1882年、日本銀行法によって銀行券発行は日銀専管事項となり、政府紙幣と国立銀行券は回収。
1897年、貨幣法によって金本位制が採用されたものの、1932年の金輸出禁止に伴って金兌換も停止され、管理通貨制度に移行。戦後もその体制が継続され、現在に至っています。
戦後の世界経済は基軸通貨ドルが金兌換を保証することで秩序を維持していましたが、1971年、米国はドルの金兌換を停止(ニクソンショック)。世界全体が国家の信用のみを裏付けとする管理通貨体制に移行しました。
そして、1980年代には、早くも電子マネー開発の動きが始まり、様々なイノベーションを経て、現在のビットコイン騒動に至っています。通貨を巡る歴史は現在進行形で動いています。
ところで、政府紙幣と中央銀行券(日銀券)は、本来は本質的に異なるもの。政府紙幣の裏付けは政府の信用のみ。発行額は政府の負債にならず、政府も支払準備(金等の資産)を要しない不換紙幣です。
一方、中央銀行券の裏付けも中央銀行の信用ながら、中央銀行保有の金融資産が担保であり、発行額は中央銀行の負債に計上されます。
1930年代の管理通貨制移行後、当時の政府発行の国債を日銀が直接引受けたことで、裏付けのない(裏付けを上回る)日銀券が大量発行され、悪性インフレになりました。
こうした経験から、国債の直接引受けは政府紙幣発行と変わりないという認識の下、戦後の財政法(第5条)によって日銀による国債直接引受けが禁止されました。
1942年の旧日銀法により、日銀券の発行限度額は金地金、国債、手形などによる発行保証が上限となっていましたが、1998年の新日銀法によって上限は撤廃。日銀券の発行総量は日銀の裁量に一任されました。
とは言え、2001年の量的緩和実施に伴い、日銀の国債保有残高は日銀券発行残高を超えてはならないとする「日銀券ルール」が明文化され、過剰流動性に歯止めをかけてきましたが、昨年4月の異次元緩和スタートに伴い、そのルールも一時停止されています。
さて、こうした経緯の中で登場したビットコイン。1枚当たりの価値高騰も「マウントゴックス」が破綻したのも、局地的バブルの崩壊のように思えます。
ビットコインはインターネット上で扱われる電子的システムであることから、広義の電子マネーに分類されるかもしれません。
しかし、本来の電子マネーは、電子マネーそのものの価値が高騰するとか下落するということはありません。何だか少し違うような気がします。
各国通貨も、交換レート(為替相場)が変動するという意味で価値が変わります。そういう観点から言えば、ビットコインの価値が変動するのは通貨(円やドル)との交換レートが変動しているということかもしれません。では、ビットコインは通貨でしょうか。
政府紙幣や異次元緩和下の日銀券(発行限度がない日銀券)も裏付けがないので、その点はビットコインも同じ。しかし、ビットコインは発行体が政府や中央銀行ではないので、今日的な意味では通貨ではありません。
商品券、ポイント、タクシー券、ギフト券の類いも、今や膨大な発行量になっており、しかも発行体は政府でも中央銀行でもありません。
しかし、発行体が誰であるかは明確であり、商品券等の価値も発行体が保証します。一方、ビットコインは発行体が存在せず、その価値を保証する主体もありません。
ローカルマネー(地域通貨)は特定の商店街・地域・関係者間等で通用する商品券に近い存在。そういう意味では、ビットコインはそれを信望する参加者間だけで通用するローカルマネー。しかし、それそのものの価値が変動するという意味では異なります。
ビットコインに対する需給で価値が変動するということは、貴金属や美術品のような資産的な面があります。一方、現実の貨幣や銭、あるいは原始通貨よりも効率的に決済に活用できるという意味では通貨的可能性も秘めています。
ところで、前出の僕の友人の中本氏によれば、ビットコインの暗号に必要なコードの発見が指数的に困難になっていくことから、言わば採掘可能な資源量(ビットコイン)は有限。その点で、ビットコインは鉱物や貴金属と似た特性を持っているそうです(なるほど)。
中本氏はそうした観点から、恣意的にいくらでも増やせる通貨より信用できるかもしれないと指摘しています。無節操にマネタリーベースを増やす中央銀行の代わりに、自然科学的な制約が歯止めになるということですね。
さて、経済学の教科書的に言えば、通貨の保有動機は取引動機、予備的動機、投機的動機の3つ。現時点ではビットコインは投機的動機が強いようですが、実態が明らかになり、取引や破綻時のルール等の信頼性、透明性が確保されれば、取引動機や予備的動機も増えるかもしれません。
いずれにしても、現在は投機的動機が強いということは、異次元緩和等のバブル的影響がビットコインという投機資産市場に現れていると認識せざるを得ません。
宋銭を普及させた平清盛。ビットコインと聞くと「平家物語」に登場する「鵺(ヌエ)」を思い出します。猿の顔、狸の胴体、虎の手足に蛇の尾を持つ「鵺」は、凶事の予兆と恐れられました。「マウントゴックス」の破綻が異次元緩和の凶事の予兆でないことを祈ります。
(了)