今回は経済問題をテーマにしたいと考えていましたが、時節柄、やはり集団的自衛権。7月15日の参議院予算委員会の質疑をTVで見ていただいた読者の皆さんから、質疑のポイントを解説してほしいとのご要望もありましたので、あしからず3回連続で集団的自衛権。過去の関連メルマガの内容も含め、これで今回の閣議決定に対する僕の考え方はほぼ整理されました。ご参考になれば幸いです。
今回のメルマガは直球です。故事やウィットなしのレポート。集団的自衛権行使容認という日本の安全保障や憲法の根幹に関わる問題ですので、是非お付き合いください。
集団的自衛権とは、日本が武力攻撃を受けていない場合でも、武力攻撃を受けている他国を支援するために、日本が武力行使できる権利のこと言います。
7月1日の閣議決定に関心を持ちつつ、全文を読んでいない人も多いと思います。実は「集団的自衛権」という言葉は7頁に1回登場するのみ。該当部分をご紹介します。
「我が国による『武力の行使』が国際法に準拠して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の『武力の行使』は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この『武力の行使』には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。」
さて、読者の皆さん、如何お感じでしょうか。結論的に言えば、今回の閣議決定は、集団的自衛権を「自国のための集団的自衛権」と「自国のためでない集団的自衛権」という2つの概念に区分するという国際法の常識には存在しない論理を駆使しています。
その証拠に、閣議決定では憲法の従来の考え方は堅守し、その枠内にとどまっているということを繰り返し主張。閣議決定後の記者会見でも、安倍首相は次のように述べています。
「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません」「日本国憲法が許すのは、あくまで我が国の存立を全うし、国民を守るための自衛の措置だけです」(原文ママ)。
つまり「今までと変わりない」という主張と「今までは行使できなかった集団的自衛権を行使できるようにした」という正反対の説明を共存させています。
その論理を成立させるためのレトリックが「自国のための集団的自衛権」と「自国のためでない集団的自衛権」という概念分けです。
あくまで「自国のための集団的自衛権」なので従来の自衛権の延長線上であり、故に「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません」となります。
国内的には「何ら変わりない」と説明する一方、対外的には「集団的自衛権を行使できるようにした」と使い分けています。
国際法的には集団的自衛権がそのように概念分けされることはなく、「自国のためでない集団的自衛権」も認められたと誤解される危険性があります。この点が、今回の閣議決定に反対し、「他国の戦争に巻き込まれるかもしれない」と懸念する人たちの主張も的を射ていると言える背景です。
上述のレトリックとは日本語で「修辞学」「美辞学」と言います。 辞書の解説には「実質を伴わない表現上だけの言葉。表現の巧みな言葉」と書かれており、「巧みなレトリックにごまかされる」という例文が出ていました。
従来の自衛権発動の3要件の第1は、「我が国に対する急迫不正の侵害があること」。この第1要件が次のように加筆変更されました。全文ご紹介します。
「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」。
17日の委員会で、「密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の部分の「武力攻撃」の定義について、首相、外相、防衛相に確認を求めました。
この「武力攻撃」は、武力攻撃事態法における「武力攻撃」「武力攻撃事態」「武力攻撃予測事態」の「武力攻撃」だけが該当するのか、他の2つも該当するのかという点です。
「武力攻撃事態」とは、「武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態」、「武力攻撃予測事態」とは「武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測される事態」と定義されています。
「密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の部分の「武力攻撃」が、仮に「武力攻撃事態」や「武力攻撃予測事態」まで該当すると考えると、密接な関係にある他国(例えば米国)が「武力攻撃を予測」した段階で日本が集団的自衛権を行使できることになり、米国の先制攻撃に参加することが論理的には可能になります。
首相、防衛相は、一応、武力攻撃事態法の「武力攻撃」の場合のみと答弁したような気がしますが、その場合でも懸念が残ります。
米国の先制攻撃に参加しなくても、米国が相手国から反撃(武力攻撃)を受けた場合には「密接な関係にある他国に対する武力攻撃」に該当し、その後日本が集団的自衛権を行使すれば、結果的に米国の先制攻撃を追認したことになります。
要するに、新たな第1要件の定義、考え方、運用如何によって、日本が「密接な関係にある他国」が行う先制攻撃に加担する危険性を否定できないということです。
また、16日の衆議院予算委員会では、首相が第1要件における「明白な危険」を判断する5つの基準を明らかにしました。
すなわち「攻撃国の意思、能力」「発生場所」「事態の規模、態様、推移」「日本に戦禍が及ぶ蓋然性」「日本国民の被害の深刻さ、重大さ」の5つ。
このうち「日本国民の被害の深刻さ、重大さ」の「日本国民」に自衛隊員が含まれるかどうかを聞いたところ、首相は秘書官から耳打ちされた後に「含まれる」と答弁。こんな大事な問題を秘書官から耳打ちされるようでは困ります。自分で考えていない証左。
それはともかく、「自衛隊員に及ぶ被害の深刻さ、重大さ」も集団的自衛権発動の際に考慮することが明らかになりました。当然です。
多くの議員が自衛隊員の犠牲を心配しています。とくに、今回の閣議決定で、自衛隊が活動可能な地域を従来の「非戦闘地域」から「非戦闘現場」というより広範な(危険な)概念に変更しており、そのことに伴う自衛隊員の負うリスク(死傷する危険)の拡大に対する説明が不十分。「日本国民」に自衛隊員が含まれるとの答弁は、極めて重要です。
さて、閣議決定の内容そのものに問題は山積していますが、手続的な重大な問題も指摘しておかなくてはなりません。それは、憲法解釈の変更を閣議決定で行ったことです。
内閣法第1条は「内閣は日本国憲法に定める職権を行う」、同第4条は「内閣は閣議によって職権を行う」と明記。つまり、憲法解釈の変更が閣議の「職権」に当たるか否かということです。
今回の決定は、憲法の根幹、日本国の根幹に関わる大方針転換。それが閣議の「職権」として行われるとは驚天動地。「国権の最高機関」は国会です。国会の議論が先であり、その後に、国会の議論を参考にして閣議決定を行うのが立憲主義。
「憲法、内閣法、閣議」という序列構造になっているにも関わらず、閣議で憲法の根幹を変えるというのでは、閣議が憲法の上位になってしまいます。
さらに今後、今回の閣議決定に基づき、日米ガイドライン(日米防衛協力指針)が改定され、その内容に基づいて関連する個別法が改定されます。
これでは「閣議、日米ガイドライン、個別法、憲法」という序列構造になり、憲法は後付け解釈をする極めて規範性の脆弱な存在に貶められます。困ったものです。
以上、大きな問題点を整理しましたが、以下、今回の閣議決定の論点(懸念点等)を列挙します。集団的自衛権に関する過去のメルマガ(Vol.295、298、313、314<ホームページでバックナンバーをご覧ください>)も参照していただければ幸甚です。
(1)「密接な関係にある国」の定義が曖昧。「条約関係は必ずしも必要ない」との答弁は撤回されたものの、引き続き、米国以外も対象にしていること。
(2)日本の「実質的利益の侵害」を前提としないことから、日本に直接的な影響が及ばない場合も対象にしていること。
(3)自衛権発動の新3要件は抽象的な表現(「明白な危険」等)であり、自衛隊が出動するケースが恣意的に弾力化される危険性があること。
(4)新3要件のキーワードである「他国への武力攻撃」の「武力攻撃」の中に「武力攻撃予測事態」も入るということであれば、政府が密接と判断する他国(例えば米国)が、自らへの武力攻撃を予測した段階で日本の自衛隊が出動する危険性を含んでいること。今回の答弁で「武力事態」に限定されたものの、引き続き、密接な他国による先制攻撃に加担する危険性が払拭されず、「専守防衛」を逸脱すること。
(5)今回の閣議決定は、国内向けには従来の憲法解釈の基本的考え方を変えるものではないと説明する一方、国際的には集団的自衛権の行使容認と説明しており、国民と外国に対して異なる説明をしていること。
(6)こうした複雑な法理を用いたことにより、今回の閣議決定は、いわゆる集団的自衛権を「自国のための集団的自衛権」と「自国のためではない集団的自衛権」という2つの概念に分ける結果となっている。政府はあくまで、そのうち前者の「自国のための集団的自衛権」を認めたに過ぎないという主張を行っているが、こうした分類は国際法的には存在していないため、諸外国からは、集団的自衛権を認めたということに端を発して「自国のためではない自衛権」つまり「他国のための集団的自衛権」の行使を求められる危険性があること。
(7)政府がホルムズ海峡等における機雷除去に関して行っている説明では、国際司法裁判所が明らかにした集団的自衛権行使要件である「他国への武力攻撃の事実」「支援の要請」のふたつを満たせない事態が生じることも想定され、集団的自衛権では説明できないケースが発生する危険性があること。
(8)以上の矛盾に対して、より整合的な法理としては、「自国のための集団的自衛権」という国際法的には存在しない概念を用いるよりは、例えば「集団的自衛権的な要素を含んだ個別的自衛権」という概念を検討することも一考に値する。従来の憲法解釈との整合性、及び諸外国に誤解を与え、「他国のための集団的自衛権」の行使を求められる危険性を排除する観点から、あくまで個別的自衛権の対応範囲、考え方を弾力化するという選択の方が、相対的に論理性が高く、歴代の政府が選択してきた対応との継続性も担保されること。
(9)以上のような法理的な隘路があるにもかかわらず、対外的に集団的自衛権の行使を認めたという説明に拘泥する政府の姿勢からは、結局のところ「他国のための集団的自衛権」行使へ道を開きたいという意思があるのではないかという懸念が払拭できないこと。
(10)最後に、このような国家の根幹に関わる事案、憲法の根幹に関わる事案を、一政権の閣議決定で先行して決めることは、内閣法に定める閣議の「職権」の範囲を逸脱しており、民主主義、立憲主義の観点から明らかな違法行為であること。
(了)