今回のテーマは経済。過去3回は集団的自衛権がテーマでしたので、久しぶりの経済ネタで筆も進みました。「アベノミクス」「異次元緩和」も1年以上が経過し、論点山積。興に乗って、何回読んでも難解な内容になったかもしれませんが(笑)、文中には南海事件も登場(「ナンカイ」はダジャレではありません)。最後までお付き合いください。
24日、財務省が貿易統計速報を発表。今年上半期(1月から6月)の貿易収支(輸出額マイナス輸入額)は7.5兆円の赤字。1979年以降、半期としては過去最悪。
6月単月でも8222億円の赤字。24か月連続赤字は過去最長。「円安なのに思ったほど輸出が伸びない。貿易収支もなかなか改善しない」という域を超えています。日本経済の構造が根本的に変質しつつあると考えるべきでしょう。
原発停止の影響で火力発電の燃料輸入が影響していることは事実。しかし、その状況が短期間に変わることは難しいうえ、それ以外の輸出入の動向も構造的に変わっています。
まず輸出。日本経済は、もはや円安でも輸出が増えない構造に変質。そのことを前提に今後の経済政策や産業政策を検討しなければなりません。
主因は言うまでもなく生産拠点の海外移転。自動車部品を例にとると、日系企業の現地工場が多い東南アジア諸国連合(ASEAN)向け部品輸出量は、昨年5月から14ヶ月連続前年割れ(6月は前年比22.3%減少)。円安基調となった中での輸出減少です。
円安で日本からの部品輸出が増えるかと言えば、当該部品の生産拠点が日本になければ、そうならないのは自明の理。生産拠点の国内回帰も簡単ではありません。
輸出用の部品や完成品を日本で生産しなければならない合理性はなく、人件費等が相対的に低い海外に拠点を移転するのは必然的。国内雇用の面では由々しき事態であり、それを「是」とするわけではありません。企業行動としては必然的という意味です。
次に輸入。上述の発電燃料輸入の影響は量ではなく価格。発電量そのものが変わらなければ、輸入量は今後も一定。問題は円安に伴う輸入価額の増嵩です。
その他の原燃料、農産物・食料品も輸入に依存している日本。円安が輸入価額増加につながることは自明の理。
さらに、自動車部品等も生産拠点海外移転の影響で逆輸入。携帯や家電など完成品も今や輸入品がベース。消費者の個人輸入拡大も輸入価額増加を加速させています。
輸出企業にとって円安に伴う円換算の業績好転効果はありました。しかし、今後も同程度の円安水準にとどまるのであれば、来年の企業業績は前年比では好転しません。輸入コスト増から業績が悪化するリスクもあります。
「Jカーブ効果」とは、自国通貨安によって最終的に貿易収支が好転するものの、通貨安になった直後は逆に貿易収支が悪化する現象を指します。
貿易収支における「Jカーブ効果」が弱まる結果、企業業績においては「逆Jカーブ効果」が顕現化するかもしれません。
本来の「逆Jカーブ効果」とは、自国通貨高になっても貿易収支がすぐには悪化せず、むしろ一時的には好転する現象のこと(つまり「Jカーブ効果」の反対語)。
例えば、円高でも輸出数量が減らず(あるいは円高前の約定分がデリバリーされるため)、ドル建て輸出価額がむしろ増加して貿易収支が好転する現象。
企業業績の「逆Jカーブ効果」とは、自国通貨安によって最初は輸出企業の業績が好転するものの、通貨安が定着すると逆に業績が悪化する現象です。
輸出量を増やすためには、諸外国が日本から輸入したいと思う新技術・新製品・新分野の開発・開拓が必要であり、それを目指すのが成長戦略。この点が不十分なのが「失われた20年」の主因。
成長戦略の先行きは暗雲が立ち込めています。成長戦略の一環として労働コスト削減を目指す労働法制が提起されるようでは、まるでわかっていない証左です。
28日の日経新聞3面「エコノフォーカス」という記事の見出しは「黒田日銀の物価観的中」「失業率改善で上昇しやすく」「人手不足も追い風に」。
日銀が、物価と失業率の相関関係を説明する「フィリップス曲線」を重視して「異次元緩和」を行った結果、所期の成果が得られたという論調です。
「フィリップス曲線」と聞いて「懐かしいなあ」と思った人は、1970年代、80年代に大学で経済学を学んだ世代。馴染みのない読者のために、ごくごく簡単にショート解説。
失業率が下がると(好景気になると)物価が上昇。失業率が上がると(不景気になると)物価が下落。この傾向をグラフに示したのが「フィリップス曲線」です。
1970年代、80年代はこの傾向が顕著。一方、「失われた20年」入りした90年代以降は相関が弱まり、物価が上昇しない、ないしは下落する傾向が継続。つまりデフレです。
今回の記事は、その「フィリップス曲線」が元の傾向に戻り、失業率低下で物価上昇率も日銀総裁が目指した方向になってきたという「提灯記事」です。
元の傾向に戻った原因として「アベノミクスをきっかけに期待インフレ率が上がったことが大きい」というエコノミストのコメントも紹介。
この記事と分析は、事実を客観的に伝えている面、時期尚早な評価を行っている面、本質を見落としている面、それぞれを含んでいます。
事実を客観的に伝えている面は、黒田総裁就任後の物価上昇率や失業率の動きについてです。これはデータの話なので、まさしく事実。
一方、時期尚早な評価を行っている面は、そうしたデータの見方。とくに「フィリップス曲線」の傾きが元に戻ったという分析。1年間のデータで「フィリップス曲線」の傾向を断定するのは統計学的に無理があります。
最後の本質を見落としている面。それは、デフレや好景気の本質についてです。
デフレが問題視されてきた本質的な点は、物価水準が上昇しない、ないしは下落するという「数値」そのものではなく、所得や生活が向上しない、先行きが不安だと感じる国民の「心理」にあります。
国民が好景気と感じる本質的な点は、企業業績やGDP(国内総生産)が好転するという「数値」そのものではなく、所得や生活が向上する、先行きが明るいと思える「心理」です。
記事中のエコノミストのコメント「アベノミクスをきっかけに期待インフレ率が上がったことが大きい」というのはある意味当たり前。首相と日銀総裁が「インフレにする」と公約しているのですから「期待インフレ率が上がる」のは当然。
ここで「期待インフレ率」の「期待」という用語に要注意。英語の「expectation」の訳ですが、本来の意味は単なる「予測」。日本語の「期待」の語感には「良くなる」という価値観が混在しており、ミスリードです。
「インフレ期待」によって「心理」までが好転しているのか否か。そういう人や企業もいる一方、そうではない人や企業も少なくありません。
相対的貧困率が先進国の中で最も高く、年収200万円以下の人が1000万人もいる状況では、本質的な意味でのデフレ「心理」が改善しているとは言えません。
日銀総裁は23日の講演で「成長率が上昇しないからといって、物価安定目標の達成は困難にならない」と発言。
新聞は「仮に成長率が低くても、脱デフレに向け物価の安定的な上昇を目指す考えを強調」と解説していましたが、これは「低成長下のインフレ」「不況下のインフレ」ということ。逆説的ですが、これでは「デフレ」心理は改善しません。
したがって、同じ講演の中で日銀総裁は「政府による成長戦略の着実な実行に強く期待」とも発言。「低成長下のインフレ」を懸念しての発言でしょうが、当然です。
最近、提灯系のメディアやエコノミストが成長阻害要因として画一的に指摘しているのが深刻化する人手不足問題。生産が追い付かない事態を想定した論調です。
しかし、問題の本質は人手ではなく賃金。国民の所得水準を上げなければ、「数値」としてのデフレを脱却しても「デフレ」心理は払拭されません。「低成長下のインフレ」が現実化し、実質所得の減少、さらなる「低成長下のインフレ」という悪循環に陥ります。
このメルマガでは、かつて「日銀アンカー論」を展開していました。「一物一価」の経済原則からすれば、先進国の中で日本がゼロ金利(その背景としての超金融緩和)を続けていると、他の主要国の金利もゼロに収斂するという考え方。つまり、日本が「碇(いかり)=アンカー」役を果たすという予測でした。
「日銀アンカー論」と同時期に主張していたのが、デフレは「原因」ではなく「結果」ではないかという「デフレ結果論」。
そもそも、金利と物価上昇率の間には「実質金利=名目金利マイナス物価上昇率」(実質金利は名目金利から物価上昇率を控除)という関係が成り立ちます。
仮に名目金利ゼロの下で物価上昇率がプラス(つまりインフレ)であれば、実質金利はマイナス。つまり、お金を借りた方が利息を受け取るという不条理な状態。
こうした「経済の摂理」に反する状態が解消されるためには、物価上昇率がマイナス(デフレ)になることが必然。実質金利はプラスとなり、「経済の摂理」が維持されます。
日銀による「異次元緩和」は、ゼロ金利を続け、そのうえで物価上昇率をプラスにするという「経済の摂理」に反する状態を政策的に実現しようとするものです。
それが実現すれば、誰もが汗水流して真面目に働くより、お金を借りて何かの資産に運用し、あとは「果報(インフレ)は寝て待て」。本当にそんなことがあるのでしょうか。
「バブルは崩壊してみないと、バブルかどうか分からない」。グリーンスパン元FRB(米連邦準備理事会)議長の有名な言葉です。
「経済の摂理」に反する状態は、何か歪(いびつ)な事態を招く蓋然性が高いでしょう。バブルとは断定しませんが、「歪なことは崩壊してみないと、歪かどうかはわからない」。
周知のように、歴史上最初のバブルは17世紀オランダでチューリップの球根が暴騰した事件。球根1個が家1軒分、労働者の年収の10倍に暴騰。1637年2月4日、球根取引所に突如売りが殺到し、球根価格は暴落。バブルは破裂しました。
バブルという表現の起源は英国の南海(サウス・シー)会社(1711年設立)事件。南米海岸地帯の貿易独占権を英国政府から得た同社は、その見返りに英国債を引き受け。スペイン継承を巡ってフランスと戦争していた英国政府にとっても「渡りに船」。
1720年、将来性を期待された同社株は10倍以上に暴騰。それに刺激されて多数の泡沫(バブル)会社が設立され、株式取引が大ブームになりました。
しかし、同社は南米海岸地域との事業や取引とはほとんど関係なく、利益も上げていないことが判明。株価は大暴落してバブルは終焉。
その後も世界のどこかでバブルは断続的に発生し、そして崩壊。もちろん一番有名なのは1924年10月24日、ニューヨーク株式市場を襲った「暗黒の木曜日」。米国株価は89%下落、失業率は25%となり、世界恐慌に至ります。
「心配し過ぎ」という人もいるでしょう。しかし、「経済の摂理」に反する状態を政策的に目指していることは紛れもない事実。
前例のない金融緩和を続けても「低成長下のインフレ」にしかならなければ、あり余るマネーは何をもたらすのか。重要な政策的論点です。
24日の「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」の閣議決定を受けた来年度予算概算要求基準では「歳出上限」を示さないそうです。
消費税率の10%への引き上げ可否を今秋に判断するため、税収見通しを立てないためというのが表向きの理由。実態は歳出拡大圧力の影響であり、しかも財源を国債で賄い、その国債を日銀が「異次元緩和」「デフレ脱却」を目指して大量購入するという構図。
結局、1990年代までの「日本のお家芸」であった「財政拡大」と「金融緩和」への安易な依存を従来以上の規模で行っているにすぎないという様相が強まっています。
「果報(インフレ)は寝て待て」などという旨い話はありません。そもそも「果報」は仏教用語。前世の行いの結果として現世で受ける報い。
転じて、人事を尽くした後は気長に良い知らせを待つしかないという含意。「果報は寝て待て」とは、怠けていればよいという意味ではありません。
「経済の摂理」は偉大です。「摂理」とは万物に及ぶ法則(providence)。キリスト教の「全ては神の配慮によって起きる」ことを示す神意(providence)が語源。
「失われた20年」の構造的原因である「日本のお家芸」に頼ることなく、汗水流して真面目に働く者が報いられる社会こそが「摂理」。
自社の関連する既得権益に拘泥し、それ以外の権益改革は声高に叫び、「摂理」に反する経済政策や労働政策を求める。政府の提灯行列に参加している財界人にそんな人がいないことを祈ります。合掌。
(了)