台風、豪雨で被害に遭われた皆様に心からお見舞いを申し上げますとともに、広島での土砂崩れについても、一刻も早く救助、救援が進むことを祈念申し上げます。早く臨時国会を開催し、復旧対策を議論しなければなりません。さて、以下冒頭に「美人投票」という単語が登場しますが、経済の話ですのでご理解ください。
日本銀行による異次元緩和が始まって1年半。閉会中のこの時期を活用し、関連指標を眺めながら異次元緩和の効果と実情について熟考しています。
円安を主因とした株価の上昇率は約50%。経済政策は結果が全てですから、その客観的事実は評価すべきです。
異次元緩和に起因する円安、株価上昇は、円ベースの輸出価額増大、企業の保有株式価値の増大等を通じ、企業業績改善に寄与しました。
この間、株式市場の売買シェアを改めてチェックしてみると、個人投資家の割合が顕著に拡大。
一昨年末の解散総選挙が党首討論で約束されたのは11月14日。総選挙による勝利、首相返り咲きが確実視された安倍首相の唱える大規模な金融緩和論に反応し、株価は上昇し始めました。
その直前の10月の個人投資家の売買シェアは16.4%。黒田日銀総裁誕生直後の昨年5月は32.1%。約半年でほぼ倍増。以後も概ね20%台後半をキープ。
個人投資家主導で実現した株価上昇。もっとも、昨年来のメルマガで何度か指摘しているとおり、1989年のバブル崩壊以降の長期下落傾向を脱していない点は少々気になります。
つまり、日経平均は1989年末の38,916円をピークに、以後4回の循環を記録。それぞれのピークは1991年の27,146円、1996年の22,666円、2000年の20,833円、2007年の18,261円。詳細はメルマガ290号(昨年6月28日号)等をご一読ください。
そして今日の終値は15,454円。異次元緩和で長期下落傾向を脱することが可能か否か。過去とは比較にならない超金融緩和を行い、年金資金を湯水のように株式市場に投入しているわけですから、気になります。
ふと思い出したのが「美人投票」。急に何を言い出すんだと思わないでください。現実のミスコンではなく、ケインズの「美人投票」。経済学の用語です。
高名なケインズ博士。その名著「雇用・利子および貨幣の一般理論」(蛇足ですが、僕の学部時代の卒論のテーマ)の第12章第5節で、投資家の行動パターンを説明する喩え話として「美人投票」が登場します。
最も投票数の多い女性に投票した人は賞品を獲得。さて、誰に投票するでしょうか。結論を言えば、自分が美人と思う人に投票するのではなく、最多票になるだろうと思う女性に投票するということ。
株式市場では、経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)を分析して株を購入するのではなく、多くの人が購入すると予想するから自分も購入するという投資行動に喩えられます。
昨年来の株価上昇。ここまでは、円安に伴う輸出価額や保有株式の評価増を想定した「美人投票」。ここから先、バブル崩壊後の長期下落傾向を脱することができるか否かは、経済成長の実態が伴うか否かにかかっています。
そのようなことを熟々(つらつら)と考えていたところ、昨日(8月19日)の日経新聞朝刊2面の記事の見出しは「ベア反映、賃金増の波、正社員にも」「基本給、3ヵ月連続増」「パート並み伸びに」。
「いよいよ個人や家計にも好循環」と思いたいところですが、ちょうど「マイキン統計」を見ていた直後。「ほんとかなぁ」というのが率直な感想です。
「マイキン統計」とは「毎月勤労統計」の略。雇用や賃金の状況を知るうえで重要な統計です。
昨年4月の日銀による異次元緩和開始以来、名目賃金の前年比はプラスが8回、マイナスが7回とほぼ拮抗していますが、最近4ヵ月は連続してプラスですから良い兆候。但し、プラス0.5%前後の僅かな上昇です。
一方、実質賃金の前年比をみると様相は一変。昨年4月から6月まではプラスでしたが、以後12ヵ月連続してマイナス。直近の2ヵ月は連続してマイナス3.8%。過去数年に例のない落ち込みです。
原因は言うまでもなく物価上昇。名目賃金が僅かに上昇しているものの、消費者物価指数(CPI)が前年比プラス4%近くに達しているため、実質賃金が低下しているのです。
この名目賃金、実質賃金統計の対象事業所は従業員5人以上。かなりの小規模事業所までカバーしているので、信頼できる統計です。日経新聞の記事はミスリードと言えます。
その一方、失業率は3%台に低下し、最近のマスコミは「完全雇用状態」という表現もよく使います。雇用が売り手市場になれば、賃金は上昇するのが市場原理。何だか少し変ですねぇ。
そこで、次に思い出したのが「貨幣錯覚」。これも経済学の用語です。これまた高名なフィッシャー博士が初めて使いました。
例えば、10%のインフレ下で企業が名目賃金を5%引き上げ。実質賃金は5%低下となりますが、労働者は名目賃金の上昇を見て、労働供給を増やします。こういう状況を「労働者は貨幣錯覚に陥っている」と表現します。
逆に1%のデフレ下で、給料が200万円から199万円に減額(0.5%引き下げ)。実質賃金は0.5%上昇となりますが、労働者は名目賃金を見て、労働供給を減らし、買い物も手控えます。この時も、労働者は「貨幣錯覚」に陥っています。
ひょっとして、現在は上記のインフレの事例と同様の現象が起きているのではないでしょうか。
名目賃金の僅かな上昇に影響され、あるいは好況及び賃金上昇を伝える報道等の影響から、就労する人が増加。企業は、実質賃金が下がっているので雇用を増加。その結果の失業率低下。
また、失業率低下は労働人口減少(団塊世代リタイアと少子化の複合要因)も影響しており、旧来的な概念で完全雇用状態と評価することは適当ではないでしょう。
「美人投票」「貨幣錯覚」の次に頭を過(よ)ぎった用語は「財政ファイナンス」。この用語は誰が最初に使い始めたのか定かでありません。
異次元緩和の金融政策上の目的がデフレ脱却及び経済成長であるとしても、事実上の「財政ファイナンス」を行っていることは否定し難いでしょう。
「財政ファイナンス」とは、要するに中央銀行が国債を引き受けたり、大量購入すること。政府の資金繰りを助けるという意味です。
「財政ファイナンス」は往々にして政府の借金が膨大で首が回らない時に起きる現象。結果的にインフレを起こし、政府の借金の実質価値を下げる(事実上減債する)ことなので、「財政インフレ」「マネタイゼーション(国債の貨幣化)」とも言います。
インフレにして政府債務を事実上減債する一方、インフレによって国民の保有資産の実質価値は目減り。政府の減債を国民の財産価値目減りで実現させることから「インフレ課税」とも呼ばれます。メルマガ306号(今年2月26日)では「金融抑圧」という用語もご紹介しましたが、これも類語です。
中央銀行が政府の資金繰りを助けるのは悪いことではないという意見の人もいるでしょう。ここは賛否両論、分かれるところです。
現状、日銀による国債購入はますます加速。春先まではメガバンク等の国債売却と日銀の国債購入が釣り合っていましたが、メガバンクは金利上昇に備えた保有国債圧縮を既に完了。最近では売却量が減少し、新発10年債の半分以上を日銀が購入しています。
こういう状況になると「鶏と卵」問題が起きます。財政状況が悪いから「財政ファイナンス」を行うのですから、政府は財政規律を高めるのが筋。ところが、「財政ファイナンス」が行われているので財政規律が緩み、さらに財政状況が悪化。
つまり、財政状況が悪いから「財政ファイナンス」をするのか、「財政ファイナンス」をするから財政状況が悪くなるのか。「鶏と卵」の関係です。
政府は国・地方の基礎的財政収支(PB)の2015年度の対GDP(国内総生産)比赤字半減目標(2010年度比<マイナス3.3%>)、同2020年度黒字化の財政健全化目標を堅持していますが、中長期経済財政試算(7月25日公表)の内容をみると、先行きが懸念されます。
第1に、国は赤字、地方は黒字という構造での目標達成を念頭に置いていること。
第2に、その一方で国の一般会計のPBは改善基調が弱いこと。とくに対前年比増減率を見ると、歳入よりも歳出及び歳出入差額(赤字額)の伸び率が大きいこと。
第3に、試算の前提として復旧・復興対策の経費及び財源を除いたベースを採用しているほか、福島第一原発の廃炉等の諸経費の想定が不明確であること。
財政健全化に関するこうした軟調姿勢が、異次元緩和による「財政ファイナンス」の影響を受けている蓋然性は否定できません。
上記の中長期経済財政試算においては、2016年度までCPI上昇率よりも低い名目長期金利を想定していますが、これは日銀が国債大量購入を続け、それによって名目長期金利を低位安定させることを前提としているようです。
異次元緩和は、短期的には「美人投票」的なメカニズムによる円安、株高を実現し、「貨幣錯覚」による旧来的な概念での完全雇用状態を実現。そして、「財政ファイナンス」によって財政規律を緩め、財政拡大を助長。日本の経済・財政・金融が抱える構造問題に対しては対症療法に過ぎません。
異次元緩和のメカニズム及び功罪に関しては、理論的・実証的考察がさらに必要です。秋の国会で十分に議論します。
(了)