政治経済レポート:OKマガジン(Vol.329)2015.2.12

2月22日(日)午後0時から、毎年恒例の新春交礼会を覚王山「ルブラ王山」で開催します。多数の皆様のご来場をお待ちしております(会費5千円)。ご不明の点は、事務所(052-757-1955)までお問い合わせください。国会は本日政府4演説を聴取。これから論戦が本格化します。有意な議論に努め、国会が有効に機能するように頑張ります。


1.新大綱

戦後の日本が原則としてきたルールがまたひとつ変更されました。10日に閣議決定した「開発協力大綱」。新大綱は政府開発援助(ODA)の新たな指針を定めました。

大綱は1992年に初めて策定され、前回改訂は2003年。これまで対象を非軍事に限定し、他国軍関連の事案には支援を禁止していたODAを、他国軍関連の事案であっても、内容が非軍事と認定されれば認めるというものです。

「軍が関連するのに非軍事とはこれ如何に」と思う人も多いと思いますが、「軍が関連して行う民生分野や復興に関わる事案」ということだそうです。

旧大綱では「軍事的用途および国際紛争助長への使用を回避する」としていた一方、新大綱では「実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」として、日本政府が非軍事目的と認めれば支援可能とする方針です。

政策には必ずメリットとデメリットがあります。このメルマガで何度もお伝えしている当たり前の話です。当たり前ですが、深くて、判断が難しい。

お金に色はありませんので、今までの支援も、結果的に支援対象国の軍事予算捻出に間接的に寄与していた可能性を否定できません。

顕著な例が対中国。これまで日本は中国に対して多額のODAを行ってきましたが、その間に中国は軍事力を強化しました。日本のODAがなければ、中国はもっと民生予算を捻出せざるを得ず、軍備強化が遅れるか、やや規模が縮小したかもしれません。

「そうか、今までと同じならいいじゃないか」と単純にはいかないところに難しさがあります。

今回の改訂のメリットは何か。それは新大綱に「国益の確保に貢献する」と記したことから明らかです。つまり、他国軍と協力関係を構築することが「国益に資する」というメリットです(そう思う人にはメリットです)。

では、デメリットは何か。それは、今までのメリットを失うことです(そう思う人にとってはデメリットです)。

日本は長年にわたって「他国軍関連の支援はしない」と対外的に明言していたことが、結果的に諸外国から日本が敵視されるリスクを軽減していました。上述の中国の事例からもわかるように、間接的な実態がどうであったかは別問題です。

新大綱では「国益に資する」ためには「他国軍関連の事案も支援する」とし、その適否は日本政府が「実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」となりました。

支援する他国と敵対する第3国に「いいがかり」をつけられるリスクが今までより高くなる蓋然性を否定できません。「別にいいじゃないか。所詮いいがかりだ」という意見もあるでしょうが、リスクが高まるという蓋然性(事実)は共有すべきです。

究極的には、安倍首相が掲げる「積極的平和主義」なるものが、国及び国民のリスクを高めるのか、低めるのか。この点に関する認識の差が、個々人の新大綱に対する印象にも影響します。

「いざという時は戦えばいい」「最近の若者は国を守る気概がない」という趣旨のことを、この70年、平和な中で過ごしてきた大人世代は安易に発言すべきではないでしょう。

「いざという時でも自分は矢面に立たない。それは自衛隊や若者の仕事だ」という潜在意識の下で、威勢のいい発言だけをすることは控えたいものです。

将来世代が危険に晒される可能性を極力低くするためにはどうすればいいか。真剣にそのことを考える先に、日本が選択すべき方針や施策が見えてきます。

新大綱に関連して外務省が開いた公聴会で懸念や異論が出たのはもっともなことです。健全な証です。国会は大いに関心をもって、新大綱の運用をチェックしていかなくてはなりません。

2.鶏と卵

東日本大震災の際には、世界163の国・地域から復興支援の申し出がありました。その中には深刻な貧困にあえぐ発展途上国もありました。

1955年のODA開始以来、日本が長年にわたって民生支援を地道に積み重ねた結果です。非軍事支援に限定した日本のODAは、平和国家にふさわしい国際貢献のひとつでした。

これまでも発展途上国を中心に軍が民生案件に間接的に関与する事案はありました。外務省によると、地域の中核医療施設であったセネガル軍の病院を2001年にODAで改修した例があるそうです。軍による災害救助等をODAの対象にすることにも一理あります。

日本のODAは1997年度の1兆1687億円をピークに減少。2015年度当初予算案では5422億円です。新大綱の運用次第では、純粋な民生支援の予算が確保しにくくなるでしょう。

また、ODAは国民所得が一定水準以下の国に実施してきましたが、新大綱では経済成長を遂げた「ODA卒業国」にも個々の事情に応じて支援できるとしました。予算はますます逼迫します。

安倍首相は、NSC(国家安全保障局)設置、特定秘密保護法施行、武器輸出三原則見直し、集団的自衛権行使容認、他国軍支援を可能とするODA新大綱と、自らの関心と問題意識に従って、一連の対応を進めています。安倍首相の「信条」としては理解できます。

しかし、繰り返しになりますが、安倍首相が掲げる「積極的平和主義」や「信条」なるものが、国及び国民のリスクを高めるのか、低めるのか。その点は、よくよく考え、不断の議論を行わなくてはなりません。だからこそ、国会論戦は極めて重要です。

リスクが高まっているから安倍首相の「信条」を具体化するのか。安倍首相の「信条」を具体化するからリスクが高まるのか、鶏と卵の関係です。

リスクが高まっているので他国軍支援をするのか、他国軍支援をするからリスクが高まるのか。脅威があるから武装強化するのか、武装強化するから脅威が増すのか。

余談ですが、「鶏が先か、卵が先か」という表現は、いつ頃、どこで生まれたのか。それも定かではありません。古代から哲学者にとって難問であった「因果性のジレンマ」を表す際にも使われてきました。

14世紀のヨーロッパの養生訓である「健康全書」に「鶏と卵」の挿絵があります。この本は、11世紀のバグダッドで出版された医学書の写本。健康にとって重要な要素を解説しつつ、それらが密接に関係していることを説明しています。

ユダヤ教やキリスト教の教典は神による世界の創造について説明しています。その中で、神は鳥を創造し、子どもを産み殖やすよう命じました。文字どおり解釈すれば、鶏が卵より先ということになります。

仏教には「循環的時間」という概念がある。時間は循環しており、歴史は繰り返されるという考えです。これはメソアメリカ(アステカ、マヤ)やネイティブ・アメリカンの文化や宗教にも共通する概念です。

時間は永遠に繰り返されるので、その過程では「最初」は存在せず、創造もない。すなわち、何ものも最初たりえない。循環する時間において「最初」は存在しない。この概念はニーチェの著作によって知られるようになりました。

何だか哲学的な話になって恐縮ですが、要するに、「こうすれば国や国民のリスクは小さくなる」などと断定できる施策はなく、安倍首相が次々に具体化させている「信条」の功罪は、後世にならないと評価できないということです。

余談のうえに余談ですが、英国のシェフィールド大学とワーウィック大学の共同研究チームが、鶏の卵巣にある蛋白質がなくては卵を創ることができないことを証明。そのため、現在では、鶏が先というのが定説のようです(真偽はわかりません)。

3.日米安全保障条約第2条

メルマガ283号(2013年3月17日)でも触れましたが、日本で最初に「経済」という言葉の英訳を考えたと思われる神田孝平(たかひら)と福沢諭吉は、いずれも「経済」を「Political Economy」と訳しました。

今では「Political Economy」は何かと学生に問えば、「政治経済」と答えるでしょう。かくいう僕も学生時代は政治経済学部に在籍。政治学は「Political Science」、経済学は「Economics」、ゆえに「Political Economy」を訳せと問われれば、「政治経済」と回答すると思います。

19世紀後半以降、近代経済学が脚光を浴びるようになり、数学を使う新古典派が主流になるにつれ、経済が政治とは独立した分野として発展しました。

一方、政治や政治学という概念は古くはギリシャ時代から登場。近世におけるマキアベリの君主論に至るまで、人間社会の存在するところに必ず政治学は存在します。

社会のあるところには必ず利害の対立や調整が発生し、そのためには政(まつりごと)が必要になり、それを担う政治家が誕生する。そして、政治家が拠り所とする姿勢や考え方、手法にかかわる政治学や政治術が生まれます。

利害と言えば、その大半は経済的利害です。政治には必然的に経済が含まれ、経済は政治によって調整される。そういう関係だからこそ、本来「経済」は「Political Economy」であり、「政治経済」として一体的にとらえることの重要性が理解できます。

そういう観点から日米安保条約を読み直してみるとたいへん興味深いです。第2条の最後の1文は次のように記されています。

「締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する」。2月2日の予算委員会で外務大臣にこの点を質問したところ、この条文の認識がなかったことには驚きました。

改めて条約の正式名称を眺めてみると、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」であり、「相互協力」の中には経済関係が含まれているということです。

外務省のホームページには「日米安全保障条約(主要規定の解説)」があります。第2条の解説として「この規定は、安保条約を締結するに当たり、両国が当然のことながら相互信頼関係の基礎の上に立ち、政治、経済、社会の各分野において同じ自由主義の立場から緊密に連絡していくことを確認したものである」と記されており、「社会」まで入っていることには驚きます。

改めて第2条の最初の1文を読むと「制度の基礎をなす原則の理解の促進」や「福祉の条件を助長する」という表現も含まれおり、イデオロギーや社会保障制度まで対象としていることに気づかされます。

古今東西、政治、経済は表裏一体、渾(混)然一体であり、それぞれを別々に知るだけでは、真相を理解できない。今回の新大綱もそういう視点から見る必要があります。

(了)


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