ゴールデンウィークも終わり、通常国会は後半戦開始。労働法制と安保法制が2大懸案ですが、ほかにも課題山積。経済情勢や日銀の異次元緩和の顛末も気になります。明日は参議院財政金融委員会で政策投資銀行(DBJ)法改正案の質疑に立ちます。
株式会社日本政策投資銀行(Development Bank of Japan、以下DBJ)は2008年10月に設立された特殊会社。
前身は戦後設立された日本開発銀行(1951年設立)と北海道東北開発公庫(1956年設立)という2つの政府系(政策)金融機関。1999年に統合され、DBJとなりました。
2000年代に入り、「官から民へ」という行政改革、民営化指向の潮流の中で、2008年、特殊法人としてのDBJは解散。株式会社(特殊会社)としてのDBJに改組されました。
政府系金融機関の統廃合、民営化は必要なことです。しかし、見かけだけの統廃合(複数の機関を見かけ上ひとつにして、実際は全く行政改革になっていない統廃合)や政策的な必要性を度外視した単なる民営化至上主義に依拠する統廃合は本末転倒。これまで、そのことを国会内外で指摘してきました。
発足当初のDBJは2012年から2014年を目途に政府保有株式の全てが処分され、完全民営化される予定でした。しかし、皮肉なことにDBJ発足直前の2008年9月にリーマンショックが発生。
筆者は、党の金融対策チーム座長として、金融危機対策(第1次対策)、行動プラン(第2次対策)を立案・公開し、関係当局に対応を促しました。
とりわけ、DBJと同じタイミングで改編発足した株式会社日本政策金融公庫(Japan Finance Corporation<以下JFC>、国民生活金融公庫・農林漁業金融公庫・中小企業金融公庫の統合組織)は「内外の金融秩序の混乱等に対処する危機対応業務」が法定業務となっていたことから、当該業務の発動を強く要請。
当時の政府・与党は、リーマンショックの影響を軽く考えていたこともあり、危機対応業務の発動に消極的でしたが、結局、当該業務の発動、及び指定金融機関としてのDBJの活用に至ります。
これを踏まえて2009年にDBJ法が改正され、完全民営化時期を2017年から2019年を目途とすることに延期。
その後、今度は2011年に「3.11」が発生。再び危機対応業務の有用性への認識が深まり、完全民営化はさらに延期。2021年から2023年目途となりました。
そして、今国会。現DBJ法の3度目の見直し。完全民営化時期については特定を放棄。「できるだけ早期に」という表現に変更されるほか、「DBJは危機対応業務を行う責務を有する」と明記。もっともなことです。
「官から民へ」という単純化したキャッチフレーズで扇動された民営化至上主義の間違いが、10年余を経て明確になったと言えます。
しかし、だからと言って、霞が関の天下り先として不要不急の政府系金融機関が温存されることがあってはなりません。JFCのような見かけだけの統廃合も問題です。
政府系金融機関のあり方は、与野党を問わず、今後とも政治の重要かつ不断の検討課題であることに変わりはありません。
DBJとJFCのほかに、主要な政府系金融機関として株式会社国際協力銀行(Japan Bank for International Cooperation<以下JBIC>)も忘れてはなりません。
前身は日本輸出入銀行(1951年設立<以下輸銀>)と海外経済協力基金(1962年設立)の2つ。1999年に統合されてJBICが誕生。2008年に一度はJFCの内部組織となったものの、2012年に再び分離独立。現在に至っています。
DBJとJBICの前身である日本開発銀行と日本輸出入銀行は同じ1951年設立。戦後復興期の設備投資金融と貿易金融を支えた政府系金融機関です。
時代は移り変わり、必要性も役割も変貌。今やその両方が併存する必要はありません。しかし、設立以来の経緯もあり、その系譜を引き継ぐDBJとJBICには潜在的な確執があるようです。
今や両方とも株式会社(特殊会社)。完全民営化時期はともかくとして、危機対応業務を別にすれば、それぞれ自己変革、自己努力が求められています。
そんな中、2012年頃、英国国会議員から問い合わせを受けました。曰く「DBJとはどんな組織か。JBICがDBJのことをあまり良く言わないが、どういうことか」。最初は事情がよくわかりませんでしたが、聞けば次のような背景でした。
英国の鉄道建設へのシンジケートローン(協調融資)にDBJが参画しようとしたところ、JBICが「DBJの日本国外での融資には反対。DBJがシンジケートに参画しないようにしてほしい」と英国鉄道省に陳情。それを鉄道省から聞いた英国国会議員が問い合わせてきたということです。
真相は当事者しかわかりません。明日(5月12日)の参議院財政金融委員会でのDBJ法案の審議において、JBIC、DBJ双方に確認してみます。
いずれにしても、そういう恥ずかしい縄張り争い(勢力争い)を国外で演じ、他国の政府・議会関係者から問い合わせを受けるようなことは看過できません。日本の恥です。
DBJ、JBICとも日本の政府系金融機関であり、協力して国益のために行動するのが責務。それができないようならば、早急に統廃合すべきでしょう。
ところで、JBICの主要業務はかつてODAとアンタイドローン(紐つきでない融資)が中心でしたが、2008年からODAは独立行政法人国際協力機構(Japan International Cooperation Agency<JICA>)に移管。
ODAを巡る癒着等は国会やマスコミで何度も取り上げられてきましたが、アンタイドローンについても輸銀時代から様々な問題が指摘されています。
JBICの原資は公的資金が中心。しかし、ODAの内容が原則開示されていたのに対し、アンタイドローンは守秘義務を盾に詳しい内容は非開示でした。今はどうでしょうか。明日聞いてみたいと思います。
例えば、かつて問題になった尖閣諸島での中国海底パイプライン建設に対する輸銀融資。1996年に優遇的な条件で中国に対して実行されました。
尖閣諸島の領有権問題が先鋭化しつつあった時代です。尖閣諸島の中国側事業に日本の輸銀が優遇融資を行ったことは、東シナ海権益に日本が拘(こだわ)っていないとの誤ったメッセージになったという指摘も聞きます。
JBICの活動については、今後も注視していかなくてはなりません。
いずれにしても、DBJ、JBIC、JFCが相互に役割分担等を考え、協力していくことが当然の責務。統廃合や完全民営化が必要かつ合理的であれば、そうしなければなりません。政治の重要課題です。
ところで、これら3行が担っている政策金融を最近では日本銀行も行っています。
それは2010年からスタートした「成長基盤強化を支援するための資金供給」制度。既に6.1兆円が融資されています。
DBJ、JBIC、JFCの融資・投資・保証残高が、それぞれ14.2兆円、15.3兆円、15.7兆円であることと比較すると、中央銀行である日銀の6.1兆円も小さくはありません。
この制度はデフレ脱却のために「できることは何でもやる」という決意の表れとして、当時の日銀の政策判断として着手したものです。
単に金融緩和を行うばかりでなく、経済成長にも資する努力をするという文脈で立案されたものと記憶しています。
日銀法第1条の「目的」には直接は含まれない業務ですが、同第2条の「理念(国民経済の健全な発展に資すること)」、同第4条の「政府との関係(政府の経済政策の一環であること)」等の視点から考案された新基軸。
本来業務ではありませんので、こうした業務の縮小から、異次元緩和の出口戦略を模索することも一案かもしれません。今後、国会でも議論していきます。
ところで、4月30日、日銀は金融政策決定会合で2015年度の物価上昇率見通しを「0.8%」に変更。「1.9%」から「1.7%」、「1.0%」に変更したのに続く3度目の下方修正です。
2%の目標達成時期も当初の「2年」から「14年度後半から15年度前半」、「15年度を中心とする期間」と変更され、今回は「16年度前半ごろ」。3度目の後ずれです。
黒田総裁は目標達成時期が「後ずれしていることは事実」と認める一方、原油価格下落の影響が一巡すれば2%は実現可能として「2年程度」という表現は変えないそうです。苦しいところですね。
話は遡りますが、JBICの渡辺博史総裁(元大蔵省財務官)は元日銀副総裁候補。同意人事を巡る衆参議院運営委員会での発言内容は冷静かつ的確であり、国会内外の人物評価も高く、筆者としても渡辺副総裁誕生を期待しましたが、残念ながら就任には至らず。
仮にその時副総裁に就任していたら、今頃日銀総裁は渡辺氏だったかもしれません。渡辺氏であれば、デフレ脱却にどのように取り組むか、あるいは現在の異次元緩和をどのように出口に導くか。興味が湧きます。
渡辺氏には当面はJBICの運営・改革に手腕を発揮していただきたいと思います。その後は日銀総裁候補になりうる人でしょう。
(了)