ドローンが官邸屋上に飛来した事件を契機に、ドローンの飛行規制が行われるようです。当然とは言え、世界はドローンを有効活用する方向で加速しています。「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」のがお家芸の日本。官邸警備の不備を技術進歩に責任転嫁しては本末転倒。過剰規制にならないように留意すべきです。
聞きなれない単語ですが、中国が南シナ海の領有問題に関連して使用しています。「U字線」または「牛舌線」とも言われます。
南シナ海は、北は中国、東はフィリピン、南はインドネシア、西はベトナムに囲まれた海域。概ね「U字型」「舌」のような形をしていることから、「U字線」「牛舌線」の呼称が生まれました。
第2次大戦後の1950年代、中国が南シナ海全域の領有を主張するために地図上に引いた9本の線のことを指します。それに先立ち、台湾(中華民国)も同様の目的で「十一段線」を提示。
調べてみると、中国の「九段線」は台湾の「十一段線」に端を発しています。1953年、中国が支援していた北ベトナム(当時)領海との整合性を考慮し、「十一段線」から2本の線を除去。「九段線」となりました。
中国の主張は、「九段線」内(ほぼ南シナ海全域)は中国に属するというもの。周辺国にとって受入れ不可能な主張です。
豊富な漁場、資源(石油、天然ガス等)、重要航路を含む南シナ海領有に関し、フィリピン、インドネシア、ベトナム以外に、マレーシア、ブルネイ等も中国と対立しています。
とくに、南沙(スプラトリー)諸島、西沙(パラセル)諸島を巡る対立は加熱。ベトナムは一昨年、両諸島領有を主張する国家的な大キャンペーンを展開。
中国も神経を尖らせ、その後、南沙諸島において埋立て及び人工島造成を加速。米国との緊張関係も高まっています。
先週、米中の物騒なやりとりが展開されました。17日、訪中した米ケリー国務長官が習近平国家主席と会談。南沙諸島での中国の活動に懸念を表明。
20日、南沙諸島の永暑礁(ファイアリークロス礁)に接近した米軍哨戒機に対し、中国海軍艦艇が「中国の軍事警戒圏(Millitary Alert Zone、MAZ)に接近している」という表現で警告。MAZという表現は領空や防空識別圏(Air Defense Identification Zone、ADIZ)とは異なる概念であり、中国独自の主張です。
21日、米ラッセル国務次官補が「世界中の砂で埋め立てても主権を作ることはできない」、ウォレン国防総省報道部長は「中国が造成中の人工島の領海と主張する12海里内に米軍を進入させる」と相次いで発言。
22日、中国の洪磊(こうらい)外務省副報道局長が「他国の領空領海に侵入できる国はない」と反論し、米国を牽制。まるで、一触即発。
米国に安保法制の見直しを約束した安倍首相。南沙諸島で米中が衝突する場合、集団的自衛権を行使する可能性があると想定しているのでしょうか。国会で質すべき論点です。
メルマガ264号(2012年5月21日)でも述べましたが、2007年、米中海軍首脳会談で中国側が「ハワイを境にした太平洋の米中分割統治」を主張。
以後、中国は沖縄、台湾、フィリピンを結ぶ「第1列島線」、小笠原、グアムを結ぶ「第2列島線」を意識し、米国との神経戦を展開。南シナ海は「第1列島線」内に位置します。
南沙諸島に対する中国の領有権主張には無理がありますが、そもそも南沙諸島の岩礁等の多くが「島」に該当するか否かも争点です。
国連海洋法条約によれば、満潮時に水没する岩礁等は「島」に該当せず、「領土」とは認められません。同条約上、「島」や「岩」は以下のように規定されています。
「島」とは、自然に形成された陸地であり、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう(第121条1項)。
人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない「岩」は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない(第121条3項)。
人工島、施設及び構築物は「島」の地位を有しない。これらのものは、それ自体の領海を有せず、また、その存在は、領海、排他的経済水域又は大陸棚の境界画定に影響を及ぼすものではない(第60条8項)。
南沙諸島は18の岩礁・砂州(「島」に該当するものは11)からなり、環礁を形成。総面積は約0.43平方km。人が居住できる場所はありません。
しかし、広大な排他的経済水域(Exclusive Economic Zone、EEZ)の基点となり、軍事的要衝でもあるため、関係各国が領有権を主張。実効支配している岩礁等に各国が軍隊や警備隊を配備しており、さながら「世界の火薬庫」。
南沙諸島は古くはベトナムを植民地支配していたフランスが領有していましたが、1938年に日本が領有を宣言。新南群島と命名し、終戦近くまで実効支配。
1952年のサンフランシスコ講和条約により、日本は南沙諸島、西沙諸島の領有権を放棄。しかし、同条約において帰属先を明示できなかったため、各国間の領有権争いに発展し、今日に至っています。
干潮時のみ海面上に出現する岩礁・砂州は「干出岩」「暗礁」と呼ばれ、これらは「領土」とは認められず、EEZも設定できません。
各国は「干出岩」に対しても領有権を主張。中国は南沙・西沙・東沙・中沙諸島を総称して南海諸島と命名。「九段線」の範囲内として、全域の領有を主張しています。
中国とベトナムの間では領有を巡って軍事衝突も発生。1974年「西沙諸島の戦い」で中国は南ベトナム(当時)と交戦。勝利した中国は、以後、西沙諸島を実効支配。
1988年、中国は西沙諸島に滑走路を完成させ、南沙諸島に侵攻。「南沙諸島(赤瓜礁)海戦」に勝利した中国は、以後、赤瓜礁(ジョンソン南礁)、永暑礁等を実効支配。
1990年代半ばから、南沙諸島、西沙諸島における中国の活動が活発化。2007年からは、同海域で軍事演習を繰り返しています。
2010年、訪中した米スタインバーグ国務副長官に対し、中国は南シナ海を「自国の主権及び領土保全と関連した核心的利害地域である」と公式に伝達。
現在、中国は多くの「干出岩」周辺を埋め立てて人工島や軍事施設を建設。赤瓜礁でも「南沙諸島海戦」直後から海面下の岩盤を土台に建造物を建設。さらに、2012年から岩礁の埋め立てを開始。既に護岸、桟橋、宿舎等の施設が完成。中国は「干出岩」を「領土」として、EEZを設定できると主張しています。
先月16日、同海域の衛星写真が欧米メディアで大きく報じられました。永暑礁に完成間近の滑走路は約3000m。大型軍用機を含むほとんどの航空機の離着陸が可能な規模です。
南沙諸島の渚碧礁(スービ礁)、西沙諸島の永興島(ウッディー島)でも同規模の滑走路やミサイル基地、レーダー基地建設の兆候があり、写真を分析・公表した英国軍事研究機関「IHSジェーンズ」は、これらが中国空軍の前哨基地になると指摘しています。
南シナ海のみならず、中国は日本の島嶼部でも強硬な主張を展開。尖閣諸島はご存じのとおりですが、東京都に属する沖ノ鳥島でも神経戦が続いています。
中国は、日本の沖ノ鳥島は「岩」であり、同島を基点としたEEZは認められないと主張。この主張は、南沙諸島、西沙諸島に関する中国自身の主張と矛盾しています。そもそも、沖ノ鳥島は満潮時でも水没せず、「干出岩」ではありません。
沖ノ鳥島は東京から1,740km。小笠原村に帰属し、南北約1.7km、東西約4.5km、周囲約11km。干潮時は環礁の大部分が海面上に出現。満潮時は東小島(旧称・東露岩)と北小島(旧称・北露岩)で構成されます。
面積は東露岩1.58平方m、北露岩7.86平方m。海抜は第二次世界大戦前(1933年)の調査では各々1.4mと2.8m。2008年調査では同0.9mと1m。高潮(満潮)時も同6cmと16cmが海面上に残るそうです。
1933年調査では、東露岩、北露岩のほか、海抜2.25mの南露岩、同1m未満の3つの露岩が記録されていましたが、その後の風化と海食によって亡失。
沖ノ鳥島はスペイン(1543年)、オランダ(1639年)、イギリス(1789年)に発見されていましたが、1920年、国際連盟により日本の委任統治領と認定されます。
1939年、灯台や気象観測所の建設が始まるものの、日米開戦後に工事は中断。珊瑚礁を爆破した水路跡や灯台・観測所基盤が残存。建設工事を発見した米艦艇が砲撃を加えたという記録も残っています。
1952年、サンフランシスコ講和条約により小笠原諸島とともに米国施政下に置かれた後、1968年、日本に返還されました。
1977年、沖ノ鳥島を基点として領海(12海里)とEEZ(200海里)が設定されました。しかし、沖ノ鳥島が海食により亡失して定義上の「島」と認められなくなると、日本の国土面積(約38万平方km)を上回るEEZが消失。
そのため、1987年、島の亡失を防ぐため、両島周囲の護岸工事を開始。翌年には、鉄製消波ブロック、コンクリート護岸、チタン製防護ネットの設置を完了。
2001年頃から中国の海洋調査船が沖ノ鳥島のEEZ内に進出。2003年以降、中国と韓国が沖ノ鳥島に対する日本の対応に異議申し立て。2004年、中国が沖ノ鳥島は「島」ではなく「岩」であり、日本の「領土」とは認めるがEEZは設定できないと主張。
2005年、日本は沖ノ鳥島への灯台設置を決定。2007年、沖ノ鳥島灯台の運用が開始され、同灯台は海図に記載されました。
2008年、日本は国連大陸棚限界委員会(Commission on the Limits of the Continental Shelf、CLCS)に対して沖ノ鳥島を基点とする海域を大陸棚の延長域として申請。中韓両国は「沖ノ鳥島は島ではなく岩である」として異議申し立て。
2009年、日本は環礁部分に船舶接岸を可能とする港湾建設を決定。2010年、日本は沖ノ鳥島保全法を施行し、港湾建設に着手。
2011年、CLCSで日本と中韓が対立。審議は紛糾し、沖ノ鳥島に関する日本への勧告案は採決されず、継続審議扱い。
2012年、CLCSは沖ノ鳥島北方等の太平洋4海域約31万平方kmを日本の大陸棚として認定。但し、同島南方海域の大陸棚については中韓の異議申し立てを踏まえて判断を先送りしました。
2013年から港湾建設が本格化したものの、2014年3月、作業員7人が死亡する桟橋転覆事故が発生。記憶に新しいところですが、建設工事の重要性が認識できると思います。
「第一列島線」と「第二列島線」の中間地点である沖ノ鳥島周辺の海域の位置づけは、中国の軍事行動に大きな影響を与えます。沖ノ鳥島を巡る動向にも、関心を維持していくことが必要です。
そうした中での安保法制の議論。軽々にファイティングポーズをとればよいという単純な話ではありません。国会論戦を諸外国も注視していることを忘れてはなりません。
メルマガVol.295(2013年9月15日)でご紹介した中世ヨーロッパの政治思想家マキアベリの名言で締め括りたいと思います。曰く「戦争は始めたい時に始められるが、止めたいときには止められない」。
(了)