政治経済レポート:OKマガジン(Vol.338)2015.6.26

今回の安保法制変更は大規模です。安保政策の大転換を企図する変更なので、大規模なのは当然です。是非についての僕の見解は既にメルマガ(295・298・313・314・315・329・337号)等で明らかにしています。ご興味があればホームページからご覧ください。


1.タリンマニュアル

時の首相がどのような持論を有するか、何を目指すかは本人の自由です。しかし、法治国家ですから、憲法を含む現行法制を遵守して行うことが当然の責務。

憲法学者の大半が今回の安保法制案について「違憲」と判断しています。集団的自衛権の行使容認を「違憲」としていますが、事態はもっと深刻。ただの「違憲」ではなく、「四重の違憲」です。

第1に集団的自衛権の行使容認。第2に閣議決定による憲法解釈変更。第3に日米ガイドライン変更の先行(国内法変更前の日米合意)。第4に憲法遵守義務違反。「四重の違憲」行為を看過するわけにはいきません。

その安保法制案は10本の主要な法律の改正(整備法として1本に集約)と1本の新法制定で構成されています。10本の改正を1本に束ねる手法も感心しません。

さらに、附則による技術的改正を行う法律が10本。その中の1本にサイバーセキュリティ基本法があります。

同法は昨年成立。サイバー(電子・通信・インターネット)空間は陸・海・空・宇宙に続く第5の安全保障領域。既に現実的脅威が多々発生していることは、ご承知のとおりです。

サイバー攻撃が現実のものとして認識される契機となったのは、2007年に起きたエストニアに対するサイバー攻撃。

エストニアはバルト海とロシアの間に挟まれたバルト三国のひとつ。長く他民族支配下に置かれてきましたが、1917年のロシア帝国崩壊を受け、翌1918年に独立。しかし、第2次大戦中はソ連、ドイツに占領され、戦後はソ連に併合されました。

ベルリンの壁崩壊、東西冷戦終結、ソ連解体に伴い、1991年に独立回復。1994年にはロシア軍が完全撤退。以後、西欧諸国との政治的、経済的な関係を強化。2004年に北大西洋条約機構 (NATO) と欧州連合 (EU) に加盟。ロシアとの間で国境問題を抱えつつ今日に至っています。 首都タリンには、ドイツ占領からエストニアを解放したソ連を称える記念碑がありました。2007年4月27日、記念碑撤去に反対してタリンでロシア系住民による暴動が発生。

同日、エストニア政府・行政機関等のホームページやシステムに大規模なサイバー攻撃が発生。国全体で平時の数百倍のトラフィック(通信量)となり、ホームページの改竄やシステムダウンによって政府機能が麻痺。

攻撃元はロシアと推定され、世界各国の安保関係者の間では、これが世界初の大規模サイバー攻撃と認識されています。

因みに、サイバー攻撃はDoS攻撃(Denial of Service attack)と言われ、サーバー等のネットワーク構成機器に対して攻撃を行い、サービス機能を妨害します。

攻撃元を秘匿すること、効率的に攻撃を行うことを目的に、第3者のサーバー等(通称「踏み台」「ゾンビ」)を経由して複数ルートから攻撃を行うのが一般的であることから、DDoS(Distributed DoS)攻撃(分散型攻撃)とも呼ばれます。

エストニアが世界有数のIT先進国であることもあり、事件の翌2008年、NATOのサイバーテロ防衛機関「サイバー防衛協力センター」がタリンに創設されました。

2013年、同センターは、サイバー空間を国際法の適用範囲とすること、サイバー攻撃を受けた場合の対応等を定めた「タリンマニュアル」を公表。現在、世界各国はこのマニュアルを参考にしつつ、それぞれ対応を模索しています。

2.シンギュラリティ

サイバー攻撃は国家だけでなく、テロ組織や政治的主張を持つ個人等も仕掛けています。日中韓の歴史問題等に起因したサイバー攻撃が発生していることも周知の事実です。

2010年、米調査機関メディアス・リサーチが「中国・サイバー・スパイと米国の国家安全保障」というタイトルの報告書を発表。

同報告書は、中国によるサイバー攻撃は人民解放軍海南島基地陸水信号部隊(別名「海南テレコム」、隊員約1100人)が行っていると指摘しました。

何だかSFのようですが、現実です。科学技術の進歩による大変革は、軍事分野に限らず、民間分野でも加速しています。

昨年10月、米シリコンバレーで第3回シンギュラリティ・サミットが開催され、約500人の科学者やエンジニアが参加。

シンギュラリティ(Singularity)は、コンピュータの知能が人間を超え、それに伴って発生する大変革を意味する造語。日本語では「技術的特異点」と訳されています。

シンギュラリティ後の世界はどうなるのでしょうか。人間にとって夢のような社会が実現可能とする楽観論と、コンピュータが次々と高知能マシンを作り続け、人間は不要になるという悲観論の両論があります。

この概念のルーツは機械式演算機が開発された19世紀中頃に遡りますが、具体化したのは20世紀の数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明家レイ・カーツワイル。後者はシンギュラリティ・サミットの創設者です。

カーツワイルは「ムーアの法則」に代表される技術革新の指数関数的加速を予測。「ムーアの法則」は米インテル社の創業者であるゴードン・ムーアが1965年に提示した経験則。トランジスタの集積度(性能)が2年で倍になるというものです。

1970年代以降、日本でもよく知られたアルビン・トフラー、ダニエル・ベル等の社会学者が展開した未来予測もシンギュラリティ論に類似。彼らは、やがて工業化社会が終わり、サービスと情報が工業製品に取って代わると予測しました。

1980年代、物理学者ジェラルド・ホーキンズが「マインドステップ」という表現でシンギュラリティに言及。次の「マインドステップ」は2021年、その後2つの「マインドステップ」が2053年までに生じると予測。因みに、カーツワイルは2045年までにシンギュラリティが起きると予測しています。

3.ネオ・ラダイト運動

日本でも最近、ビッグデータとAI(人工知能)が次のイノベーションを起こすという予測が広がりつつあります。

とくにAIに関しては3つの要素がシンギュラリティ前夜を予感させます。第1は神経科学、第2はスパコン技術、第3はナノテクノロジー。これらの急速な進歩がシンギュラリティ論を過熱させています。

人間の脳には1平方cmに約100万の神経細胞(ニューロン)が存在します。ナノテクによってこれと類似する構造のスパコン製造が可能になりつつあります。つまり、AIです。

しかし、AIの進歩が超人間的な知能を生み出した場合、人間とAIは共存できないと懸念する科学者もいます。AIが人間を排除しようとし、人間はそれを阻止できないという予測です。

19世紀初頭、産業革命期の英国でラダイト(機械打ちこわし)運動が発生。労働者や技術者が失業や生活苦の原因を技術革新と機械導入によるものとして起こした運動です。

シンギュラリティのマイナス面を懸念する人たちの間では、ネオ・ラダイト運動の発生を予測する向きもあります。そうなれば、AIと人間の戦い。まさしくSFです。

マトリックスやターミネーター等のSF映画の話のようですが、かつてのSFが次々と現実化していることを忘れてはならないでしょう。身近な製品の変遷を考えると、あながち空想とも思えません。

団塊の世代が20代だった1970年代、パソコン(PC)や携帯電話は空想の産物。インターネットの存在が認識され始めたのは1990年代。2000年頃にはスマホやタブレット端末は未だ存在せず。そして今、様々な製品がインターネット接続されることを表すIoT(Internet of Things、モノのインターネット接続)が時流です。

近々ブームになりそうなのが超小型スティックPC。テレビに接続すると、テレビがPCに変身。テレビは「見るもの」から「外部と通信するもの」に進化します。

スティックPCは長さ10cm、幅5cm、重さ数10g程度。2012年頃に登場し、過去3年で急速に進化しました。テレビ端子に挿入するだけで起動します。

今やPC、携帯電話、インターネットへの依存社会。便利だからこそ、使えなくなった場合の被害は甚大です。政府のみならず、金融、製造、輸送、情報通信等々、重要産業分野のコンピュータがダウンすれば、社会全体が大混乱に陥ります。

そうした中で懸念されるサイバー攻撃。民間部門でも既に現実化しています。今年1月、米中央情報局(CIA)は、米国内の電力、ガス、水道などの公共インフラ関連システムにサイバー攻撃が発生していることを明らかにしました。

そして日本。「洩れた年金」事件が発生しました。攻撃者の侵入手口は極めて初歩的。日本年金機構側の管理運用責任の問題とも言えますが、サイバー攻撃であることに変わりはありません。

来年1月から運用開始となる予定のマイナンバーシステムの構造や管理運用も気になります。利便性向上を求めて民間システムと相互接続すれば、潜在的なセキュリティホールが増幅します。内蔵化される住民基本台帳ネットワークシステムのセキュリティホールも心配です。

あれこれ考えていた中で、今週23日の某経済紙のトップ記事の見出しは「成長戦略素案、生産性向上へ政策集中」「ロボ・IT活用、労働力減少に対応」。成長戦略は来週30日に閣議決定されるそうです。

ロボット開発やビッグデータへの投資を企業に促し、人口減少による労働力不足に対応。地方経済や中小企業にも改革を求めるそうです。

時流はそういうことでしょうが、ロボット活用やIT化は一方で労働の機会を奪うことも忘れてはなりません。代替された労働力を吸収するサービス産業等の他の労働機会の創造が重要です。

そのひとつは間違いなく医療・介護分野。しかし、同分野への政策投資(予算投入)は抑制気味であり、そこで働く経済的インセンティブは低下しています。

生産性向上で経済成長が実現すると本気で考えるならば、その結果得られる税収や企業収入は、医療・介護分野や、勤労者所得に還元していくのが論理的な帰結です。

シンギュラリティに近づく技術革新のマイナス面や、そこに向かう上での論理的な対応に真摯に目を向けないようでは、成長戦略の成功の可能性は低下するでしょう。

(了)


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