参議院での安保法案の審議が始まりました。首相補佐官の暴言も飛び出し、政権の危うい体質がますます明らかになってきたような気がします。7月28日、さっそく安倍首相と質疑しました。
安倍首相とは、一昨年10月23日の参議院予算委員会で質問して以来、毎回の質問で集団的自衛権の問題も取り上げ、論点を詰めてきました。
以来、メルマガ295・298・313・314・315・329・337号で集団的自衛権、安全保障に関する基本情報と考え方を整理してきました。ご関心がある読者の皆さんは、ホームページのバックナンバーから是非ご覧ください。
衆議院特別委員会の議事録を通読すると、一昨年から指摘してきた様々な問題(懸念)が改善されないまま、安保法案の審議が進んでいます。
最大の問題は、日本が他国の先制攻撃を追認することになるという点です。メルマガ315号(昨年7月18日)で指摘し、今年2月2日の予算委員会で安倍首相に質しました。
集団的自衛権行使の前提は「密接な関係にある他国に対する武力攻撃」。したがって、その「武力攻撃」が「密接な関係にある他国が先制攻撃を行ったことに対する反撃」の場合が問題になります。
「米国の先制攻撃を追認することはあるのか」と質したところ、「新三要件を満たす場合でございます」(中谷防衛大臣)、「新三要件を満たすか否かの中において判断する」(安倍首相)との答弁。要するに「あり得る」ということです。
さらに、衆議院特別委員会で驚くべき答弁が行われました。それは、日本による先制攻撃を認めたことです。
6月1日の衆議院特別委員会で、寺田稔議員が「我が国に対して直接の武力攻撃をしていない国に対して、防衛出動、武力行使をすることは、法理上可能か」と質すと、中谷大臣が「はい、可能になります」と答弁。
さらに寺田議員が「我が国に対する攻撃の意思がない国に対して、新三要件が当てはまれば、我が国から攻撃する可能性を排除しないか」と質すと、中谷大臣は「排除しません」と答弁。
驚きです。これは日本の先制攻撃以外の何物でもありません。そこで、一昨日の参議院特別委員会でこの点を指摘し、「これは、先制攻撃ではないですか」と質問。
岸田外務大臣曰く「他国から武力攻撃を受けていない段階で自ら武力の行使を行えば、これは国際法上の先制攻撃に当たることになります」と肯定。
その一方、「先制攻撃、予防攻撃は国際法違法」ということも繰り返し答弁しています。完全に矛盾しています。日本が他国の先制攻撃を追認したり、日本自身が先制攻撃できるようになるというのが今回の安保法案の本質であり、明らかな国際法違反です。
加えて、先に質問に立った与党の佐藤正久議員が存立危機事態と武力攻撃事態等の関係を示す興味深い図表(ベン図)を配布。武力攻撃事態等に該当しない存立危機事態もあることを示すベン図です。
武力攻撃事態等は「武力攻撃、切迫事態、予測事態」の3つで構成されます。つまり、予測事態にも該当しない存立危機事態があるという整理です。
このことを日本による先制攻撃の整理に当てはめると、将来、日本を攻撃することを予測できない国を、あるいは日本を攻撃する意思が生じることも予測できない国を、日本が先制攻撃することが論理的にはあり得ることを意味します。これまた驚きです。
他国の先制攻撃を追認し、自らの先制攻撃も肯定。信じられない大転換ですが、安倍首相は相変わらず「専守防衛はいささかも変わらない」という答弁を展開。
平和国家の看板を降ろし、普通の国になることを指向しているように思えますが、普通の国よりも好戦的な国になりそうに感じるのは、安倍首相の人柄、言動のせいでしょうか。
審議すればするほど、今回の安保法案、到底是認することはできません。そもそも、集団的自衛権を認めることも、閣議決定で憲法解釈を変更することも、いずれも違憲。審議することすらはばかられます。
違憲な内容を合憲と主張する論理や根拠も、だんだん崩壊してきました。
歴代政権が一貫して守ってきた「集団的自衛権は保有すれども、行使できず」という考え方。これを「限定的な集団的自衛権であれば、行使できる」と解釈変更する根拠として安倍政権が持ち出してきたのが、昭和34年(1959年)の砂川判決と昭和47年(1972年)の政府見解。
砂川判決とは、1957年、米軍立川基地(当時は東京都北多摩郡砂川町)拡張に反対するデモ隊が基地内に侵入し、「日米安保条約3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」違反として起訴された事件に関する判決。
1959年3月30日の東京地裁一審判決(伊達秋雄裁判長)は「米軍駐留は憲法9条2項前段で禁止される戦力保持にあたり違憲。したがって全員無罪」との判断。
検察側は直ちに最高裁へ「跳躍上告」。跳躍上告とは、一審判決に対し、控訴を経ずに最高裁に申し立てを行う刑事訴訟法上の制度。一審判決で法律等が違憲とされた判決等に対して行うことができます。
同年12月16日の最高裁判決(田中耕太郎裁判長<最高裁長官>)は「憲法9条は日本固有の自衛権は否定していない。同条が禁止する戦力とは日本固有の戦力。外国軍隊は戦力にあたらない。したがって、米軍駐留は違憲ではない」との判断。
さらに「日米安保条約のような高度の政治性を伴う条約は一見して極めて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とする「統治行為論」を展開。
原判決は破棄、地裁に差し戻し。東京地裁再審判決(岸盛一裁判長)は1961年3月27日に有罪判決(罰金刑)。最高裁は1963年12月7日に上告棄却。有罪判決が確定しました。
ところがその後、砂川判決を巡る日米当局者の折衝内容が、機密指定を解除された米国公文書の分析によって判明。
それによれば、一審判決を受けてマッカーサー米国駐日大使が外交圧力をかけ、藤山愛一郎外相に最高裁への跳躍上告、同判決破棄を要求。田中長官とも密談。1960年に予定されていた安保条約改定への影響を回避するため、1959年中に米軍駐留合憲の判決を確定させることを企図した干渉でした。
田中長官がマッカーサー大使に上告審の日程や結論(一審判決の破棄差し戻し)を漏洩していたほか、最高裁判決の論理はハワード国務長官特別補佐官の示唆によるものだったことも明らかになりました。
本件の元被告人が、日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省・内閣府に請求したものの、当初は「記録はない」として非開示決定。
しかし、この決定への不服申立てを受け、とうとう外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、マッカーサー大使と藤山外相が1959年4月に行った会談に関する文書を公開。
一連の事実関係を6月10日の衆議院特別委員会で宮本徹議員が質問すると、岸田外相の答弁は驚くべき白々しさ。
曰く「米国のこの公開文書について、我が国として何か論ずる立場にはありません。我が国の記録、公にした文書の中には、ご指摘のような点はないと承知しております」。
集団的自衛権を行使する事態に該当するか否かは、時の政府の裁量的判断に委ねられます。しかも、判断の根拠が明らかにされるか否かも政府の裁量。特定秘密に指定されれば、国民も国会もチェック不可能。
「日本を攻撃する意思はない」と言っている国について、「いや、意思があるはずだ」と推測して先制攻撃。そして、そう推測することとなった根拠は特定秘密。まさしく「ないものをある」と主張することも可能です。
米国が公開している事実でも「知らない」と白を切る不誠実さは、「あるものをない」「ないものをある」という体質につながります。こうした体質の政権に集団的自衛権行使を容認することには、大きな不安を感じます。
せっかくですから、もうひとつ白々しい事例を紹介します。湾岸戦争時の米国公文書がやはり公開されています。1990年8月13日、イラクによるクウェート侵攻を受け、日米首脳間で行われた電話会談の記録です。ブッシュ米大統領は海部首相に架電。次のように求めています。
曰く「イギリス、フランス、オランダ、オーストラリアは海軍部隊を派遣することに同意した。スペイン、イタリアもおそらく同意する。日本には経済面と軍事面の支援を求めたい。多国籍海軍部隊への直接的支援を検討してほしい。日本の戦後史の分岐点となることは理解しているが、日本が西側同盟の完全な一員であることを明確に示すことになる」。
これに対して海部首相は「憲法上の制約と海外派兵を禁じる国会決議があるため、軍事面の直接支援は難しい。多国籍海軍部隊に参加することはできない」と回答。ブッシュ大統領の要求をかわしました。
米国公文書で公開されているこの事実を、6月15日の衆議院特別委員会で赤嶺政賢議員が質問。岸田大臣の答弁は以下のとおりです。
「政府として、米国において公開された米国政府作成文書の中身について、一々コメントすることは控えなければならないと思います。このやりとりに該当する電話会談ですが、平成2年8月14日(日本時間)、海部総理とブッシュ米大統領の電話会談につきまして、我が国において公表されています概要を見る限り、大統領より、できるだけ協力してほしい、日本の協調姿勢を示してほしいと述べた、このようにあります。」
情報公開に対するこうした後ろ向きな体質が、日本を再び戦争の災禍に導く火種です。安保法案だけでなく、一昨年強行採決された特定秘密保護法も廃止することが必要です。
砂川判決は日本が「固有の自衛権」を有することを肯定。昭和47年の政府見解は、その論理を継承しながらも、「集団的自衛権は行使できない」という結論に至っています。
にもかかわらず、集団的自衛権行使容認の根拠として昭和47年政府見解を持ち出してきたのは実に不思議ですが、横畠法制局長官と安倍首相が考えた論理は以下のとおりです。
国際情勢の緊張度が高まっているので、「フルスペックの(完全な)集団的自衛権」は行使できないけれども、「限定的な集団的自衛権」であれば行使できる。安倍首相ならいざしらず、法制局長官とは思えない頭の軽さです。
砂川判決は「固有の自衛権」は否定していません。昭和47年政府見解もその論理は肯定。しかし、昭和47年政府見解の「結論」は「集団的自衛権は行使できない」。なぜなら、集団的自衛権は「他国を守る権利」であり、しかも人為的・後天的な権利(1945年の国連憲章51条によって初めて登場した権利)。自然権たる「固有の自衛権」ではないからです。
ところが国際情勢の緊張度が高まっているという法制局長官と首相の裁量的判断に基づき、「結論」は真逆に転換。「限定的な集団的自衛権」は行使できるそうです。
しかも「限定的な集団的自衛権」とは「日本の防衛に資する集団的自衛権」と説明しています。要するに「自国のための集団的自衛権」。ところが、こういう概念は国際法には存在しません。法制局長官と首相の頭の中は、軽いだけでなくて、想像力も逞しいようです。
「限定的な集団的自衛権」は昨年の閣議決定で新たにつくられた概念と説明してきましたが、これもグラついてきました。
2004年6月18日の「政府の憲法解釈変更に関する質問及び答弁書」の中で、「個別的自衛権に接着しているものともいえる形態の集団的自衛権」も含めて「その行使は憲法上許されない」と明記。つまり、「限定的な集団的自衛権」という概念は既に想定しており、そのうえで、その行使も否定していたのです。
こういうことですから、2015年6月4日の衆議院憲法審査会で、与党推薦の憲法学者までもが今回の安保法案を違憲と指摘。
確立した憲法論理、憲法解釈を政府の裁量的恣意的判断で変更し、その根拠が特定秘密に指定されれば公開不能。しかも、他国が公文書で公開している事実すら認めないという政権であれば、「日本に武力行使する意思もなく、将来そうしたことが予測もされない国」に対しても、もっともらしい理由をつけて日本が先制攻撃をすることを可能とするのが今回の安保法案の論理です。
話は変わりますが、日露戦争の日本海海戦(1905年)における連合艦隊作戦参謀として知られる秋山真之中佐(当時)の孫である大石尚子氏は3年前まで同僚議員でした(2012年1月4日、現職のまま逝去)。
日本海海戦は遠い過去ではなく、現在に連なる近い過去です。いわんや太平洋戦争は忘れてはならない最近の出来事。
戦後70年の節目の年に、軽くて、想像力の逞しい法制局長官と首相の頭の中を「海神」に洗っていただかなくてはなりません。
日本の古代神話に登場する「海神(海の守護神)」は「綿津見(わだつみ、わたつみ)」と呼ばれます。「わだつみ」の語源は「海(わた)つ霊(み)」。万葉集にも頻繁に登場し、龍宮(海)に棲む竜神とも言われます。
「きけ、わだつみのこえ」は、太平洋戦争で戦没した学徒動員日本兵の遺書を集めた遺稿集です(1949年出版)。BC級戦犯として死刑に処された学徒兵の遺書も掲載されています。以来、「わだつみ」は戦没学徒兵の代名詞となっています。
与野党議員のみならず、全ての国民が、今一度、戦争の歴史と真摯に向き合い、「わだつみ」の声と過去からの警鐘に耳を傾けることが必要でしょう。
(了)