今年も終戦記念日が近づいてきました。戦後70年の今年。国会では、集団的自衛権行使容認に関連して、自衛隊による核兵器輸送と「非核三原則」の関係が注目されています。個人的には、戦争を「しない、させない、加担しない」という「非戦三原則」を、安保特別委員会での次の質疑の際に提案したいと思います。
今月初め、韓国を訪問し、朴槿恵(パククネ)大統領ほか各界有識者と会談。北朝鮮情勢等を巡り、有意義な意見交換ができたと思います。
その際、国立墓地であるソウル顕忠院を訪問。ここには、独立運動家や国家功労者、朝鮮戦争、ベトナム戦争の戦没者、歴代大統領等が祀られています。
1955年に朝鮮戦争戦没者の国軍墓地として作られ、1965年に国立墓地に発展。1996年から顕忠院と呼ばれています。約17万人が祀られ、うち亡骸があるのは5万人強。
厳粛な雰囲気が漂う顕忠院。国家としてこうした施設は必要だと思います。2004年に米国アーリントン国立墓地を訪問した際にも、同様に感じたことを思い出します。
アーリントンは1864年開設。首都ワシントン.のポトマック川対岸にある広大な国立墓地。当初は南北戦争の戦没者墓地として開設。敵味方関係なく葬送。その後、遡及して独立戦争戦没者も祀られました。
今では、第1次・第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争等の戦没者、テロ犠牲者等の墓地が広がっています。軍最高司令官である歴代大統領も埋葬対象ですが、アーリントン内に墓所があるのはタフト(第27代)、ケネディ(第35代)の2人だけ。
アーリントンが素晴らしいのは、全ての宗教(無宗教も含む)が許容されていることです。さすが自由の国。また、埋葬の決定権は国や運営者側にはなく、本人と遺族の意思次第。信仰の自由を完全保障しています。
アーリントン内の墓石には故人の信仰を表す宗教的マーク(Authorized Emblems)を刻印。現在の種類は約50。仏教やイスラム教は当然のこと、日本の新興宗教や無神論者のマークも存在します。
アーリントンには無名戦士墓地もあります。各国首脳が諸外国を公式訪問すると、当該国の無名戦士墓地に弔問、献花するのが慣行。訪米する各国首脳はここに献花に訪れます。
無名戦士墓地は身元不明戦没者の遺体を一体だけ、全無名戦士戦没者の代表として祀るのが一般的のようです。
日本では千鳥ヶ淵戦没者墓苑が無名戦士墓地と擬せられることがありますが、千鳥ヶ淵は引き取り手のない戦没者、身元不明戦没者の納骨堂です。
英国圏の対応は独特。「コモンウェルス戦争墓地委員会」という6か国(イギリス、インド、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ)で構成される政府間組織が戦没者墓地を所管。
委員会は、第1次・第2次大戦でイギリス連邦諸国の軍役に就いた約170万人の戦没者、約7万人の民間戦没者の追悼、墓地及び記念碑の維持管理を担っています。
世界各国に2万ヶ所以上の墓所、約2500ヶ所の集合墓地、200ヶ所以上の記念碑があり、日本では横浜市保土ケ谷区に英連邦戦没者墓地があります。
ドイツのビットブルク墓地、インドネシアのカリバタ英雄墓地、台湾の忠烈祠等も国立墓地。意外に知られていませんが、フランスの凱旋門は無名戦士墓地の扱いです。
日本には国立墓地はありません。それに関連して、長年論争の的となっているのが靖国(靖國)神社の扱いです。
靖国神社は日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀る「神社」。単立宗教法人であり、神社本庁には属していません。その設立の経緯等を少し整理してみます。
戊辰戦争後の1868年、官軍総督の有栖川宮親王が官軍戦没者の招魂祭を江戸城で斎行。同年、京都でも慰霊祭が行われ、幕末維新の戦没者を慰霊する動きが全国で活発化。
こうした中、大村益次郎が東京に招魂社を創建することを建議。明治天皇の勅許を得て、1869年、靖国神社の現在地に「東京招魂社」が創建されました。
1879年、東京招魂社は官幣社となって「靖国神社」に改称。「靖国」は「春秋左氏伝」に登場する「吾以靖国也(吾以つて国を靖んずるなり)」を典拠として明治天皇が命名。
靖国神社の現在の祭神(柱)数は約250万。軍人・軍属が中心であることから、英語では「War shrine」(戦争神社)と表記される場合があります。
柱数1万以上の戦没者は、太平洋戦争約213万、日中戦争約19万、日露戦争約9万、満洲事変約1.7万、日清戦争約1.4万。
祭神は靖国神社の内規に従って合祀されます。戦死・戦傷病死した軍人・軍属のほか、東京裁判(極東国際軍事裁判)等による刑死者(日本政府は「法務死者」、靖国神社は「昭和殉難者」と呼称)や抑留者、戦闘の犠牲になった動員学徒・疎開児童等も含まれています。
軍人・軍属の中には、内地勤務における傷病死亡者、準軍属の外務省等の公務員も含まれており、戦没者とは少々印象が異なります。
幕末維新の関係者は、新政府側の戦没者は含まれていますが、幕府側や維新後の反乱軍の戦没者は含まれていません。
吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎等は維新殉難者として合祀。会津藩士も天皇を守護したとして合祀されています。
一方、旧幕府軍兵士、奥羽越列藩同盟兵士、新選組・彰義隊等の旧幕臣や、明治維新の功労者であっても、西郷隆盛、江藤新平、前原一誠等は祀られていません。
意外にも、天寿を全うした乃木希典、東郷平八郎等の軍人は戦没者でないとして祀られていません。
女性は約6万柱。従軍・救護看護婦や沖縄戦における「ひめゆり学徒隊」「白梅学徒隊」等の7女学校の女学生も含みます。
敗戦に伴い、1945年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が神道指令を発布。1946年、靖国神社は国の管理を離れ、宗教法人法に基づく単立宗教法人に転化。
GHQは靖国神社廃止も検討しましたが、賛否両論あったそうです。そこでローマ教皇庁に所属するビッテル神父とバーン神父に意見を求めたところ、「戦勝国か敗戦国かを問わず、全ての国は戦没者に敬意を払う権利と義務がある。靖国神社廃止はGHQの占領政策に馴染まない」との進言を受け、靖国神社存続を決定。
終戦に先立つ1944年、連合軍の「日本の信仰の自由」という報告書は、次のように記しています。
「近年設立された国家的英雄を祀る靖国神社、明治神宮、乃木神社等は、軍国主義・国家主義的精神を鼓舞する施設であり、日本政府も、宗教ではなく、愛国主義の表現形態であると繰り返し主張している。閉鎖を命じても信仰の自由に反しない」
「但し、現実的には、国家主義的神社であっても、強制的閉鎖は逆効果を招く恐れがあるので望ましくない。公的秩序や安全保障に反しない限り、個人的信仰の対象としては存続を認めるべき」
信仰の自由を日本政府に要求したGHQ。靖国神社を廃止し、自ら信仰の自由を否定することを回避したと言えます。良くも悪くも、米国は合理的で現実的な国です。
設立当初、靖国神社は内務省、及び陸軍省・海軍省が共同管理。天皇、皇族の親拝や代参が行われ、祭主は武官が務めました。
戦前は陸海軍が対象者を決定。しかし、敗戦による靖国神社の一宗教法人化、陸海軍の廃止、対象戦没者激増(200万人超)等の事情から合祀制度が変容。対象者決定は厚労省の所管となりました。
合祀に際して靖国神社から遺族に連絡はしたものの、同意を必須としなかったため、本人・遺族の意向は考慮されていません。そのため、遺族が不満を表明する事例や裁判もあったようです。
1952年以降、政府主催の全国戦没者追悼式が毎年開催されています。1964年には靖国神社で行われましたが、以後は日本武道館で開催。
1969年から1974年にかけて、靖国神社の国家管理化を目指す法案が何度か国会に提出されたものの、成立せず。以後、閣僚参拝が行われるようになりました。
1975年の終戦記念日(8月15日)に三木武夫首相が参拝(首相の終戦記念日参拝は初)。「首相としてではなく、個人として参拝」と説明したことに端を発し、以後、首相の靖国参拝時の「立場」が注目されるようになりました。
なお、三木首相以前の歴代首相11人中7人が通算31回参拝。三木首相に続く3代の首相も通算16回参拝。
1979年4月にA級戦犯14名が合祀。唯一の文官戦犯となった広田弘毅首相の遺族は「合祀に同意していない。靖国神社に祀られているとは考えていない」と発言。
三木首相から4代目の中曽根康弘首相が1985年終戦記念日に公式参拝。中曽根首相は通算10回参拝していますが、1985年が最後。その際、初めて中国が「首相の公式参拝」に抗議。
以後の参拝首相は18人中3人。1996年7月29日の橋本龍太郎首相、2006年終戦記念日を含む通算6回の小泉純一郎首相、そして2013年12月26日の安倍晋三首相です。
この間、昭和天皇は通算8回親拝。しかし、1975年(昭和50年)11月21日を最後に、天皇の親拝は行われていません。
理由は様々論じられていますが、真相は不詳。昭和天皇がA級戦犯合祀に否定的であったとの説もあり、富田朝彦宮内庁長官の「富田メモ」、卜部亮吾侍従の「侍従日記」等に基づく研究も行われています。
靖国神社の歴史的・宗教的・政治的・国際的等々の特殊性を踏まえ、靖国神社に代わる国立追悼施設の設置を推奨する意見もあります。千鳥ヶ淵を国立追悼施設として拡充することも提案されています。
小泉首相時代には国立追悼施設に関する懇談会が設置され、2002年に報告書がまとめられました。2005年には、超党派の国立追悼施設を考える議員連盟も発足。連立与党の公明党も国立追悼施設に賛意を示しています。
2013年5月、安倍首相は訪米時に「日本人が靖国神社を参拝するのは米国人がアーリントン墓地を参拝するのと同じ」と米マスコミに発言。
同年10月、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が訪日時に千鳥ヶ淵を訪問、献花。この訪問は日本の招請ではなく、米国の意思で行われました。
米国高官は日本のマスコミに「千鳥ヶ淵はアーリントンに最も近い存在。国務長官と国防長官は、日本の閣僚がアーリントンに訪問、献花するのと同様に戦没者に哀悼の意を表した」と発言。
米国はそれ以上の解説を加えていませんが、安倍首相の発言に対する牽制と捉える向きもあります。
現在、国会論戦が佳境を迎えている安保法制。賛否両論ありますが、自衛隊員のリスクや死傷時の処遇について真摯に議論することが重要です。「リスクは高まらない」「むしろ低下する」「戦死させない」等々の根拠のない楽観論で安保法制の議論を行うことは不誠実と言えるでしょう。
戦後に殉職した自衛官、海上保安官、政府職員等は靖国神社に祀られていません。各地の護国神社に祀られている事例はあるようです。
自衛隊員に限らず、海上保安官、警察官等々、国民や国のために犠牲となった人々に敬意を表するためにも、国立墓地や国立追悼施設のような対応を真剣に検討すべきと考えます。
(了)