今年最後のメルマガです。先週シリコンバレーに出張し、予想以上に刺激されました。途中、干支の話題も挟みますが、最後はやはりシリコンバレーの話に戻ります。どうぞ、最後までお付き合いください。
今や誰もが知っているシリコンバレー。カリフォルニア州サンフランシスコ市南東部、IT関連企業が集積する地域全体を指します。地名ではありません。
IT産業を象徴する素材である半導体主原料がシリコン(Silicon)であること、この地域が現地で「Valley」と呼ばれていることからシリコンバレーという呼称が定着。
1955年、トランジスタ発明者である物理学者ショックレーがマウンテンビューに半導体研究所を設立。そこからフェアチャイルド、インテル等、多くの半導体企業が誕生したため、関係者の間でシリコンバレーという愛称が使われ始めたそうです。
1971年、ジャーナリストのホーフラーが業界紙に半導体産業に関するレポートを掲載。タイトルは「Silicon Valley USA」。これを機に、シリコンバレーという呼称は関係者以外にも浸透していきました。
サンフランシスコからサンノゼを結ぶ全長約50kmの鉄道「カルトレイン(Caltrain)」沿線、及びサンノゼを含むサンタクララ郡の公共交通機関(バス・ライトトレイン)「VTA(Valley Transportation Authority)」沿線がその中心。渋滞がなければ自動車でサンフランシスコから1時間強の圏内です。
1990年代半ばまでは、スタンフォード大学があるパロアルトからインテルがあるサンタクララまでの地域がシリコンバレー。
最近では、サンタクララ郡(サンノゼ市周辺)を中心として、東はサンフランシスコ湾東岸のアラメダ郡(フリーモント市周辺)、北は同西岸のサンマテオ郡(サンマテオ市、フォスターシティ市周辺)、南は太平洋岸のサンタクルーズ郡(スコットバレー市、サンタクルーズ市周辺)等を含む一帯に拡大。
面積的には東京都よりやや狭い地域に人口約100万人(東京都の10分の1)なので、息苦しい集積感は全くありません。白人は約4割。最近はアジア人が増加する中、在留邦人は約1万人です。
カルトレインでサンフランシスコから南下すると、ベルモントにはオラクル。サーバーをイメージして建設された「5つのデータベース」と呼ばれる本社ビル群が湖畔に林立。
パロアルトにはフェイスブックとスタンフォード大学。ヒューレットパッカード(HP)創業の場所(HPガレージ)もあり、州歴史的建造物に認定されています。
マウンテンビューにはグーグル。サニーベイルにはアップル。ほかにも、アドビ、シスコ、ヤフー、イーベイ等、よく名前を聞くIT企業が各地に点在。主要企業の敷地は広大で、キャンパスと呼ばれています。
世界各国でIT産業の集積地にシリコンバレーの異名が冠されています。中国の北京市海淀区中関村、インドのバンガロール、ドイツのイェーナ等。しかし、本場のシリコンバレーには及びません。
日本で1980年代にIT企業が集積した渋谷。英訳「bitter(渋い) valley(谷)」と情報量単位の「ビット」を重ねて「ビットバレー」と呼ばれました。東北自動車道沿線をシリコンロード、九州はシリコンアイランドと呼ぶ向きもありますが、やはり本場シリコンバレーには及びません。
今やシリコンバレーのIT企業群は米国GDP(国内総生産)の約3割を産出。なぜシリコンバレーの成長が続くのか。その理由はいくつか考えられます。
第1は資金調達の容易さ。ベンチャー投資が集中しているほか、関連企業群の株式時価総額は既に150兆円超。これが資金調達の担保となり、一層資金調達を容易にしています。
第2に人材。資金調達が容易になったのは結果論。その背景は多様で創造的で豊富な人材がイノベーションの実績を蓄積しているからです。
第3はスピード感。シリコンバレー関係者のメールはチャット状態。ダッシュボードに書き込むと瞬く間に返事が来て、提携や出資が速やかに成立するそうです。
第4は市場(マーケット)に対する感覚。リスクを取らない日本企業は「始めに市場ありき」。市場があるから参入します。新基軸やチャレンジには慎重です。一方のシリコンバレーは「市場を創る」感覚。ユーザーや市場が何を求め、何に反応するかに敏感です。
第5は社会全体の雰囲気。個人、グループ、地域社会、企業、アカデミア等のマインドと言ってもよいでしょう。新しいものを受け入れ、チャレンジに対して寛容な雰囲気。一朝一夕に真似できるものではありません。
今回のシリコンバレー訪問では日本とのギャップを実感。筆者は1980年代、日銀の新人時代にIT関連産業の調査を担当。シリコンインゴット、ウェハー、半導体チップ、最終製品等の工程全般で日本企業が躍進していた時代です。
今や多くの分野で厳しい競争と苦境に直面していますが、シリコンインゴット、ウェハー等の上流工程では日系企業のシェアは相対的に高位を維持。今後の巻き返しを図るために、雰囲気から変えていかなくてはなりません。
ここで、年末恒例の干支シリーズ。干支は十干十二支(じっかんじゅうにし)で構成されますので、「十」と「十二」の最小公倍数の「六十」でひと回り。六十歳になると自分が生まれた年の干支に戻るので「還暦」と言います。
ちなみに、十干は「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」、十二支は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」。最初の組合せは「甲」と「子」の「甲子」。「甲子」の年に作られた野球場が甲子園。さて、来年の干支は「丙申」。干支の組み合わせの33番目です。
「丙」は「さかん」「あきらか」「つよい」という意味があるそうです。十干は樹木の成長に喩えられるので、「甲」「乙」に続く「丙」は形が明らかになってくる段階。
「申」は「伸びる」と同義。これも樹木の成長に喩えられ「すくすくと真っ直ぐに育つ」ことを暗示。
つまり、いろいろな意味において、様々な動きが盛んになり、形になっていく年という意味のようです。
前回「丙申」の1956年(昭和31年)は、神武景気に沸き、GDPが戦前水準超え。経済白書に記された「もはや戦後ではない」という言葉が流行語になりました。
現在のGDPは、円ベースでは概ねゼロ成長、ドルベースでは過去3年間で2割減(円安の影響)。さて、来年の経済はどうなるでしょうか。
ところで、猿(申)に対する印象は、猿が棲息する国々では好意的。インド神話のハヌマーンや中国の孫悟空等は神仏の使い。日本でも古来、日枝神社(比叡山)の使いは猿です。
一方、猿が棲息しないキリスト教圏諸国では猿は神に愛されなかった憐れな存在。意外にも、韓国も猿に嫌悪的。食事中に猿の話をすることはタブー(禁句ワード)だそうです。
昨年の馬(午)、今年の羊(未)は諺や慣用句の多い十二支でした。それに比べると猿(申)にまつわるものはあまり多くありません。
「犬と猿」「犬猿の仲」は仲が悪いことの喩え。「犬猿も啻(ただ)ならず」は犬と猿よりもさらに仲の悪いこと。
「猿の尻笑い」は、自分の欠点に気づかずに他人の欠点をあざ笑うことの喩え。「猿の面」とも言うようです。
「猿に烏帽子(えぼし)」は、似つかわしくないことの喩え。「烏帽子」は礼服着用時の古来の帽子。猿が外見だけを取り繕って中身が伴わないことを揶揄しています。
「沐猴(もっこう)にして冠す」は、外見は立派だが中身は愚かな者、地位に相応しくない小人物の喩え。「沐猴」とは猿のこと。猿が冠をかぶっても中身は猿だという意味です。
楚の項羽が故郷に凱旋した際、臣下が「楚人は沐猴にして冠するのみ(楚国人は冠をかぶった猿のようだ)」と陰口。項羽はその臣下を釜ゆでの刑に処したと言います。「史記」に出典がある慣用句です。
肯定的慣用句は「猿に絵馬」。取り合わせのよいものの喩え。中国や日本では古来、猿は馬小屋の守護と考えられ、農家の厩(馬屋)に「申」と書いた札を貼る習慣があったそうです。猿と馬の取り合わせの図柄が絵馬によく使われるようになった背景です。
悪い意味での猿馬の組み合わせは「意馬心猿(いばしんえん)」。心が煩悩や欲望に乱されることの喩えです。 乱れる心を「奔走する馬」「騒ぐ猿」に準(なぞら)えた仏教典「参同契」の「如し其れ心猿定まらず、意馬四馳すれば、則ち神気外に散乱す」が出典。
仏教典からの慣用句と言えば「猿猴(えんこう)月を取る」。できないことをしようとして失敗する、身のほど知らず、高望みして失敗することの喩えです。
仏教戒律書「摩訶僧祇律」曰く、井戸の底に映った月を見た猿が「月を救い出して世に光を取り戻す」と仲間に呼びかけ、木の枝から数珠つなぎに下に降りていったものの、手が届く寸前で枝が折れて全員井戸に落ちたという寓話です。少々可哀想な気もします。
最後によく使われる代表格をふたつ。ひとつは「猿も木から落ちる」。その道に長じた者でも時には失敗することがあるという喩え。
もうひとつは「見ざる聞かざる言わざる」。秘密を守るという趣旨で使われることもありますが、本来は、自分にとって都合の悪いことに向き合わないこと、相手の長所よりも短所ばかりを意識することを戒める含意のようです。
「100匹目の猿」という表現も聞きますが、これは諺や慣用句ではありません。行動や考え等が、ある臨界点を超えて伝播すると、飛躍的に浸透する現象を指します。社会の常識や流れが一気に変わることの喩えです。
「100匹目の猿」は、英国の科学者ライアル・ワトソンが1979年の著書「生命潮流」の中で取り上げた話題が発端です。
宮崎県幸島(こうじま)に棲息する猿の一頭が芋を洗って食べるようになり、同じ行動をとる猿の数が「閾値(しきいち)」を超えて増加したのを契機に、その行動が群れ全体や場所を隔てた大分県高崎山の猿の群れにも伝播したという話です。
この本を読んだケン・キース・ジュニアという作家が1981年に「100匹目の猿」という本を出版。「100匹目の猿」が世界中に広まり、日本でも話題になりました。
しかし、その後の論争や取材の結果、これはワトソンが、京都大学河合雅雄博士(霊長類研究の第一人者)が幸島で行った猿の行動研究論文から着想した創作話だったことが発覚。
1948年、河合博士が研究を開始。1952年に芋による餌付けに成功。1953年、「イモ」と名付けた猿が「砂のついた芋を川の水で洗う」という行動を開始。
ある程度は他の猿も芋洗い行動を真似したものの、ワトソンの言うような「閾値(100匹)」を超えたら飛躍的かつ接触のない猿にも伝播したという事実はないようです。
しかし、集団の思想や行動が一気に変わる「臨界点」が存在するという直観的現象を肯定的に受け止めたい読者層に浸透。「100匹の猿」は企業や社会の進化や変化を語る際のキーワードになりました。
創作話であったことは問題ですが、「100匹目の猿」はメタファー(暗喩、隠喩)、修辞学としては意味があるような気がします。後日、ワトソンも同趣旨の発言をしています。
とくに、今日のインターネット社会ではメタファーとしては「100匹の猿」に近い現象が既に生じている、あるいは今後生じる確率が過去に比べると高まっていると思います。
「芸術は爆発だ」「人生はマラソンだ」というような表現がメタファーです。つまり、その本質を暗喩、隠喩した表現。世界や日本が変わっていくためには「100匹の猿」的な現象が必要かもしれません。
世界の対立と紛争が減少していくためには、それを期待する人達がある臨界点を超えて増えなければなりません。日本の企業や社会の雰囲気を変えていくためには、それを目指し、肯定的に受け入れる人達が臨界点を超えて増えなければなりません。
心理学の権威、かのユングも同様のことを「シンクロニシティ」という専門用語で説明。日本語では「共時性(きょうじせい)」「同時性」「同時発生」等と訳され、「意味のある偶然の一致」という説明も聞きます。
シリコンバレーでイノベーションが続く背景には、そこに集う人々の常識、文化、思考・行動パターン等が密接に関係しています。それらを肯定的に受け止め、実践する人達が日本でも「100匹の猿」的に増えないと、勝負にならないような気がします。
最後に米海軍准将として活躍したグレース・ホッパーという女性数学者・計算機科学者の言葉を紹介しましょう。プログラミング言語COBOLの開発者でもあります。
初期の計算機(コンピュータ)はリレーテープに昆虫等が挟まるトラブルに悩まされ、ホッパーが「バグ(bug)が見つかった」と表現したことからプログラムミス等を「バグ」と呼ぶようになったそうです。
そのホッパー曰く「いいアイデアなら、いいからやってしまえ。許可を得るより謝る方がずっと簡単だ(If it’s a good idea, go ahead and do it. It’s much easier to apologize than it is to get permission)」。
そういうアニマルスピリッツを持った人材を育むこと、それを活かすことのできるマネジメントやガバナンスの度量、そうした雰囲気を受け入れる社会や企業のコンセンサス。そして、それに同調する人が「100匹の猿」的に増えていかなければ、シリコンバレーには勝てないでしょう。
そうした人材を「意馬心猿」と見下し、新たな提案を「見ざる言わざる聞かざる」では、イノベーションは所詮「猿猴月を取る」。それでは皆さん、良い年をお迎えください。
(了)