今回のテーマは「パナマ文書」。各国首脳や富裕層の租税回避行動の一部が明らかになり、物議を醸しています。明後日14日から開催されるG20(主要20か国財務相・中央銀行総裁会議)でも租税回避・課税逃れ対策、監視強化が議題になるようです。
「タックス・ヘイブン(Tax haven)」とは、課税が著しく軽減または免除されている国や地域のこと。「租税回避地」と訳されます。
英語の「haven」の意味は「避難場所」。「heaven(天国、楽園)」ではありません。フランス語では「パラディ・フィスカル」つまり「税の楽園」ですが、英語では「税の楽園」ではなく「租税回避地」です。
その起源については諸説あります。産業の乏しい島嶼諸国が貿易拠点となることを企図して税や入港料を減免したのが始まりのひとつ。寄稿船の船員の消費活動等によって、街が潤うことを期待したのでしょう。
最近では、金融取引の中継地として利用されることを企図したタックス・ヘイブンが主流。減税措置や簡便な法人登記・市場取引・外貨決済等がセールスポイント。その意味では、ロンドンの「シティ(金融特区)」が世界最大のタックス・ヘイブンです。
島嶼諸国タックス・ヘイブンの代表例はケイマン、バージン諸島等のカリブ海諸国。ケイマンの外国企業に対する法人税減免措置は、宗主国である英国シティの制度を模倣したそうです。
今や世界の多くの企業が租税回避を企図してタックス・ヘイブンを利用。こうした租税回避行動に対し、各国徴税当局はタックス・ヘイブン対策税制を整備して対抗しようとしています。
例えば日本。タックス・ヘイブンに所在する子会社の所得を日本の親会社の所得に合算して課税。二重課税ではなく、タックス・ヘイブンと日本の税率の差に相当する額を追加課税します。
また、海外隠し資産による租税回避行動の監視強化のため、2018年から40カ国超の税務当局と連携し、日本人・日本企業の海外口座情報を国税庁に集約させる方針です。
タックス・ヘイブンは税務当局による情報把握が困難という点に着目し、暴力団やマフィア等のアングラマネー(闇資金)のマネーロンダリング(資金洗浄)にも悪用されており、規制・情報集約は当然のことです。
OECD(経済協力開発機構)も規制に着手。OECDの基準では「金融・サービス等の活動から生じる所得に対して無税としている、または名目的にしか課税していないこと」に加え、次の3項目にうち、いずれかひとつに該当する非加盟国・地域を有害なタックス・ヘイブンと認定しています。
すなわち「他国と実効的な情報交換を行っていないこと」「税制や税務執行につき透明性が欠如していること」「誘致される金融・サービス等の活動について、自国・地域において実質的な活動がなされることを要求していないこと」の3項目。
2013年、OECDはG20加盟国とともに課税回避行動を抑止するために「BEPS行動計画」を発表。
「BEPS」とは「税源侵食と利益移転(Base Erosion and Profit Shifting)」の略。悪質な租税回避行動の捕捉・是正を企図し、外国子会社に対する合算税制の強化、租税条約濫用防止などを目指しています。
近年、大企業を中心に悪質なBEPSが時々問題になります。例えばスターバックス。英国進出以来14年間で約3900億円の売上を計上する一方、納めた法人税は約11億円。しかも、2008年以降は納付ゼロ。
オランダやスイスに設立したペーパーカンパニーを活用して取引を行い、法人税が高い英国での利益を圧縮しているようです。
OECDはBEPSによる減収額を「少なくとも年間2400億ドル、世界全体の法人税収の約1割」と推計。昨年8月には、OECDとG20加盟国約40カ国がタックス・ヘイブン濫用を防止する税制導入を決定。先行する日米英を参考に各国が追随するようです。
タックス・ヘイブンに明確な定義はありません。米国全体がタックス・ヘイブンであるとか、米国デラウェア州が世界のタックス・ヘイブンのモデルという指摘も聞きます。
米国で2番目に小さい「デラウェア州」が米国オンショア(国内)のタックス・ヘイブンと言われる理由は、多くの大企業がデラウェア州に登記しているからです。
中小企業を含む全米企業総数は約2000万社。うち、上場企業の半数以上、最近の新規上場企業の大半、Fortune 500企業の約6割、多くの新興ベンチャー企業等、上場企業を中心に約100万社がデラウェア州に登記しています
デラウェア州北部の都市ウィルミントンのノース・オレンジ・ストリート1209番地のビルは世界で最も人気の高い登記地。登記代理人の所有ビルであり、アップル、グーグル、GE、コカ・コーラ等の著名企業を含む世界約29万社の本社になっています。
企業に人気の高いデラウェア州。その背景には歴史があります。
19世紀末、最も人気が高い登記地はニュージャージー州。この時期、米国では企業の公共性が強く意識されていた一方、ニュージャージー州の会社法は企業が利益追求に専心し易い法制を整備していたからです。
1899年、デラウェア州は地元企業オーナーであるデュポン一族の圧力を受け、ニュージャージー州の法制を模倣し、企業経営の自由に重きを置いた会社法を制定。
1910年代前半、ニュージャージー州のウッドロー・ウィルソン知事が第28代大統領に就任。ウィルソンは蔓延する企業不正対策を公約に掲げ、出身州であるニュージャージー州は合併規制強化を図る会社法改正や反トラスト法制定を連邦に先行して断行。これを機に、多くの企業が川を挟んで隣接するデラウェア州に登記地を変更しました。
1920年代後半、デラウェア州の企業登記数が全米トップとなり、州歳入の約半分は企業由来の税や手数料。以来、企業登記数全米トップの座を堅持。1980年代のM&Aブームの際には、同州は他州に先行して新株予約権等の各種企業防衛策(ポイズン・ピル)を整備。
デラウェア州の登記企業は過去10年で推定約100億ドルの節税に成功する一方、同州の企業由来歳入も潤沢。タックス・ヘイブンと揶揄される所以です。
たしかにデラウェア州は、商標・著作権・リース・版権等、つまり無形資産由来の受動的収益のみの企業(デラウェア州持株会社)の法人税を免除しています。
しかし、全米50州全てにおいて何らかの優遇税制が設けられているほか、デラウェア州より有利な優遇税制を整備している州もあります。
それでは、デラウェア州がタックス・ヘイブンと言われるほど企業登記数が多くなった原因は何か。そのひとつに、企業情報の秘匿性が高いという指摘を聞きます。
しかし、デラウェア州も他州と同様の情報開示義務を課しています。加えて、同州企業は州法人税報告書に取締役の氏名及び住所の記載を義務づけられ、同報告書を含め、州政府に提出される全届出が一般の縦覧に付されており、必ずしも秘匿性が高いとは言えません。
むしろ、透明性向上のために2002年に他州に先がけて無記名式株式を販売禁止。2006年には法人登録代理人に対する規制を実施。2012年には新たな上場審査基準を導入し、「ペーパーカンパニー」「ダミー会社」「匿名性・秘密性」を謳う会社設立支援業者に対する規制を強化。いずれも米国初です。
以上のように、デラウェア州が情報秘匿性の面で他州に比べて企業に有利というわけではありません。むしろ、透明性、公開性が高いという印象です。
では、デラウェア州の人気の秘密は何か。関連文献を調べると、意外なことに、人気の源泉は会社法制等の「内容」とは別のところにあるようです。
デラウェア州の会社法改正には州両院(上下院)の3分の2以上の賛成多数が必要との規定が同州憲法に定められていたため、法的安定性、予測可能性、政策的一貫性の面で優れていることが評価されたという説です。
その流れは今でも続いており、デラウェア州は会社法に精通した優秀な裁判官を揃え、迅速かつ予測可能性と柔軟性の高い会社法運用をしていると評価されています。
会社法の内容自体は、企業保護に重きを置いた州と、少数株主や顧客の利益保護に重きを置く州の、中間的な立場だと言われています。
他州の多くは企業保護を強化することでデラウェア州に対抗しようとしています。一方、デラウェア州はバランスのとれた柔軟な会社法があり、出資者(株主)の正当な利益を保護することに腐心。
会社法の内容がバランスよく整備され、行政手続のオンライン化・電子化も進み、企業の設立・登記等のプロセスが明快・簡便・迅速。最短1時間足らずで起業できるほどです。
こうした総合的な会社法制・行政体制が、米国上場企業の経営者、出資者双方に好まれているというのが実情でしょう。
さて、「パナマ文書」。中米パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」から流出した膨大な顧客データのことです。
「モサック・フォンセカ」は世界の大企業や富裕層の間でタックス・ヘイブンに強い法律事務所として知られています。顧客の租税回避行動を支援する法律事務所です。
従業員500人以上、40か国以上に事務所を擁し、顧客(企業及び個人)は約30万。世界の大手金融機関と連携し、英領タックス・ヘイブン等に多くのペーパーカンパニーを設立。
「モサック・フォンセカ」は世界で4番目に大きなオフショア法律事務所であり、「世界で最も口が堅いオフショア金融のリーダー」と評されています。
報道によれば、約1年前、その顧客データを南ドイツ新聞の2人の記者が某人物から入手。「モサック・フォンセカ」はPCをハッキングされたとしています。
会話の録音音声ファイル、1970年代から最近までの電子メール(480万件)、PDFファイル(214万件)、電子ファイル(305万件)、テキストファイル(32万件)、写真(112万件)、その他も含め1150万件。200ヵ国、21万4千の企業・個人が登場するデータです。
流出データ量は2.6テラバイト(TB)。2010年米国外交公電ウィキリークス流出事件の1.7ギガバイト(GB)の1500倍のデータ量です。
米国機密情報をリークしてロシア亡命中のスノーデンが自らのツイッターに「データジャーナリズム史上最大の漏洩事件」と評したほか、ウィキリークスは「パナマ文書流出に米国国際開発庁と米投資家ジョージ・ソロスが関与」とコメントしています。
「パナマ文書」はICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)に提供され、80か国107社の報道機関に所属する約400名のジャーナリストが内容を分析。4月3日、その分析結果の一部が公表されました。
現役の首相等14人、首脳経験者12人を含む46か国140人の政治家・公職者、その家族、著名人等の名前が明らかになり、物議を醸しています。
激震の皮切りはアイスランドのグンロイグソン首相。同首相は英領バージン諸島のペーパーカンパニーを購入し、同社を介して自国の3銀行に投資。リーマン・ショックの影響で当該3行が破綻したものの、同首相は投資事実を伏せたまま銀行の債務処理に関与。そのことが発覚し、国民の批判を受けて4月7日にあえなく辞任。
英国のキャメロン首相も亡父がパナマに設立した会社に妻とともに投資していたことが発覚。首相就任直前に同社株を売却していたものの、批判が高まっています。
中国の習近平国家主席、共産党序列5位の劉雲山政治局常務委員、序列7位の張高麗副首相の親族も英領バージン諸島の企業の株主や役員になっていたことが発覚。
中国政府は批判の高まりを警戒し、言論統制を強化。インターネット関連記事へのアクセスを制限。「パナマ文書」関係の報道は削除され、検索エンジンにヒットしない状況です。反腐敗を掲げ、汚職摘発を進めてきた習政権は批判封じ込めに躍起です。
ロシアのプーチン大統領の盟友がタックス・ヘイブンで約20億ドルの資金を運用していたことが判明。複雑な資金授受の仕組みにはプーチン大統領と関係が深い「ロシア銀行」が関与。英大手紙やICIJは「プーチン大統領が無関係とは思えない。タックス・ヘイブンはまるで大統領の個人口座のようだ」と指摘。
ロシア政府は「パナマ文書」流出事件を「西側の陰謀」と断じ、プーチン大統領が「陰謀の標的」になっていると抗弁しています。
北朝鮮は英国人を介して英領バージン諸島に企業を設立。同社は武器業者と取引していたほか、核兵器開発にも関与していたことが判明。
アルゼンチン検察当局は大統領の捜査を開始、メキシコ税務当局は「パナマ文書」に登場した国内33人の調査を開始、震源地パナマでは大統領が独立委員会による調査を開始。EU(欧州連合)はタックス・ヘイブンのブラックリストを作成し、不正に対して厳罰を科す制度創設を目指すことになりました。
タックス・ヘイブンで資産運用することは、合法・適法であれば問題ないという主張もあります。しかし、タックス・ヘイブンを通した資金の動きが巨額かつ不透明であり、顧客情報の秘匿を理由にほとんどブラックボックスであることが問題視されています。
ICIJは「ガラス張りにすることが重要。政治家や富裕層がなぜタックス・ヘイブンを利用するのか。設立企業がなぜ多額の資産を持っているのか。納税者や有権者が知りたいと思うのは当然だ」と指摘しています。
注目は日本。「パナマ文書」に登場する日本人や日本企業は約400。現状、政治家等の公職者は含まれていませんが、大手警備会社創業者一族が700億円超の株式をタックス・ヘイブンに移転していたこと等も確認されています。
「パナマ文書」は世界的大スキャンダルですが、不思議なことに日本では意外に報道が控えめ。しかも、4月6日の記者会見で官房長官は「詳細は承知してない。日本政府としては調査しない」旨を早々と明言。
「パナマ文書」に登場する企業名の中には大手広告代理店も登場します。政府のみならず、スポンサーや広告代理店に弱い日本のマスコミ体質が気になります。マスコミには是々非々で社会的不公正と戦ってもらいたいものです。
有価証券報告書によれば、東証上場企業の時価総額上位50社のうち45社がタックス・ヘイブンに子会社を設立。その数354社、資本金総額8.7兆円。多くの大企業がタックス・ヘイブンを利用して「租税回避行動」を行っている可能性があります。
とは言え、有価証券報告書で情報開示し、合法・適法に行っていれば、犯罪ではなく道義上の問題かつ今後の政策課。しかし、情報開示せず、違法に課税逃れしている事例もあるでしょう。こうした不正は洗い出す必要があります。
タックス・ヘイブン活用による企業の脱法的節税は2013年にも話題になりました。当時、日本の企業・富裕層がケイマン諸島だけで55兆円(世界2位の規模)の租税回避を行っていることが判明。
租税回避による逸失税収の穴埋めはその他の企業や国民に課される構図を鑑みると、看過できません。課税の公平性を損ねており、事態の改善が急務です。
なお、「パナマ文書」には米国企業・米国人はあまり登場していません。その理由は、米国そのものがタックス・ヘイブン的であることが影響しているかもしれません。
米国では、海外子会社の国外収益は国内送金されない限り課税免除。また、出資者1名のLLC(有限責任会社)について、当該出資者が非居住者である場合の国外収益は課税免除。こうした制度が事実上タックス・ヘイブン的に機能しているのかもしれません。
ICIJは「世界各国で記者が分析を続けており、今後数か月にわたって「パナマ文書」に関する報道が続く」と言及。5月には分析結果がさらに公表されるそうです。
13日、OECDも各国税務当局による緊急会合をパリで開催。「パナマ文書」問題を踏まえ、対策を協議する模様です。
現時点で課税逃れ防止策として有力視されているのは、大企業・富裕層の海外銀行口座情報等を各国税務当局が相互提供するネットワークの拡大。日本を含む約100か国・地域が参加し、2017年導入を目指します。
来月の「伊勢志摩サミット」でも議論してほしいと思いますが、及び腰の日本政府。さて、どう対応するでしょうか。
(了)