原爆を投下した米国の大統領が被爆地、広島を訪問。意義ある一歩だと思います。しかし、「核兵器なき世界」が近づいているのか、遠のいているのか。オバマ大統領のスピーチは印象に残るものでしたが、情緒的に捉えることなく、核兵器を巡る国際情勢を冷静に認識すべきでしょう。
「71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わった。閃光と炎の壁がこの街を破壊した」。ホワイトハウスが「数分間の所感」と発表していたオバマ大統領のスピーチは、印象深い切り出しから始まり、約17分に及びました。
オバマ大統領は2009年のプラハ演説で「核兵器なき世界」を提唱し、ノーベル平和賞受賞に結びつきました。
オバマ大統領の核軍縮への関心の出発点は米コロンビア大時代。研究テーマは核軍縮。1983年、学内誌への寄稿で「核兵器なき世界」という言葉を早くも使っていたそうです。
プラハ演説で「米国は核兵器を使用したことのある唯一の国として、行動する道義的責任がある」と話し、広島スピーチで「広島と長崎は核戦争の夜明けではなく、道義的な目覚めの始まりであるべきだ」と語った心境に偽りはないと思います。
今でも米国内では「核兵器が戦争を終わらせた」「原爆を使用しなければ、より多くの米国人、日本人が犠牲になった」という考え方が根強いものの、オバマ大統領の広島訪問が可能となった背景には、米国内の世論の変化も影響していると思います。
1945年の世論調査(ギャラップ社)では、回答者の85%が広島への原爆投下を支持。しかし、昨年の世論調査(ピュー・リサーチ・センター)では支持が56%に減少。
世代間格差もあります。1980年代から2000年代初頭に生まれた「ミレニアル世代」では原爆投下に対する否定的な意見が漸増。時間の経過とともに、戦争世代の高齢者と比較すると、原爆投下を支持する若者世代の割合は減っています。
具体的には、65歳以上の70%が原爆投下を支持している一方、18歳から29歳の支持は47%に急落。
性別、人種、支持政党でも意見が分かれます。原爆投下支持は、男性62%、女性50%、白人65%、非白人(ヒスパニックを含む)40%、共和党員74%、民主党員52%です。
核兵器廃絶に関する米国世論は二分されています。2010年調査(CNN)では、49%が「米国を含む数ヵ国は他国の攻撃に備えて核兵器を保有すべき」と回答。1988年の調査では56%。冷戦終結後の現在の方が核兵器保有の支持率が高いのは意外です。
オバマ大統領は歴史的な広島訪問を実現したものの、本気で核兵器廃絶に取り組もうとしていたのか、あるいはそれが可能なのか、という点には疑問が残ります。
日本ではあまり報道されませんでしたが、欧米メディアは広島に持ち込まれた「フットボール」と「ビスケット」の存在をクローズアップ。
「フットボール」とは米国大統領に随行する軍事顧問が携行する重さ約20kgの黒皮のアタッシュケースを指す俗称。大統領が核兵器の使用を命じる通信機器が入っています。
「ビスケット」は大統領が携行するカードキーの俗称。「フットボール」経由で核兵器使用を命じる場合、カードキーによって大統領本人であることを認証します。
「フットボール」と「ビスケット」はキューバ危機に直面したケネディ大統領時代から使われるようになったそうです。
「ビスケット」をポケットに入れたままスーツをクリーニングに出したカーター大統領、暗殺未遂事件の際に病院に運ばれたレーガン大統領と「フッとボール」が離れ離れになったというエピソードも伝わっています。
「フッとボール」と「ビスケット」を携行して広島を訪問したオバマ大統領。これが現実です。
核兵器不拡散条約(略称NPT)によって「核兵器なき世界」に向けた努力が行われているという認識は正確ではありません。NPTは、米国、ロシア、英国、フランス、中国以外の核兵器保有を禁止する条約です。
核兵器保有国の非保有国に対する軍事的優位の維持を企図し、保有国が核兵器削減、核兵器拡散防止を「大義名分」として1963年に国連で採択した条約です。
1968年に62ヵ国によって調印され、1970年に発効。25年間の期限付きであったため、発効25年目(1995年)に条約の無条件、無期限延長が決定。加盟国は漸増し、現在の締結国は191か国・地域(2016年6月現在)です。
第9条第3項で、1967年時点の保有国(保有を許された国)である米国、ロシア、英国、1992年批准の保有国であるフランスと中国の5か国と、それ以外の非保有国(保有を許されない国)とに分別。ずいぶん都合の良い条約です。
保有国については、核兵器の他国への譲渡禁止(第1条)、誠実に核軍縮交渉を行う義務(第6条)が規定されていますが、5ヶ国が遵守しているとは思えません。
5か国の核軍縮の実績は、中距離核戦力全廃条約(1987年締結、1991年廃棄完了)、第1次戦略兵器削減条約(1991年締結、2001年廃棄完了)のみです。
非保有国については、核兵器の製造・取得禁止(第2条)、国際原子力機関(IAEA)による査察受け入れ義務、及び原子力の平和利用の権利(第4条)が規定されています。
南アフリカは1991年に核兵器を放棄、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンは核兵器をロシアに移転し、それぞれ非保有国として加盟。
未加盟国は、インド、パキスタン、イスラエル、南スーダン。インドとパキスタンは5ヶ国のみに保有を認めるのは不平等であると主張し、批准を拒否。
イスラエルは保有を肯定も否定もせず、2010年、IAEAから要請された条約加盟と査察受け入れを拒否。2011年建国の南スーダンは条約やIAEAに対応する体制が整っていません。
1991年湾岸戦争に敗北した加盟国イラクは、核を含む大量破壊兵器廃棄と将来も開発しないことを約束する国連安保理決議687を受諾。しかし、現在も核兵器や生物・化学兵器廃棄の完了は未確認。1970年加盟のイランは核兵器の開発・保有が疑われています。
北朝鮮はIAEAの査察要請に反発して1993年に脱退表明。国連安保理による制裁検討を受けて、日米韓によるKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)設立を条件にNPT残留。
その後も北朝鮮の協定違反等を受けてKEDOが重油供与を停止。これに対し北朝鮮は2003年、再度NPT脱退を表明。日本は、北朝鮮の脱退表明が手続違反として、脱退は成立していないという立場をとっています。
核兵器拡散防止を求める一方、自らは核兵器を保有・強化しようとする保有国の姿勢はダブルスタンダード。2014年、マーシャル諸島共和国は、NPT違反として5ヶ国を国際司法裁判所に提訴。もっともなことです。
日本はNPTに1970年署名、1976年批准。第10条が自国の利益を危うくする事態には脱退する権利を有すると定めていることから、日本は署名時に「日米安保条約が廃棄される等、わが国の安全が危うくなった場合には第10条により脱退し得ることは当然」との声明を発表しています。意外に知られていません。
一方、核兵器全廃を目指す核兵器禁止条約(略称NWC)は1990年代から議論が始まり、2007年にコスタリカとマレーシアが共同提案。2010年NPT再検討会議の合意文書が初めてNWCに言及。国連事務総長も必要性を認めていますが、実現は困難でしょう。
包括的核実験禁止条約(略称CTBT)は1996年に国連で採択され、日本は同年署名、翌年批准。
現在182ヵ国が署名、157ヵ国が批准しているものの、発効要件国(核兵器保有国を含む44か国)の批准が完了していないため未発効。もちろん、オバマ大統領も在任中に批准しようとしませんでした。
ダブルスタンダードのみならず、オバマ大統領には言行不一致という批判もあります。「核兵器なき世界」を訴えてノーベル平和賞まで受賞した一方、在任中に史上最大の核兵器近代化計画を承認しているからです。
全核弾頭の更新、「トライアド(陸海空の核兵力の同時行使能力)」の強化、即応時間の短縮等、今後30年間で1兆ドルの予算を投じるそうです。
オハイオ級原子力潜水艦や地上発射型ミサイル、大陸間弾道ミサイル(ミニットマンⅢ)の後継開発も推進。ロシアが新START(戦略核兵器削減条約)上限一杯のミサイルや爆撃機を保有しているため、米国としても手を抜けないということです。
核戦争勃発の可能性との関係で関心を集めているのが、核兵器の小型化と高性能化です。具体的には、発射(投下)時または発射後に、破壊目標に合わせて広島型の3倍から2%程度に爆発力を調整可能で、かつ命中精度30メートル以内という新型核爆弾「B61-12型」。
命中精度が高く、爆発力を必要最小限に調整できることが、かえって核兵器使用の抵抗感を低めると懸念されています。
さらに、空中発射型長距離スタンドオフ・ミサイル「LRSO」の開発。「LRSO」は現在の空爆の主力、空中発射型核攻撃型巡航ミサイル「トマホーク」の後継です。
「B61-12型」を装填した「LRSO」は次期爆撃機「B3」に搭載予定。遠隔地で投下され、自由落下の途中で噴射飛行開始。捕捉や投下地点特定が難しいと言われています。
「B61-12型」を装填した「LRSO」で攻撃されると、通常弾頭か核弾頭かの即断が難しいそうです(事後には確認可能)。
米国防省や軍事専門家は、ロシアが米国の通常戦力優位に対抗して小型核兵器開発に注力しているため、米国も限定核攻撃に備えることが必要と説明しています。
換言すると、核兵器が大型で強力だと、限定核攻撃への対応を自己規制してしまう可能性があるため、小型核兵器が必要という論理です。
こうした技術進歩は限定核戦争勃発の可能性を高め、エスカレーション・コントロールに失敗すると、大規模核戦争につながる危険性があります。
以上のような核兵器開発に加え、オバマ大統領が削減した弾頭数が歴代政権の中で最も少ない点も批判されています。ブッシュ政権(2001〜2008年)は約5300発の核弾頭を削減したのに対し、オバマ政権は約700発。
ブッシュ政権下では弾頭の母数(約3万基)が多かったこと、オバマ政権下ではロシア、中国、北朝鮮等との関係が悪化するなど、環境の違いはありますが、言行不一致であることは事実です。
オバマ大統領の広島訪問は自分の「レガシー(政治的遺産)」を明確にすることだったのでしょう。広島スピーチでは「核兵器なき世界」の実現は「私が生きているうちにこの目標を達成することはできないかもしれない」と語っています。
「核の傘」の提供者である米国が言行不一致なので、日本も言行不一致にならざるを得ません。昨年12月の国連総会、核兵器廃絶への法的枠組み強化を求める「人道の誓約」決議が139カ国の賛成多数で可決されましたが、日本は棄権。反対する米国に配慮した判断だったようです。大量のプルトニウム保有も日本への疑念を高めています。
「核の傘」の下にはあるものの、米国が日本のために核兵器を使用するのではなく、米国自身にとって必要な時には使用するでしょう。それが国際政治というものです。
プラハ演説で「世界的な核戦争の脅威は減ったが、核攻撃のリスクは増した」と語ってスタートしたオバマ政権。大統領退任を目前に控え、5月25日の英フィナンシャル・タイムズ紙は「この声明の前半部分がまだ通用すると主張するのは難しい」と断じています。
オバマ大統領の広島スピーチの一節で今回のメルマガは締めくくります。曰く「人類が自分たちを破壊する手段を手にした」「米国を含む核兵器保有国は恐怖の論理を脱し、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」「我々は戦争に対する考えを変え、紛争を外交手段で解決する必要がある」。
(了)