リオ五輪が閉幕。日本選手の活躍は見事でした。男子陸上400mリレー、女子バドミントンダブルス、男子体操には感服です。そのリオ五輪の最中、天皇陛下がビデオメッセージで国民に語りかけられました。よほど思い詰められてのことと拝察します。国会議員のひとりとして、重く受け止め、深く考えさせていただきます。
8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(宮内庁HPの記述ママ)が公表されました。ビデオメッセージとして、天皇陛下自らがお話されました。
報道では「お気持ち」という表現になっていますが、正式なタイトルは「おことば」。「お気持ち」と「おことば」では少々ニュアンスが違います。
宮内庁の英訳タイトルはさらに興味深く、「Message from His Majesty The Emperor」(天皇陛下からのメッセージ)となっています。
誰に対するメッセージなのかと沈思黙考。国民に対してであり、政府に対するメッセージでもあると受け止めました。
タイトルだけ考えてみても、宮内庁の深謀遠慮を慮(おもんばか)ることができます。
「おことば」が公表されて以来、新聞等で様々な解説や有識者の意見・感想が展開されていますが、国民のひとりとして、事実関係や私見を整理したいと思います。
「おことば」には「生前退位」という表現は使われていませんが、報道では「生前退位」を意識された内容であるとされています。以下、その理解に沿って論を進めます。
最初に結論めいた印象を言えば、「生前退位」の是非を過去の事例をもとに論じることは適当ではないと考えます。なぜならば、今上天皇は「象徴天皇」だからです。
日本の天皇史において「象徴天皇」は昭和天皇と今上天皇おふたりのみ。しかも現行憲法下で即位された「象徴天皇」は今上天皇だけです。
唯一の当事者である今上天皇が「象徴としてのお務め」について実感を述べられたその内容を、現行憲法下の国民や政府は重く受け止めるべきと考えます。いずれにしても、まずは史実を整理します。
初代天皇は神武天皇。以来8人10代の女性天皇を含め、今上天皇は第125代。過去124代のうち「生前退位」したのは58人。皇位継承の7割近くを占めています。
最初の「生前退位」は、推古天皇に次ぐ2人目の女性天皇であった第35代皇極天皇(在位642-645年)。最後の「生前退位」は第119代光格天皇(同1779-1817年)。
余談ですが、歴代天皇の年表は昨年出版した拙著「仏教通史」(大法輪閣)巻末に掲載しています。ご興味があれば是非ご覧ください。
「生前退位」後の先帝は「上皇(太上天皇)」や「法皇」となったため、「院政」による二重権力構造が生じ、次皇との間で争乱となった事例もあります。「保元の乱(1156年)」や「南北朝時代(1336-1392年)」が典型例です。
明治時代に入り、旧皇室典範は1889年(明治22年)、大日本帝国憲法(明治憲法)と同時に制定されました。
起草の中心となった井上毅(こわし<元肥後藩士、法制局長官等を歴任>)は「譲位(生前退位)」を想定していたものの、初代首相伊藤博文が却下。
伊藤が「譲位」に反対した表向きの理由は、「譲位」の初例が女性天皇(皇極天皇)の中継的即位に由来すること、「譲位」が争乱に繋がった事例があること、等でした。
しかし実際には、明治政府自身が天皇を擁して江戸幕府を賊軍とした過去を省みて、天皇を「終身大位」としないと、再び同様の争乱が生じかねないことを懸念していたようです。
敗戦後の皇室典範も、1946年(昭和21年)、日本国憲法(現行憲法)と同時に制定され、その際も「譲位」は盛り込まれませんでした。
その理由について、この分野の専門家である奥平康弘東大教授の著書「萬世一系の研究」では「昭和天皇が戦犯として訴追される可能性があった中、譲位可能な皇室典範とすると退位論が勢いづくため」と解説しています。真相は関係者にしかわかりません。
その一方、天皇の法的性質は、明治憲法における「現人神(あらひとがみ)」「統治者」から、現行憲法では「象徴」に転換されました。
こうして、「生前退位」「譲位」が不可能な皇室典範の下、1989年(平成元年)、今上天皇は「象徴天皇」として天皇に即位されました。
それから28年、即位した時から「象徴天皇」の今上天皇がご高齢になられた今、「象徴天皇」の在り方を含め、率直に実感を述べられたのが今回の「おことば」です。
「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」(原文ママ、以下同)。まさしく即位した時から「象徴天皇」である今上天皇(昭和天皇は「統治者」として即位)の「おことば」だからこそ、重みがあります。
「国民の安寧と幸せを祈ること」「常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる」「国民を思い、国民のために祈るという務め」。いずれも今上天皇が「象徴天皇」はかくあるべしと究められた境地です。
2011年4月26日、筆者は厚労副大臣として天皇・皇后両陛下に東日本大震災への対応等について、御所応接室において約1時間半、ご進講させていただきました。
熱心かつ親身になって説明を聞いてくださり、時に専門的な質問も頂戴する中で、両陛下の国民を思う慈愛の深さに感銘したことが昨日のことのように思い出されます。
その経験から、今回の「おことば」の中で述べられた「象徴天皇」はかくあるべしというお気持ちが、28年間のお務めの中で得られたご実感であることが伝わってきます。
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには無理があろうと思われます」。
憲法第4条及び国事行為臨時代行法(1964年施行)第2条第1項によって国事行為は委任可能です。現に、昭和天皇晩年の約1年4ヵ月間、当時の皇太子(現今上天皇)、浩宮(現皇太子)が国事行為を代行しました。
政府は「生前退位」に関する天皇のご意向を内々知りつつ、「象徴天皇」としての公務の縮減や、憲法第4条及び国事行為臨時代行法の枠組みで対応することを企図していたようですが、上述の「おことば」はそれを否定されたものと受け取れます。
また、憲法第5条及び皇室典範第16条第2項によって「摂政」を置くことができ、「摂政」は天皇の名で国事行為を行います。政府は「摂政」による対応も念頭にあったようです。
しかし、8月8日の直前に「幸いに健康であるとは申せ」という一文を天皇陛下ご自身で加筆されたと報道されています。非常に重要な意味があります。
国事行為臨時代行法第2条第1項、皇室典範第16条第2項とも、臨時代行や摂政設置が認められるのは天皇に「精神若しくは身体の疾患(重患)又は(重大な)事故があるとき」(カッコ内は皇室典範)に限るとされています。
天皇陛下が「幸いにも健康であるとは申せ」と加筆し、「おことば」として公表されたということは、臨時代行も摂政設置もできないということになります。
そもそも摂政設置に関しては、より直接的に次のように「おことば」を述べて否定的なお考えを示しています。
「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」。
政府は、臨時代行や摂政設置が認められる場合として「高齢のため」ということを国事行為臨時代行法や皇室典範に加筆することも検討しているようです。
しかし、「高齢のため」に臨時代行や摂政を置くことも、「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続ける」ことに変わりはなく、天皇陛下はそうした状況に対して問題意識をお持ちなのです。
「生前退位」に慎重な意見の理由として指摘される点は、天皇の地位の不安定化(退位の強制、先帝と現帝の関係等)、退位後の処遇(尊称、皇室内序列、公務、予算、葬儀等)、元号の扱い等です。
政府は「生前退位」に関する過去の国会質問に対する答弁の中で、「生前退位」に慎重な理由として、主に3つの理由を展開しています。
第1に退位後の上皇や法皇といった存在が天皇制の弊害になる恐れがあること、第2に天皇の自由意思に基づかない強制的な退位があり得ること、第3に象徴天皇の立場から恣意的な退位はふさわしくないこと。
第1、第2は、天皇が「現人神」「統治者」であった時代の史実に基づいた懸念であり、上述のように、「象徴天皇」時代の制度を、「象徴天皇」時代以前の事例を参考に論じることは論理的とは言えません。
第3の理由は意味不明です。象徴天皇が「生前退位」すると、なぜ恣意的であり、なぜふさわしくないのか。論理的な説明が不十分です。
賛否両論があるでしょうが、真摯かつ冷静な議論が行われ、「国民の総意」が形成されることを期待します。国会議員のひとりとしてももちろん努力します。
憲法第1条の「国民の総意」とは天皇の地位を置くことに対するもの。「生前退位」は憲法第2条の継承の問題です。
第2条では「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」となっていますので、皇室典範の内容如何によります。
皇室典範第4条は「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)が、直ちに即位する」となっていますので、この規定をどうするかが課題です。
個人的には、議論のポイントは天皇陛下の基本的人権、ひいては皇族の基本的人権をどう考えるかということだと思います。
1946年(昭和21年)1月1日、官報により発布された昭和天皇の詔書は通称「人間宣言」と言われています。
天皇を「現人神」とするのは「架空ナル観念」のお述べになったことから、昭和天皇が自ら人間であることを宣言した「人間宣言」とマスコミ等が命名しました。
現行憲法下においては、昭和天皇が「人間宣言」をされ、「天皇もひとりの人間である」ということが前提です。
1946年、現行皇室典範検討時の国会において、退位の是非を巡って貴族院議員、南原繁(東京帝国大学総長)が「天皇の終身制は余りに不自然、不合理」であり「天皇も人間としての基本的な人権、完全なる自由をお持ちになる」と主張。
これに対して、憲法担当国務大臣、金森徳次郎は「天皇に私なし、全てが公事。国民統合の象徴が自由意思で退位することは、国民の信念と調和しない」と反論。
全てはこの論争の是非に尽きます。上述のように、その時点では、昭和天皇の戦争責任、訴追の可能性、退位勧奨の動き等を鑑み、「生前退位」を認めない方便に一理あったとしても、今上天皇及び将来の天皇にまで「天皇に私なし」となし得るものでしょうか。
この観点から天皇陛下のお立場を考えると、「おことば」冒頭の一節は重いです。曰く「私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」。
政府は現行憲法発布前の1946年(昭和21年)の「金森答弁」を踏襲するのか否か。早々に確認したいと思います。
国民も国会議員も熟考することが必要です。天皇陛下や皇族には「私はない」「基本的人権を認めない」と考え、ご高齢の天皇陛下に激務を期待するのでしょうか。
政府は天皇の行為を、憲法に定められた「国事行為」、象徴としての「公的行為」、宮中祭祀などの「その他の行為」の3つに分類しています。
公務の量は想像以上であり、ご高齢の天皇陛下のご負担になっていることは数年前から政府も内々理解しているものの、なかなか具体的な対応に至らず、結果的に今回の「おことば」公表となりました。
因みに報道等によれば、昨年(2015年)中の国事行為としての署名・押印は約1000件、国内各地への行幸は60回以上、認証・進講・拝謁等の面会は500回以上、宮中祭祀は約20回。ほかにも諸日程がおありでしょうから、過密日程の実状が窺えます。
天皇が崩御、即位した際には、こうした公務に継承の儀式が加わります。「殯(もがり)」「大喪の礼」「剣璽(けんじ)等継承の儀」「即位の礼」「大嘗祭」等々、昭和天皇崩御、今上天皇即位の際の大変さは、当事者であった今上天皇にしかわからないでしょう。
だからこそ「行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」という「おことば」になりました。
「日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきと社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています」という一節も深く考える必要があります。
「日々新たになる日本と世界の中にあって」という冒頭のくだりは、他国の王室の動向等に対する思いと受け止めました。
日本の皇室と親交が深いオランダ王室では、女王が3代続けて70歳前後で譲位。直近では、2013年にベアトリックス女王(当時75歳)がアレクサンダー皇太子(同46歳)に譲位。
ベルギーでも2013年、アルベール2世(同79歳)がフィリップ皇太子(同53歳)に譲位。翌年、スペインのカルロス1世(同76歳)もフェリペ皇太子(同46歳)に譲位。
もちろん、英国王室では在位64年、90歳のエリザベス女王が現在も王位に就いていますが、制度的には「生前退位」は可能です。
こうした世界の動きも勘案し、日本の皇室典範にも柔軟性と現代性を反映する時期に来ていると感じます。
皇室典範は頻繁に改正すべきものではないでしょう。この際、女性天皇・女系天皇、女性宮家等、過去に議論された懸案も含め、同時に解決を図ることが望ましいと考えます。
(了)