12月中旬、イギリス・ベルギー・ドイツを訪問し、英国のEU離脱を巡る動向等について英国政府・EU関係者等と面談してきました。その内容は上記セミナーで報告させていただきます。今年最後のメルマガです。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
年末恒例の干支シリーズ。干支は十干十二支(じっかんじゅうにし)で構成されますので、「十」と「十二」の最小公倍数の「六十」でひと回り。六十歳になると自分が生まれた年の干支に戻るので「還暦」と言います。
因みに、十干は「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」、十二支は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」。最初の組合せは「甲」と「子」の「甲子」。「甲子」の年に作られた野球場が甲子園。さて、来年の干支は「丁酉(ひのととり)」。干支の組み合わせの34番目です。
古来、干支は陰陽五行の占いと結びつき、木・火・土・金・水の5つの性質との関連で様々な解説がされます。
「丁」は「ひのと」と読み、「火の弟」とも書きます。要するに、「丁」の年は陰陽五行の火の性質を有すると言われています。
「酉」は陰陽五行の観点からは金の性質。つまり、「丁酉」の来年は火と金の組み合わせ。これを専門家が様々に解説します。受け売りですが、以下のとおりです。
水は木を育み、木は火の元となり、火は土を作り、土は金を含み、金が再び水を生む。こういう循環が「相性(または生)」の良い、順応する流れ。
火は金を溶かします。このように、一方が勝る関係を「相剋(そうこく)」と称し、「相性」が良くないとも言うそうです。つまり、来年は「相剋」の年。物事が順調には運ばないことを意味します。
また、十干十二支の漢字は草木の成長にも喩えられます。「丁」「酉」とも、草木が成熟した状態を表します。
こうした解釈を総合すると、「丁酉」の来年は、物事が熟しつつも、様々な矛盾や相克が生じる年、という解説になるようです。
前回、つまり60年前の「丁酉」は1957年。毎年のことですが、60年前の同じ干支の年に何が起き、どういう状態だったのかが参考になります。
1957年は神武景気と岩戸景気の谷間。経済的には微妙な時期でしたが、東京の人口が851万人となり、ロンドンを抜いて世界一となりました。
ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。米ソの冷戦・軍拡・宇宙開発競争が本格化。
日本では、日本原子力研究所(茨城県東海村)が初の「臨界(核分裂状態)」を達成。自動車の米国輸出がスタートし、高度成長・輸出大国への道を駆け上ります。
1957年は、その後の内外動向の基軸を決めるような出来事が多かったような印象ですが、今日に至り、そうした流れはいずれも限界や節目に直面しています。
達観して見ると、60年でひと還(まわ)り。前半の30年で上り詰め、後半の30年で停滞。さて、直面している限界や節目。どう対応しましょうか。
次の60年に向かう新たな基軸を生み出すのか、「相克」に苛まれて喘ぐのか。世の中の流れは如何様でも、個々人にとっての展開は自己努力次第です。
「酉」という字は酒を醸す器の象形文字。「酒」の字のルーツです。「実る」「成る」の意味があり、「酉」を用いた字・単語には「酒・酢・酸・酩酊・発酵・醤油」等があります。
十二支の「酉」は「鳥」全体ではなく「鶏」のことを指します。鶏は日本固有種ではなく、弥生時代に大陸から伝来。当初は採卵や食用ではなく、鳴き声が珍重されて「時告げ鳥」として広がりました。
丑の刻(午前2時頃)に鳴くのが「一番鶏」、寅の刻(午前4時頃)に鳴くのが「二番鶏」、元旦の第一声を告げるのが「初鶏」。「初鶏」は新春の季語になっています。
「古事記」にも鶏が登場。天の岩屋戸に隠れた天照大神を呼び出すために「常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)」を鳴かせます。つまり、鶏。
古来、日本人は鶏を神聖視。今でも伊勢神宮の鶏は「神鶏」と呼ばれ、式年遷宮の際には「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」という儀式があります。熱田神宮でも鶏(正確には軍鶏)が放し飼いにされています。
やがて闘鶏が始まり、江戸時代に採卵、食用が普及しました。
鶏の鳴き声は日本語では「コケコッコー」。言語によって表現音が異なり、英語「クックドゥードゥルドゥー」、フランス語「コッコリコー」、スペイン語「キキリキ」、ドイツ語「キッケリキー」、イタリア語「キッキリキー」、中国語「コーコーケー」、韓国「コッキオ」だそうです。新年会のクイズネタとしてご活用ください。
鶏にまつわる諺(ことわざ)・慣用句はいろいろありますが、一番良く聞くのは「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」「鶏口となるも牛後となるなかれ」。
鶏口とは鶏の嘴(くちばし)で、小さなものの喩え。牛後は牛の尻。大きなものの末端の喩え。
つまり、大きな組織の末端にいるよりも、小さな組織のリーダーとして頑張る方が良いということを諭す諺です。
個人的には、次によく聞くと思うのは「鶏を割くに焉(いずく)んぞ牛刀を用いん」。直訳すれば、「鶏をさばくのに牛用の大きな刃物は要らない」。
つまり、小さなことを処理するために大げさな手段を用いる必要はない、適切な手段を用いて事に当たるべきことを諭しています。あるいは、現に不適切な対応をしていることを戒める慣用句です。
せっかくの「酉」年なので、「酉」は鶏と理解しつつ、「鳥」全体に拡張して雑学を整理します。
日本の「国鳥」は「雉(きじ)」。1947年(昭和22年)に日本鳥学会が選定しましたが、法律上の根拠はありません。
戦後、GHQ(連合軍総司令部)野外生物課長のオースチン博士が野鳥保護を勧告。それを受けて、農林省が鳥の狩猟を制限したほか、文部省は愛鳥教育を開始。
バードデイ(愛鳥日、後にバードウィーク<愛鳥週間>に発展)が定められ、野鳥保護のために「国鳥」選定を日本鳥学会に依頼。
日本特産の「雉」「山鳥」、平和の象徴「鳩」、美声の「雲雀(ひばり)」「鶯(うぐいす)」等が候補になりましたが、最終的には「雉」に決定。
日本特産、全国に通年生息、人里近くに飛来し目撃機会が多い、母性愛が強く家族愛を象徴、狩猟・食用に加え文学(桃太郎ほか)や芸術(日本画ほか)において馴染みが深い、等々が選定理由だったそうです。
しかし、現在では「国鳥」が狩猟対象となっているの国は日本だけという批判もあるようです。
因みに米国の「国鳥」は「白頭鷲(ハクトウワシ)」、ロシアは「双頭の鷲」、中国「鶴」、韓国「鵲(かささぎ)」、英国「駒鳥(こまどり)」、ドイツ「朱嘴鸛(しゅばしこう)」など。「鶏」を国鳥にしている主要国はフランスです。
「鶏」にまつわる諺・慣用句には限りがありますが、「鳥(とり)」全体の諺・慣用句は膨大。日本のみならず、海外でも同様。「鳥」が人間に馴染みの深い生き物だからでしょう。
日本での諺・慣用句ベストテンを整理している文献がありました。それによると、数が多い順は、第1位・烏(からす)、以下、鷹、雀、鶏、鶴、鳶(とび)、鳩、鴨、第10位は郭公(かっこう)・雉(きじ)・鷺(さぎ)が同順位。
波乱が予想される2017年。政治家全体の戒めとして「鳥(とり)」関連の諺・慣用句リレーで締め括ります。ご興味があれば、是非お調べください。
月日の経つのは「烏兎匆匆(うとそうそう)」。今や「雀の千声、鶴の一声」「飛ぶ鳥を落とす勢い」の安倍首相。
「あの声で蜥蜴(とかげ)喰らうか時鳥(ほととぎす)」。とは言え「鳥なき里の蝙蝠(こうもり)」か、はたまた「鷹のない国で百舌(もず)が鷹する」如くかな。
「鶏群(けいぐん)の一鶴(いっかく)」も甚だしく、「鷺(さぎ)を烏(からす)と言いくるめる」。まったくもって「能書と矮鶏(ちゃぼ)の時は当にならぬ」。
「亀の年を鶴が羨む」ために「鴨を鶩(あひる)とささえる」こと多く、周りにいるのは「家鴨(あひる)の鴨の気位」ばかりなり。与党は「多勢を頼む群れ烏」。
一方、「閑古鳥(かんこどり、郭公<かっこう>)が鳴く」「門前雀羅(じゃくら)を張る」野党。「烏合の衆」「雀の頼母子」と言われることなかれ。
「鳩が多くて豆が撒かれぬ」「烏百度洗っても鷺にはならぬ」と揶揄されぬよう、「鴨の水掻き」怠りなく、「鴨集まって動ずれば雷(いかずち)と成る」を目指すべし。
難問「目白押し」の日本。2017年は「足下から鳥が立つ」「烏頭(うとう)白くして馬角(うまつの)を生ず」ような予感。
国際社会は所詮「鳶も物を見ねば舞わぬ」「鳶の日和稼ぎ」。各国「雀海中に入って蛤となる」。大国は「窮鳥(きゅうちょう)懐に入れば猟師も殺さず」、小国は「雉も鳴かずば撃たれまい」。古今東西、歴史の必定。
日本は「鴨が葱を背負って来る」「鳶(とび)に油揚げを攫(さら)われる」ことにならないよう「鶏口となるも牛後となるなかれ」。
「雀の糠喜び」を戒め、「雀の鷹の巣に近づけるが如し」「鳶の尻に矢を射つける」「鳩が豆鉄砲を喰らう」「闇夜の烏」となることないよう、「鵜の目、鷹の目」「鳶目兎耳(えんもくとじ)」で警戒せよ。
難問は外交のみならず。「闇夜に烏、雪に鷺」の日銀総裁。任期切れまであと1年半。「立つ鳥跡を濁さず」を期待したいものの、結局「欲の熊鷹股裂くる」のは必至。
政治家たる者、「鷹は飢えても穂を摘まず」「白鷺(はくろ)は塵土(じんど)の穢れを禁ぜず」の矜恃を持って、「鳩の秤」で臨むべし。
それでは皆さん。良い年をお迎えください。「一富士、二鷹、三茄子」の初夢を見ることをお祈り申し上げます。
(了)