1月30日の予算委員会における質疑の内容をメルマガで紹介してほしいというご要望を複数いただきましたので、今回はその話題を取り上げます。議事録も参議院ホームページからご覧になれますので、ご興味があればご覧ください。
日銀による異次元緩和が始まってまもなく丸4年。マネタリーベースを2年で2倍にすると物価上昇率が2%になり、経済が好循環になるとの主張でした。
マネタリーベースとマネーサプライは金融政策にとって重要な指標。大雑把に言えば、前者は日銀から金融機関にわたるお金の量、後者は金融機関から企業や個人に融資されるお金の量です。
マネタリーベースは目標の2倍をはるかに超え、既に3倍以上。金融緩和の行き過ぎと長期化に対する懸念が高まっています。
政府・日銀は「懸念は杞憂」との立場。黒田総裁は物価上昇率が2%になるまで緩和を続けると公言。しかし、懸念が杞憂か否かは市場が決めることです。
日銀はマネタリーベースを増やすために、国債を金融機関から購入しています。金利上昇は国債価格が低下すること、つまり国債に対する信用が低下することと同義です。
日銀が昨年1月に導入したマイナス金利政策は不評。そこで、9月に方針転換。「長期金利、イールドカーブ(金利曲線)をコントロールする」という前代未聞の政策に染手しました。
現状は、短期金利をマイナス0.1%程度、長期金利(10年物)をゼロ%程度にすることを目標としています。
長期金利は国債価格です。それを「コントロールする」、しかも「短期よりも高くする」という趣旨は、「国債の購入者、所有者が損をしないようにする」というメッセージです。
何だか有難い話のように聞こえますが、従来日銀は「長期金利は市場が決めるもので、日銀はコントロールできない」と説明していたわけですから、ずいぶんなことです。
この方針転換を受けて、昨年11月、日銀ホームページの「教えて、にちぎん」のコーナーから以下の説明が削除されました。「(長期金利について)オーバーナイト物金利(短期金利)のように資金量を調節して誘導することは容易でない」(かっこ内は筆者加筆)。
「国債の購入者、所有者が損をしないようにする」という日銀の方針を聞いて、戦前の「高橋財政」を連想しました。
「高橋財政」とは、戦前の犬養毅内閣、斎藤実内閣、岡田啓介内閣(1931年12月から1936年2月)で蔵相を務めた高橋是清による経済政策の手法を指しています。
高橋是清はそれ以前にも3度蔵相に就任。この時は4回目です。また、日銀総裁(1911年から13年)と首相(1910年から11年)も経験しており、首相、蔵相、日銀総裁の3つを務めた人は、歴史上、高橋是清ひとりです。
「高橋財政」は「日銀の国債引受による超金融緩和と財政拡大」というイメージで受け止められていますが、実際はそれほど単純ではありません。
1935年、高橋是清は放漫財政を是正する方針を発表。それが原因で軍部と対立。8ヶ月後に「二・二六事件」で暗殺され、それ以降の日本は「戦時財政」時代に入りました。
「高橋財政」及び「戦時財政」時代を通して、国債政策がポイントでした。今日の国債政策がその当時と同じような展開になりつつあることに対して、緊張感をもって向き合うべき局面です。
少々専門的ですが、「高橋財政」及び「戦時財政」における国債政策の特徴、換言すれば、終戦まで国債が混乱なく消化された要因を整理します。
第1に、1932年7月に大蔵省が国債簿価公定制を導入したこと。
国債保有者(主に金融機関)の簿価を公定するという意味は、金融機関決算において含み損や特別損失が出ない簿価が保障されたということです。
第2に、1937年に日銀が以下の2つの対応を行ったこと。因みに、1937年は高橋是清が暗殺された後です。
7月15日、日銀は国債担保貸出金利を引下げ。それ以前は公定歩合よりも日歩1厘高かった国債担保貸出金利を公定歩合と同一水準(9厘)に引下げ。当時の国債の日歩は1銭であったため、購入する国債を担保に日銀から購入原資を調達することで、日歩1厘の利鞘を確保。つまり、買えば必ず儲かる仕組みを導入しました。
8月10日、無条件国債買取制度を開始。金融機関から国債の売却希望が提示された場合には、日銀が売戻なしの無条件で全額購入することを約束しました。
以上の大蔵省、日銀の対応により、金融機関は国債を購入すれば必ず儲かり、決算上も含み損は発生せず、売却したくなれば全額日銀に売却できる枠組みが用意されました。
現在の日銀が行っている「国債の購入者、所有者が損をしないようにする」という長短金利操作(イールドカーブコントロール)、及び金融機関から国債を大量に購入し続けるという枠組みは、「高橋財政」及び「戦時財政」時代の枠組みに似てきました。
史実的には、さらに様々なことが行われていますが、大雑把に言えば、上記のとおりです。
詳細にご興味がある読者向けに、後日ホームページのブログに資料(日本財政学会での発表論文、及び参議院財政金融委員会配布資料)をアップします。どうぞご覧ください。
ここで、「高橋財政」時代の展開を整理しておきます。高橋是清が蔵相を務めた期間、その政策対応は前半と後半で大きく変化しました。
前半(就任時から1935年6月)は、「金輸出再禁止、超緩和の金融政策、財政拡大」によって、高い成長率と物価上昇率を実現しました。
ところが、過度の予算拡大と物価上昇を是正すべく、1935年6月25日、翌年度(1936年度)の予算及び国債発行(日銀引受)の縮減方針を発表。軍事費も例外ではなかったことから、軍部との対立が先鋭化し、1936年2月26日の「二・二六事件」で暗殺されるまでが後半に当たります。
なお、「二・二六事件」後の広田弘毅内閣の下、1936年3月9日、高橋是清が前年6月25日に発表した予算・国債発行縮減方針は撤回されました。
「高橋財政」及びその当時の日銀の金融政策の枠組みを推奨する論者の主張は、この前半の状況を成功と評価し、それに類する政策を現在の日本において行うことを提言。その最右翼が現在の岩田規久男日銀副総裁です。
これらの論者は、国債の日銀引受からの出口が「二・二六事件」以後、軍部によって塞がれたことが前半の政策の事態収拾を困難化し、それがなければ高橋財政は成功裡に終わっていたはずとの論理で組み立てられています。
この組み立てに従えば、そうした軍部が存在しない現在、日銀の異常な金融緩和は収束可能との含意を含んでいるように思えますが、果たしてそうでしょうか。
現在の異次元緩和は、対GDP比でみれば既にその当時を上回る超金融緩和状態になっており、軍部が存在しなくても収束は容易ではありません。
また、軍部責任論の主張には、以下の点で大きな矛盾と誤解があります。
現在の日銀の政策と類似した対応は、「二・二六事件」以後に採用されています。つまり、現在の日銀は「戦時財政」下に採用された対応を行っているということです。
最近ではあまり聞かれなくなりましたが、アベノミクスの「三本の矢」というものがありました。たしか、大胆な金融政策、大規模な財政支出、成長戦略でしたでしょうか。
最初の2本が「高橋財政」のアナロジーから組み立てられていることは明らかであり、それを推奨していたのが(本音かどうかは別にして)、現在の日銀の黒田総裁と岩田副総裁。そのことによって現在のポストを獲得しました。
「二本目の矢」である大規模な財政支出に関しても、「高橋財政」及び「戦時財政」時代と比べると、大きな矛盾と誤解を孕んでいます。
「高橋財政」期に財政拡大をしたのは1932年(当初予算の前年比はプラス32.0%)、1933年度(同プラス15.6%)のみ。翌1934年度は前年比マイナス。1935年には予算・国債削減方針を打ち出して暗殺されてしまいました。
暗殺後の1937年度以降は「戦時財政」期に入り、終戦まで予算が急膨張。マネタリーベースも「高橋財政」期は前年度比一桁の伸びに留まっているのに対し、「戦時財政」期はやはり急膨張。
要するに、アベノミクスの後ろ盾になった「高橋財政」推奨論者は、「高橋財政」の史実を誤解し、むしろ「戦時財政」期の政策を推奨してしまったのです。
それが現在行われていると考えると、事の重大さに戦慄せざるを得ません。安倍首相、黒田総裁、岩田副総裁には、財政金融政策の「出口戦略」について、国民に説明する義務があると同時に、後世、重大な責任を問われることになる蓋然性が高まっています。
安倍首相に異常な金融政策を推奨した重要人物には、もう一人、浜田宏一東大名誉教授がいます。
最近では日銀の金融政策が限界に達していることを公言している浜田教授ですが、次は「シムズ理論」だと言い始めています。ジョージ・ソロスに薦められたそうです。
「シムズ理論」とは、クリストファー・シムズ元プリンストン大学教授(2011年ノーベル経済学賞受賞者)の主張している内容です。
シムズ教授は昨年8月、主要国政策関係者が集った会議(ジャクソンホール会議)で講演。ゼロ金利の下での金融政策の限界とインフレ目標とリンクさせた財政拡大を推奨しました。
その後の雑誌・新聞等のインタビュー記事も含め、シムズ教授の主張を要約すると以下のとおりです。
アベノミクスは金融緩和によってデフレ脱却、経済の好循環を目指してきたが、利下げ余地のないゼロ金利の下では金融政策は効果を失っている。
そのため、政府債務を増税ではなくインフレで相殺すると宣言し、人々のインフレ期待を高め、財政拡大で物価上昇率2%を目指すべき。
具体的には、2%のインフレ目標達成まで、消費増税を延期すること、及び基礎的財政収支(プライマリーバランス)改善目標も凍結することを宣言すべき。
ゼロ金利の下では、日銀はインフレ目標達成の責任を担う必要はない。財政政策によってインフレ期待に働き掛けるべき。
以上の考え方は「FTPL(物価水準の財政理論、Fiscal Theory of the Price Level)」と呼ばれ始めています。驚愕の内容ですが、要するに「インフレ課税」推奨論。「シムズ理論(果たして理論と呼べる内容か疑問ですが)」の論点はいくつもあります。
日銀は目標達成後に再び金利を上昇させればよいと述べていますが、既に国債発行残高も日銀の国債保有残高も膨大。金利上昇は財政破綻や日銀の損失につながります。
また、目標達成後に通常の金融政策に戻るパス(経路)、つまり「出口戦略」には言及していません。「シムズ理論」でも「出口戦略」はブラックボックスです。
また、インフレ目標とリンクさせた財政拡大は、年金等の社会保障の持続性に対する不安を軽減できると述べています。
インフレに伴って実質ベースの年金給付等の維持が図られればよいですが、財政的観点から逆に実質ベースの引下げが予想される状況。そうなれば、将来不安はむしろ高まります。
増税による社会保障充実はむしろ将来不安を高めているとも指摘しています。そうであれば、歳出改革によって不要不急の財政支出を社会保障に振り向ける方が合理的です。
「リカード効果(リカードの等価定理、リカーディアン均衡)」にも言及。リカードは英国の経済学者であり、「リカード効果」とは「財政支出の効果は将来の増税予測によって相殺される」というものです。
シムズ教授は、現在は相殺どころか、それ以上の増税を予測する「ハイパー・リカード状態」にあるため、消費増税延期等の宣言によってインフレ期待を高め、それを払拭することが必要と主張しています。
しかし、アベノミクスは既にインフレ期待を高めることを企図して異次元緩和と財政拡大を行ってきました。今以上に「異次元」で「異常」なことをやれば、今度は成功するという程度のことを言っているようにしか聞こえません。
「シムズ理論」的な政策を実行すると、政府と日銀の信用が低下し、長期金利は制御不能となり、市場が危機的状況に陥る可能性があります。
要するに、今まで以上の拡大的財政金融政策をやるにすぎないという意味において、「シムズ理論」は従来の「ケインズ理論」の域を脱していない気がします。
また「シムズ理論」は、単に消費税増税再々延期の口実に使われるだけのような気もします。いやむしろ、浜田教授もそれを意図しているのかもしれません。
そもそも、インフレが経済の好循環を生み出すメカニズムは理論的に証明されていません。黒田総裁も国会で「それを証明する理論はない」という趣旨の答弁をしています。また、シムズ教授は「デフレが悪であることを理論的に説明することは難しい」とも言及しています。
にもかかわらず、今以上に「異次元」で「異常」なことをやれば、今度は成功するかもしれないという主張は、説得力に欠けています。
高橋是清の4回目の蔵相就任は、浜口雄幸内閣、若槻禮次郎内閣(1929年7月から1931年12月、蔵相は井上準之助)において行われた「金解禁、緊縮財政」の政策パッケージに伴う混乱を受けてのことです。
高橋蔵相は「金輸出再禁止、国債の日銀引受を含む超金融緩和政策とそれに伴う拡大財政」の政策パッケージを実行しました。
この「金輸出再禁止」、つまり内外金融分離も「高橋財政」及び「戦時財政」時代の重要なポイントです。
当時、ロンドン市場におけるポンド建て日本国債の金利は20%以上に高騰。日本は海外での起債はできない状況になっていたにもかかわらず、国内では極めて低金利の国債発行を継続しました。それができたのは内外金融分離のおかげです。
国債の流通市場や為替市場が十分に成熟していなかった当時は、金輸出再禁止によって内外金融分離を行っても、あまり大きな混乱につながらなかったのかもしれません。
今国会で議論される税制改正の項目には、ロンドン市場における日本国債の格下げに伴う対応が含まれています。日本の財政金融政策(マクロ経済政策)は正念場です。
(了)