北朝鮮を巡る緊張が続いています。一方、フランス大統領選はマクロン氏とルペン氏が5月7日の決選投票に進出。6月に英国総選挙、9月は独総選挙。欧州からも目が離せません。国内も課題山積。引き続き、事実や論点を整理した情報をお届けしていきます。
「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」改正案の国会審議が始まりました。以下、上記の法律名を組織犯罪規制法と略します。
同法は1999年に公布されました。なぜ1999年だったのか。それには、もちろん経緯があります。
80年代後半から90年代前半のバブル経済の発生と崩壊の過程で、暴力団関連の犯罪や、「蛇頭(じゃとう)」と呼ばれた中国人グループ等の外国人組織による犯罪が深刻化。加えて、1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生。
こうした社会情勢を受け、1996年に法制審議会が「組織的な犯罪に対処するための刑事法整備要綱骨子(案)」という答申をとりまとめました。
これを受け、1998年、政府は組織的犯罪対策3法案を国会に提出。組織犯罪規制法案、通信傍受法案、刑事訴訟法改正案の3本です。
このうち、通信傍受法案に対する世論(弁護士会、マスコミ、関係有識者等)の反発が強く、政府は同年国会での成立を断念。継続審議となったものの、政治情勢の変化(一部政党の反対から賛成への転換)等もあって、翌1999年、成立しました。
以上が国内の動きです。この間、国際的にも以下の展開がありました。
同時期、経済の国際化の加速等に伴い、国際的な犯罪組織が急拡大。1994年、ナポリ(イタリア)で開催された「国際組織犯罪世界閣僚会議」において「ナポリ政治宣言及び世界行動計画」が採択されました。
同宣言及び計画では、国際的な犯罪組織に対処するための法的枠組みを定める条約の検討が提唱されたのです。
これを受け、国連が条約案を起草し、2000年、パレルモ(イタリア)において124ヵ国の署名によって成立。日本も署名し、国会承認は2003年。ところが、条約発効の最後のステップである批准は未だ行われていません。
その理由は、条約内容の国内履行を担保する対応として、政府が翌2004年国会に刑法等改正案を提出したものの、同案には共謀罪が含まれ、かつ共謀罪の対象行為が過度に広範かつ曖昧であったことから、世論の強い批判を受けて頓挫したためです。
以後、共謀罪創設を含む同趣旨の法案は3度に亘って廃案となり、今回が4度目の審議。政府は同法案の未成立が、パレルモ条約を批准できない理由としています。
しかし、政府のその説明は論理的ではありません。
パレルモ条約は、第5条、第6条において「相談」「共謀」を処罰することを求めていますが、第3条「適用範囲」において、対象犯罪は国際的なものに限定しています。
ところが、過去3度廃案になった法案も、4度目の今回の法案も、「共謀罪」の対象犯罪は国内的なものも含む構成になっており、この点が最大の問題と言えます。
要するに、パレルモ条約の名を借りて、どさくさまぎれに、国内的に過度に拡大適用可能な「共謀罪」を創設しようとしていることが、賛否が対立する基本的背景です。
審議が始まった組織犯罪規制法案の条文には「共謀罪」という単語は登場しません。その代わり、新設される「第6条の二」に下記のように規定されます。
「(犯罪)行為を実行するための組織により行われるものの遂行を2人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、(中略)刑に処する」
基本的な論点は4つあります。第1に、「計画をした」という事実はどのように認定されるのか。
「計画をした」ことが物的証拠によって裏付けられることが必要だと思いますが、法案ではそのことを明記していません。
むしろ、上記記述の直後に次のように記されている点が気になります。曰く「ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する」。
つまり、「共謀」して「計画をした」者の一方が、「私は共謀して計画しました」と自首または自白すると、それが「計画をした」ことの証拠として採用されうるということです。
もちろん、犯罪者を自首・自白に誘導して組織犯罪を未然に防止すること自体は、犯罪抑止力として理解はできます。
しかし、「計画をした」ことの証明に物的証拠を要することを明文化しない枠組みでは、共謀者を装った者の自首・自白によって冤罪(えんざい)を生み出す懸念があります。
第2に「準備行為」の定義です。何をもって、どのような行動をもって、「準備行為」とするのか。
「第6条の二」には「計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたとき」と具体的に明記されているように思えますが、「資金又は物品の手配」「関係場所の下見」はあくまで例示。
規定の本質は後半部分の「その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為」にあります。つまり、「準備行為」は何も定義されていないということです。
第3に「対象犯罪」は何かということです。今年の年初には676の犯罪が対象として検討されていました。
これは、パレルモ条約が「重大な組織的犯罪」を処罰することを求め、かつ同条約第2条で「重大な犯罪」とは「長期4年以上の自由を剥奪する刑又はこれより重い刑を科することができる犯罪を構成する行為」と規定していることから、日本の法律上「懲役・禁固4年以上の刑」を科される全ての犯罪を対象とした結果でした。
676のうち「テロに関する罪」は167、「組織的犯罪の資金源に関する罪」が339、「薬物に関する罪」が49、「偽証・犯人隠匿などの司法妨害に関する罪」が27、「組織犯罪とは無関係は懲役・禁固4年以上の罪」が41等々。
テロ対策法案と言いながら、テロとは関係のないものが過半。それも当然です。前項で説明したとおり、もともとこの法案はテロ対策のために検討されたものではないからです。
加えて、パレルモ条約批准のためと強調しつつ、これも前項で説明したとおり、パレルモ条約が求めているのはあくまで国際的な犯罪への対応。この法案は国内的な犯罪全てを対象化。その結果、「対象犯罪」は非常に広範囲となりました。
批判を受けた政府が閣議決定した法案では、「対象犯罪」を277に削減。しかし、それでも「テロとは無関係なもの」「国際的な犯罪ではないもの」が引き続き多数含まれています。
第4に、「共謀」すなわち犯罪の計画・相談を追跡するために、通信傍受、GPS情報把握等の監視が日常的に行われる危険性が高まるという点です。
テロ対策のためと称して、通信傍受法の改正、GPS捜査新法の制定等の流れが顕現化してくる可能性があり、その動向には留意が必要です。
以上が組織犯罪規制法改正案の主要な論点です。仮にこの法案が成立した場合、不適切な運用を行うと、社会に最も深刻な影響を与えるのは第4点でしょう。
2年前のメルマガ333号(2015年4月15日号)でお伝えした、デストピア、オーウェリアンについて再度取り上げておきます。
デストピアはユートピア(理想郷)の反対語。デストピアの語源は「悪い」を意味する古代ギリシア語。つまり、デストピアは「暗黒郷」。19世紀の英国思想家、ジョン・スチュアート・ミルが1868年のスピーチで最初に使ったそうです。
その後、英国作家ジョージ・ウェルズが1895年に出版した小説「タイムマシン」にデストピアが登場。やがて、デストピアを扱う小説や作品が続き、デストピア文学というジャンルが生まれました。
デストピア文学は、1920年代以降、ソ連の誕生やファシズムの台頭など、全体主義への懸念が広がった時期に普及しました。
小説に登場するデストピアの多くは、徹底的な管理統制社会として描かれています。その描写は作品ごとに異なりますが、傾向としては以下のような特徴を有しています。
体制側のプロパガンダによって、表向きは理想社会を喧伝。その一方、国民を洗脳し、反体制的国民は治安組織に粛正されます。表現の自由は否定され、体制側が有害と見なす出版物や言論は禁止されます。
表向きの理想社会とは裏腹に、体制側に「社会の担い手と認められた国民」と「そうでない国民」に分断され、経済的・政治的に深刻な格差が生まれます。
前者については体制側が優遇し、後者は往々にしてスラム街を形成します。人口政策も管理され、恋愛や出産も前者には寛容、後者には厳格な規制が敷かれます。
後者に対する言わば「愚民政策」を、前者は当然のこととして是認し、その実態は隠蔽されます。
デストピア文学の名作と言えばジョージ・オーウェルの「1984年」。オーウェルは1903年英国生まれ、ジャーナリスト出身の作家。1950年に亡くなりますが、その前年に全体主義的デストピアを描いた「1984年」を出版。
「1984年」の大まかな内容は次のとおりです。1950年代に発生した核戦争を契機に、世界は3つの超大国に分裂。境界地帯での紛争が絶えません。
作品の舞台である超大国のひとつ「オセアニア国」では、思想・言語・結婚・食料など、あらゆる国民生活が管理統制されています。
「テレスクリーン」と呼ばれる双方向TVシステムによって、国民の全ての行動が体制側に監視されています。
役人である主人公が国家体制に疑問を持ち、やがて逮捕・拷問されて転向していくというのが基本的なストーリーです。
オセアニア国の権力者は「ビッグ・ブラザー」。街には肖像があふれていますが、その正体は謎に包まれ、実在するか否かも定かではありません。
ビッグ・ブラザーが党首を務める絶対政党の3つのスローガンが街の至る所に掲げられています。「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」。
英語の「Big Brother」が「独裁者」の隠語になったのは、この作品が契機です。このほかにも、ダブルシンク(同時に矛盾した考えを信じること)やニュースピーク(イデオロギー的な言い換え)等々、「1984年」に登場するオーウェルによる造語は全体主義を表現する一般的語彙として定着しました。
「1984年」は70以上の言語に翻訳され、全体主義的・管理主義的な思想や社会のことを「オーウェリアン」(オーウェル的世界)と呼ぶようになりました。
フェイクニュース(嘘のニュース)が堂々と流布され、スマホ依存、インターネット依存の現代社会。情報操作の危険性を急速に高めています。
普通の感覚の人であれば、自分の国がオーウェリアン的なデストピアになること、あるいはそうなる危険性を高めることを望んでいないはずです。
だからこそ、組織犯罪規制法改正案についても真摯に向き合い、洞察力と想像力を働かせた議論が必要です。
(了)