政治経済レポート:OKマガジン(Vol.386)2017.6.20

通常国会が終わりました。権力者は国民に対して正直で謙虚であるべきです。権力の行使も抑制的であるべきです。それでこそ信頼される権力者。そういう観点から、安倍政権が決定する政策や方針の内容には懸念があります。必要なのは、権力者による国民の監視ではなく、権力者の私益や癒着の監視です。


1.バイオ医薬品

6月9日に「経済財政運営と改革の基本方針2017」が閣議決定されました。いわゆる「骨太の方針」。

決定された内容に準じ、各省庁の政策制度の実施や見直し、来年度の予算や税制改正の中身が検討されていきます。

社会保障についてもかなりの分量を割いて記述。厳しい財政状況下、国民負担(自己負担、税・社会保険料負担)増、保険者機能強化等を明記する中、薬価及び薬剤の適正使用等に関しても細かく言及しています。

厳しい内容が多い一方、社会保障の最後のくだりで気になる記述、及び素案(6月2日公表)から削除された箇所がありました。気になる記述は次のとおりです。

「2020年(平成32年)9月までに、後発医薬品の使用割合を80%とし、できる限り早期に達成できるよう、更なる使用促進策を検討する。バイオ医薬品及びバイオシミラーの研究開発支援方策等を拡充しつつ、バイオシミラーの医療費適正化効果額・金額シェアを公表するとともに、平成32年度末までにバイオシミラーの品目数倍増(成分数ベース)を目指す。」

一方、素案では上述の文章の直後に置かれていた次の記述が、閣議決定された最終案では削除されていました。

「先発医薬品価格のうち、後発医薬品価格を超える部分について、保険財政の持続可能性や適切な給付と負担の観点を踏まえ、原則自己責任とすることや後発医薬品価格まで価格を引き下げることを含め検討し、本年末までに結論を得る。」

まず、気になる記述を熟考。このくだりを理解するため、文中に登場する後発医薬品、バイオ医薬品、バイオシミラーについて整理しておきます。

後発医薬品はジェネリックとも言います。特許を有する先発医薬品に追随し、特許切れ後に他社が製造・販売する同じ成分の医薬品のことを指します。

バイオ医薬品とはバイオテクノロジーを活用して製造される医薬品。バイオテクノロジーは生物学を意味するバイオロジーと技術を意味するテクノロジーの合成語。生物工学のことです。

代表的な事例に、2つ以上の異なる細胞を使って複数の特性を有する新しい細胞を作る「細胞融合技術」、遺伝子レベルの構造を加工することによって新しい生体を作る「遺伝子組換え技術」等があります。

バイオ医薬品を通常の医薬品と区別することには理由があります。通常の医薬品は数10個程度の原子によって組成される「低分子医薬品」。一方、バイオ医薬品は数千、数万もの原子によって組成される「高分子医薬品」。

「低分子医薬品」は構造が簡単なため、後発医薬品(ジェネリック)も製造は比較的容易。成分や効用も先発医薬品と同一の製品が製造可能です。

一方、「高分子医薬品」は構造が複雑であり、かつ細胞、酵母、細菌などの生物を活用して製造されます。したがって、類似品や模倣品を作ることは容易でなく、成分や効用も全く同一であることを完全に保証することはできません。

したがって、「高分子医薬品」であるバイオ医薬品の後発品はジェネリックと区別し、別の呼び方をします。それがバイオシミラー。つまり特許切れ後のバイオ医薬品の後発品です。

シミラーは英語の「似ている」。したがって、バイオシミラーは類似バイオ医薬品。一般にはバイオ後続品と言われています。

気になる記述の部分は、ジェネリックの利用を促進しつつ、バイオ医薬品及びバイオシミラーの研究開発を支援し、実用化及び利活用を促進するという内容です。

もっともな内容にも思えますが、留意すべき点、論点は少なくありません。

2.バイオシミラー

バイオ医薬品についてもう少し整理を続けます。バイオ医薬品が登場したのは遺伝子組換え技術が開発された1970年代。

本格的に実用化されたのは1980年代。とくに糖尿病治療に必要なインスリン(患者に不足している蛋白質)の製造が大きな転換点となりました。

糖尿病患者は、長年にわたり動物の膵臓から抽出したインスリンを使用していましたが、1982年、遺伝子組換え技術を用いてヒトの大腸菌でヒトインスリンの製造に成功。

ヒトインスリンは動物インスリンに比べて高品質かつ大量製造が可能であることから、一気に普及しました。

現在、世界で使用されているバイオ医薬品は約1500品目。そのうち3分の1が抗体医薬品、4分の1がワクチンだそうです。

バイオ医薬品の事例としては、インスリンのほかに、癌やC型肝炎に用いられるインターフェロン、腎性貧血症に有効なエリスロポエチン、低身長症治療薬の成長ホルモン等があげられます。

バイオ医薬品の後続品であるバイオシミラーは、EU(欧州連合)では2006年、日本では2009年、米国では2015年にそれぞれ初めて承認、発売されました。

EUと日本の初承認製品は、いずれも先天性低身長症の治療に効くヒト成長ホルモン剤であるソマトロピンという製品。以後、バイオシミラーは順次承認されています。

米国でも2006年にソマトロピンを承認。但、米国のバイオシミラーに関する法律は2010年に成立。2006年のソマトロピンはあくまで新薬として承認、発売されました。

現在日本で販売されているバイオシミラーは、先天性低身長症、透析治療中の腎性貧血、癌化学療法中の好中球減少症、関節リウマチ、糖尿病の5症例に対する10社29品目です。

前述のとおり、バイオ医薬品は「高分子医薬品」。化学合成によって製造される通常の医薬品、つまり「低分子医薬品」に比べると製造工程が複雑です。

バイオ医薬品の特性や効用は使用する生物の種類や製造工程そのものに依存するため、「製造工程自体が製品」とも言われ、バイオ医薬品の完全な特性解析やコピーは困難です。

したがって、バイオ医薬品の後続品であるバイオシミラーは、通常の医薬品の後発品であるジェネリックと同列ではありません。

バイオ医薬品を作る時は、細胞に対して遺伝子操作を行うため、その細胞は世界で唯一の細胞となり、全く同じ細胞を作ることは不可能です。

さらに、バイオ医薬品は特許が切れても、製造工程・方法の全てが公開されるわけではないため、バイオシミラーを作る場合、製造工程・方法を自前で開発しなければなりません。

要するに、ジェネリックに比べ、バイオシミラーの開発は圧倒的に難しく、製造に関する規制や審査もジェネリックとは異なる対応が必要です。バイオシミラーには新薬に準じる規制、試験、審査が必要になります。

また、製品発売後もバイオシミラーは新薬と同様に安全性、効能等に関する調査が必要であり、こうした点もジェネリックとは異なります。

ジェネリックの開発費用は1製品数億円程度。一方、バイオシミラーは約100億円。開発期間もジェネリック約1年に対し、バイオシミラーは5年程度と聞きます。

医学の発展、患者への貢献という意義があるにせよ、医薬品メーカーはなぜそれほどのコストや時間をかけてバイオシミラーを作るのでしょうか。理由はいくつか考えられます。

3.長期収載品

第1に、医薬品売上高の上位にバイオ医薬品がいくつもランクインしていること。つまり、今や医薬品の中心はバイオ医薬品であり、値段の安いバイオシミラーは相当の需要が期待できるからです。

第2に、バイオ医薬品の新薬に比べて開発負担が軽いこと。新薬開発には300億円以上の費用、10年以上の期間が必要となる一方、上述のように、バイオシミラーの開発費用はその3分の1程度、期間も数年で、開発成功率は高いようです。

さらに、日本の医薬品メーカー固有の第3の理由もあります。大手メーカーの収益源となっていたブロックバスター(過去に開発された主力先発薬)の特許切れが相次いでおり、バイオシミラーを今後の収益源にしたいと考えているようです。

そのため、製薬業界も積極的にロビー活動を行い、「骨太の方針」にバイオ医薬品・バイオシミラーへの取組方針が書き込まれたと見るべきでしょう。

高価なバイオ医薬品の使用を断念する患者もいる中、新薬に比べて約3割安いバイオシミラーの普及促進は良い面もあります。因みに、昨年来話題になった癌治療薬オプジーボもバイオ医薬品です。

しかし、そもそもバイオ医薬品が通常の医薬品よりも相当高価であることを鑑みると、バイオ医薬品・バイオシミラーの普及は、財政的には大きな負担増。その文脈から考えると、「骨太の方針」の素案から削除された部分が気になります。再述します。

「先発医薬品価格のうち、後発医薬品価格を超える部分について、保険財政の持続可能性や適切な給付と負担の観点を踏まえ、原則自己責任とすることや後発医薬品価格まで価格を引き下げることを含め検討し、本年末までに結論を得る。」

このくだりは通常医薬品の長期収載品の見直しに関する内容です。長期収載品とは、既に特許切れのかつての新薬で、薬価が高いまま据え置かれている製品のことです。

長期収載品の薬価引下げとジェネリックの利用促進に関連するこの部分が削除されたことは問題です。

記述が残った前半部分でジェネリック使用促進を掲げているので問題ないという関係者の抗弁も聞きましたが、この部分がなくなったことは、今後のバイオ医薬品・バイオシミラーに関する新たな構造問題の発生を予感させます。

バイオ医薬品・バイオシミラーが普及すると、バイオ医薬品においてもやがて長期収載品問題が発生します。つまり、現在の通常医薬品と同じ構造です。

しかも、バイオ医薬品・バイオシミラーは通常の先発医薬品・ジェネリックよりも相当高価。そうした中で医薬品の主流がバイオ医薬品・バイオシミラーに移り、かつバイオ医薬品の長期収載品が放置されれば、今以上に財政負担が重くなります。

削除されたくだりを残しつつ、通常の先発医薬品・ジェネリックに加え、バイオ医薬品・バイオシミラーに関しても同様の方針を定めるのが、財政面にも配慮した適切な対応であったと思います。

なお、通常の先発医薬品からジェネリックへの切換えは推奨されていますが、バイオ医薬品のバイオシミラーへの切換え推奨は行われていません。安全性に考慮し、バイオシミラーへ切換えはむしろ回避すべきという専門家の意見も聞きます。

そうした中で、バイオシミラーの利用促進も明記したことは、全体としての整合性に矛盾を感じます。

米国ランド研究所が2014年に発表した報告書によれば、バイオシミラーによる開発費用削減効果は2024年の時点で442億ドル(1ドル100円換算で約4.42兆円)。現時点で試算するともっと巨額でしょう。

しかし、これはあくまでバイオ医薬品との対比。通常医薬品との比較ではありません。

医薬品は今後ますます発展、高度化していくでしょう。同時に財政負担も重くなります。医学倫理、生命倫理、寿命や死をどのように考えるべきか。こうした課題に真剣に向き合うことが必要です。

(了)

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