北朝鮮のミサイル発射に振り回される米中露の大国。脅威に晒される日本、韓国等の近隣諸国。今から11年前の2006年、北朝鮮によるミサイル発射を巡って似たような展開がありました。その時のメルマガでも言及したTFT戦略について改めて考えます。難解ですが、お付き合いください。
8月5日、北朝鮮によるICBM(大陸間弾道弾)発射を受け、国連安全保障理事会は北朝鮮に対する制裁強化の決議を全会一致で採択しました。
具体的には、石炭、鉄鉱石等の全面輸出禁止、北朝鮮との合弁・共同事業の禁止、北朝鮮の主要外為銀行等の資産凍結など、経済制裁が中心です。
トランプ大統領と面談した共和党グラム上院議員は大統領の発言を公表。曰く「大統領は北朝鮮がICBM開発を継続するならば武力行使も辞さないとの考えを示した。大統領は本気だと思う」。
さらに「北朝鮮の核開発プログラム、あるいは北朝鮮自体を破壊する軍事的オプションについても言及した」と付言。サンダース大統領報道官は記者会見でグラム議員の発言の真偽を問われ「全ての選択肢がテーブルの上にある」と述べました。
7日、北朝鮮は「米国が挑発してきた以上、断固たる報復で対処する。全面的に排撃し、正義の行動に移る。米国が軽挙妄動するならば、最後の手段も辞さない」との政府声明を発表。今後もミサイル発射等、何らかの軍事的挑発を行うことが予想されます。
さらに「米国から感謝された国々も責任を免れない」とし、名指しを避けつつ、決議に賛成した中国とロシアを批判しました。
北朝鮮の李容浩外相は「米国の敵視政策が根本的に終わらない限り、核と弾道ミサイルを交渉のテーブルには載せない」と述べ、強硬姿勢を強調。
同日、米国ティラソン国務長官は「北朝鮮が対話を望むならば、ミサイル発射を停止することだ」「条件が整えば、北朝鮮が経済的に繁栄可能な将来について話し合うことができる」と発言。
この駆け引き、評価は難しいところですが、米国が北朝鮮に押し負けているように思えます。ゲーム運びは米国新政権よりも北朝鮮絶対政権の方が手慣れている印象です。
それもそのはず。7月28日に発射したICBMと見られるミサイルは約45分間飛行し、高度3500キロメートル超に到達。通常角度で発射すれば米国中西部まで射程に入ります。
こうした状況下、米国内では、北朝鮮の体制転覆、核兵器放棄という高い目標を目指すより、北朝鮮にミサイルを発射させない現実策に舵を切り、北朝鮮に対する姿勢を軟化させているように見受けられます。
駆け引きの真っ只中の8日、ワシントンポストが米国防情報局(DIA)の機密情報(7月28日付)をスクープ。北朝鮮が核弾頭小型化に成功したとの情報です。
具体的には、北朝鮮はICBMに搭載可能な小型核弾頭の生産に既に成功。現時点で保有する核弾頭は推定で最大60発としています。
去る4月、米有力シンクタンク科学国際安全保障研究所(ISIS)が2016年末の北朝鮮の核弾頭保有数を13発から30発と推定。7月にはストックホルム国際平和研究所が今年1月時点の同保有数を10発から20発と推定。60発はかなり多い推定数です。
同日、トランプ大統領は記者団に対して「これ以上北朝鮮が米国を脅すのであれば、世界が見たこともないような炎と怒りに直面するだろう。北朝鮮にとって最善の策は、米国をこれ以上脅さないようにすることだ」と発言。
金正恩もトランプも発言が不穏当です。駆け引きとは言え、チキンゲームの様相を呈しています。思わぬひと言が相手の感情的行動を誘発します。
このメルマガで何度か取り上げているマキアベリの名言を再述しておきます。「君主論」の著者として知られ、権力のためには手段を選ばない「権謀術数主義者」とも評されるマキアベリ。
実際には、15世紀末期から16世紀初頭にかけて、フィレンツェ共和国の政治家、外交官、軍人として、実務を担った能吏です。
そのマキアベリの遺した名言のひとつ。曰く「戦争は始めたい時に始められるが、止めたいときには止められない」。賢明な政治家や各界の指導者であれば、誰もが反芻しなければならない言葉です。
米中露を筆頭に、主要国は外交・安全保障政策のシミュレーションにゲーム理論的考察を活用しています。
ゲーム理論は数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンの1944年の共著「ゲームの理論と経済行動」によって確立しました。
元々は当時の主流派経済学(新古典派経済学)への批判を目的として構築された理論でしたが、その有用性から経済学以外の分野にも応用され、今では外交や安全保障には欠かせない分析ツールです。
米国を中心にゲーム理論の研究者の間で様々な思考パターン(戦略パターン)のコンピュータプログラムを対戦させるコンテストが開かれています。
北朝鮮の行動を考える場合、そのコンテストの中で心理学者デイヴィッド・ラパポートが提案した戦略が参考になります。
ラバポートが提案した戦略は「しっぺ返し(Tit-For-Tat、TFT)戦略」。簡単に言えば、相手が裏切ったらこちらも裏切るという戦略です。
TFT戦略は長い間最強と言われてきました。コンテストの結果を分析した政治学者ロバート・アクセルロッドは「しっぺ返し戦略」が成功する4つの条件を整理しています。
第1は自分からは裏切らないこと。第2は相手の裏切りを直ちに厳しく制裁すること。第3は相手が謝ったら直ちに許すこと。第4に相手がこちらの行動を予測できること。
この4条件を満たした戦略的行動は、ゲームにおいて勝利する確率が高いことを論理的に証明しました。
TFT戦略に当てはめると、北朝鮮と米国、あるいは北朝鮮と国際社会の駆け引きはどのように整理できるでしょうか。
米国を中心とする国際社会は、北朝鮮に核開発、ミサイル開発の自粛を約束させ、守らない場合には制裁を加えるという構図を繰り返してきました。その結果が現在の状況です。
TFT戦略的には、米国が4条件を満たしていれば、「やったらやるぞ」というトランプの恫喝は成功するという整理です。しかし、それを北朝鮮側から見たらどうでしょうか。
北朝鮮は米国からの先制攻撃はないと思っている(第1条件)。北朝鮮は自国がミサイルを発射すれば直ちに制裁を受けると予測している(第2条件)。謝罪すれば許してもらえると予想している(第3条件)。米国(または国際社会)は必ず行動してくると予想している(第4条件)。
北朝鮮が上記のように思っていれば、つまり米国が4条件を満たしていることになり、米国の恫喝は成功する確率が高いということです。
しかし、どうも北朝鮮はいずれの条件に対しても認識が異なるような気がします。例えば、中国とロシアが本気では米国に同調しないと思っていれば、第4条件は満たしません。ということは、米国によるTFT戦略は失敗するということです。
北朝鮮自身がTFT戦略の主体と考えるとさらに構図が変わります。まず北朝鮮にとって、ミサイル開発と核弾頭保有はゲームの前提であり、これを放棄することは北朝鮮にとってはあり得ないという状況を想定します。
自分からは米国を攻撃しない(第1条件)。しかし、米国が攻撃してきたら反撃する(第2条件)。米国が謝罪したら許す用意はある(第3条件)。米国は北朝鮮が実際に反撃してくると予想している(第4条件)。
この4条件を満たせば、北朝鮮によるTFT戦略は成功します。では、米国を主体と考えるケースと、北朝鮮を主体と考えるケースで何が違うかと言えば、それは初期条件です。
前者では、米国は北朝鮮がミサイルや核弾頭を放棄するということが初期条件です。後者では、北朝鮮にとってミサイルと核弾頭の保有は大前提というのが初期条件です。
ここに根本的な違いがあります。前者にしろ、後者にしろ、つまりミサイルと核弾頭を放棄するか、保有するか、いずれにしても実行の選択権は北朝鮮にあります。
前者のケースで米国が成功するのは、第2条件、すなわち米国は直ちに制裁行動に出ることが必要です。但し、同時に第4条件が満たされていなくてはなりません。
つまり、北朝鮮がミサイルを発射すれば、米国は直ちに制裁行動に出るということを北朝鮮が予測していることが前提です。しかし、現に何度も米国は静観していますので、既に第2条件も第4条件も満たしておらず、ゲームは北朝鮮ペースで進んでいます。
「なるほど、米国はもっと単純明快な行動をとるべきなんだな」と思われた読者の皆さん、ちょっとお待ちください。話はそんなに単純ではありません。
次の2つの条件を満たした戦略を「トリガー(引金)戦略」と言います。第1に相手が裏切らない限り協調すること、第2に相手が裏切ったらそれ以降はずっと裏切ること。
相手の裏切り行動が引金となって自分の行動が一変することから、トリガー戦略と命名されました。
通常、国際政治、外交の世界では、どの国もトリガー戦略の第1条件を採用しているフリをします。つまり、相手が裏切らない限りは協調するという「善人」を装うのです。
TFT戦略とトリガー戦略の両方を踏まえると、北朝鮮と米国の双方にとって、相手のどのような行動が裏切りに該当するかという認識がポイントとなります。
米国にとっては北朝鮮のミサイル発射は裏切り行為です。しかし、北朝鮮にとってはミサイル発射は裏切り行為ではありません。むしろ、米国の敵対姿勢が裏切り行為であり、それに対する制裁行動、つまりTFT戦略の第2条件を実行したに過ぎません。
北朝鮮の深層心理に関連して、もうひとつ気になるゲーム理論的戦略があります。それは「逆向き推論(Backward Induction)戦略」です。
10回のゲームを行う場合をイメージしてください。10回目のゲームは最後のゲームですから、ここで裏切っても次回相手に裏切られるリスクはありません。だから裏切るのが合理的な行動と言えます。
9回目のゲームにおいて、次回(10回目)に相手が裏切ることが予測できるならば、9回目から自分が裏切り行為を選択しても損はしません。
同様に、8回目、7回目と遡っていくと、結局、1回目から双方とも裏切り行為に出ることが合理的な行動という不思議な結論が導かれます。これが逆向き推論戦略です。
ここで重要なのは、10回目の最後のゲームにおける裏切り行為の内容です。国際政治や外交に終わりはない、つまりエンドレスであるという前提に立てば、最後のゲームという概念は成立しません。したがって、逆向き推論戦略も選択できないはずです。
しかし「11回目のゲームはない」すなわち「10回目のゲームにおける裏切り行為で自分が必ず勝利する」、あるいは「10回目でゲームオーバーになる」と信じていれば、逆向き推論戦略が有効に機能します。
もし北朝鮮が「最後は核を使用する」「最後は全面戦争になっても構わない」と考えているとすると、しっぺ返し戦略もトリガー戦略も無意味となり、逆向き推論戦略に基づく裏切り行為の連続こそ合理的選択となります。
つまり、北朝鮮自身が10回目のゲームにおける裏切り行為の「最後の一手」として何を想定しているかによって、それ以前のゲームの攻防は大きく変わってきます。
11回目以降のゲームを想定しているか否か、あるいは「最後の一手」の内容をどのように考えているかは、相手に聞いてみない限り分かりません。ここが外交の難しさです。
上述の政治学者によるゲーム理論コンテストで「しっぺ返し戦略」を破ったのが「主人と奴隷(master & slave)戦略」。英国政治学者ニック・ジェニングズとゴーパル・ラムチャーンが提案しました。
大雑把に言えば、敵チームに対抗するために、味方チームの中で主人と奴隷の役割を決め、奴隷にはいつも協調的行動をとらせることで敵を油断させ、最終的には主人が裏切ることでチームとしては敵に勝利するという戦略です。もっと分かりやすく言えば、奴隷を犠牲にして主人だけが勝つという戦略です。
このメルマガで何度もお伝えしているように、「自国の利益を犠牲にして他国の利益を守る国はない」のが国際政治の現実です。
中国と北朝鮮、米国と日本の関係にも、「主人と奴隷戦略」的な思考実験も行いつつ、現実の外交や安全保障における冷徹なシミュレーションを重ねることが必要です。
(了)