北朝鮮と米国の言葉の応酬が続く中、戦後72回目の終戦記念日を迎えました。双方の指導者とも挑発的なため、衝動的軍事行動が懸念されます。気になるのは国際情勢だけではありません。日本経済を牽引してきた大企業の決算に対する疑義が晴れません。日本には他にもそういう企業があるのではないかと、世界から疑われています。
米国の雑誌「タイム」は、毎年新年号の表紙を前年の「パーソンズ・オブ・ザ・イヤー」の写真で飾ります。前年の「話題の人」です。
今から14年前、2003年新年号の写真は腕組みする3人の女性。「ザ・ホイッスルブロワーズ」というタイトルが付されて、「米国の良心を救った女性達」と評されました。
「ホイッスルブロワー」は直訳すれば「笛を吹く人」ですが、英語的には「内部告発者」のことを意味します。
女性のひとりはシェロン・ワトキンス。当時、売上高米国7位であったエネルギー企業エンロンの財務担当幹部。
エンロンは、エネルギー政策の規制緩和の中で天然ガスや電力等を売買できる市場を創設。取引の価格変動リスクをヘッジするデリバティブ商品を開発し、これらを大量販売して事業を急拡大、業績も伸ばしていました。
しかし、これらの商品の会計処理に粉飾的仕組みが利用され、しかも会社の最高財務責任者(CFO)の私的企業が利益を得る仕掛けも駆使されていました。
それを知ったワトキンスは、事業内容と会計処理の是正を促すことを決意。2001年8月22日、会社の最高責任者(CEO)に直訴しました。
会社は密かにワトキンスを解雇することを検討。一方、同年秋、市場がエンロンの業績や取引に疑義を抱くようになり、同社株価は急落。12月2日、エンロンは連邦破産法第11条(チャプター・イレブン)の適用を申請し、倒産しました。
2002年2月14日、ワトキンスは米下院エネルギー商業委員会公聴会に招聘されて証言。そこで初めて自分の解雇が検討されていた事実を知ったそうです。
もうひとりはシンシア・クーパー。エンロン問題が進行していた同じ頃、クーパーは全米2位の通信会社ワールドコムの内部監査部門幹部を務めていました。
1983年に創業したワールドコムは通信自由化、規制緩和の流れの中で商機を掴み、同業他社の買収・合併戦略を積極的に展開。
70社以上の企業を買収。1998年、過去最大の総額400億ドルのM&Aを断行。自社より規模の大きい企業を買収し、AT&Tに次ぐ全米2位の通信会社にのし上がりました。
買収の繰り返しの結果、会計処理が複雑化。実態がよく分からなくなっていました。損金を益金に計上する単純な粉飾決算が行われ、粉飾は雪だるま式に膨張していました。
粉飾に気づいて実態を調べていたクーパーを会社の最高財務責任者(CFO)が恫喝。しかしクーパーは屈せず、2002年6月12日、監査委員会に調査結果を報告しました。
6月25日、CFOは解雇され、翌26日、当時のブッシュ大統領がワールドコム問題に言及せざるを得ないほどの社会問題として急浮上しました。
7月21日、ワールドコムはエンロンと同様にチャプター・イレブン適用を申請し、倒産しました。
その後の調査の結果、ワールドコムでは上司に対して物を言わない、不正に対して目をつぶる「社風」が形成されていたと指摘されています。
3人目はFBI(連邦捜査局)特別捜査官コリーン・ロウリー。2002年5月21日、ロウリーは「9.11同時多発テロ」に関連する書面をFBI長官と米上院情報委員会に提出しました。
「9.11」が起きた2001年当時、ロウリーはミネソタ州ミネアポリスのFBI支局に勤務。「9.11」に先立つ8月中旬、ミネアポリスの航空学校教官がFBI支局にある情報を通報しました。
ザカリア・ムサウイというフランスから入国した男が、8月13日から同航空学校で「着陸の仕方は必要ない。旋回の仕方のみ身につけたい」と申し出て訓練を開始。不審に思った教官がFBI支局に通報したのです。
8月15日、移民帰化局がムサウイを不法残留容疑で強制収容することを決定、フランス当局からムサウイがウサマ・ビンラディンと関係があるとの情報がもたらされ、FBIミネアポリス支局はムサウイをテロリストと疑いました。
ミネアポリス支局はそのことを直ちにFBI本部に報告、ムサウイが保持していたコンピューター等の捜査令状発行の許可を申請しました。
ところが、FBI本部はその情報を黙殺。ムサウイは同姓同名の他人ではないか等々の馬鹿げた質問、重い腰をあげない理由をわざわざ考えるような質問を支局に投げ返し、時間を浪費。
そうこうするうちに9月11日が到来。2機の旅客機がワールドトレードセンタービルに激突。3機目が国防省に突入、4機目がペンシルベニア州に墜落した後に、FBI本部は捜査令状発行を認めました。
「9.11」の旅客機ハイジャック実行犯は19人。その後の捜査で、ムサウイは20人目の実行犯だったことが判明。コンピューターから実行計画等の情報が押収されました。もっと早く捜査していれば、テロの犠牲を減らせたかもしれません。
ロウリーがFBI長官と米上院情報委員会に提出した書面には、FBI本部内の「ことなかれ主義」、積極的な法執行を躊躇させる減点主義的人事、その結果生まれた「面倒なことはしたくない」という雰囲気、何もしないことで昇進していく出世第一主義者(careerists)の跳梁跋扈、無能な管理職がはびこる実態が指摘されていたそうです。
この書面が提出された翌日、その内容がマスコミに報道され、「9.11」を巡るFBIの失態が明らかになりました。
2002年5月29日、FBI長官がFBI改革計画を発表。その記者会見において、長官は「組織をよくするためには、組織への批判、私への批判に耳を傾けることが重要だ。ロウリー捜査官に感謝する」と述べました。
6月6日、FBI長官が米上院司法委員会に招聘されました。同委員会グラスレー上院議員がFBI長官に対して次のように言いました。
「政府幹部が内部告発者に感謝したという前例は聞いたことがない。これまでは内部告発者の存在すら認めてこなかった。今回、長官がロウリー捜査官に感謝の意を表明したことを評価する」。
エンロン、ワールドコム、FBIのことを記していたら、日本の最近の状況が思い起こされるとともに、戦前戦後の日本の政治思想家、丸山眞男(1914年生、1996年没)のことが脳裏を過りました。
丸山眞男は「現代政治の思想と行動」(1956年)ほか数々の啓著を残し、日本社会の特徴に関係する重要な概念を提起しました。いくつかご紹介します。
第1は「無責任の体系」。日本は明治維新後の近代国家としての歩みの末に太平洋戦争の災禍に至りました。その過程では、国内外で思想・言論を弾圧しました。
もっとも、敗戦後の東京裁判等における戦争責任追及の中で、政府・軍関係者に自分が戦争に加担したという自覚は見い出せず、丸山眞男はその深層心理を分析しました。
そこには明治政府の構造が影響していました。欧州近代国家は個人の内面的価値に立ち入らなかったのに対し、近代日本は個人に対して国家の価値観を強要しました。
徳川幕府時代は「権威(天皇)」と「権力(将軍)」の二重統治体制であったのに対し、「大政奉還」後の明治政府は「権威」と「権力」を一元化。倒幕の方便であった「大政奉還」自体が国家的イデオロギーに昇華しました。
つまり、天皇の意思を方便として用い、国家が個人の内面的価値を支配。その後の言論統制、思想統制という国家の禁断行為を導きました。
個人の行動が国家によって規定されるという構造は、国家の価値観が個人の価値観となることを意味します。その結果「国のために死ぬのは栄誉」とか「非国民」という概念を生み出しました。
国家には絶対的正当性が付与され、国家は絶対に間違いを犯さないという虚構を構築し、国家に対して異議を唱えることは大罪となりました。戦後官僚制の「無謬」概念にもつながります。
個人は自分の価値観や倫理観に従うことができず、自分の行動を正当化する根拠を国家の意思に求めました。その結果、上級者による指示命令、上級者の考えを忖度(そんたく)することが個人の行動を決定づけました。
「上級者が言ったことだからいい」「上級者の命令だから仕方ない」という論理を形成し、人間としての個人の責任を棚上げ。自分を納得させる言い訳を構築しました。
こうした社会では、独裁者が専横的権力を奮わなくても悲劇が起きます。個人は全て上級者の指示命令に従い、仕方なく弾圧や戦争が行われます。誰かが独裁的権力を行使したとか、どこかの組織が暴走したという責任意識は生まれません。
その結果、権力を握っていた政府・軍関係者も自分達が戦争の災禍を招いたという自覚症状がなく、責任意識が形成されなかったと結論づけ、丸山眞男はこれを「無責任の体系」と呼びました。
第2は「抑圧移譲の原理」です。個人の価値観に従うことなく、常に上級者の顔色を窺い、自分の行動が上級者から正当化されることを期待します。正当化されれば、自分の行動も自分の責任ではありません。
こうした社会や組織では、誰もが常に上級者からの圧迫を感じ、下級者を圧迫することでそのストレスを発散させようとします。上級者からの圧迫は下へ下へと向かい、最下級者に圧迫が集中し、行動が強要されます。
法律や規則、指示や命令の遵守を強要されるのはもっぱら下級者であり、上級者に対してルーズな社会や組織が形成され、強者に優しく、弱者に厳しい体質が生まれます。
丸山眞男曰く「「自らの良心に従って行動するのではなく、あくまでもより上級者の存在によって行動が規定されているから、独裁ではなく、抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が生まれる。つまり、上からの圧力を下の者へ威張り散らすことで解消しようという衝動である。」
第1の「無責任の体系」、第2の「抑圧移譲の原理」は、現象面での異常さを表します。一方、戦争責任追及の過程で、政府・軍関係者が自己正当化のために駆使した論理が第3の「既成事実への屈服」です。
「既に決まっていたことだから仕方ない」「既に始まっていたことだから仕方ない」「個人的には反対だったが成行き上従うしかなかった」という理屈です。
東京裁判では多くの被告がそのように弁明したそうです。「自分の行動は自分に責任はなかった」「過去の決定や既成事実に従っただけ」という主張です。自分の行動の是非の問題ではなく、既成事実が自己正当化の根拠となる魔法。これが「既成事実への屈服」です。
第4も自己正当化の論理、「権限への逃避」です。「法規上の権限はなかった」「法規上は反対することは困難だった」。やはり多くの被告がそう弁明したそうです。職務権限に従うだけの「官僚」になり切り、自分の行動の責任回避を図りました。
都合のよい時には自分の言うことが法規だと言わんばかりに権力をふるう権限者が、都合が悪くなると自分に裁量権はなかったと言い張る厚顔です。
今日でもそうしたタイプの官僚が見受けられます。権力を行使して森友学園や加計学園に便宜供与した一方、国会で追及されると「権限はなかった」「法規に従っただけ」とシラを切る姿はまさしく「権限への逃避」。
1944年(昭和19年)、東大法学部助教授の丸山眞男は陸軍二等兵として召集されました。皇国史観に従順でなかった主張に対する懲罰的召集だったと言われています。
こうした扱いや軍における経験が、戦後の丸山眞男の思想に影響を与えたことが想像できます。1996年に82歳で他界した丸山眞男は戦後民主主義を代表する政治思想家でした。
晩年「戦後民主主義の虚妄を作り出した進歩的文化人」との非難を受けた際、丸山眞男は「戦前の『現実』と戦後民主主義の『虚妄』との間でどちらを選ぶかと言われれば、私は後者に賭ける」と言い切ったそうです。
「無責任の体系」「抑圧移譲の原理」「既成事実への屈服」「権限への逃避」等々の傾向は、国、社会、民族を問わず、人間に共通する弱さです。現在の北朝鮮でもそうした現象が起きているでしょう。
しかし濃淡はあります。日本はややその傾向が強い社会のような気がします。
日本と世界はどこに向かっているのでしょうか。唯一の被爆国として、過去72年間戦争をしていない、参加していない唯一の先進国として、日本は国際政治における希少性と重要性を自己認識する必要があります。
(了)