本庶佑教授のノーベル生理学・医学賞受賞をお祝い申し上げます。おめでとうございました。若い技術者、研究者、学生の皆さんに夢と勇気を与えたと思います。2年前のこのメルマガ369号(2016年10月10日)で取り上げた大隅良典・東工大栄誉教授が受賞以来です。今回はその話題です。
2018年のノーベル生理学・医学賞が、ジェームス・アリソン米テキサス大教授と本庶佑・京大教授に授与されました。
日本人の受賞は2016年の大隅良典・東工大教授以来。通算では米国籍取得者(2人)を含め26人。医学生理学賞は3年前の大村智・北里大教授、2年前の大隅教授に続き、5人目です。
授賞理由は、免疫機能の低下を防ぐ新しいがん治療法の発見。がん治療の可能性を大きく広げたことが評価されました。
がん治療は外科手術、放射線、抗がん剤(化学療法)が3本柱。両教授が開発した免疫療法は第4の治療法。ノーベル賞選考委員会は「がん治療に革命を起こし、がん克服の考え方を根本的に変えた」と論評しています。
人間は、体内に侵入した細菌等の病原体を攻撃する免疫機能を有しています。免疫療法はがん自体を対象とするのではなく、人間に備わった免疫機能を利用する治療法です。
免疫機能を発揮する免疫細胞は、体内で正常な細胞から変化したがん細胞も異物と見なして攻撃する一方、がん細胞も免疫機能を抑止するために攻撃を阻止。体内で「ミクロの戦い」が行われており、両教授はその仕組みに着目しました。
1995年、アリソン教授は免疫細胞のひとつで、白血球の一種であるT細胞に着目。T細胞の表面に付着するCTLA-4という蛋白質が、T細胞の活動を抑制することを発見しました。
それから3年、1998年に本庶教授も別のPD-1という蛋白質もT細胞の活動を抑制することを発見しました。
免疫細胞の活動を抑制するということは、がん細胞を攻撃する免疫機能が弱まることを意味します。CTLA-4やPD-1が免疫細胞の活動を抑制し、がん細胞に対する攻撃能力が低下。
ということは、これらの蛋白質(CTLA-4やPD-1)を働かないようにすれば、免疫機能を向上させ、免疫細胞に再びがん細胞を攻撃させることが可能となります。
従来のがん治療の常識は一変。がん細胞自体を対象にして除去等をするのではなく、がん細胞が自らを守る仕組みを突き止め、その仕組みを働かせなくすることで、人間が本来有している免疫細胞や免疫機能の働きを活性化させる治療法です。
これらの効果を企図する薬は「免疫チェックポイント阻害剤」と呼ばれるようになり、「免疫チェックポイント阻害剤」の開発に研究者や製薬会社が注力しています。
アリソン教授は1948年生まれの70歳。テキサス大学で生命科学の博士号を取得。カリフォルニア大学やヒューズ医学研究所の研究者を経て、現在はテキサス州立大学がんセンター執行役員。
2015年には米国で最も権威のある医学賞「ラスカー賞」、2017年には同様のイスラエルの医学賞「ウルフ賞」を受賞していました。
本庶教授は1942年生まれの76歳。京大医学部卒業後、渡米してカーネギー研究所や国立衛生研究所で免疫学の研究に従事。東大助手、阪大教授、京大教授等を経た、昨年まで静岡県公立大学法人理事長。現在は京大高等研究院の特別教授(副院長)だそうです。
早くから注目され、別の免疫研究でもノーベル賞級の成果を挙げ、平成24年にドイツの権威ある「コッホ賞」を受賞し、よくとしには文化勲章を受章しています。
免疫機能を活用するがん治療の研究は100年以上前から始まったそうです。19世紀末の米国では、がん患者に病原体を感染させて免疫機能を活性化させる方法を試行。驚きの発想ですが、成果が得られず中止。しかし、その後も免疫機能活用の研究は続いています。
1960年代以降、免疫機能を活用する結核予防ワクチンBCG、結核菌成分を使う丸山ワクチン等が登場。子供の頃のBCG予防接種はよく覚えています。
その後、蛋白質の断片であるペプチドを使って免疫機能を活用するがんワクチン等の手法が試行されましたが、科学的有効性が検証されるには至っていません。
1990年代、アリソン教授や本庶教授の発見によって局面が変わりました。2011年、米国では悪性黒色腫(皮膚がんの一種)治療薬として「免疫チェックポイント阻害剤」が登場。
本庶教授が発見したPD-1は、免疫細胞の死を意味する「プログラムド・セル・デス」の略。PD-1に着目して開発された「免疫チェックポイント阻害薬」がオプジーボです。
PD-1の結合を阻止してT細胞を活性化させることを考えた本庶教授は、小野薬品工業と協力して開発。オプジーボは2014年7月、製造販売承認を取得しました。
2人の研究を出発点にした薬は、世界の製薬会社がこぞって開発に注力し、がん治療に幅広く使われ始めています。
患者によっては大きな効果があり、様々ながん治療に使われています。従来の抗がん剤が効かず、手術では対応できない末期がん患者にも高い効果を示しています。
「免疫チェックポイント阻害薬」には多くの製薬企業が参入し、新しいがん治療薬のブームになっています。但し、効果があるのは全患者の2割から3割程度だそうです。
免疫研究は日本が得意としてきた分野。世界的に優れた研究者や研究成果を生み出しています。今年7月に92歳で亡くなった石坂公成・米ラホイヤアレルギー免疫研究所名誉所長はこの分野の巨匠。花粉症などのアレルギーを引き起こす免疫抗体を発見。免疫機能を活性化させる治療法を確立しました。
石坂氏は多くの日本人留学研究者を育て、それぞれ阪大学長を務めた岸本忠三氏、平野俊夫氏も弟子。2人は関節リウマチなどの治療薬を開発し、売上高が1000億円を超えるブロックバスター(大型新薬)を生み出しました。
ノーベル賞級の研究者を今後も輩出し続けるには、人材の育成や研究費の確保など、課題は多岐に亘ります。
本庶教授は最初からがん治療薬を開発していたのではなく、基礎研究の過程で偶然、免疫機能を抑制する分子を見つけたそうです。偶然や予想外のデータの解析に地道に取り組む時間と環境が大切です。
大学等に短期間で目に見える研究成果を求めがちな傾向がありますが、十分な予算と支援体制を確保し、若い研究者が腰を据えて取り組むことのできる環境こそが、日本の学術や産業の競争力向上の鍵と言えます。
もちろん、研究者も大学自身の自助努力も必要です。本庶教授は研究成果を実際の治療に応用できると考え、新薬開発への協力を製薬企業に要請したそうですが、最初に応じたのは米企業だったそうです。
欧米企業に比べ、日本企業のリスク回避の傾向は顕著であり、こうした点の改善もなされなければ、本来日本が得意であった分野でも早晩後塵を拝すことになるでしょう。
また、欧米では患者団体との連携も研究成果に結びついているそうです。例えば、がんや心臓病等の有力患者団体が寄付金によって基金を創り、研究開発を助成。
さらには、新薬臨床試験の情報を広く伝え、治験への参加を呼びかけて開発を側面支援しているそうです。こうした点も、日本とはずいぶん環境が異なります。
「デスバレー(死の谷)」と揶揄される基礎研究と実用化の「谷」を超えるためには、官民総出のチャレンジとリスクテイクのマインド向上、そのための政策制度的支援が必要です。
オプジーボに代表される「免疫チェックポイント阻害薬」の市場規模は現時点で約1.5兆円。2025年には約5兆円に拡大すると予測され、製薬会社が新薬開発に注力しています。
小野薬品の19年3月期売上高予測は2770億円。うち約1300億円がオプジーボの直接販売及びライセンス収入等と聞きます。同社の株式時価総額は2015年頃には約1.5兆円でしたが、オプジーボ発売後は約3兆円に達しています。
オプジーボは発売時に100mg73万円。1年使用で3000万円以上かかることが見込まれたため、コストが高すぎるとの批判が噴出。その結果、定例薬価改定前の昨年2月、突然薬価が半額に引き下げられました。
オプジーボが利用したT細胞に続き、CAR-T(カーティー)細胞を利用した白血病の薬も話題になっています。
特定の白血病患者の8割に有効な一方、治療費は1回7000万円超。最初に実用化したのはノバルティス。2017年8月にキムリアの製造販売承認を米国で取得。
キムリアは患者自身の細胞から製造されます。オプジーボと違い、免疫細胞の機能低下を防ぐのではなく、免疫細胞そのものを利用します。患者から取り出した免疫細胞にがん細胞を発見する遺伝子を組み入れて体内に戻し、免疫細胞自身ががん細胞を探して攻撃する仕組みと聞きます。
臨床試験(治験)では、抗がん剤が効かない難治性の白血病患者の8割以上に効果があり、がん細胞がほぼ消失する「完全寛解」に至った患者も多いそうです。
凄い効果ですが、問題はコスト。キムリアの治療価格は1回47.5万ドル(約5500万円)。17年3月に英国が公表したCAR-T療法の治療費は1人当たり50万ポンド(約7300万円)。自己負担の少ない日本の医療保険での取り扱い方が問われています。
コスト高になる理由は大量生産できないからです。患者の血液から免疫細胞を取り出し、CAR-T遺伝子を組み込んで培養。自己増殖しないので、手作業で培養します。所要期間は約2ヶ月。高度なスキルのスタッフの人件費だけで費用は膨大になります。
コスト問題以外にも懸念があります。今年2月、世界のがん治療研究の先導役である米メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターが、「完全寛解」に至った患者の再発率が高いとの研究結果を発表しました。
CAR-T療法を受けた患者の83%が「完全寛解」に至ったものの、そのうちの65%が再発または死亡。
しかし、この事実はあまり報道されません。再発後は同じCAR-T細胞は使えず、新たな工夫をしなくてはなりません。
CAR-T細胞に記憶させたがん細胞探索の仕掛けをがん細胞が理解し、がん細胞がその仕掛けを排除する反撃をしているのではないかと推測されています。研究者や製薬会社の技術にがん細胞が反撃、あるいは自己防衛しているということです。
研究者や製薬会社はこうした反撃を想定の範囲内として、別のCAR-T細胞の開発を進めているそうですが、がん細胞と免疫細胞、そして人間の技術との攻防が続くことが予想され、開発コストはさらに嵩む蓋然性が高いと言えます。
米国では、効果のあった患者だけが治療費を払う成果報酬制度を前提にCAR-T療法が承認されました。
ノバルティスは日本でのキムリア承認のため、同様の制度を提案していると聞きます。仮に販売承認が下りた場合、中央社会保険医療協議会(中医協)で薬価が決められます。
しかし薬価算定組織のメンバーも議事録も非公開。医療財政を通じて国民負担を増嵩させるだけに、薬価算定の透明性の面で問題があります。
薬価算定に当たっては製造コストが最も重視されます。国民感情も含め、社会保障制度全体への影響等に関する議論は原則として行いません。
アリソン教授と本庶教授のノーベル生理学・医学賞受賞は、免疫療法に関するコスト(薬価)、がん細胞の反撃(再発)、社会保障制度への影響等の問題をクローズアップしたと言えます。
(了)