平成31年度(新元号元年度)予算が成立しました。予算の中身も問題がありますが、そもそも前提となっている経済状況の認識、経済政策の考え方に問題があります。さらには、それらの前提(つまり前提の前提)になっている経済データに疑義が生じたにもかかわらず、検証もデータ公開もしないままの予算成立。野党の非力を大いに反省しつつ、「黒い物も白い物と言い張る」現政権の姿勢は「民主主義の危機」と言わざるを得ません。
昨年1月22日の日経新聞一面トップ記事。内容は日本の賃金や労働生産性に関するものであり、その見出しは以下のとおりでした。
「日本の賃金、世界に見劣り」「生産性の伸びに追いつかず」「国際競争力を左右」「G7のうち日本だけが賃下げ」「人材流出の恐れ」。由々しき事態です。
具体的には2013年以降、実質賃金の伸びが労働生産性の伸びを下回り、2013年から2017年の5年間で日本の労働生産性は9%伸びた一方、実質賃金上昇率は2%。その差7%はどこにいったのでしょうか。
政府は企業の賃上げ率が上昇してきたと喧伝してきましたが、それでも主要国の中で日本の賃金水準が低いことが問題なのです。
OECD(経済協力開発機構)公表の各国実質賃金(各国通貨ベース)を見ると、G7の中で日本だけが2000年よりも低い水準。
政府や企業が「人件費が増えると国際競争力が落ちる」と考え、賃上げを渋ってきたことが原因です。2000年以降、大半の国民は所得増加の実感はありません。上述のとおり、現に2000年水準を下回っているのですから当然です。
「労働生産性が低いことが低収益、低成長の原因。労働生産性が向上すれば、企業収益もGDPも増加する」というロジックは、日本の政府及び企業の典型的な固定観念。生産性の定義や意味を正しく理解していません。
労働生産性の定義式は、GDPを労働者数で除します。労働者数一定とすれば、GDP増加で労働生産性上昇。逆に、GDP一定とすれば、労働者数減少で労働生産性が上昇します。
つまり、政府の政策や企業の戦略が奏功してGDPが増加すると、結果として労働生産性は上昇。奇妙な話ですが、失業者増加(労働者減少)で労働生産性は上昇します。高失業率の国の労働生産性が意外に高いことの一因です。
昨年の予算委員会や党首討論(代表当時)ほか、あらゆる機会でその点を総理に伝え、発想の転換を促してきましたが、なかなか効果が出ません。
今年2月6日、3月6日の予算委員会でも、諦めずに引き続き同様の視点で議論をした矢先、3月19日の日経新聞朝刊が1面トップで再び的確な記事を掲載しました。
見出しは去年より一段と踏み込んだ印象です。曰く「賃金水準、世界に劣後」「脱せるか『貧者のサイクル』」。
OECDのデータによれば、過去20年間で日本の労働者の時給は9%低下し、主要国で唯一のマイナス。政府や企業が賃金を抑制してきたために、日本の賃金水準が欧米に著しく劣後していると報じています。
同期間の他国の時給増加率を見ると、英国87%、米国76%、フランス66%、ドイツ55%。韓国は何と2.5倍。日本の平均年収は米国を3割も下回っています。
バブル崩壊後の「3つの過剰」(設備、雇用、債務)対策として、1990年代後半から賃下げに傾斜した日本企業。気がつけば、日本の賃金は世界から大きく引き離されています。
長い間「生産性が低いから賃金が上がらない」というアベノミクスの論理をサポートしてきた日経新聞ですが、昨年来、社論を変えたような印象です。もちろん、評価します。
そして今回の記事では「低賃金を温存するから生産性の低い仕事の効率化が進まない」と主張し、「付加価値の高い仕事への転換も遅れ、賃金が上がらない」ことを「貧者のサイクル」と表現。
「貧者のサイクル」とは初めて接した表現なので、何かの論文の引用かと思い調べてみましたが、どうも日経新聞の造語のようです。
「賃金は安いほどいい」「労働生産性が上がれば賃金が上がる」という愚かな考え方に囚われた愚行によって「労働生産性の伸びに賃金が追いつかない」という状況が起きていることを鑑みると、「貧者のサイクル」というより「愚者のサイクル」と表現する方が的確です。
「愚者にも一得」という言葉があります。「愚かな者の考えることでも、ひとつぐらいは良い点がある」というような意味。「背水の陣」で有名な「井陘(せいけい)の戦い」で勝者(韓信)が敗者(広武君)に対して言った言葉に因んでいます。
「賃金は安いほどいい」「労働生産性が上がれば賃金が上がる」「労働生産性が低いことが経済や業績が伸びない理由」という考えに固執する愚者には一得もありません。
生産性とは何か。そのことを理解しなければ「愚者のサイクル」からは抜け出せません。メルマガ398号(2018年2月1日号)の一部を再述します。
上述のとおり、政府の政策や企業の戦略が奏功してGDPが増加すると、結果として労働生産性は上昇。奇妙な話ですが、失業者増加(労働者減少)で労働生産性は上昇します。高失業率の国の労働生産性が意外に高いことの一因です。
生産要素には労働以外もあります。資金や設備等の資本、土地等のほか、それらの生産要素以外の要因を包括する全要素生産性(TFP)もあります。経営者の手腕や戦略、政治家や官僚の政策の巧拙も、企業の売上やGDPに影響します。
労働以外の生産要素の生産性が向上し、実質GDPが増加すれば、労働者の働き方が変わらなくても労働生産性は結果として上昇します。
日本の政府や企業は、労働生産性がGDP変動の「結果」なのか、「原因」なのか、この点をよく考えることが必要です。短絡的に「原因」と捉えていることが、政府の政策や企業の戦略が奏功せず、経済が低迷している「原因」です。
頭の体操をしてみましょう。例えば、スーパーのレジ係の入力スピードが倍になると労働生産性は倍になります。しかし、それでスーパーの売り上げが増えるわけではありません。スーパーの立地や営業戦略、品揃えや広告等が奏功しないと、売り上げは増えません。
昨年の予算委員会でこのことを総理に質したところ、秘書官に耳打ちされて「レジ打ちが早くなれば列に並んでいる人をより多く処理できる」という珍答弁。
レジ打ちが早くなっても、列に並んでいる人の数(つまり売上げ)は増えないのです。このレジ打ち論争は話題になりました。
労働生産性を都道府県単位で比較すると、東京都が高く、その他の道府県は低くなります。東京の労働者が地方の労働者よりも優秀だからでしょうか。そうではありません。東京に人口が集中し、需要(つまり、売り上げ)が多いためです。
アップルやグーグルの社員と、業績が低迷している日本メーカーの社員を総入れ替えすると、日本メーカーの労働生産性が上昇するでしょうか。そうはなりません。それは、その日本メーカーにはアップルやグーグルのような商品がないからです。
労働生産性の定義式を展開すると、GDPは労働生産性に労働者数を乗じた値となりますので、労働生産性の上昇、労働者数増加は、定義上GDPを増加させます。
そこから短絡的に「労働生産性上昇、労働者数増加が必要」との結論を導き出しているのが「愚者のサイクル」的発想。経済官僚の中にも愚者がいるのは驚きです。
労働生産性のマジックを正しく理解できない限り、日本の経済政策や企業戦略は迷走し続けるでしょう。GDPや売上げが増えれば国や企業の労働生産性は上昇します。要するに、よく売れる製品やサービスを生み出せば労働生産性は上昇します。
OECDの最新データ(2017年)によれば労働生産性ランキング1位はアイルランド。産業の中心を農業から金融・ITに切り替えたことでGDPが増加しました。
日本の労働生産性ランキングは21位(主要36か国中)。日本では労働生産性の低さを「働き方が悪い、仕事の仕方が非効率」というロジックで労働者の責任に押しつける議論が多いようですが、一面的に過ぎます。「働き方改革」もそういう文脈で語られています。
社員や企業の創造力・技術力・企画力、経営者の戦略・手腕のみならず、科学技術・通商産業・人材育成等の政府の政策が決定的な影響を与えます。
なぜ日本の労働生産性は低いのか。結論的に言えば、労働者以外の要因の影響が大きいのが実態です。労働生産性のマジックを理解しないままでは、「愚者のサイクル」から抜け出せません。
労働生産性がGDPや売上げの「結果」であるとすれば、経済全体や消費者の需要不足、その背景に影響しているデフレや不景気も関係しています。
労働生産性が低いからデフレや不況が生じたのではありません。デフレで不況だから労働生産性も「結果」として低いのです。「原因」と「結果」の関係の的確な認識が必要です。
今国会でも総理は「総雇用者所得が増えているのでアベノミクスは成功」と強弁し、「生産性が上がれば賃金が上がる」という「愚者のサイクル」的思考に囚われているようです。
そこで、総理と財務大臣に予算委員会(3月6日)と財政金融委員会(3月12日・19日)で、総雇用者所得増加の背景について以下のように解説しました。
たしかに2018年の総雇用者所得は増えています。総雇用者所得とは厚労省「毎月勤労統計調査」の1人当たり名目賃金(現金給与総額)に総務省「労働力調査」の非農林業雇用者数を乗じたものです。
増加の主因は雇用者数の増加。どのゾーンの雇用者が増加したかを精査すると、寄与度が高いのは第1に女性、第2に高齢者、第3に非正規。つまり、女性や高齢者の非正規労働者の増加が2018年の総雇用者所得増加の主因です。
このゾーンの雇用者増加の背景は、生活困窮度の高まりとも解釈できます。しかも、女性や高齢者の非正規労働者の賃金は相対的に低く、結果として労働者全体の平均賃金を押し下げています。
繰り返しになりますが、総雇用者所得は名目賃金に雇用者数を乗じたもの。つまり、個々の労働者や家計の豊かさを示す「賃金」と、それに雇用者数を乗じた「総雇用者所得」とは全く別物です。
女性就業者が2018年になぜ急増したのか。その点を総理、財務大臣は認識していませんでしたので、伝えておきました。それは所得税の税制改革と関係しています。
良く知られている所得税制の「103万円の壁」。2017年までの税制では、収入103万円以下の場合は「配偶者控除」が満額38万円適用され、103万円から150万円の間は「配偶者特別控除」が適用されて控除額が漸減(150万円超で控除額0円)。
したがって、専業主婦がパート等で仕事をする場合、収入が103万円になるまで働くので「103万円の壁」と言われてきました。
昨年の税制改正で、2018年分から「配偶者特別控除」の上限が201万円に引き上げられるとともに、「103万円から150万円」の範囲の「配偶者特別控除」の金額が「配偶者控除」と同額の「38万円」になりました。
そのため、従来103万円で仕事を辞めていた女性が150万円まで働く傾向が顕現化。つまり、これまでの「103万円の壁」が「150万円の壁」にシフト。
また、150万円から201万円までの範囲では、「配偶者特別控除」がなくなることを嫌気して働かなかった女性も働くようになり、その大半はパートなどの非正規雇用です。
この税制改正の影響が、女性、非正規の急増をもたらしました。しかも、賃金の低い非正規雇用を増加させたため、平均賃金を押し下げたのです。
今は「総雇用者所得が増えた」「女性の就業者数が増えた」と自賛していても、税制改正の前年対比の効果は1回限りの現象です。来年はこの傾向は続きません。
働いて豊かになっているのではなく、困窮しているから働くのです。その証左に2018年の実質消費はほとんど増えていません。
総雇用者所得が増えたのですから、消費総額が増加するのが道理。ところが、2018年の実質家計消費支出は全く伸びていません。その原因をどう考えるべきでしょうか。
賃金が伸びず、家計所得が増えないから「配偶者控除」「配偶者特別控除」の上限引上げに対応して女性が働きに出たものの、「やはり十分な所得が得られないので、消費を増やさず、貯蓄を増やした」というサイクルです。将来不安増大も影響しているかもしれません。この状況こそ「貧者のサイクル」と呼ぶべきです。
いずれにせよ、家計の状況が好転していないからこそ消費が増加しないのです。そのことが日本経済の最大の問題であり、異常な金融緩和を6年間も続けているアベノミクスが効果をもたらしていない証左です。
アベノミクスも異常な金融緩和も数年後にそのツケが顕現化し、国民はたいへんな経済災禍に直面するでしょう。
総理も日銀総裁もその時には交代しています。本人たちには「幸運なサイクル」ですが、国民にとっては「無責任なサイクル」です。
(了)