政治経済レポート:OKマガジン(Vol.425)2019.8.6

今日は8月6日。広島・長崎の原爆犠牲者のご冥福をお祈りしますとともに、被害者の皆様に心からお見舞い申し上げます。選挙が終わってみたら、米中・米露・日韓関係、香港、イラン、欧州等、国際情勢は一層緊迫。世界経済は同時株安。日本にとっては円高、株安。多くの国で国内対立が高まっており、世界は不確実性を増しています。こういう状況だからこそ、今後ともメルマガで広角的に政治・経済等を整理、分析していきます。少しでもお役に立てば幸いです。引き続き、よろしくお願い致します。


1.10年7ヶ月振り

7月31日、米国の中央銀行FRB(連邦制度準備理事会)がFOMC(連邦公開市場委員会)で10年7ヶ月ぶりの利下げを決定。リーマン・ショック直後の2008年12月以来です。

具体的には、FRBのFF(フェデラルファンド)金利(短期金利)の誘導目標を0.25%引き下げ、2.0%から2.25%にすると発表。

FOMCは年8回開催され、景気や金融市場の動向を分析し、金融政策を決定します。委員会終了後に決定事項を記した声明、及び景気判断や今後の方針を発表します。

FOMCメンバーはFRB議長を含む理事7人と地区連銀総裁5人(12行から5行を選出)の計12人。現在は理事2人が空席で10人です。

8人が利下げに賛成した一方、「好景気下での利下げは不要」と主張するボストン連銀ローゼングレン総裁、カンザスシティ連銀ジョージ総裁の2人が反対。

因みに、両総裁は日本の金融機関による大量のCLO(ローン担保証券)購入に懸念を表明。つまり、行き過ぎた金融緩和に警鐘を鳴らしています。

史上最長の景気拡大下での金利引き下げの理由は何か。パウエル議長は記者会見で「下振れリスクに備えるため」として、予防的措置であることを強調。貿易摩擦等による経済の減速や不確実性、低インフレを理由としました。

製造業生産は2四半期連続で悪化、インフレ率も2%以下で推移。失業率は最低水準が続いているものの、雇用増の多くは非正規、低賃金のサービス業。これが消費の伸び悩み、景気の弱さにつながっています。日本と似ています。

金利引下げのほか、量的緩和縮小の取り止めも発表。つまり、米国債等の保有資産(3兆8千億ドル<約410兆円>)縮小取り止めを、当初予定の9月末から2ヶ月前倒し。

トランプ米大統領は、0.5%以上の利下げと量的緩和縮小の即時終了を求めていたことから、今回の決定内容には不満。

トランプ大統領は「中央銀行の独立性」を無視し、FRBに圧力をかけてきました。そのため、パウエル議長は「FRBは政治的圧力に屈していない」とわざわざ強調し、トランプ大統領に影響されていないことを演出するのに腐心。予防的利下げがあり得ると事前に再三再四言及し、あくまで自主判断を演出。

こうした駆け引きを反映し、パウエル議長は記者会見で今回の利下げを「景気循環半ばでの調整であり、長期にわたる利下げの始まりではない」と発言。

大幅利下げ、本格緩和を織り込んでいた市場はこの発言に反応し、当日のNY株価は一時478ドル下落、終値は334ドル安で終了。

トランプ大統領はツイッターに「パウエルはいつものようにわれわれを失望させた。期待していたのは、長くて攻撃的な利下げの始まりという言葉だ。私はFRBから大した支援を受けていない」と投稿。不満を露わにしました。

さて、日本への影響如何。「米利下げは円高」がセオリーですが、過去には円安になった局面もあります。1989年以降、FRB利下げの結果としての円高、円安はほぼ半々。米国の景気や株価の押し上げ効果に注目が集まれば、日本経済の漸弱さ等を材料にした「日本売り」の円安が進む可能性もあります。

「米利下げは円高」との連想は、リーマン・ショック前後の利下げ局面で、円が90円、日経平均が7000円台になった印象が強いからです。結局、今回もここまでのところは円高、株安が進行。このメルマガを作成している6日午前中も日経平均は大幅下落。

2013年に就任した黒田日銀総裁にとって、米国が利下げに動く局面は初。日米金利差縮小による円高を警戒しなければなりません。

筆者も、日銀の緩和余地の乏しさから円高傾向が続くと予想します。黒田総裁は「追加的緩和手段はいくらでもある」と強弁していますが、追加緩和は銀行経営圧迫等の副作用も強く、日銀は手詰まり状態であるのが現実です。

超低金利が長引き、地域金融機関の体力は脆弱化。融資に慎重になり、地域経済を冷え込ませ、年金基金等投資家の運用難も深刻。そういう観点からも日銀の追加緩和には限界があります。

通常国会で金融機関経営への影響に言及しない黒田総裁に苦言を呈したところ、今回の記者会見では「追加緩和を検討する場合には景気や物価へのプラスの影響と金融システムへの副作用を総合的にみる」と発言。姿勢に変化は見られたものの、手詰まり状態であることに変わりありません。

2.中国包囲網

今回のFRBの利下げは、短期的、経済的視点から見ると、貿易摩擦、世界経済腰折れ、低インフレ等への対応という解釈になりますが、本当にそれだけでしょうか。

そもそも、貿易摩擦そのものが、過去のメルマガで取り上げてきたように、「チャイナ2049(100年マラソン)」「中国製造2025」への対抗策としての米国の戦略です。

詳しくは、HPからバックナンバーをご覧ください(391・394・402・404・405・408・413・416・421・422号等)。

このメルマガは早くからそういう視点を指摘してきましたが、今や新聞、テレビ等の報道機関も同様の見方に収斂しつつあります。

昨年10月、対中宣戦布告とも言える米副大統領ペンス演説(メルマガ416号参照)を契機に、中国発の世界同時株安が発生。

軌を一にしてFOMCの景気判断も徐々に慎重化。パウエル議長も今年1月、利上げ中止を表明。6月には「貿易摩擦は深刻な不確実性に変わった」と述べ、予防的利下げを示唆。

債券市場はこの政策転換に反応。昨年秋には3%超であった米10年物国債の利回りが急低下し、今や2%割れ。日欧勢等の買いが続き、米国債全体に占める外国投資家の保有比率は昨年末を底に反転。

典型的なのは日本の生保、銀行等。昨夏までは米国債を売り越していましたが、秋以降は大幅な買い越し。

その後、外国勢に米国債を売却した米投資家、米株高を見込んだ外国資金等が米株市場に流入。米国は債券高と株高を謳歌(足元はFRBの緩和策不十分との評価で株安)。

このように、米中貿易戦争は世界のマネーの流れを大転換。そのうえ、金融引締から緩和に転じるにつれてマネーは米国に集中し「米国買い、中国売り」と言ってもよい様相。トランプ大統領、あるいは米国の狙いは、まさしくこの点にあると思料します。

米中貿易戦争を映じ、多くの企業が生産拠点を中国から移転。移転先である東南アジア諸国やインド等は、表向きはともかく、内心としては米国の戦略を歓迎しているでしょう。

「チャイナ2049(100年マラソン)」「中国製造2025」という中国の戦略に対する「チャイナ・エンサークリング・ネット(Encircling Net)」(中国包囲網)という米国の戦略です。

トランプ大統領は、米株価が軟調になるとFRBやパウエル議長に対して「株価に敏感になれ」とツィッター投稿等を繰り返し、FRBに利下げを要求し続けてきました。

世帯の半数が株を保有する米国。株高こそが国内総生産(GDP)の7割を占める消費の底上げに寄与。そして、企業マネーの中国離れは、中国経済にボディーブローとなり、人民元の基軸通貨化を阻止し、貿易戦争で中国から譲歩を引き出す環境を作ります。

もちろん、中国も応戦。米中貿易戦争における制裁関税の応酬はご承知のとおりです。国内経済の梃入れにも余念がありません。中国人民銀行は2018年以降、既に6回の預金準備率引下げを実施。今年後半にもさらなる引下げが予想されています。

その一方、中国人民銀行は8月1日に基準金利の維持を決定し、FRBの利下げ、世界主要国の利下げ競争には与しない姿勢を示しています。前回景気悪化局面の2015年以降、基準金利引下げは行っていません。

中国の内心は複雑だと思います。追随利下げせずに金利差が拡大すると、人民元には上昇圧力(管理相場なので実際には圧力どおりには上昇しません)。利下げ競争に参戦すると、米国の「中国包囲網」形成の力学に間接的に寄与することになりかねません。

しかし米中貿易戦争の影響を受け、中国国内景気は徐々に停滞感を強めており、畢竟、中国人民銀行は何らかの緩和措置に踏み切らざるを得ないとの見方が大勢です。

具体的には、中期貸出制度(MLF)の活用です。中国人民銀行は、米中貿易戦争勃発以降、大規模な流動性供給を通じて借入金利の押し下げを企図し、国内企業を支えてきました。この施策を強化し、利下げ競争に与しない格好で応戦することが見込まれます。

米国による「中国包囲網」形成が進み、世界のマネーシフトが起きる中、気がかりなのは日本株の存在感の薄さ。過去1年間、米国株価は5%以上上昇した一方、日本の株価は1割下落。

日本株売買の過半を牛耳る外国人投資家が2年連続で保有を減らし、昨年来の売り越しは約8兆円。投資の神様ウォーレン・バフェットが日本株投資に後ろ向き(メルマガ421号、今年5月10日号参照)であることが象徴的ですが、外国人投資家は日本経済、日本企業の改革や成長に懐疑的です。

最近では「日本株は中国の盲腸にすぎない」と表現する外国人投資家もいるそうです。世界のマネーシフトが起きる中で、日本の企業・産業・経済が埋没しないための戦略、企業努力が問われています。

3.債券バブル

パウエル議長がトランプ大統領に屈し、今回の利下げが2015年12月から始まったFRBの利上げ路線(正常化路線)の基本的変更となれば(つまり、今後も連続的利下げを行えば)、後世、世界経済の分岐点だったと評されるような変化につながる可能性があります。

市場はFRBの年内追加利下げを織り込み済み。ECB(欧州中央銀行)も9月利下げ、日銀も年内の追加緩和が予想されています。主要国の金融政策は足並みが揃い、世界は緩和競争の様相となります。

BOE(イングランド銀行)は1日、政策金利を年0.75%で据え置くと発表したものの、その前提は「合意あるEU(欧州連合)離脱」。ジョンソン新首相が10月に「合意なき離脱」を強行すれば、景気対策等の観点から緩和に踏み切るでしょう。

2018年に利上げを進めた新興国中央銀行も、今年に入って相次いで利下げ。今後も米国に追随する見通しです。

新興国は金利を高めに維持しないと、通貨安や資本流出の懸念に直面。しかし、米国の利下げで金利差が広がり、新興国にとって利下げ余地が拡大しています。

こうした世界的な利下げ競争の中でマイナス利回りの債券が増嵩。世界全体の残高は13兆ドルと過去1年間で倍増しました。

2008年のリーマン・ショック後の世界的な金融緩和政策、及びここにきてのFRBの利下げ路線への転換、各国中銀の追随が影響しています。

日本や欧州を中心にマイナス利回りの債券規模は今や世界全体の約4分の1。景気後退に伴う金利低下(政策的利下げ)でも、投資家の買いを促進しています。スイスでは2064年償還の残存45年国債の利回りもマイナスになりました。もはや「債券バブル」です。

債券の利回りは利子収入と価格との関係で決まります。将来分も含めた利子収入と元本の合計額よりも、購入時の債券価格が高くなると利回りはマイナスになります。

マイナス金利の債券の買い手は、短期的な値上がり(利回り低下)益を見込む投資家です。一方、利回りを求める投資家は相対的に高リスク(つまり高金利)の新興国債券等を購入します。

債券バブルは国債にとどまらず、企業債券でも生じています。格付けが「投機的」となっている企業債券や企業向け信用も一部でマイナス利回りになっています。

信用力の低い企業向けの融資「レバレッジド・ローン」の残高もリーマン・ショック時の倍、米国だけで約1.2兆ドルに及んでいます。サブプライムローン危機を連想してしまうのは筆者だけではないでしょう。

リーマン・ショック後に供給された巨額の緩和マネーは設備投資等には回らず、大部分は債券市場等に滞留。今回の米国利下げが大転換点となって、各国の利下げ競争がエスカレートすると、既に生じている「債券バブル」がさらに深刻化します。

米国の政策金利目標のレンジは2%から2.25%。利下げの出発点としてはかなり低く、米国がECBや日銀と同様にマイナス金利まで踏み込むか否かが注目されます。

日米欧が相揃ってマイナス金利となれば「債券バブル」も最終局面、未曽有の異常事態です。

欧州国債も買われています。ECBが近々、量的緩和を再開して欧州国債を購入すると見込まれているからです。既に、ドイツ、フランス、スイス等、マイナス利回りの国債は拡大の一途。ギリシャ国債でさえ、利回りが2%まで低下しており、マイナス金利を窺う勢いです。

株も債券も同時に値上がりするという原理原則に反する展開が構造化しています。長期投資家は株安のヘッジとして債券も購入。短期投資家や投機筋は、短期売買で鞘稼ぎを狙います。

今回の米国の利下げ、及び今後の動向(トランプ大統領とパウエル議長の綱引き)次第で、世界的な債券バブルの帰趨が決まります。

(了)

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