9月中旬、北京に出張してきました。宿泊したホテルに隣接するショッピングモールも周辺のコーヒーショップもスマホ決済オンリー。現金決済は基本的にできません。2010年代に入って、中国(とくに都市部)は訪問する度に変化の早さに驚きます。技術革新、産業政策、国家戦略等、中国の動静は常にフォローアップすることが必要な時代です。
調査・視察のために1日半の北京訪問。短い割にたいへん有意義でした。中国のスマホ決済の爆発的普及は話に聞いていましたが、実際に見聞すると驚きでした。
2013年にはほぼ皆無だったスマホ決済。2016年500兆円、2017年1500兆円、2018年2500兆円と急増し、今年は3000兆円を超える見込みです。
世界のカード決済は2017年25兆ドル(約2700兆円)強。中国1ヶ国のスマホ決済がそれとほぼ同規模。因みに、日本のスマホ決済は2018年で約1兆円です。
スマホ決済の中心となっているのはアリババと騰訊控股(テンセント)。アリババが優位ですが、利用者数はそれぞれ10億人超。決済にとどまらず、医療、金融等、重要な個人情報を扱うサービス分野に急速に拡大しています。
スマホ決済等に関連する新規ビジネスは現時点までに約4千万人の雇用を創造。アリババ創業者・馬雲(ジャック・マー)氏は「雇用創造を1億人まで拡大し、アリババ経済圏をGDP(国内総生産)換算で世界5位の規模にする」と語っています。
北京では今やスマホ決済が中心。当局者に聞いたところ、1ヶ月のスマホ決済回数が100回以上(1日3回以上)の人、現金をほぼ使わない人、いずれも人口の約半分だそうです。
スマホ決済の急速な普及の背景には、偽札が多く、現金の信頼性が低かったこと、スマホ決済は未回収・紛失リスクが低く、簡便で低コストであること等が影響しています。
日本では少額であれば交通系ICカード、高額はクレジットカードという使い分けが普及していますが、そうした決済手段の未整備が、かえって中国における技術革新及び実用化のリープフロッグ(カエル跳び)現象を生み出しました。
アリペイ(支付宝)の場合、個人間の送金・決済は手数料なし。法人でも0.6%とクレジットカードの5%程度を大きく下回ります。コストの低さもリープフロッグを促しました。
スマホ決済と連動して個人の信用情報システムの普及も加速。アリペイの付随機能として2015年に導入された芝麻信用(セサミクレジット)です。
芝麻(ジーマー)は中国で胡麻(英語でセサミ)のこと。お伽話の「アリババと40人の盗賊」で主人公アリババが唱える「開けゴマ」という呪文に因み、「ゴマで可能性が開かれる」という意味を持たせているそうです。
セサミの信用スコアはアリペイでの支払い履歴等アリババ保有データに加え、学歴、職歴、資産、交友関係のほか、政府保有データも参考に算出されています。
中国政府は、金融取引のホワイト・ブラック情報、交通違反・犯罪歴等の膨大な個人情報を管理。これを活用し、2016年12月には国務院(内閣)が、航空機・鉄道等の利用に際して器物損壊や暴力等問題行為のあった乗客延べ700万人以上に対し、航空機・高速鉄道の利用禁止、チケット購入禁止等の措置を科しました。
その際、中国政府は「今後の社会では信用は第二の身分証。信用を失えば著しい不利益を被る」と国民に警告を発しました。政府データには契約不履行者を公開する失信被執行人リストもあり、当該リストに載った人はセサミでもランクが低くなります。
セサミの自分の信用スコアはアプリで閲覧可能。改定は毎月上旬に行われ、自分のスコアを常に気にする人が増えているそうです。
セサミの信用スコアは、個人特性(身分、高級品消費等)、支払能力、信用(過去の支払返済履歴等)、人脈(交友関係)、素行(消費面の際立った特徴等)の5分野を総合的に数値化して算出。700以上が「信用極好」、650以上が「信用優秀」、600以上が「信用良好」、550以上が「信用中等」、350以上が「信用較差(やや劣る)」です。
セサミは個人信用を数値で可視化したもの。第三者、初対面の人にも信頼度をアピールできます。学歴や資産等の入力は任意ですが、点数が上がるとメリットが大きいので、自信のある人ほど積極的に情報を入力するそうです。
一方、スコア偽装の可能性もあるため、AIを活用してユーザーを監視。不正行為が発覚すると、スコアが減点されたり、利用が停止されるそうです。
信用スコアは与信審査や金利優遇などの判断材料にされるほか、様々なメリット・デメリットに直結。例えば、中国ではデポジットが必要なサービスが多いため、高スコア者にはデポジットを免除。空港や役所等での高スコア者への優先対応も行われるそうです。
米国や日本でもクレジットスコアというサービスがありますが、あくまで返済能力を確認するため。人間としての信用力全体を判断するものではありません。
一方、中国のセサミは、決済履歴、学歴、資産、人脈等々の様々な情報から人間としての信用力全体を数値化して判定。日米のクレジットスコアとは根本的に異なります。
セサミは、単にビジネスとして自然発生的に生まれてきたものとは思えません。実は中国国務院(内閣)は2014年に「社会信用システム構築計画の概要に関する国務院通告」を発表。この中で信用スコア構築に言及しており、その翌年にセサミがスタートしています。
中国人民銀行は、アリババの「芝麻信用」のほか、テンセントの「騰訊征信」等、8社を信用評価機関に認定し、信用情報を共有しています。
セサミには企業版もあり、経営状況、契約履行等の5項目で評価。信用スコアは公開されるため、自ずと経営改善を余儀なくされ、健全企業が育つインセンティブになっています。
品行方正な個人や企業を育てるための信用スコア政策。権力による強制ではなく、当事者の意識を規範化に向かわせる社会システム、ビジネスモデルを形成したと言えます。
技術革新と情報管理を武器に、国家とジャック・マーのような事業家が一体となって「アメとムチ」によって個人と企業の行動を制御する社会システム。
中国のような一党独裁国家だから可能な仕組みであり、普通の国では同様の対応は困難でしょう。中国が遅れた管理社会であった故にリープフロッグを可能にしたと言えます。
是非論は別にして、その効果は出始めています。言わば「アリババエフェクト」。個人や企業の行動を変えるだけではなく、産業や社会保障の分野でも変化が顕現化。
例えば融資。スマホ決済とAI(人工知能)を駆使した融資制度。「3・1・0(入力3分、審査1秒、融資0秒)」と呼ばれる個人ローンや少額事業資金融資では、審査精度は金融機関の人的対応を凌駕。AI融資の償却率は0.5%未満。金融機関の約2%を下回っています。
「看病難(医師の診察を受けるのが難しい)」と言われる医療現場でも変化が起きています。アリババ本社のある浙江省杭州の病院では、顔認証による予約から診察、カルテ、処方箋、会計まで全てスマホ対応可能とした結果、診察待ち、会計待ちが大幅に減ったそうです。
北京の中日友好病院も視察しましたが、杭州の病院ほどではないものの、同様の効果が出ているようです。たしかに数年前に見た異常な混雑はありませんでした。
無人店舗、大規模店等、小売分野でも変化が進行。アリババがサポートするスマート都市「雄安新区」「明日鴻山」等では、徹底した未来システム実験が予定されています。
一方、スマホ決済、AI活用で中国に先行する米国でも「アマゾンエフェクト」が顕現化。但し、中国と社会的前提や発展度合いが異なりますので、異なる影響が出ています。
米国ではアマゾンが既存の小売業を駆逐し、小売店は3年間で1万店減少。小売大手シアーズ等の名門企業の破綻が相次ぎ、先月にはファストファッション大手フォーエバー21もチャプターイレブン(連邦破産法11条<日本の民事再生法に相当>)の申請検討と報道され、日本からの撤退もニュースになりました。
1994年創業のアマゾン。ネット販売の取扱商品を書籍から家電、日用品等に徐々に広げ、「アマゾンエフェクト」に晒される業種が拡大。2011年書店大手ボーダーズ、15年家電量販店ラジオシャック、17年玩具販売トイザラスが破綻。最近は上述のようにアパレルが苦境。試着が必要なため店舗優位と言われてきた固定観念は通用しないようです。
ウォルマートは消費者がネット注文した商品を取り揃え、来店すると即座に受け取れるサービスを開始。「アマゾンエフェクト」への対策に腐心しています。
日本でも小売店舗数は過去10年間で2割減少。従来は人口減少や大規模店、後継者難等の影響と言われてきましたが、現在は「アマゾンエフェクト」も加わっています。
日本の電子商取引(EC)化率は2018年に6.2%。米国は10%超であり、現在の日本は米国の14年頃の水準。昨年8月に書店大手文教堂が債務超過に陥るなど、数年前の米国を辿る動きが加速しています。
技術革新の影響、社会システムの変化は今後も続きますが、次に注目しておくべきはパブリッククラウド(雲)サービスでしょう。
クラウドサービスは世界中に展開するサーバー、ネットワーク及びソリューション(システム、プログラム等)をユーザー(企業、個人)に提供するサービス。
インフラの自社保有(オンプレミス)と比べると、企業はシステム構築やメンテナンス負担から解放されます。
現在は米国のAWS(Amazon Web Services)やGCP(Google Cloud Platform)等がサービスの主流ですが、ここでも中国が台頭しています。
中国にはAmazonもGoogleもTwitterもFacebookもなく、別世界のインターネットが構築され、西側との間に金盾(グレートファイアウォール<GFW>があります。
その中国側で生まれたのが、やはりアリババによるアリクラウド。中国ではアリユン(阿里雲)と呼ばれています。
2017年、アリババとソフトバンクの合弁会社SBクラウドが日本でのサービス開始。同社出資比率はソフトバンク60%、アリババ40%。ソフトバンクはアリババの主要株主です。
アリクラウドは中国国内では断トツの存在。そして、世界でも既に約20ヶ所のデータセンター、約60ヶ所の利用可能地域を展開。東南アジアやインドで市場シェアを高めており、現在、クラウドではAWS、GCPに次ぐ世界第3位と言われています。
アリクラウドのサービスはAWSやGCPとあまり変わらないものの、新興アリクラウドを採用している企業にヒアリングしたところ、採用にはいくつかの理由があります。
ひとつは、グレートファイアウォールを乗り越えるため。換言すると、中国進出、あるいは中国の取引先向けにクラウドを展開する場合には有益ということです。
アリクラウドを使うとグレートファイアウォールを意識することなくシステムを展開できるそうです。既に中国に進出済みの企業でも、中国国内のシステムを日本等におけるシステムと統合するのにアリクラウドを活用しています。
もうひとつは専用線。アリクラウドは日中間にインターネット経由ではない専用線を敷設し、複数国間、クラウド間をつなぐ専用線接続サービス(Express Connect)を提供。
これにより、既存サービスをアリクラウドと効果的に融合させ、中国でのビジネス展開における利便性を高めています。
通常、中国への接続はレイテンシ(待ち時間、反応時間)が長いものの、アリクラウドを使うと日中間は専用線で同期しているため、レイテンシは短いそうです。
企業は国、地域ごとにVPC(Virtual Private Cloud)を構築しているケースも多く、プライベートクラウドとパブリッククラウドの双方をサポートしているのもアリクラウドの売り。
また、中国国内から西側インターネットに接続するにはVPN(Virtual Private Network)を利用するのが一般的ですが、アリクラウドはAWS等米国系クラウドとの間をVPNでつなぐサービスも展開しているそうです。
さらに、アリババはデータ処理機能に優れているとも聞きました。中国最大の商戦日11月11日「独身の日」(ダブルイレブン<W11><双11>) は、3分間売上100億元(約1700億円)、1日売上3兆円。楽天の年間売上に匹敵する規模です。
この決済トラフィックを支えているのがアリクラウド。このようなビッグデータ処理能力、及びモバイル決済、顔認証などの応用において、中国は米国を超えています。
さらにAI(人工知能)による機械学習機能。アリババが提唱するACIDSとは、AI、Cloud、IoT、Big Data、Securityの5つ。
このうち、セキュリティに関しては少々気になります。上述のとおり、アリクラウドはプライベートクラウドとパブリッククラウドの接続を売りにしていますが、企業のプライベートクラウドのデータがどのように守られるかについては確認が必要です。
北京でも東京でもアリクラウドのエンジニアに会いましたが、英語が堪能でグローバルな情報収集、競合他社分析に精通。日本人の平均的エンジニアとの違いを感じました。
エンジニアはハッカソン経由で採用されるケースが増えているとも聞きました。ハッカソン(hackathon)とはソフトウェア開発に関するイベントの一種。エンジニアが集まって特定の問題に関して長時間または数日かけて議論し、解決策を検討します。
hack(ハック)とmarathon(マラソン)を組み合わせた造語であり、1999年から使われ始めたそうです。2000年代半ば以降、ハッカソンは普及し、いくつかの有力IT企業はハッカソンから誕生しています。
折しも8月にAWSで大規模障害が発生。クラウドサービスそのものへの信頼性とともに、BCP(事業継続計画)等の企業戦略の観点から、アリクラウドの攻勢が進むことも予想されます。
(了)