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10月14日、フェイスブックが主導するデジタル通貨「リブラ(Libra)」を供給・運営する「リブラ協会」の設立総会がジュネーブ(スイス)で開催され、21の企業・団体が参加した一方、当初参加予定であったイーベイやビザ等7社が参加を見送りました。
主要国政府・金融当局・中央銀行が、金融システムへの影響、不正送金の温床化等を懸念し、リブラに否定的立場であること等が影響したと推測されます。
経過を振り返ります。6月18日、フェイスブックは2020年にリブラという仮想通貨(暗号資産)提供サービスを始めるとして、ホワイトペーパー(企画書)を公表。
それによれば、2020年前半にリブラを発行し、リブラを提供・運営するリブラ協会には約100社の企業・団体が参加することを見込んでいます。
リブラはフェイスブックが直接発行するのではなく、非営利団体であるリブラ協会が設計・構築・提供・管理・運営を担いますが、リブラ協会は金融当局や中央銀行の承認を得なければなりません。
フェイスブックはカリブラ(Calibra)という子会社を設立し、リブラによる決済・送金・預金・支払等に使うウォレット(財布)サービスを提供。ウーバー等の会員企業・団体が利用することを想定しています。
リブラ協会の会員になるにはリブラとは別の暗号資産「Libra Investment Token(LIT)」を最低1000万ドル購入することが条件。会員にはリブラの担保通貨・資産(リブラ・リザーブ)の運用益が分配されます。
現状の超低金利・マイナス金利下では、リブラ・リザーブの運用は容易でなく、最低1000万ドルのコスト(言わば会費)に見合う運用益を得ることは困難です。
それでも会員になる企業・団体があるのは、リブラが普及した場合に得られる「情報」に価値を見出しているのでしょう。膨大な決済データから得られる個人情報、言わばビッグデータをビジネスに活用することを、金融当局や中央銀行は警戒しています。
リブラ計画が発表されると、主要国の政府・金融当局・中央銀行は批判的な反応を示し、「リブラに対する強い規制が必要」との見解を表明。
米連邦議会は、計画が公表された6月18日、リブラの開発停止を求める声明を発表。7月16日・17日には、米上院銀行委員会、下院金融サービス委員会が相次いで公聴会を開催。
フェイスブックが個人情報流出問題を起こしていた折から、委員会では「フェイスブックは信用できない」等々、厳しい意見が相次いだそうです。
6月30日、国際決済銀行(BIS)は、IT産業によるビッグデータの利用に警鐘を鳴らし、リブラに対し強い規制が必要であること等に言及した年次経済報告書を発表しました。
7月15日、国際通貨基金(IMF)は「The Rise of Digital Money(デジタルマネーの台頭)」と題したレポートを公表。リブラは一気に普及する可能性がある一方、プライバシー保護や金融システムの安定性等の観点から懸念があり、国際的規制が必要だと指摘しました。
7月にフランスで開催された主要7ヶ国(G7)財務相・中銀総裁会議では、リブラについて「最高水準の規制が必要」との議長総括を公表。各国中銀総裁に10月末までに対応方針を報告するよう要請しました。
9月13日、独仏政府は「通貨に関する権利は国家固有のもの」との共同声明を発表。これに先立ち、英中銀総裁もリブラに対する強い規制を要求しました。
主要国の政府・金融当局・中央銀行は、なぜリブラを敵視するのでしょうか。それは、リブラが既存の金融秩序を脅かすと見ているからであり、その理由はいくつかあります。
第1は、リブラの潜在的利用者数。フェイスブック利用者は現在世界で約23億人と言われており、フェイスブック広告等の支払い、個人間送金、決済等が可能となれば、日本円の20倍以上の通貨圏が誕生する可能性を秘めています。
フェイスブックの現在の利用者を超えて拡大する可能性もあります。現在、世界で銀行口座を持たない人は途上国を中心に約20億人と推定。銀行口座開設を認められない人、口座開設が面倒な人がリブラを使うようになる可能性もあります。
スマホで手続や利用が可能なうえ、先進国通貨に連動するリブラは、途上国の人々にとって、自国通貨よりも便利で信用できる決済インフラとなる可能性は高いと言えます。
第2の理由は、リブラが法定通貨で価値を担保されること。先行するビットコインと異なり、リブラはドル・ユーロ・円・ポンド等のリアルな法定通貨を裏付け資産として保有します。
つまり、リブラは「ステーブルコイン」の一種。法定通貨等の資産価値で裏付けされている仮想通貨のことです。
現在の計画では、リブラは主要5通貨のバスケット制になる見通し。米ドル50%、ユーロ18%、日本円14%、英ポンド11%、シンガポールドル7%と報道されています。
リブラはビットコインと同様にブロックチェーン技術を使う仮想通貨。しかし、法定通貨によって裏付けられることにより、投機対象のビットコインのような価格が乱高下することはなく、安定的で実用的な仮想通貨になると見込まれています。
IMF(国際通貨基金)のSDR(特別引出権)は主要通貨バスケットによる概念通貨。リブラはこれに近いと言えます。あるいは、米ドルを担保にして民間3銀行(香港上海・スタンダードチャータード・香港中国)が発行している香港ドルとも似ています。
第3は、現在の金融・通貨秩序への影響。何10億人もが利用する仮想通貨が実現すると、中央銀行を頂点とした既存の金融システム、通貨システムは大きな影響を受けます。
長期的には、リブラは既存の決済ビジネスを脅かし、銀行経営を不安定化させます。また、米ドルを筆頭とするリアルな主要通貨への依存度が低下し、世界中で決済手段の自由度が高まります。
物価や通貨価値の変動が激しい国では、自国通貨はリブラに置き換えられ、当該国の中央銀行は金融政策の制御機能を失う可能性があります。
換言すると、リブラは通貨覇権への挑戦です。米国は貿易赤字等によって世界中にドルをバラ撒き、ドル経済圏を構築。ドルなしでは経済活動ができない世界の仕組みが、米国の圧倒的影響力を担保しています。通貨覇権とはそういうものです。
銀行間送金ネットワークも米ドルがベース。第2次大戦後、世界において海外送金が容易になったのは、ドルの基軸通貨化、ドル経済圏の構築によるもの。通貨覇権を握っていれば、銀行取引を通して世界の情報を収集可能であり、それが覇権国家の力の源泉です。
20世紀の通貨覇権に公然と挑戦し始めたのが中国。人民元をベースにした独自の銀行間送金ネットワークを構築し、通貨覇権を米国から奪取することを企図しています。現在の米中貿易戦争の深層にも影響しています。
そこに登場したのがリブラ計画。米国及び西側主要国にとって脅威なだけではなく、米国からの通貨覇権奪取を目論む中国にとっても脅威であり、強力な競争相手です。
米中の通貨覇権争いは、例えばカンボジアが好例です。内戦が終結し、経済復興の途上にあるカンボジアでは、現在は自国通貨リエルと米ドルの両方が利用されています。
一方、中国はカンボジアを自国経済圏に引き入れるため、莫大な人民元を投下。しかし、決済や預金の中心が米ドルであるため、中国の思惑通りには進んでいません。
仮にリブラが実用化されると、カンボジアでも普及する可能性があります。カンボジアにとって、そうした状況は米中両国との交渉の後ろ盾ともなり、新たな力学を生み出す可能性があります。
こうした構造を理解している新興国や途上国では、独自のデジタル通貨開発を目指す動きも広がっています。
1月にBIS(国際決済銀行)が公表したレポートによれば、40ヶ国以上の中央銀行がデジタル通貨に関する調査を進めているそうです。
南米ウルグアイでは、中央銀行が2017年11月、ブロックチェーン技術を活用した法定デジタル通貨の試験運用を世界に先駆けて開始。試験運用は18年4月に終了し、同国中央銀行はデジタル通貨の実用化を検討しているそうです。
今年4月、中米バハマは、島国故に現金移動の困難さ等の島国故の制約を克服するため、2020年にもデジタル通貨を導入することを表明。
東アフリカのルワンダも、今年に入って、経済システムの効率化、経済成長促進を企図して、独自のデジタル通貨を発行する計画を明らかにしました。
この間、米国ムニュチン財務長官は「リブラは国家安全保障上の問題」と明言。上述のとおり、上下院所管委員会も含め、米国当局はリブラに対して批判的な姿勢を示しています。
ところが先月以降、フィラデルフィア連銀総裁をはじめとするFRB(連邦準備制度<米国中央銀行>)関係者や政府・議会関係者からリブラに対する肯定的発言が散発。流れが変わってきている印象を受けます。
そもそもフェイスブックは米国企業。次代の通貨覇権がデジタル通貨に左右されるとすれば、米国政府とフェイスブックが水面下で連携していても不思議ではありません。
対する中国はデジタル通貨発行に積極的。フェイスブックがリブラ計画を公表して以降、人民元を担保にした「デジタル人民元」(中央銀行デジタル通貨<CBDC>)計画を急ピッチで進めています。
CBDC計画は2014年にスタートしましたが、進捗状況は伺い知れず。ところが、8月に中国人民銀行幹部が「発行準備が整った」と発言。
11月にも発行開始との観測報道もありますが、現時点では具体的スケジュールは未発表。リブラは来年発行予定なので、中国も急いでいることは間違いないでしょう。
CBDCは、中国工商銀行、中国銀行、中国農業銀行等の大手銀行、アリババ、テンセント、銀聯国際等のIT系大企業が発行元となる模様。中国を代表する大銀行・IT企業と連携し、CBDCを国内外で普及させることを企図しています。
中国は人民元の基軸通貨化のためにも「一帯一路」地域でのCBDC利用を一気に進め、リブラへの対抗にとどまらず、米国からの通貨覇権奪取も狙っていることでしょう。
ユーロ圏各国は、米国同様、表面的にはリブラに否定的で、仮想通貨規制強化を主張しています。イングランド銀行総裁も「リブラには強い規制が必要」と明言。
しかし、ユーロ圏各国や英国はビットコイン等の仮想通貨利用に米国以上に寛容。表向きのスタンスとは裏腹に、米国や中国による通貨覇権への牽制として、リブラや自国開発デジタル通貨に傾斜していくことが予想されます。
この間、日本は米中欧諸国とは異なり、政府も日銀もデジタル通貨に後ろ向き、関心薄。現金の信用度が高く、デジタル通貨の利用価値が低いことも影響しているかもしれません。
日本では、政府発行でなければ通貨ではないという古典的主張も根強いですが、それは思い込み。価値があると認識されれば、発行体や形態に関係なく通貨足り得ます。
リブラはマネロン上の懸念があるという各国当局の説明も額面通りには受け取れません。なぜなら、仮想通貨は電子的に流通経路を追跡できるからです。
現金は最も匿名性が高く、悪用され易い決済手段。にもかかわらず、現金が決済手段として使われている現状を鑑みると、仮想通貨のマネロン上の懸念という理屈は詭弁です。
各国通貨当局の危惧の深層は、リブラのような仮想通貨の普及が、上述のとおり、中央銀行を頂点とする既存の通貨・金融システム、通貨発行益(シニョリッジ)を脅かすことです。
現代の通貨・金融システムは、中央銀行が通貨を一元的に管理し、民間銀行を通じてマネーコントロールすることで成り立っています。中央銀行を頂点とした金融による産業支配システムと言い換えることもできます。
経営危機になっても、銀行だけは政府から救済されるのは、銀行が特権的立場にあるからにほかなりません。
リブラのような仮想通貨が広く流通すると、中央銀行の統制外のマネーが増え、金融政策の効果は半減。中央銀行の影響力、金融による産業支配力は低下します。
リブラ協会に参加しなかったペイパルは、10月1日、外資系企業としては初めて中国でオンライン決済サービスの認可を取得。中国人民銀行はペイパルをCBDCのプラットフォーム構築に参画させる方向で検討しています。
ペイパルは中国を選んだとも言えますが、米国政府のエージェントとして中国CBDC計画に食い込もうとしているようにも思えます。
米国GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と中国BATH(Baidu、Alibaba、Tencent、Huawei)。両国プラットフォーム企業が通貨覇権を巡り、国家と連携して虚々実々の攻防戦を展開しているのかもしれません。
(了)