2月7日発表の昨年12月の景気動向指数CI(一致系列)は94.7。3.11後の景気停滞期に近い水準で、景気判断は5ヶ月連続の悪化。2月17日に発表された昨年第4四半期(10月から12月)実質GDPは6.3%減少。昨秋の消費増税、台風等の影響で5期振りのマイナス。COVID19による新型肺炎の影響で、今年の経済は波乱含みのスタートです。
昨年6月、米国有力投資ファンド「カーライルグループ」創始者デビット・ルーベルスタインが日経新聞のインタビューを受けていました。
「現在の金融市場にとってブラック・スワンとは何か」と問われ「地政学リスク」「政府債務」「パンデミック(感染症大流行)」と回答。COVID19による新型肺炎を予見するような内容でした。
かつて英語に「無駄な努力」を示す慣用句として「黒い白鳥(ブラック・スワン)を探すようなもの」という表現がありました。「黒い白鳥」はいないという前提です。
ところが1697年、オーストラリアで黒鳥(黒い白鳥)が発見され、鳥類学者の常識も英語の慣用句も覆りました。以来「常識が覆ること」「物事を一変させること」を象徴する言葉として「ブラック・スワン」が定着。
金融界では「あり得ないことが発生し、常識が覆り、予想外の大きな影響を受けること」を示す「ブラック・スワン理論」が登場。筆者の日銀時代には聞いたことがありませんでしたが、元ヘッジファンド運用者の心理学者ナシーム・ニコラス・タレブの2006年の著書「ブラック・スワン」で提唱されました。
その後、確率論や経験論では予測できない現象(事象)が発生し、それが多大な影響を与えることを総称した比喩として浸透。今では「ブラック・スワン理論」に基づいた運用戦略を実践している投資会社もあるそうです。
因みに「ブラック・スワン」と呼ばれる「黒鳥(Cygnus atratus)」はカモ目カモ科ハクチョウ属でオーストラリア内陸部に生息する固有種。白鳥のような「渡り」は行わず、オーストラリアに定棲。黒い羽根の先端(二列風切羽)だけが白い美しい姿です。
COVID19が「ブラック・スワン(あり得ないはず)」のパンデミックと断定するのは時期尚早ですが、未発症感染者にも感染能力があり、パンデミックの危険性は否定できません。
英国の専門家グループは「2月初で感染者は推計25万人」と推計。COVID19対策は、SARSではなくスペイン風邪を参考にして講ずるべきと指摘しています。
メルマガ前号で記したとおり、A型インフルエンザH1N1だったスペイン風邪の死者は2年間で5000万人に上り、第1次大戦の終結を早めたと言われています。
一方、大戦後のパリ講和会議でドイツに過大な賠償金が課された一因は、それに批判的だった米国ウィルソン大統領がスペイン風邪に感染して体調を崩し、重要な局面で影響力を発揮できなかったためと伝わります。
つまり、スペイン風邪は第1次大戦を早く終わらせた一方、第2次大戦の遠因になったとも言えます。パンデミックが世界の歴史を動かした過去があるからこそ、前述のルーベルスタインは「ブラック・スワン」と指摘しているのです。
偶然ですが、ブラック・スワンの生息地オーストラリアは、スペイン風邪の際に海港における厳格な検疫が奏効し、国内へのウィルス侵入を6ヶ月遅らせることに成功。
しかし現在のように、航空機で多くの人が移動し、かつ無発症感染者に感染力がある状況では、オーストラリアのような成功の再現は困難です。
独立行政法人経済産業研究所のレポート(2月4日付)は「中国からの感染者入国阻止は無理」「100年ぶりのパンデミックを引き起こす可能性」と断じています。
メルマガ前号で整理したとおり、武漢での症例発生は昨年12月初、中国政府が集団渡航禁止等の措置を始めたのは更年後の1月下旬。年末年始に大量の中国人が日本をはじめ世界各国に渡航していますので、水際対策はその段階で失敗しています。
「まず大騒ぎし」「その後は根拠なく影響を過小評価し(正常化バイアス)」「飽きて関心が別のことに移る」という傾向が強いのが、日本の社会とメディアの特徴。
現在は初期段階ですが、「COVID19の致死率は低いので大丈夫」とコメントするメディアや専門家が出始めています。
スペイン風邪の致死率はCOVID19の武漢での致死率と同程度と聞きます。しかし、死者は5000万人。影響を根拠なく過小評価することは、注意力を低下させ、スーパースプレッダー(多数の人に感染させる感染者)出現の可能性を高めます。
正常化バイアスはメルマガ(Vol.303、2014.1.6号)や拙著(「3.11大震災と厚労省」丸善出版、2012年)で取り上げてきましたが、COVID19の今後においても要注意です。
2月3日、春節後に再開された中国株式市場で株価が暴落。中国人民銀行は1.2兆元(約18.7兆円)という異例規模の資金供給を実施。
9.11米同時多発テロ直後、FRB(米連邦準備制度理事会)は1104億ドル(約13.1兆円)の資金を供給しましたが、米中の市場規模の差を考えると、中国人民銀行による今回の資金供給は極めて大規模。
中国政府は、保険会社による保険金早期支払い、COVID19の影響が大きい地域・業界・企業に対する金融優遇措置(不良債権基準の緩和、約8兆円の支援融資)等、矢継ぎ早に対策を講じています。
COVID19は、SARS(2002年から2003年)と比較すると、中国経済のみならず、世界経済に深刻な影響を与えることが懸念されます。その背景は以下のとおりです。
第1に、中国経済の規模が拡大していること。GDP(国内総生産)の全世界GDPに占めるシェアは2003年8.7%に対して2018年18.7%(以下同)。輸出は5.8%対12.9%、輸入は5.3%対10.9%。いずれも倍以上に拡大しています。
日本の輸出に占める中国のシェアは、2003年12.2%対2019年19.1%、同輸入は19.7%対23.5%。当然ですが、いずれも拡大。
中国からの年間出国者数は、2003年0.2億人に対して2018年1.6億人、8倍です。中国の旅行収支は2018年2400億ドル(約25兆円)の出超。中国人旅行者減少は世界経済に大きな影響を与えます。
年間訪日客数はもっと劇的。2003年45万人(シェア8.6%)に対して2019年959万人(同30.1%)。実に21.3倍。同年の中国人の日本での旅行消費額は1.8兆円(同36.8%)です。
第2に、感染震源地が武漢であること。つまり、香港が震源地であったSARSとは根本的に異なります。
武漢は「チャイナ・セブン」と言われる中国イノベーション中核7都市のひとつ。他の6つは、北京、上海、杭州、深圳、西安、成都です。武漢を含む中国湖北省には世界の自動車、素材、集積回路、電子部品、医療機器、工作機械、宇宙関連等企業の生産拠点が集積。
世界のサプライチェーンの中核地域が機能不全に陥っているわけですから、SARSの影響とは比較になりません。
第3に、長期化の可能性が高いこと。震源地が武漢であることと関連しています。
武漢は中国本土の交通の要衝。武漢を含む湖北省全体が非常事態、封鎖状態になっていることから、生産停止、物流停滞、世界経済に与える影響の長期化は必至。
SARSの際は、中国の感染者数が急増した2003年5月の小売売上高前年比が4.9%と低迷(それでもプラスです)。感染者数がピークを越えた6月には同9.6%と回復。影響は2ヶ月足らずでしたが、今回はそうはいきません。
第4に、経済対策が打てないこと。中国の景気対策は巨額公共投資、財政支出拡大が常套手段。SARSの時にも行いました。
しかし今回は、湖北省に限らず、中国全土で集会、移動、経済活動等を制限。つまり、大規模公共事業等が行いにくく、感染症対策と経済対策が相反関係にあるためです。
第5に、東南アジアへの影響が大きいこと。中国のみならず、東南アジア全体が世界の成長エンジンになっている現在、中国経済停滞がアジア経済を停滞させ、結果的に世界経済にSARSの時とは比較にならない影響を与えます。
とくに、輸出の中国依存度が高い台湾、ベトナム、マレーシア、中国のサプライチェーンに組み込まれているタイ、ラオス、カンボジア等は大きな影響を受けます。もちろん、中国人旅行者減少は東南アジア諸国にもマイナスです。
第6に、金融市場への影響。投資家の心理的要因も関係します。昨年9月以降、世界的に株価が上昇し、日米欧の現在の株価には割高感があります。
その背景は各国の金融緩和ですが、米中対立の緩和も影響。緩和に向けた「第1段階合意」の内容は空疎ですが、株式市場は合意を囃して株価上昇に拍車。
株価の割高・割安を示すPER(株価収益率)を米中摩擦が本格化した2018年3月対比で見ると、米国S&P500は約19倍、TOPIX(東証株価指数)も約14倍。こうした中でCOVID19騒動が発生しました。
投資家に「売りの口実」を与えているCOVID19。その影響が深刻化、長期化すると、クラッシュのリスクがあります。そうした深層心理はいつ、どこで顕現化するか予測不能です。
第7に、他のマイナス要因と輻輳していること。世界的には、米中摩擦、中東情勢、欧州混乱(ブレグジット)等。
日本固有の問題としては消費増税、電子決済増嵩(ポイント還元に伴う電子決済増嵩は中小零細企業のキャッシュフローを悪化させ、資金繰りに影響)、人手不足、働き方改革に伴うコスト増等です。
そこに加わってきたのがCOVID19。世界と日本の経済への影響は深刻に捉えた方がよいでしょう。世界も日本も外的ショックへの耐性が低下しています。
中国出入国者の著しい減少により、中国就航国際線が7割減便。航空会社の資金繰りが悪化し、先週、海南省政府が航空関連企業「海航集団」を公的管理下に置く協議を開始と報じられました。
中国がサプライチェーンの中核である以上、日本でも経営危機、資金繰り逼迫に直面する企業が早晩顕現化するでしょう。リーマンショック時に活用した日本政策金融公庫の危機対応業務等を早急に発動すべきです。
今後、予想される影響を3点に絞って整理しておきます。第1は消費低迷、及びそれに伴う景気後退。中国にとどまらず、既に日本国内の消費も深刻な影響を受け始めています。
中国は雇用維持のために名目成長率6%を死守してきましたが、消費低迷は成長率低下、雇用減少を惹起し、それがさらなる消費減退を生む「負のスパイラル」、中国経済低迷が世界経済を低迷させ、それがさらに中国経済を停滞させる「負のスパイラル」をもたらします。
世界経済の中で中国のプレゼンスが拡大した項目は、上記項番1で示したGDP、輸出入、出国者数等だけではありません。世界の債務に占める中国のシェアもSARS当時(2003年)の3%から20%に拡大。
中国上場企業の負債総額は40兆元(約620兆円超)、社債償還額は2020年だけでも4200億ドル(45兆円)超。景気後退は借金依存の中国企業の存続を揺るがします。
バブル崩壊後の1990年代日本は、雇用、債務、設備の「3つの過剰」に直面し、その対応を誤って「失われた20年」「失われた30年」につながりました。中国でも過剰設備の調整に至れば、中国版「3つの過剰」の始まりです。
第2は、株価下落。現在の証券市場は、日米欧中主要国の長期に亘る金融緩和に支えられています。過剰流動性を抱えたバブル経済です。
米国ではNYダウ、S&P500、ナスダックとも史上最高値を更新。前述のとおり、投資家は割高感を持っており、「ブラック・スワン」を意識し始めた途端に株価の基調は変わります。
今や個別銘柄以上に取引量が拡大した「ETF(上場投資信託)」。ヘッジファンドや機関投資家はAI(人工知能)を活用した高速売買を行っており、スパイラル的な売り局面でどのような展開になるか予想がつきません。
米国のように値幅制限のない市場では、1929年大恐慌のような株価暴落に至る懸念もあります。下落をストップさせるサーキット・ブレーカーのような仕組みが機能するか否か、実際にそうした事態になってみないとわかりません。
第3に債券価格下落(金利上昇)。世界中で発行されてきた莫大な国債や社債。リーマンショック以降、債券市場は史上最高値つまり史上最低金利で長年売買されています。今回は株価下落に伴う債券高(Flight to Quality)とはならず、債券もクラッシュする可能性が高いでしょう。
デリバティブ取引残高もリーマンショック後の最高水準。経営不安説のあるドイツ銀行はCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)等を75兆ドル抱えていると言われています。RMBS(住宅ローン担保証券)や個人信用デリバティブ商品も増嵩しており、世界経済が変調をきたせば、リーマンショックの再来となりかねません。
以上のように、COVID19の影響による中国及び世界経済の動向如何で、株、債券(金利)、デリバティブ、さらには原油価格等がどのように動くか、予断は抱けません。
投資資金が通貨に退避する可能性もあります。その場合でも円は対象とならず、むしろ最近は「日本売り」の円安傾向。株、債券、円が下落すればトリプル安です。
通貨には米国CBOE(シカゴオプション取引所)の「通貨VIX(Volatility Index)」 と呼ばれる指数があります。円VIXは円の先行き不安定さ、円安傾向を高めています。
S&P500等のオプション取引にもCBOEのVIXがあり、別名「恐怖指数」。投資家心理を反映し、先行きの市況の不安定性を数値化しています。
CBOEには金融市場の歪みを示す「SKEW(スキュー)指数」もあります。VIXやSKEWから目が離せない局面です。
(了)