弾道ミサイル迎撃システムである「イージス・アショア」の導入見直しが15日に発表され、昨日(25日)には白紙撤回、導入断念の発表に至りました。「中期防衛力整備計画」に明記され、国会が予算を可決し、米国政府及び企業と正式契約まで締結済の導入計画の断念。防衛大臣、総理大臣、内閣全体の責任が問われて然るべき異例の事態ですが、その背景についてマスコミの調査報道や分析は脆弱です。可能な範囲で詳述します。
今回は略称が多数登場します。BMDは弾道ミサイル防衛(Ballistic Missile Defense)。イージスの語源アイギス(Aegis)はギリシャ神話の主神ゼウスが娘のアテナに与えた「盾」。イージス・アショア(Ashore)は、訳せば陸上イージス。以下、AAとの略称で進めます。
2017年に導入が決定されたAAは日米共同開発の最新迎撃ミサイルSM3(Standard Missile)ブロック2Aを使用する計画でした。既存ミサイルよりも射程や到達高度が大幅に向上し、より広い範囲をカバーできます。
AA断念の理由は、SM3ブロック2Aのブースター(推進エンジン)が住宅地に落下する危険性があり、落下制御のための改修コストや期間が嵩むためとの説明です。
改修はソフトウエアだけでなくハードウエアも必要で、10年以上の期間と膨大な費用がかかることが5月下旬に判明したそうです。ほんまかいな。
米側情報に基づいてブースターは演習場内か海上に落下と説明していた防衛省。それが事実なら、米側に違約金を払う必要はなく、むしろ米側の瑕疵担保責任を問うべきです。
そもそもイージスとは何か。改めて整理しておきます。米海軍は艦隊への空からの攻撃に対抗するため、冷戦下の1963年からイージス武器システムの開発に着手。
当初はソ連の航空機、艦船等からの同時多数の対艦ミサイル攻撃を受ける空母機動艦隊を守るための艦載防空システムと位置付けられていました。
SPY1レーダー(艦橋前後の8角形の設備)を開発し、多数目標を同時に探知・識別し、艦対空ミサイルを発射できるイージス艦が誕生したのは1983年です。
SPYは米軍武器命名規則に基づく識別コード。1文字目は使用場所を示し、Sは水上武器。2文字目は種類で、Pはレーダー。3文字目は用途で、Yは監視を意味します。
同年、レーガン大統領が戦略防衛構想SDI(Strategic Defense Initiative)をスタート。早期警戒衛星、ミサイル衛星、レーザー衛星を配備し、地上迎撃システムと連携して敵の大陸間弾道弾を撃墜する構想です。映画に擬せられ、通称スター・ウォーズ計画と言われました。
SDIに対抗しようとしたソ連は軍事費増加に耐え切れなくなり、あえなく崩壊。しかし、皮肉にもソ連崩壊によって弾道ミサイル技術と技術者が反米諸国に拡散しました。
1993年発足のクリントン政権は、SDIを本土防衛の国家ミサイル防衛NMD(National Missile Defense)と同盟国及び海外米軍部隊防衛のための戦域ミサイル防衛TMD(Theater Missile Defense)の2つに再編。
新しいBMD体制は、SDI宇宙配備システムではなく、海上配備システムと地上配備システムが基軸。海上配備システムの基盤としてイージス艦への期待が高まりました。
2001年発足のブッシュ政権は大量破壊兵器や弾道ミサイルの反米諸国への拡散に対抗してBMD体制を強化。NMDとTMDの区別を廃し、MDと総称する構想に発展しました。
弾道ミサイル飛翔過程をブースト(発射直後)、ミッドコース(中間段階)、ターミナル(終末段階)に区分し、それぞれに対応するMDシステム整備を指向しました。
イージス艦はミッドコース迎撃を担当する海上配備システムと位置付けられ、迎撃ミサイルにSM3を採用。
一方、AAはイージスシステムを陸上配備するもの。現行イージス艦ミサイルより大型、高性能、長射程のSM3ブロック2Aを使用予定で、2基で日本全土カバーの計画でした。
AAはイージス艦のような移動性はないものの、航行に要する人員は必要なく、低コストと少ない人員で運用可能との触れ込みでした。
因みにイージス艦は米海軍で既に100隻以上就役し、日本を含む西側数ヶ国が導入。開発は米国防総省ミサイル防衛局(MDA)と米海軍の主導下で行われ、日本も参加しています。
一方AAは米ハワイ州カウワイ島とルーマニアの2ヶ所に実戦配備。ポーランドにも配備済ですが、実運用には至っていません。その次に予定されていたのが日本です。
なお、弾道ミサイルのターミナル段階での迎撃用米国製主要兵器は高高度防衛ミサイルTHAAD(Terminal High Altitude Area Defense)とPAC(Patriot Advanced Capability)3。前者は韓国、後者は日本が配備しています。
日本のBMD体制整備の経緯も整理します。1993年、北朝鮮の核拡散防止条約(NPT)脱退を機に検討開始。1998年の弾道ミサイル(テポドン)発射を受け、検討は加速しました。
2003年、海上配備型イージス艦のSM3、陸上配備型のPAC3を柱とするBMD体制を決定。因みにPAC3は米国製地対空ミサイル「パトリオット」を改良し、弾道ミサイル迎撃に特化させた地対空誘導弾です。
北朝鮮初の核実験の翌年(2007年)、日本はSM3とPAC3を実戦配備。イージス艦は1993年に初号艦「こんごう」が就役。以来10年が経ち、BMDの主役となりました。現在7艦就役、1艦建造中。なお、PAC3の前身パトリオットは1989年から配備されています。
2016年、2017年に北朝鮮の核実験、ミサイル発射が相次ぎ、2017年、日本は迎撃範囲がTHAADの10倍に及ぶAA導入を決定。2018年、使用レーダーはロッキード・マーチン(LM)社製のLMSSR(SPY7)に決まりました。導入済のイージス艦レーダーSPY6とは異なります。
AA配備が実現すれば、日本のBMDは海自イージス艦(8隻)、空自PAC3(28基)に陸自AA(2基)が加わる3極体制になるという構想です。
AA配備地選定時にはグーグルアース誤使用問題も発生したものの、結局、秋田(新屋演習場)と山口(むつみ演習場)に決定。迎撃ミサイル発射は本州日本海側が適地との理由です。
AA実戦配備は2023年度の予定でしたが、今回この計画を断念。ブースター問題だけが理由なのか、定かではありません。
迎撃ミサイル発射局面は有事。武力攻撃切迫事態として避難指示が出ている蓋然性が高く、ブースター落下による人的被害が生じる可能性は低く、物的被害は補償すべきです。
ブースター問題が仮に真実であったとしても、配備断念の理由は他にあると推察するのが現実的です。従来から指摘されていた疑問等を整理します。
第1にAAの有効性。北朝鮮は既に最大約300基のノドンを実戦配備しており、同時多数発射された場合はイージス艦、PAC3にAAを加えても事実上対処不能です。
中国が開発中の極超音速滑空ミサイル(DF17)も迎撃できず、実戦配備される頃にはAAは「時代遅れの兵器」になっている蓋然性があります。
DF17はミッドコースで低空に移動し、巡航ミサイル的に目標に接近。AAでの対抗は困難であり、「ミサイルをミサイルで迎撃」という考え方自体が非現実的になりつつあります。
つまり、AAは弾道ミサイルのみに対抗でき、同時多数攻撃や巡航ミサイルのような脅威への有効性は低いと言えます。
仄聞情報ですが、AA配備場所での実弾発射訓練は不可。訓練はハワイ米軍施設で実施し、迎撃発射は本番で初体験になる可能性があり、その点でも疑問があります。
第2に陸上配備リスク。AAは配備場所が明らかなため、破壊工作や低空侵入の巡航ミサイルによる攻撃に晒されます。近隣自治体も被害を受けるリスクがあります。
第3に要員、スキル問題。イージス運用スキルを蓄積している海自に対し、陸自のイージス運用は初。しかも海自と別製品。長距離地対空ミサイルは空自、艦対空ミサイルは海自、中短距離ミサイルは陸自との従来の棲み分けですが、陸自が新たに長距離ミサイルSM3ブロック2AやSPY7レーダーのスキルと要員を蓄積することは簡単ではありません。
第4に費用。本体2基で約3千億円に加え、基地防御、ドローンやゲリラ攻撃防御用の諸兵器や要員配備、後述のハワイ訓練施設整備等の費用が増嵩。陸自全体の予算的負担が増し、他の装備等が弱体化するリスクがあります。
第5に、SPY7レーダーの納期も心配されていました。詳しくは後述します。
第6に健康被害。イージス艦レーダーはサイドローブと呼ばれる真後ろの軸線(メインローブ)以外の広範囲に漏洩電波輻射があり、人体への影響大。そのため、イージス艦レーダーは沿岸から50カイリ以遠の海上で運用されています。
一方、AAは住宅地近くに配備。それが許容されるならばイージス艦も停泊地や近海でレーダーを使用可能なはず。この点で、イージス艦とAAの整合性がとれていませんでした。
第7に中国やロシアの反発。数年前、韓国や欧州へのTHAAD配備に中国、ロシアは激しく反発。THAADより高性能のAA配備に対し、水面下で中国、ロシアが日本に圧力をかけた可能性は否定できません。
上記のように、AA断念の背景には様々な問題が関係している可能性が高く、ブースターだけが原因とは思えません。改めて、別の角度から経緯を整理してみます。
2018年7月、防衛省はAA搭載レーダーとして有力視されていたレイセオン製SPY6ではなく、LM社製SSR(Solid State Radar)採用を決定。性能や費用面で優位との説明でした。ところが、事情通の日米関係者に聞くと、この決定には違和感があったそうです。
なぜなら、米海軍が導入するSPY6と違い、LMSSRは構想段階のレーダーだったからです。採用決定段階では未製造、もちろん試験未了。性能評価ができません。
MDAはLMSSRの性能評価は日本がハワイにテストサイトを建設し、ミサイル実射試験等を日本の負担で行うことを要求していたそうです。
SPY6の場合、米海軍とレイセオン社は開発費等に約30億ドル要しました。つまりLMSSR選定によって、日本は同規模の負担を負う可能性がありました。
当初、防衛省はSPY6採用の希望を米側に伝達。しかし、米国とくにMDAは2022年実戦配備予定の最先端レーダーSPY6を日本に売却することに難色。そのことは2017年8月30日のロイター記事でも取り上げられています。
2017年12月、日本はAA2基導入方針を閣議決定。翌2018年1月、LM社が急にAA用レーダーSSRを発表し、日本名指しで売り込みを始めました。つまりSPY6を日本に供与したくないMDAの意向で、代替品としてLMSSRを用意したとも推察できます。
同年6月、防衛省はMDAからSPY6とLMSSRの提案書を受け取り、提案内容の精査を開始。7月、防衛省は「構成品選定諮問会議」を開催し、LMSSRに決定しました。
翌2019年11月14日、米政府はLMSSRにSPY7という正式名称を付与。SPY7と称されても、SPY6より最先端というわけではありません。1週間後の11月20日、防衛省は米LM社とSPY7レーダー2セットの正式契約を締結しました。
防衛省が公表している構成品選定資料を見ると「基本性能、信頼性、整備性、補給支援態勢、経費性等について、LMSSRがより高い評価を得た」という趣旨を説明しています。
しかし、上記のとおりSPY6は米海軍が正式採用を決めて既に製造されている一方、LMSSRはまだ構想段階。基本性能等で「高い評価を得た」という根拠は不明です。
納期についてもSPY6とLMSSRはともに「契約締結から約6年」と同一評価になっていますが、製造中のSPY6と構想段階のLMSSRの納期が同じというのも不可解です。
さらに、AA本体はFMSによる売却である一方、LMSSRはLM社が直接日本政府に売却できる直接商業売却DCS(Direct Commercial Sales)となっていました。
LMSSRがSPY6と同水準の軍事技術を使っているのであれば、本来はFMSでしか売却できないはずです。しかし、なぜDCSが可能だったのか。
それはLMSSRが構想段階に過ぎず、採用される技術が固まっていなかったためか、SPY6に比べて低い軍事技術だったからと推察できます。こうした点からも、SPY6とLMSSRを同列に比較することは合理性に欠けます。
SPY6、LMSSRともにMDAが日本政府に提案書を提示。上述のとおりLMSSRはDCSでLM社と日本政府の直接契約になるため、LM社は積極的な営業活動を展開。その過程で、日本企業を開発に参画させることもアピールしたそうですが、契約成立後に日本企業参画の話は反故にされたそうです。
諸々の経緯から推察し、LMSSR即ちSPY7採用にはMDAから強い働きかけがあったと考えます。それを受けた日本側の関係者がどのような動きをしたか。そこが問題です。
防衛省の意向に反し、官邸の独断専行で陸自へのAA導入、配備地選定、LMSSR採用が進められたとの情報も飛び交っています。米側の歓心に配意して官邸官僚や総理側近の独断専行、越権行為があったのではないか。そこが問われています。
軍事的な合理性、技術的な整合性もなく、米側の意向を忖度して高価な装備を自衛隊に押し付けることは、結果的に自衛隊を弱体化させます。
官邸官僚や総理側近とLM社の不適切な関係があれば、田中角栄総理を失脚させたロッキード事件の再来です。
こうした迷走によって、日本の統合防空ミサイル防衛IAMD(Integrated Air and Missile Defense)の体制整備はますます遅れていきます。
(了)