政治経済レポート:OKマガジン(Vol.458)2021.3.17

首都圏の緊急事態宣言が解除されそうな様子ですが、感染者数はリバウンド気味。判断が難しいのは理解できます。先日、都内の某大学病院の院長から話を伺ったところ、「首都圏の病床を含む医療リソースは十分ある。問題はそれらの運用を調整するコントロールタワーがいないことだ」とのご指摘。1年経ってもこの状況が改善されていない点について、政府(主に厚労省、内閣官房)及び東京都は大いに自省が必要だと思います。


1.カーボンニュートラル

カーボンニュートラル(以下CN)という言葉は2007年にノルウェーのストルテンベルク首相(当時)が2050年の国家目標として発表したことに端を発します。

2017年にパリで開かれた「ワン・プラネット・サミット」では、ニュージーランドとマーシャル諸島主導で2050年CN実現を目指す宣言を発出。

2018年、EUは2050年CN実現のためのビジョン「A clean planet for all(万人のためのクリーンな地球)」を発表。2020年にビジョンを具体化した長期戦略を発表し、現在はCN目標を含む欧州気候法案を審議中です。

2019年、英国は気候変動法改正時に世界で初めてCNを法制化。さらに、2030年までに1.7兆円の政府支出を行い、民間投資5.8兆円、雇用25万人が生み出すと発表。

2020年9月、世界の石炭消費量の半分を占める中国が国連総会で「2060年」CN実現を表明。10月、日本は首相が国会施政方針演説で2050年CN実現を表明しました。

CN宣言国は、今年1月時点で124ヶ国。ここにきてCNの動きが加速している背景には、温暖化に起因する自然災害の頻発に加え、コロナ禍も影響しています。

温暖化による凍土・氷河溶融が古代ウイルス等の微生物を曝露させる危険が高まっているほか、コロナ不況打開のため、CNを目指すグリーンリカバリーが投資を活性化させることを期待しています。

CNを日本語に訳せば「炭素中立」ですが、実は定義がは乱しています。整理してみますが、以下CO2(二酸化炭素)、O2(酸素)、C(炭素)と表記します。

「そもそも論」を共有する必要があります。植物はCO2を吸収してO2を排出しますが、それはCO2と水(H2O)から炭水化物(有機化合物)を生成するためです。

植物は土から窒素、リン、カリウム等を吸収して成長しますが、Cが欠けているので空気中からCO2を吸収し、光合成の結果、不必要なO2を排出します。

植物は生きている間はCを蓄積しますが、朽ちた植物のCは大気中のO2と結びついて再びCO2になります。つまり、地上(植物及び大気中)のCは一定というのがCNの本来の意味です。木を植えても狭義のCNにおいてCは減りません。

ではCO2増加による温暖化が問題になるのはなぜか。それは、地中にあった化石燃料を採掘・燃焼させて地上のCO2つまりCを人為的に増やしているからです。

朽ちた植物の一部は水中や地中に没し、圧縮されて石炭に変化。石油や天然ガスも動物や微生物の死骸が元のようですが、生成過程は未解明。無機物由来説もあります。

つまり化石燃料(石炭、石油、天然ガス等)は人間が採掘して燃やさない限り、酸化してCO2に変化することはありません。Cが固定化された状態です。

かつて地上のCO2濃度は相当高かったものの、植物が誕生して光合成を行い、朽ちてCを固定化させ、CO2濃度が低下。その結果、動物や人間の繁栄につながりました。化石燃料を燃やして酸化させることは、地上を太古の時代に戻していると言えます。

一般的に使われているCNは、今後の活動で排出するCO2をゼロにするという意味であり、言わば広義のCN。本来的な意味、狭義のCN実現のためには、人間が化石燃料を燃やして人為的に増えたCO2を地中固定化等によって元に戻す必要があります。

CNの定義を理解するうえで植物由来のバイオマス燃料が有益です。バイオマス燃料もCO2を排出しますが、環境政策上はCO2排出と見做されません。成長過程でCO2を吸収しているため、燃やしても蓄積したCを排出するだけ。非化石燃料はCNなのです。

化石燃料、非化石燃料以外のエネルギー源としては、太陽・地熱・風力・水力等の再生可能エネルギーのほか、原子力等があります。

非化石燃料の木や森林を燃やしてもCO2排出量に加算されません。アマゾンの焼畑が典型例です。

しかし、森林を燃やせば現実に大気中のCO2は増加。発展途上国等に焼畑抑制等を求めると「自分たちはCN。温暖化は先進国の過去の化石燃料使用が主因」と反論します。

なお、CO2排出量が吸収量を上回る場合はカーボンネガティブ(カーボンマイナス)、その逆はカーボンポジティブ (同プラス)と言います。カーボンオフセットはCNの前段階の概念。CO2削減目標を決めて取り組むことを意味します。

2.LCAとHRA

企業のCNは広義のCNです。CO2排出量を減らしたり、排出権取引(キャップ・アンド・トレード)で排出枠を購入し、自社のCO2の実質的排出量ゼロを目指します。

企業のCNで注目が集まっている概念がLCA(ライフ・サイクル・アセスメント)です。製品がCNでも、製造過程でCO2を発生させている場合、それも加味して製品のライフ・サイクル全体でCNを判断するという考え方です。

近年、CNなエネルギー源として需要急増のバイオエタノールは、製造過程で大量の化石燃料を使用。LCAではCNと言えないほか、穀物価格高騰と穀物不足による飢餓危機という別の問題も生み出しています。

本来的な意味でのCN実現のためにはCO2固定化が必要ですが、もうひとつの手段があります。それは、地上の植物を増加させ、大気中のCO2を減らすことです。

植樹に要する土地面積をCFP(カーボン<エコロジカル>フットプリント)と言います。世界が必要とするCFPは1.06gha(全耕作地・牧草地・森林面積の1.2倍)、日本は269.7万ha(国土面積の約7倍)と試算されています。しかも、あくまで今後の排出量に関する2050年CN実現に過ぎません。

本来ならば、過去の人為的排出分も回収するHRA(ヒストリカル・レコード・アセスメント)でなければ、温暖化前の状態には戻りません。

このように、CNの掛け声は素晴らしいものの前途多難。国は2021年度税制改正でCN促進のための特別償却や税額控除優遇を行いますが、とても十分とは言えません。

企業の広義のCN対策は様々です。製鉄高炉のCO2排出を減らす水素還元技術、セメント製造工程で発生するCO2を再利用するカーボンリサイクル、太陽光発電を活用するHEMS(ホーム・エネルギー・マネジメント・システム)によるZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)やZEB(同ビル)」等、各分野で内外企業が努力しています。

東芝は昨年11月に石炭火力発電所新規建設から撤退を表明。2022年度までに1600億円を投じ、洋上風力発電等の再生可能エネルギーのインフラ事業への転換を企図。

マイクロソフトは2012年にCN達成。さらに2030年までにカーボンネガティブ、2050年までに創業以来の排出CO2全量回収を表明。HRA的な狭義のCNに近い対応です。

グーグルは2007年からCNを維持。冷房等のエネルギー使用量をAI管理で削減しているほか、2017年から使用電力を100%再生可能エネルギーに転換。

繊維の生産や染色はCO2を大量に排出するため、世界のアパレル業界の排出量シェアは約8%。このため、パタゴニアはオーガニックコットン使用等の努力を行っているほか、2025年CN実現、その後はカーボン・ポジティブを目指すと宣言。

日本国内の環境対応車の約40%はHV(ハイブリッド)、PHV(プラグイン同)であり、EV(電気自動車)普及率が低迷する中、トヨタは昨年末に水素燃料電池自動車MIRAIの2代目を発表。排出物は水だけです。

欧州の自動車業界はEVシフトを加速させ、昨年末にはVWがロボットを使ったEV給電システムを発表する等、EV普及の環境整備にも注力しています。

しかも、欧州はパリ協定遵守のために自動車のCO2排出量算定はLCAベースとすることを画策。しかし、この動きには欧州の戦略的意図があります。

EV車体価格の半分以上を占めるリチウムイオン電池は日中韓メーカーが圧倒。そのため、欧州は水素エネルギー普及に2030年までに50兆円を投じるほか、EV用電池の域内内製化に腐心。要するに、アジア勢に対抗するための戦略です。

その鍵となるのがLCA規制。EVは製造時にエンジン車の2倍近いCO2を排出し、その大半が電池に起因。LCAベースではガソリン車とEVの排出量は大差なく、中国車はEVの方が多いと言われています。

再生可能エネルギー普及率が高い欧州製の電池やEVはCNの観点からはアジア製よりも競争力が高いことを武器に、自動車における勢力挽回を企図しています。

CNを巡る動きの背景は複雑です。とは言え、温暖化の影響は激しくなっており、各国が対策に注力すべきであることに変わりありません。昨年末、科学誌「サイエンス」に深刻な論文も発表されました。

温暖化に伴う高温化の影響で地下水汲上量が増加し、各地で地盤沈下が顕現化。例えば、米国カリフォルニア州ではサンフランシスコ湾岸都市部は年間3分の1インチ(約8mm)沈下。インドネシアの首都ジャカルタでは年間10インチ(約25cm)沈下。

海面上昇も相俟って、今世紀末までにサンフランシスコ湾岸の約427平方キロメートル、2050年にジャカルタ北部の95%が水没の恐れ。インドネシアは首都移転を計画中です。

沿岸部の都市人口増加が続いており、現在では世界人口の50%、2050年までには約70%に達すると試算。

今後20年間で約1200万平方キロメートルの土地が地盤沈下すると予測。地球の陸地の約8%ですが、居住者約16億人(全人口の約5分の1)が影響を受けます。

地盤沈下により被害を受ける資産は世界全体で8兆1900億ドル(約850兆円)相当。世界全体のGDPの12%に匹敵すると予想しています。

3.ジオエンジニアリング

2018年、国連「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が発表した特別報告書「1.5℃の地球温暖化」は、産業革命前からの平均気温上昇が2030年に1.5℃になると予測。それを防ぐには、世界のCO2排出量を2030年までに2010年比約45%減らし、2050年までに実質ゼロとすることが必要と指摘しました。

温暖化対策には、CO2を削減する緩和策、気候変動被害を抑制する適応策以外に、ジオエンジニアリングという第3の対策があります。

気候そのものを人為的、工学的に操作することを意味し、直訳すれば「地球工学」、その目的から「気候工学」とも訳されます。

ジオエンジニアリングはソ連が1932年にレニングラードに人工降雨研究所を設立したことに始まります。1950年代から米ソ両国で研究が活発化。同時期、日本でも人工降雨実験が始まり、現在も気象研究所で継続。

この言葉が学界に登場したのは1977年。温暖化に関する学術誌「クライマティックチェンジ」に掲載された論文の中に登場しました。

しかし、その後はジオエンジニアリングの議論は言わばタブー。温暖化対策が必要ないとする主張に利用されることを科学者たちが危惧したためです。

この状況を変えたのはオゾンホール研究で知られる1995年ノーベル化学賞受賞者クルッツェン博士。博士も上述の懸念を抱いていたものの、温暖化加速の危機感がそれを上回り、ジオエンジニアリングの必要性に言及するようになりました。

博士が特に懸念したのは、大気汚染対策が進行し、エアロゾルが激減すること。エアロゾルとは、自動車排気ガスから発生する粉塵等、大気中を浮遊する粒子のこと。

大気汚染対策は良いことですが、エアロゾルは太陽光を反射し、気温上昇を抑える働きもあります。2006年、博士は成層圏にエアロゾルを人工散布する技術に関する論文を発表。以後、世界の関心は高まりました。

ジオエンジニアリングの手法は多様ですが、CO2除去(CDR、Carbon Dioxide Removal)と太陽放射管理(SRM、Solar Radiation Management)の2系統に大別されます。

大気からCO2を直接回収するのがCDR。上述のIPCC報告書でも温暖化を1.5℃未満に抑えるにはCDRが不可欠と指摘しています。

CDRには植林、CCS(Carbon Capture and Storage)、CO2を吸収する海洋プランクトンを使う海洋肥沃化、光合成を行う微細藻類を使うバイオリアクター等、様々な手法がありますが、最も効率的と考えられているのが大気からの直接回収。

直接回収技術は潜水艦や宇宙ステーション等、呼吸によってCO2濃度が高くなる閉鎖空間で実用化されています。しかし、大気中のCO2濃度は約0.04%程度と低く、回収効率やコストが課題とされてきました。

近年、その課題を克服し、事業化する企業が出現。筆頭はクライムワークス(スイス)。2017年、チューリヒ郊外でプラント(1辺約2mの立方体装置18個で構成)を稼働させ、年間約900トンを回収しています。

回収したCO2の貯蔵も課題です。例えば、Cを栄養とする藻やバクテリア入りのコンテナ(チューブ状のバイオリアクター)に貯蔵。つまりCO2を固定化します。

もう1つのSRMは太陽光を遮って地球を冷やす技術の総称。太陽放射管理、太陽放射制御技術とも言われます。

太陽光の反射方法は、建物の白色塗装、宇宙や砂漠への反射板設置、海や雲の反射率向上等、様々なアイデアが検討されています。

成層圏エアロゾル注入もそのひとつ。効果は噴火が実証しています。1991年ピナツボ火山(フィリピン)噴火で噴出したエアロゾルにより気温が平均0.5℃低下。ジェット旅客機の燃料に硫黄を混ぜて飛行中に散布することが真剣に検討されています。

極地等の氷床は溶解速度が加速しています。氷床は太陽光を反射する役割を担っているため、微細ガラス粒を極地に撒き、氷床の反射能力を高める計画が進んでいます。

しかしSRMの手法には共通の問題があります。CO2濃度が高いままSRMで地球を冷やしても、温暖化以前の状態に完全に戻ることはできません。

生態系等への副作用懸念があるほか、国際的ガバナンスも課題です。2008年北京五輪に際し、中国が1000発以上の人工降雨ロケットで雨を降らせて雨雲を消し、開会式の晴天を実現させたことは記憶に新しいところです。

各国が独自に様々なことをやり始めると、地球全体でどのような影響が出るか予測できません。人間は地球にとって厄介な生物であることは間違いありません。

(了)

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