政治経済レポート:OKマガジン(Vol.474)2021.11.9

COP26開催中です。温暖化対策をしなければ2100年に平均気温は約3.5度上昇し、生態系は甚大なダメージを受けると予測。そうした事態回避のために気温上昇を1.5度に抑えることが2015年「パリ協定」で定められた目標です。それをもとに「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)」の2018年報告書「1.5度の地球温暖化」は2050年カーボンニュートラル実現を掲げました。具体的にはCO2排出量を2030年までに2010年比約45%減らし、2050年に実質ゼロとすることです。


1.人新世(アントロポセン)

地層のできた順序を研究する学問は「層序学」と呼ばれます。地質学の一部門であり、地質学は高校の授業で言えば地学の範疇に含まれます。

その層序学によると、地球の歴史の最も大きな区分は「冥王代(6億年)」「始生代(15億年)」「原生代(19.59億年)」「顕生代(5.41億年)」であり、合計46億年になります。

この46億年はさらに細かい「代」(古生代、中生代、新生代等)に分けられ、各「代」は「紀」(白亜紀、第四紀等)に細分化されます。

さらに「紀」は「世」(更新世、完新世等)に分かれ、人間の時代は1万1700年前に始まった「新生代第四紀完新世」に入ると定義されます。これが層序学の最近までの定説です。

「最近まで」と付言したのは、現在は「完新世」の次の「人新世」に入ったとする考えが専門家の間で広がり始めているからです。

その発端となったのはオランダの化学者パウル・クルッツェン博士の発言です。クルッツェン博士は1995年にオゾンホール研究でノーベル賞を受賞しています。

2000年2月、博士はメキシコで行われた地球科学の会議に出席していました。そこで「完新世」つまり1万1700年前から現在に至る地球環境の変化に関する議論を聞いている時に、突然叫んだそうです。曰く「もう完新世ではない、今は人新世だ」。

こうした会議や学会での不規則発言は極めて異例です。僕自身も学会に所属しているので、その異例さはよくわかります。しかもノーベル賞科学者の突然の発言。会場は静まり返ったものの、博士の突然の「新造語」は参加者に強い印象を残し、その会議の期間中に何度も言及されることになったと伝わります。

博士が発言した言葉は「Anthropocene(アントロポセン)」です。日本語ではとりあえず「人新世」と訳されています。

博士は2002年に英国科学誌ネイチャーに「人新世」の概念を正式発表。以後、「人新世」という表現は関係学会や科学誌等で盛んに使われるようになりました。

世界の人口は今や70億人超。農耕や牧畜が始まった紀元前8千年、つまり今から約1万年前は100万人だった人口は約7千倍になりました。

約1万年前から5500年かけて1億人に到達。さらに2500年経過し、紀元前後に2億人に到達。つまり、1億人増えるのに2500年要しました。

紀元1000年に3億人、1650年頃に5億人、1800年に10億人になり、ここから産業革命や近代化の影響で人口増加が加速。1900年に20億人となり、100年で10億人増えました。

化石燃料の大量消費が始まり、1960年には30億人。60年で10億人増え、そこから40億人(1974年)までは14年、50億人(1987年)までは13年、60億人(1999年)、70億人(2011年)までは各12年。そして今は73億人。国連は2050年の世界人口を約100億人と予測しています。

化石燃料大量消費は地球温暖化の原因となりました。未だに温暖化否定論者及び化石燃料原因説否定論者もいますが、少数意見です。

クルッツェン博士は人間の活動が地球史に影響を与える時代に入っていることを重視して「人新世」と称したのです。

米国の著名な生物学者エドワード・オズボーン・ウィルソン博士は「20世紀における人口増加パターンは、霊長類というより細菌の繁殖パターンに近い」と指摘しています。

ウィルソン博士の計算によると、人類の「生物量」は過去に地球に存在したあらゆる大型動物と比べて約100倍も多いそうです。コロナウイルスに悩まされている人間自身が「細菌並み」と指摘されるのは皮肉なことです。

46億年前、岩石惑星として誕生した地球のその後の地質学的歴史、すなわち月の形成、地軸の傾き、生命の誕生等の痕跡は、堆積した地層の中に残されています。

クルッツェン博士はなぜ「人新世」という概念を生み出したのか。それは、後世、地層に現代の特徴的痕跡が残るからです。

「人新世」入りの区切りについても議論されています。産業革命が起きた頃、化石燃料大量消費が始まった頃のほかに、1950年前後も有力候補です。

根拠はもちろん核兵器誕生(1945年)です。自然界には存在しない物質が地層に残ることから、その時代を地質学的に「人新世」と定義する考えです。

2.ピナツボ・オプション

産業革命、人口爆発、大量生産大量消費、巨大都市化、技術進歩等による大変化は、CO2、メタンガス等の大気中濃度、成層圏のオゾン濃度を高め、地球表面高温化や海洋酸性化、熱帯林減少、海洋資源激減等々、地球環境に顕著な影響を及ぼしています。

核実験に伴うウラン235、産業化と都市化に伴うアルミニウム、プラスティック、コンクリート等は岩石に入り込み、「核化石」「テクノ化石」となります。大量排出されたCO2は雪氷層に気泡として閉じ込められます。つまり「人新世」を確認できるマーカーが地層に多数残ります。

「人新世」は白亜紀末の小惑星衝突に匹敵する激変につながるかもしれません。小惑星衝突が恐竜を含む地球史上5度目の大量絶滅を引き起こしたように、「人新世」の環境変化は6度目の大量絶滅の危機を想起させます。

クルッツェン博士は晩年、危機を自覚し、最悪の事態を回避するために「人新世」という概念を提唱したと述べています。博士は今年1月28日に亡くなりました。

温暖化対策は、被害を抑制する「適応策(防災、作物品種改良等)」、影響軽減を目指す「緩和策(CO2排出量削減)」に分かれます。COP26で議論しているのは「緩和策」です。

しかし、CO2増加は気候システムが激変を始める「臨界点(tipping point)」を超えたという指摘もあり、「適応策」「緩和策」では対処仕切れないかもしれません。

そこで関心が高まっているのが第3の対策である「ジオエンジニアリング」。メルマガ458号(2021年3月18日)でも取り上げましたが、再述します。

英語では「Geoengineering」または「Climate engineering」と記し、日本では「気候工学」と訳され、地球環境を人工的に操作することを提唱しています。

「ジオエンジニアリング」という概念及び言葉が登場したのは1977年。地球温暖化に関する総合学術誌「クライマティック・チェンジ」の掲載論文の中で初めて使われました。

その後長い間、温暖化対策の文脈で「ジオエンジニアリング」が国際会議等で議論されることはありませんでした。「ジオエンジニアリング」がCO2削減を行わない言い訳として使われることを科学者たちが忌避したためです。

その状況を大きく変えたのは、やはり上述のクルッツェン博士でした。直接の契機は2006年に博士が執筆した文章(エッセイ的なレポート)です。

1991 年にフィリピンのピナツボ火山が大噴火し、成層圏に大量の硫黄物質が拡散し、それがエアロゾル粒子となって滞留。この粒子が太陽エネルギーを反射し、8ヶ月後に地球の平均気温が 0.5度低下しました。

博士はこの事象を念頭に「成層圏に人工的にエアロゾル粒子を注入して反射率(アルべド)を高めて地球を冷やす」という構想を提案。後に博士の提案は「ピナツボ・オプション」と呼ばれるようになります。

さらに博士は、各国の大気汚染対策が大気中のエアロゾル減少につながり、かえって地球温暖化が進むことも指摘。博士の提案と指摘は「ジオエンジニアリング」を巡る議論の封印を解くことになり、それに類する手法は「太陽放射管理(SRM、Solar Radiation Management)」と呼ばれるようになりました。

太陽光を反射する方法としては、エアロゾル散布を筆頭に、建物の白色塗装、氷河や海の反射率を高める工夫等の現実的なものから、砂漠への反射板設置、宇宙への鏡設置等のSF的な案まで様々です。

もっとも、SRMには根本的な問題があります。CO2濃度が高いまま地球を冷却しても、気候システムを地球温暖化以前の状態に復元できるわけではないということです。SRMを止めると、再び温室効果が顕れます。

世界各国が協力して「緩和策」でCO2排出量がゼロになっても、過去に蓄積されたCO2は減りません。数千年単位で地球に影響を与え続けます。

そこで、CO2濃度を下げるにはCO2を大気から直接回収(除去)する必要があります。それが二酸化炭素除去CDR(Carbon Dioxide Removal)です。SRMと並ぶ「ジオエンジニアリング」のもうひとつの手法です。

3.DACプラント

CDRには「植林」や「CCS(CO2回収・貯留)」といった既存手段に加え、海洋プランクトンや微細藻類を利用する「バイオリアクター」等、様々な手法が検討されています。CCSはCarbon dioxide Capture and Storageの略です。

中でも、効果的手法として注目されているのが「CO2直接空気回収(DAC、Direct Air Capture)」です。潜水艦や宇宙ステーション等、呼吸によってCO2濃度が高くなる閉鎖空間において既に利用されています。

大気中のCO2濃度は極めて低く(約0.04%)、従来は回収効率やコスト面から非現実的と思われていましたが、ここ数年、欧米企業がDAC事業化に着手しています。その筆頭がスイスのクライムワークス(CW)社です。

2017年、CWはチューリヒ近郊に世界初のCO2回収プラントを稼働させました。大気から特殊フィルターでCO2を吸着します。回収能力は年間約900トンです。

回収されたCO2は農家等に販売され、温室作物の光合成活性化のための肥料等として使われています。CO2とミネラルウォーターを使った炭酸飲料の商品化も行っています。

さらに今年9月、CWはCO2を地中貯留する世界最大のDACプラント「オルカ(Orca)」をアイスランドで稼働。年間4千トンのCO2を抽出、貯留します。

「CO2収集機(コレクター)」のフィルターで大気中のCO2を吸着し、流水を利用して地下約2千メートルに送り込み、自然の鉱化作用によって炭酸塩に変換。CO2の95%が数年以内に岩石化し、地下貯留されます。一連のプロセスには近郊のヘリシェイディ地熱発電所の廃熱を利用します。

「オルカ」のようなDACプラントでは再エネを使用することが大前提です。除去するCO2量よりもプラント稼働で排出するCO2量が多ければ意味がありません。

そういう観点で火山国アイスランドは適地です。地熱エネルギーが利用できるほか、岩盤層は大量のCO2を貯留するのに適した組成です。鉱石化によるアイスランドの推定CO2貯留能力は1.2兆トン。世界のCO2年間排出量の約30倍です。

IEA(国際エネルギー機関)の2020年報告書によれば、世界15ヶ所でDACプラントが稼働中。現在、年間約1万トンのCO2回収能力があるそうです。

CWには独アウディが2013年から出資し、CO2と水を原料とするディーゼル燃料の開発製造を開始。2018年から両社はCO2の炭酸飲料メーカーへの供給も行っています。

アウディは「オルカ」にも協力。クレジット制度によって年間4千トンのCO2削減分のうち4分の1をアウディに付与。植林で同量のCO2を削減するには8万本必要です。昨年から米マイクロソフトもCWに出資。各社ともCWと提携することで脱炭素化への貢献をアピールし、ESG投資やSDGsの潮流に対処しています。

もちろん、課題もあります。DACプラントを再エネだけで稼働させる場合、1億トンのCO2回収には2018年に米国で生産された風力・太陽光発電量の全てが必要になる計算です。1億トンは世界の年間CO2排出量の400分の1に過ぎません。

最も経済的なCO2削減策は植林ですが、樹木だけで化石燃料由来のCO2を除去するには地球が3個分必要だそうです。近年の自然災害甚大化を見ても分かるように、「適応策」「緩和策」では対策が間に合わない印象です。また、「適応策」「緩和策」がコスト面で頓挫する可能性もあります。

「ジオエンジニアリング」のCDR、つまりCO2削減は「カーボンネガティブ」「ネガティブエミッション」とも呼ばれます。CDR技術への挑戦はチャンスです。主要産業のひとつに発展する可能性があり、多くの雇用を生み出すでしょう。

今やリーダー的存在であるスイスCWに続き、米国グローバルサーモスタット等、新興企業が勃興。カナダのカーボン・エンジニアリング社は年間100万トンのCO2回収能力を有する世界最大のDACプラントを来年米国で稼働させる計画です。

シリコンバレー最大のスタートアップ・インキュベーター、Yコンビネーター社は「ジオエンジニアリング」に特化した企業発掘を進めています。この分野で日本企業の名前は聞きません。

「ジオエンジニアリング」の副作用を懸念する反対意見もあります。また、反対派の科学者や政治家は「ジオエンジニアリング」が戦争を引き起こす危険性も指摘しています。

しかし「ジオエンジニアリング」の研究を進める動きは確実に広がっています。2019年3月、国連環境計画(UNEP)の年次会合(ナイロビ)において「ジオエンジニアリング」に関する決議案がスイスから提出されました。

その内容は「ジオエンジニアリング」の影響、リスク、ガバナンス等の評価を行うことをUNEPに提案し、独立専門家グループ設立に各国政府が協力するよう要請しています。

「ジオエンジニアリング」が国連や国際会議の場で語られるようになったことは大きな変化です。それだけ「適応策」「緩和策」だけでは対応できないこと、限界が見えてきていることの証左です。

IPCC第1作業部会は2013年第5次報告書で初めて「ジオエンジニアリング」に関する評価を行い、2018年のIPCC報告書「1.5度の地球温暖化」以降、「ジオエンジニアリング」をSRMとCDRを分けて評価し始めました。

日本がまたひとつ、世界の動きに遅れを取ることがないよう注視しつつ、関係当局、関係産業界の動きを促し、連携していきます。

(了)

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