ウクライナ情勢が緊迫しています。北朝鮮は相次いでミサイルを発射。何やら不穏な国際情勢です。来週から北京五輪ですが、ウイグル問題や香港問題を鑑みると五輪開幕を祝福する気分になりません。世界に暗雲が広がっていると感じます。おまけにトンガ沖の海底火山爆発等、自然災害も気になります。コロナ禍も続き、何ともストレスの溜まる日常です。現実を直視しつつ、今だからこそできること、この環境を有効活用することを考え、気分は明るく、前向きに職務に精励します。
感染ピークアウトが見通せない状況ですが、素人なりに巷間言われているオミクロン株の特徴や症状を整理してみます。
第1は発症までの日数。他の感染症、例えば麻疹は平均12日間。それに比べてコロナウイルスは感染から発症までが短く、デルタ株は10日弱、オミクロン株は約5日です。
第2は初期症状。オミクロン株は肺よりも喉に感染し、咽喉痛と無力症が顕著です。無力症は筋力低下または喪失による広範囲の衰弱状態を指し、著しい倦怠感と刺激に対する反応鈍化が特徴です。
第3は感染力と重症化リスク。咽喉で増殖するため咳等によって伝染し易い一方、喉等の上気道が感染の中心であり、肺への感染率が低いことから肺炎等による重症化リスクは低いようです。
第4は検査の困難さ。オミクロン株は抗原検査の検体採取方法によっては検査結果が変わる傾向があります。鼻咽頭スワブ、鼻腔スワブは陰性率が高く、口腔から検体を採取する中咽頭、扁桃腺等、咽頭スワブの場合は陽性率が高いようです。
ところで、今月前半、デルタ株とオミクロン株の両方の特徴を併せ持つ新たなウイルスが発見されたと報道されました。名付けて「デルタクロン株」。
デルタ株は重症化リスクが高く、オミクロン株は感染力が強いと指摘されています。その両方の特徴を併せ持つとは厄介な変異株です。
発見された場所は地中海に浮かぶ島国キプロス。発見したのはキプロス大学生命工学分子ウイルス学研究所。同大学コストリキス教授によると、報道時点でデルタクロン株の感染例は25件。軽症者よりも重症者から多く見つかったそうです。
デルタクロン株の遺伝子配列は1月7日にウイルス変異を追跡する国際データベースであるジーセイド(Gisaid)に登録されました。
報道当初、英国ウイルス学者トム・ピーコック博士が「研究室内のゲノム解析過程で発生したのではないか」と指摘。すなわち実験室でデルタ株とオミクロン株が混交した技術的ミス(テクニカルアーチファクト<技術的原因による不自然な結果>)の可能性を指摘。つまり、遺伝子塩基配列が人為的に乱されたということです。
一方、キプロス大の研究チームは技術的ミスという指摘を否定。一般的な変異発生過程はウイルス増殖時の遺伝子複製エラーに由来しますが、デルタクロン株は2つの変異株に同時感染した人間の細胞内で遺伝子組み換えに近い現象が起こったのではないかと推察。
キプロス大学は、デルタクロン株はオミクロン株に置き換わる可能性があると警鐘を鳴らしています。
その後、デルタクロン株の真贋論争、発生由来に関する論争は立ち消え、正体不明の状況が続いています。いずれにしても要注意です。
新型コロナウイルスは感染拡大過程で増殖中の遺伝子複製エラーを重ねて変異株を生んできました。そのうえ、変異株だけではなく中国武漢のオリジナル株も含め、未だにウイルスの起源や特性等、全容は解明されていません。
変異株同士が影響し合って新たな変異株が発生しても全く不思議ではありません。デルタ株、オミクロン株とも、他の株に比べて遺伝子複製に関与する部位に影響を与えるアミノ酸変異が多いのが共通点。構造が似ているので結合の可能性は十分あり、同時感染がデルタクロン株発生の契機と想像できます。
デルタクロン株の起源が人為的ミスか否かはもはや問題ではなく、実際に感染者から検出されているという事実こそが重要です。
過去の感染症でも、HIVでは2つの型に同時感染した患者が一定数いたそうです。インフルエンザもA型とB型の同時感染は時々発生します。
より症状の重いウイルスの影響を受けるため、インフルエンザA型B型同時感染の場合はA型の症状が出ますが、新型コロナウイルスのデルタ株オミクロン株同時感染の場合はデルタ株の影響が出やすいと推測します。
さらに、インフルエンザとコロナの同時感染「フルロナ」という造語も登場。1月10日の段階では世界保健機関(WHO)が否定したものの、その後、イスラエル、ハンガリー、スペイン、ブラジル、米国等でフルロナ患者が確認されています。
新型コロナの世界的流行で衛生意識が高まり、過去2年間インフルエンザは流行しませんでした。その結果、集団免疫力は低下。インフルエンザの流行リスク、重症化リスクは高まっていると言えます。デルタクロン株にフルロナ、これからの動向に要注意です。
オミクロン株では「ステルスクラスター」が発生しています。オミクロン株は感染しても無症状や軽症にとどまる場合が多く、自覚症状がないまま周囲に感染を拡大するためにステルスクラスターと呼ばれています。
オミクロン株の症状は微熱や鼻水、咽喉痛が目立ち、当初の武漢株、欧州株、その後のデルタ株のような嗅覚・味覚異常等もなく、「花粉症かな」と思う程度の感染者が多いようです。その結果、ステルスクラスターを発生させています。
ステルスクラスターとは難儀なことですが、ここにきて、オミクロン株や上述のデルタクロン株よりもさらに厄介な変異株、亜種の情報も飛び交い始めています。それはステルスオミクロン(SO)株です。
オミクロン株には3つの亜種(BA1、BA2、BA3)が存在し、症例のほとんどはBA1です。ところがデンマークでBA2による感染が急拡大。このBA2がSO株と呼ばれています。
デンマーク保健省の研究機関SSI(Statens Serum Institut)によると、SO株の感染力はオミクロン株のさらに2倍。デンマークでは全感染者の65%が既にSO株。2021年最終週の20%から急上昇し、既に圧倒的支配株となっています。オミクロン株感染後にSO株に再感染した事例も報告されています。
SSIによるとOS株の重症化率はオミクロン株と変わりないそうですが、免疫回避能力やワクチン有効率は現在調査中だということです。
SO株は、既に英国、ノルウェー、スウェーデン、米国でも発見され、増加傾向が始まっています。世界全体では50ヶ国以上で確認済です。
日本では1月19日時点で空港検疫1826例を解析したところ、オミクロン株が1626例で約89.1%、SO株が198例で約10.8%。インドやフィリピン等からの帰国者が感染していました。
アジアではタイでSO株流行の兆しがあります。1月26日、タイ保健省医療科学局は1月2日に最初のSO株を確認し、26日段階で14人の市中感染、死亡1人と発表。
ところで、なぜ「ステレス」と呼ばれるのでしょうか。それはPCR検査でも検出しにくいことに由来します。
PCR検査は新型コロナウイルス検出に有効です。オミクロン株はPCR検査で明確に特定できますが、SO株は検出し難いようです。ゲノム解析が必要なため、特定に時間がかかります。PCR検査で検出が困難なことから「ステルス」と呼ばれるようになりました。
SO株とオミクロン株の構造的な違いは何か。SSIの説明によれば、SO株のスパイクプロテイン数はオミクロン株に比べて10種多いこと等です。
フランス保健省は「SO株はオミクロン株の特徴とほぼ一致し、過度に不安になる必要はない」との見方を示した一方、英保健安全保障庁は「SO株はオミクロン株に比べて感染力や増殖率が高い」と警鐘を鳴らしています。
オミクロン株の特徴は免疫回避能力が高く、ワクチンが効きにくいことです。そのため、デルタ株に罹患した人が再度オミクロン株に罹患するケースが頻発しています。
そしてデンマークでは、上述のとおりオミクロン株罹患後にSO株に罹患し事例が報告されています。デルタ、オミクロン、SOと3度も罹患してはたまりません。
さらにBA3が控えています。BA3は全く未知です。まん延防止等重点措置等、これまでの対策では対応できないかもしれません。
米国感染症専門医ロビー・バタチャリヤという医師のレポートに「オミクロン株は歴史上最も急速に感染拡大しているウイルスである」と記されていました。
SO株はそれを上回る感染力ですから、要注意。どうやら「新型コロナは史上最速の変異力と感染力のウイルス」と評してもよさそうです。
有史以来の主な感染症の歴史を概観しておきます。最初に取り上げるべきはペスト。紀元前5世紀、アテネでペスト流行の記録があり、ギリシャ世界崩壊の契機となりました。
5世紀の東ローマ帝国。エジプトで発症したペストが、パレスチナ、アナトリア半島、帝都コンスタンティノープルへと広がり、人口の半分を失って帝国は機能不全に陥りました。
14世紀、「黒死病」と呼ばれて猛威を振るったペスト。中国で大増殖していたペスト菌がモンゴル帝国によってユーラシア大陸西部から欧州に運ばれ、大災厄をもたらしました。
全世界で約9000万人、欧州では全人口の3分の1に当たる約3000万人、英仏では人口の半分が死亡したと推定されています。
その後、小康状態となったものの、1855年、清朝雲南を起源とするペストの大流行。その後、コッホに師事した北里柴三郎とパスツール研究所のイェルサンがほぼ同時期にペスト菌を発見しました。
日本では、古くから疱瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・水疱瘡(水痘)が「御役三病」と呼ばれ、恐れられてきました。21世紀に入っても麻疹の集団感染が見られ、日本は「麻疹の輸出国」と見なされています。
天然痘に対しては、古代から発疹の瘡蓋(かさぶた)を用いた人痘が行われていました。
1798年、自らも人痘接種を受けた経験がある英国人医師エドワード・ジェンナーが「牛痘にかかった者は人痘にもかからない」という農婦の話を聞き、種痘を開発して8歳の少年に牛痘接種。予防接種の先駆けでしたが、一種の人体実験でもありました。
1958年からWHOが天然痘根絶計画を開始。1975年のバングラデシュ、1977年のソマリアを最後に天然痘患者は報告されておらず、1980年、WHOは天然痘根絶を宣言。
天然痘は人類が根絶した唯一の感染症であり、天然痘ウィルスは現在、米国とロシアのバイオセーフティーレベル4の施設で管理されています。
コレラによるパンデミックは過去7回。19世紀前半のコレラ流行は都市化の進んだ時期と重なり、劣悪な都市衛生環境が被害を拡大。公衆衛生学や上下水道整備等の近代的都市工学等、新たな学術分野の発展につながりました。
日本では幕末から明治期に大流行し、累計20万人超が死亡。オランダ人の「コレラ」という発音が転訛した「コロリ(虎列刺、虎狼狸)」の呼び名が広がり、激しい症状、高い死亡率から「鉄砲」「見急」「3日コロリ」とも呼ばれました。
チフスは19世紀前半のフランス、ロシアで大流行。コレラとともに、労働運動活発化の一因になったと言われています。
日本では「労咳(ろうがい)」と言われた結核。「不治の病」「死の病」「白いペスト」とも呼ばれました。
産業革命後に「世界の工場」として繁栄した英国で大流行し、最悪期1830年頃のロンドンでは5人に1人が結核で死亡。当時の労働者は1日15時間労働でスラム街に住み、低賃金による困窮、劣悪な生活衛生環境等が事態の深刻化に拍車をかけました。
明治期、日本からの英国留学生は、結核に罹患し、死亡したり、帰国する者が少なくありませんでした。やがて、日本国内でも紡績工場の「女工哀史」に象徴されるように英国と同様の状況が生まれ、1935年から1950年までの15年間、日本人の死亡原因のトップでした。
紀元前412年、「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスがインフルエンザと思われる感染症の記録を残しています。
1889年に流行した疾病の病原菌分離にドイツ元軍医リヒャルト・プファイファーが成功。1892年、「インフルエンザ菌」と命名しました。
スペイン風邪は鳥インフルエンザの一種。1918年、米軍兵士の間で流行し始め、人類が遭遇した最初のインフルエンザ・パンデミックです。
感染者6億人は当時の世界人口12億人の半分、死者5000万人超。この死者数は、感染症のみならず、戦争や災害等、あらゆる災厄の中で人間を短期間で大量に死亡させた最多記録。第1次大戦の戦死者数を上回り、米国では50万人、日本では当時の人口5500万人に対して39万人が死亡しました。
米国発の感染症が「スペイン風邪」と呼ばれた理由は、当時は第1次大戦中の情報統制下にあったため、感染症の重要情報が中立国スペイン経由で発信されたからです。スペイン風邪のパンデミックは第1次大戦の終結を早めたとも言われています。
20世紀中にインフルエンザ・パンデミックは3回ありました。上述のスペイン風邪のほか、1957年のアジア風邪、1968年の香港風邪です。
アジア風邪では世界で200万人が死亡。1957年冬、中国貴州で発生。当時の中国はWHO未加盟であったため、感染情報が他国に伝わったのは流行から2ヶ月経過してからでした。日本での届出感染者は99万人、死者は判明分で7735人です。香港風邪による死亡者は世界で100万人、日本で2200人超と言われています。
コロナでの死者は2万人近くに達しています。医学や医療体制が発達したうえでのこの人数ですから、後世、やはりパンデミックとして振り返られることでしょう。
(了)